釣りには無数のジャンルがあり,それぞれの面白さがあります。数釣りを好む人,大物釣りに命を賭ける人。釣りより釣り場で飲む酒の方が好きな人・・・人生いろいろです。だから「かぶせ釣りには,他の釣りに勝る釣趣があるのだ」てなことを力説しても,この釣りをやらない人には何のことやらわかりません。ただ,「自分にとって,なぜ他の釣りでなくかぶせ釣りなのか?」ということは言えます。とりあえず,かぶせ釣りへの個人的な思い入れをつづってみました。

@ 大きな魚が釣れる。

ぶせ釣りで釣れる魚はほとんどが大型で,チヌやアイナメなら30cm級,コブダイなら40cm級が標準サイズといったところ。しかも短竿でやりとりするので,ほとんど手釣りのような感覚で強い引きを楽しむことができる。大物を釣った日は,手に伝わる感触の余韻にひたりながら,その魚で晩酌を楽しむ。これだけは,実際に味わってみないとわからない。

A 身近な波止で釣れる。

ぶせ釣りは,近場の波止(いわゆるファミリー釣り場)で楽しむことができる。しかも,「狭いスペースでも釣りができる」という利点もある。休日に身近な波止へ行くと,釣り座の確保が難しい。しかしかぶせ釣りの場合,釣り座の横にカキと竿を置くスペースさえあれば,サビキ釣りの竿の列の中でも釣りができる。サビキ釣りの竿は5m前後の長さがあるが,かぶせ釣りは自分の足元を釣るので,オマツリの心配もない。数十cmほどの間隔でイワシ釣りの人たちが竿を並べる釣り場の真ん中で,足元のかぶせ釣りで40cm近いチヌを釣り上げたこともある。

B 冬でも魚が釣れる。

つう,真冬には魚はほとんど釣れない。しかし,冬はかぶせ釣りのシーズンであり,数は期待できないが大型魚がよく釣れる。もっとも,瀬戸内地方でのターゲットはほぼアイナメとコブダイに限られる(冬場でもふかせ釣りでチヌが釣れる場所なら,かぶせ釣りでもチヌが釣れる)。思い切り断定してしまうけれど,本当の釣り好きというものは,過酷な条件下で釣れた1尾に喜びを覚えるものだ。寒いから,暑いから釣りに行かない,なんて奴は,釣り人じゃないのだ。

C 釣れすぎない。

り雑誌などを見ていると,数釣りをあおるような記事がたくさん出ているが,いったいあの人たちは,釣り上げた魚をどう処理しているのだろう。チヌ(クロダイ)にせよグレ(メジナ)にせよ,食べることを考えればせいぜい数尾釣れればいいと思うのだけれど・・・50尾も100尾も魚を並べた写真を見るたびに心が痛む。以前,瀬戸内地方をカバーする釣り情報誌に,波止でカサゴ(15cmにも満たない幼魚を含む)を束釣りした,という実釣記とその写真が掲載されていたが,あまりにも節度がなさすぎるんじゃないのか。カサゴやアイナメのような根魚は釣り荒れするのが非常に早く,小さな魚を毎日たくさん釣り上げれば,2〜3年でその場所は釣れなくなってしまう。かぶせ釣りでは,基本的に小型魚はほとんど釣れない。もちろん大型魚も一度にたくさん釣れば場荒れするが,そんなことはめったにない。つまり,「適度」に釣れる。毎年同じ時期に同じ場所で同じように釣れる,という釣り環境を守るためには,「釣りすぎない」ということが最も大切なような気がする。

D 環境にやさしい。

たら怒ってばかりいるようだけれど,最近のテレビの釣り番組や釣り雑誌を見ると,「釣果はマキエの量に比例する」と言わんばかりに,大量のマキエを使うことを奨励しているものが多い。船釣りしかり,磯釣りしかり,ダンゴ釣りしかり。それらのマキエは,多かれ少なかれ海を汚している。特に湾内でのダンゴ釣りなどではその影響が顕著であり,マキエが海を汚す⇒魚が少なくなる⇒釣れないからますますマキエをする,という悪循環に陥っている。「『大量にマキエを打つ』のが『数釣り』のコツだ」という発想が二重の意味で愚かであることに,心ある釣り人なら気づくべきじゃないだろうか。初心者が1匹でも多くの魚を釣り上げたいと思うのは当然だけれど,ある程度釣りを楽しむ境地に入った人は,単に自分の欲望の充足のために必要以上の魚を殺すのはやめてほしい。もちろんここで言う「必要以上」というのは「食べる分以上」ということであり,それは人間の側の都合にすぎない。釣られる魚の身になって考えれば,釣りを一切しないのがベストじゃないか,という反論が来るのは承知の上である。釣りという趣味は基本的に殺生であり,ある意味では罪深いことをしているという思いはぼくにもある。しかしその点をとりあえず棚に上げて言うなら,かぶせ釣りは,あらゆる釣法の中で最も「環境にやさしい」部類に入る。マキエは自然にあるがままのカキであり,いくら撒いても海を汚すことは決してない。そして,だからこそ「爆釣」ということにはまずならない。それが自然の姿じゃないかなあ。たとえば,釣り人が連日大量のマキエをしているような有名磯でチヌやグレを釣り上げている場面なんかをTVで見ると,そこで釣れる魚というのは,何て言うか,ブロイラーの鶏みたいなものに思えてくるのだ。

E お金がかからない。

釣り好きな人なら誰でも,死ぬまで釣りを楽しみたい,と思うだろう。ところが,「老後の楽しみ」というレベルで釣りを考えるとき,そこには「1回の釣行に要する経費」という問題が出てくる。道具を揃えてしまえば,かぶせ釣りに必要な経費は,釣り場までの車のガソリン代だけである。同じ波止での釣りでも,ダンゴのチヌ釣りの場合はこうはいかない。とにかくマキエ代がばかにならないので,釣行1回当たり最低でも1,5002,000円程度の出費を覚悟しなければならない。船釣りや磯渡しの釣りの場合だとさらに出費がかさむ。こうなると,年金暮らしの身にはつらい。老後は毎日でも釣りをして暮らしたい,と願うのであれば,かぶせ釣りを覚えるにしくはない,ということになる。ついでに言えば,かぶせ釣りをすると自然に反射神経が鍛えられるので,ボケ防止にも有効だろうと思う。

F ボウズでも困らない。

れは付随的なことかもしれないが,「手ぶらで帰る」のは釣り人としてはできるだけ避けたい。かぶせ釣りの場合は,最悪の場合はエサのカキを持って帰れば夕食のおかずの足しくらいにはなる。また,浜に降りてカキを打っていると,いろんな海の恵みに目が届くようになる。ワカメなどの海草や,食用になる巻貝などが,カキを採るついでに採取できる。海に寄り添って暮らす楽しみを覚えれば,精神生活は確実に豊かになる。つまりは,「1匹でも多くの魚を釣りたい」というストレートな欲望のレベルから,より洗練された趣味の境地に達することができる。大げさな話になって恐縮だけれど,古来から釣りが世界中で多くの人に愛好されてきた最大の理由は,魚を釣るという営みの持つ優れた精神的効用にある,と言って間違いないだろう。


以上,かぶせ釣りを一方的に賛美してみました。くどいようですが,「だからかぶせ釣りは他の釣りより高尚なのだ」なんてえことが言いたいわけではありません。あしからず。