2019/7/13 up

大人の英文法−コラム(13)

英語リーディングでのfactとopinionの区別

 

英語学習の中に新しいノウハウが加わることが時にあります。たとえばひと昔前には,「パラグラフ・リーディング」という言葉はありませんでした。

近年現われたトレンドの1つが,「factとopinionの区別」です。きっかけは,センター試験に代わる共通テストの試行調査でした。

英語の試行テストはこれまでに2回行われていますが,どちらの回でもこれを問う問題が出ています。

移行措置として3年で終了する予定だった共通テストが4年目以降も続く可能性が取りざたされている状況で,「factとopinionの区別」は

今後さまざまな英語教材に取り入れられるでしょう。このブログでは,それに関する個人的な意見を語ろうと思います。

最初に結論を言うと,

@fact(事実)とopinion(意見・感想)を区別する訓練を行うのは,情報リテラシーの観点からも大切なことです。

Aしかし「どう教えるか?」というテクニカルな観点から言うと,素材の選択には細心の注意が必要だと思います。

さもないと,factではないものを安易にfactと判断する誤った思考形態を学習者に植え付けるおそれがあります。

たとえば I think で文が始まっていれば,それは明らかにopinionです。

しかし,一見factに思えるものでも,厳密に言うとfactとは言えないものもあります。

参考までに,英英辞典の定義の例を挙げておきます(LDOCE)。

・fact= a piece of information that is known to be true 

・opinion=your ideas or beliefs about a particular subject

 

ここでは,2018年2月に実施された試行テストの問題の1つを取り上げます。(以下のサイトに問題が掲載されています)

https://www.dnc.ac.jp/daigakunyugakukibousyagakuryokuhyoka_test/pre-test_h29_01.html

この素材は,3つのレストランに関する3人のレビューです。下記はそのうちの1つで,赤字がこれから問題にする箇所です。

●レビュー: Annie’s Kitchen by Carrie (2 weeks ago)

Was in the mood for variety, and Annie’s Kitchen did NOT disappoint. 

The menu is 13 wonderful pages long with food from around the world. 

Actually, I spent 25 minutes just reading the menu. 

Unfortunately, the service was very slow. 

The chef’s meal-of-the-day was great, but prices are a little high for this casual style of restaurant.

●問い: Based on the reviews, which of the following are facts, not personal opinions? (You may choose more than one option.) 

@Annie’s Kitchen offers dishes from many countries.

AJohnny’s Hutt is less crowded than Shiro’s Ramen.

BJohnny’s Hutt serves some fish dishes.

CThe chef at Johnny’s Hutt is good at his job.

DThe chef ’s meal-of-the-day is the best at Annie’s Kitchen.

EThe menu at Annie’s Kitchen is wonderful.

「レビューによれば,次のうちどれが,個人的なopinionではなくfactか。該当するものをすべて選べ」という問いです。

公式発表による正解は「@とB」です。しかし私は,@は正解ではない,つまり@はfactではなくopinionだと思います。

その理由を説明する前に,「fact(事実)とは何か?」を少し深く考えてみたいと思います。

 

まず,言うまでもなく,すべての陳述(statement)がfactとopinionのどちらかに分類できるわけではありません。

たとえば「明日の最高気温は35度を越えるでしょう」という天気予報の文言がfactでもopinionでもないことは,感覚的にわかるでしょう。

ある陳述がfactかどうかを判断するためには,最低限その陳述が「命題」(真偽を判定できる形の文)でなければなりません。

未来のことを予想するような内容の文はそれに当たらないので,factかどうかの判定はできません。

それを前提として,以下にいくつかの命題を示し,それらがfactと言えるかどうかを考えてみます。

【1】 イヌは動物である。

【2】 人間の性は男性と女性の2つである。

【3】 UFOは存在しない。

【4】 人間はいつかは必ず死ぬ。

【5】 喫煙は人体に害を与える。

【6】 喫煙は肺ガンの原因になることがある。

【7】 酒の飲みすぎは健康に悪い。

【8】 このレストランはいつも予約が一杯だ。

以下に説明しますが,私が判断するなら,上の8つのうちで文句なくfactと言えるのは【1】と【6】だけです。

(「これが正解だ」と言っているわけではありません。あくまで「私が判断するなら」という条件付きです)

【1】「イヌは動物である」は,「イヌ」「動物」という2つの言葉の定義によって真だと判定できます。

「命題が真である=その内容はfactである」と考えるなら,この文の内容はfactだと(とりあえず)言えます。

【2】「人間の性は男性と女性の2つである」−これは,ひと昔前ならfactだったでしょう。

しかし性同一性障害やLGBTが社会的な注目を集めている今日では,必ずしもそうは言えなくなりました。「性」の定義が揺らいでいるからです。

このように,ある陳述がfactであるかどうかの判断には,言葉の定義という問題が大きくかかわってきます。

私たち(少なくとも私)が「1はfactだ」と判断するのは,イヌとか動物という言葉の定義に疑いを持っていないからです。

生物学の専門家の中にはその定義を疑い,「イヌは動物である」をfactではないと主張する人もいるかもしれません。

「地球は丸い」もそうです。「地球は完全な球体ではない」と考えればその陳述はfactではなく,その見方も間違ってはいません。

【3】「UFOは存在しない」はfactではありません。証明不可能だからです(「未確認な飛行物体は現に存在するだろう」というツッコミは置いておいて)。

ラノベ・ゲーム・アニメなどによく出て来る(例:うみねこ,サイコパス),いわゆる悪魔の証明というやつです。

不存在を証明するためには,すべての事例をチェックしなければなりません。逆に「存在の証明」は簡単です。例を1つ探せばよいのだから。

【4】「人間はいつかは必ず死ぬ」−当然の事実に思えるかもしれませんが,この文は「死なない人間は(一人も)いない」と言い換えられます。

すると,3と同じように,不存在を証明しなければなりません。「死なない人間」は本当に一人もいないのか?

― そう考えた場合,この命題は少なくとも記号論理学的には「真」ではなさそうです。

しかし多くの人は,「UFOは存在するかもしれないが,死なない人間はいない(だろう)」と考えます。

3と4の真偽の判定の違いは,本人の有限の経験に基づいています。

また4については,「そもそも『死ぬ』とはどういうことか?」という言葉の定義の問題もあります。

「体はなくなっても魂は生きている」という思想を持つ人にとって,「人間は必ず死ぬ」という陳述はfactではありません。

つまり,factであるかどうかの判断は,判断する者の「言葉の定義」と「常識」に左右されるということです。

「人間はいつかは必ず死ぬ」という陳述を,factだと考えない人もいるはずです。その見方が間違いだとは言えません。

「神は存在する」という命題もしかり。そう信じる人にとってはfactであり,信じない人にとってはopinionです。

このように考えると,factと呼ぶべきものの範囲は一般に考えられているよりかなり狭いと言えそうです。

もっと極端な例を挙げると,「1+1は2である」も,状況によってはfactでなくopinionになります。

たとえば「チームワークを高めれば,チーム全体の力は単なる足し算の値より大きくなる。つまり1+1=3になることもある」

という意見(opinion)に対して,「そんなことはない。チーム力とは基本的に個人の力量の総和であって,1+1=2だ」

と主張する人がいた場合,「1+1=3」「1+1=2」の両方が対等のopinionだと言えるでしょう。

【5】「喫煙は人体に害を与える」― これがfactであるかどうかも,人によって判断が分かれるはずです。

ある人はこう言うでしょう ― 「オレは何十年もタバコを吸っているけれど,健康だよ」

問題の1つは,「AはBである」という表現形式にあります。この形の文は論理的には「すべてのAはBである」という意味です。

たとえば「人間は動物である」とは,「すべての人間は動物である=動物でない人間はいない」ということ。

したがって,「喫煙は人体に害を与える」とは,「すべての喫煙は人体に害を与える」ということです。

この陳述は,それを「普遍的事実だ」と考える人にとってはfactですが,そうでない人にとってはopinionです。

4や5からわかるとおり,factかどうかの判断は人によって違う(ことがある)というのが一般的事実でしょう。

【6】「喫煙は肺ガンの原因になることがある」―これは紛れもなくfactです。喫煙者もこれを否定することはできないでしょう。

5と6の違いは,ある陳述がfactであるかどうかの判断において,allとsomeを区別することの大切さを物語っています。

日常生活でも同じです。たとえば「女子は甘いものが好きだ」という発言は,「いや,そうでない女子もいるでしょ?」と反論されるでしょう。

一方「たいていの女子は甘いものが好きだ」という発言には,多くの人が「そうだろうな」と考えるはずです。

【7】「酒の飲みすぎは健康に悪い」 ― これをfactと考えることはもちろん可能です。しかし,問題点もあります。

それは「飲みすぎ」というあいまいな表現です。「酒の飲みすぎ」という表現の裏には,「適度の飲酒量」という対立概念があります。

では「適度」の定義は?― 語り手の意識としては,おそらく「健康に悪くない程度」という意味でしょう。

したがって7は一種のトートロジー(同義語反復)であり,「健康に悪い行為は健康に悪い」と言っているのと同じです。

このようなものをfactと呼ぶことには,あまり意味がありません。

【8】「このレストランはいつも予約が一杯だ」― これはfactか?という問いの答えは,「イエスの場合とノーの場合がある」です。

店のオーナーが語ったのなら,(本人が嘘をついていない限り)factだと判断できます。その人は店のすべてを知っているからです。

しかし客の誰かがこう語ったのなら,それはfactではありません。「自分が知る限り」という条件がつくからです。

このことから,ある陳述がfactかどうかの判断は,誰の口から語られたものかにも左右されると言えます。

 

以上の考察をふまえて,最初に挙げたレストランのレビューと設問の一部(および訳文)を再掲します。

●レビュー:The menu is 13 wonderful pages long with food from around the world(メニューは何と13ページもあり,世界中の料理が載っている)

●問い: Based on the reviews, which of the following are facts, not personal opinions? (You may choose more than one option.) 

(レビューによれば,次のうちどれが個人的意見ではなくfactか。2つ以上(の選択肢を)選んでもよい)

@Annie’s Kitchen offers dishes from many countries. (アニーズキッチンは多くの国々の料理を出す)〈正解の1つ〉

 

改めて問います。@はfactでしょうか?また,レビューに書かれた文(The menu is ...)はfactでしょうか?

私の判断によれば,これらはどちらもfactではなく,書き手のpersonal opinionです。

まず,レビューにあるfrom around the world(世界中の)は,書き手の主観的な意見ではないでしょうか?

仮にそのレストランが10か国の料理を出すとして,それをaround the worldと表現するかどうかは人によって違うはずです。10という数字が20でも30でも同じです。

また,このレビューの書き手にとっては「10か国=多くの国々」であっても,別の人は「たったの10か国」と思うかもしれません。

要するにaround the worldやmany countriesは意味があいまいな言葉であり,factを語りたいときに使うべきではありません。

逆に言えば,そのような文言を含む陳述はfactではなくopinionです。

「あなたの考えすぎでしょう」と思われる人も多いかもしれませんが,私はこの問いが非常に深刻な問題をはらんでいると思っています。

この問いの公表された正答率は,わずか14.0%です。理由の1つは,「正解は1つとは限らない」という尋ね方にあります。

その問い方に罪はありませんが,私が危惧するのは,出題者が想定した正解(@とB)から@を除外したために不正解となった受験者の存在です。

その受験者が@を除外した理由は,もしかしたら私の考えと同じだったのかもしれません。

つまり,「@の『多くの国々』は書き手の主観にすぎない(あるいは「世界中≠多くの国」だ)から,これはfactではない」という判断です。

彼にそういう受験者が1人でもいたとしたら,その判断を「間違いだ」と言ってよいのでしょうか?

私の答えはノーです。意地悪な言い方をすれば,その受験者の知性の方が出題者の知性より上だったとさえ言えるかもしれません。

人数が多いか少ないかの問題ではありません。1人でもそういう受験者がいたなら,この問いは「悪問」です。

出題者は「from around the world=from many countriesである。だから@はfactだ」と考えています。

情報リテラシーの観点から言って,その発想はかなり粗雑(あるいは軽率)ではないでしょうか。

 

この記事で伝えたかったことを再確認します。

大切なのは,factではないものを「これはfactだ」と安易に判断しないことです。

たとえば「インターネットは私たちの生活に大きな役割を果たしている」という文言は,factでしょうか?

「私たち」とは誰のことなのか?「大きな」とはどの程度のことなのか?

このようなcritical thinkingは,英語に限らず情報リテラシー全般において非常に大切だと思います。

 

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