師匠のこと−追伸

 

200110月15日,津之郷のYさんという女性の方から手紙をいただいた。

4年前に亡くなった橘高徹さんのご家族の方で,先日このホームページを初めて見た,とのこと。

ついては,故人が生前使っていた品があるのでよかったらお譲りします,というお手紙だった。

その翌日にも御調のGさんというお身内の方からお電話があった。

このホームページを見て,師匠と最後に話をしたのがぼくだと知り,

改めて父(橘高さん)のことを思い出した,と言われた。

 

10月31日,場所を教えていただいて赤坂の橘高さん宅へ伺い,

師匠が生前使っていた金槌と,イカダ竿の穂先を譲っていただいた。

亡くなったときも住所さえわかればご挨拶に行きたいと思っていたので,

これで何となく義理を果たした気分になって安心した。

そのお宅で,師匠の身内の3人の方としばらく思い出話をした。

師匠は毎日のように釣りに出かけていたが,釣りのことはほとんど家で話さなかったそうで

(釣り師はだいたいそうだが),横島・田島では有名人だったということも,

ご家族は全然知らなかったそうだ。

写真も見せてもらった。うちの仕事場にある(このHPにも載せてある)のと同じやつで,

天神波止でチヌを持って,にこやかな顔で写っている。

月刊釣り情報でネガを譲ってもらったそうだ。

「いつもこの顔をしていた」とご家族は言われる。

釣り場でもそうだった。話し好きで,初心者にもいろいろ教えていた。

マナーもよかった。ぼくが釣り場をきれいに洗って帰るのも,師匠の影響によるものだ。

 

¶ 改めて,譲っていただいた道具を手に取ってみる。

金槌は特注品で,かつて天神波止で師匠が毎日使っていたものだ。

横で見ながら,ああいうのが欲しいな,と実はずっと思っていた。

その金槌を,初めて握る。ずっしり重い。

ぼくがふだん使っているホームセンターで買った安物の金槌に比べると,

倍以上の重さがある。

片側は普通の金槌と同じように平たいが,もう片方が特徴的な形をしている。

普通の金槌は扁平な面の切り口の幅が最低でも1〜1.5cmくらいあるが,

この金槌は測ってみると0.6cmしかない。

それだけ細かい作業に向いていると言える。

先のとがった部分の幅が広いと,カキのカラを少しだけ割って身の露出面積を小さくするのが難しい。

師匠の金槌は,特にハゲを意識してカラを割る面積を極力小さくするのに向いていることがわかる。

師匠はハゲを釣るのが一番好きだったので,経験からこの形が一番いいという結論にたどり着いたのだろう。

しかも,ふつうカキを採るには金槌と釘抜きの2種類の道具が必要だけれど,

この特注金槌の形状だと,波止の石垣に付いたカキをはがすのにも使えるので,1本で用が足りる。

今なら市販しても買う人が結構いるかもしれない。

もっとも金槌は海へ落とすおそれがあるので,この金槌はよほどの時でないと使う気はない。

とりあえず,家宝として棚に飾っておくことにする。

 

¶ 次に,イカダ竿の穂先を見る。穂先は2本。

手元のニッシン・ブラックチヌ(1.5m)の穂先と比べてみると,

1本目は5cmほど長く,2本目はそれよりさらに5cmほど長い。

竿の全長は,たぶん1.8m前後だろう。

ただ残念ながら穂先の根元がかなり太く,手持ちの竿には合わなかったので,当面はこの穂先も使えない。

振ってみる。短い方の穂先は,予想していたよりもかなり固い。

自分が釣具店でこの穂先を見ても,たぶん購入しないだろう。

しかし,長い方の穂先は,バランスが非常によかった。

もしかしたら短い方は,先が折れて補修したのかもしれない。

師匠が生前言っていたのは,単に柔らかいだけの穂先ではダメで,

感度と強度の両方を兼ね備えていなければいけない,ということだった。

この穂先はかなりの先調子で,トップの感度は相当よさそうに見える。

胴は頑丈で,少々の魚が掛かってもビクともしないだろう。

ぼくがふだん使っているニッシンのブラックチヌ本調子は,感度優先のせいもあって,かなり胴調子に仕上げてある。

その分,取り込みは難しい。師匠の穂先ならコブダイでも取り込む確率が上がるだろう。

しかし,頑丈な分,けっこう持ち重りがする。

ぼくの記憶の中の師匠は,竿を軽々と扱っていて,見た目ではもっと軽量の竿かと思っていた。

今でも自分と師匠の一番の差は,合わせの瞬発力だと思っている。

ぼくは利き腕でない左腕を使っているせいもあって,なかなか師匠のような「ピュッ!」と風を切る軽い音が出ない。

「ビュン!」じゃダメで,あくまで「ピュッ!」という軽い音でないといけない。

この重たい竿をあれだけ軽そうに操っていたのかと思うと,改めて師匠の腕前に尊敬の念を覚える。

¶ 知らない人には,たぶんオーバーに聞こえるだろう。

しかし,生前の師匠のことを知っている人はみんな,「あの人は上手じゃったのお」と言う。

田島・横島の波止の常連さんの多くは,師匠のことを今でも記憶している。

今師匠が生きて釣りをしていたら,もっと注目を集めていたはずだ。

有料の釣りイカダでかぶせ釣りをする人は以前から大勢いたが,

地続きの波止で本格的にかぶせ釣りができることを発見したのは,

ぼくの師匠・橘高徹さんが,おそらく最初だっただろう。

かぶせ釣りは広島地方特有の釣法なので,要するに日本で最初,ということになる。

師匠がいなければ(そしてこのホームページがなければ),おそらく地波止でのかぶせ釣りは,

横島の釜戸(タンク)波止以外には広がっていなかっただろう。

その意味で,たぶん師匠の一番熱心な弟子だったであろう不肖このわたくしは,

大げさに言えば自分の身に社会的責任を感じるのである。

広島県外でかぶせ釣りで魚を釣ったというお便りは,HP公開以来2年を経た今も,まだ来ていない。

しかし,この釣りはだんだん広まっていくだろうと思う。

将来は,釣り雑誌で特集記事が組まれたりする可能性もある。

そこにぼくが記事を書くことができたら,

「この釣りはかつて,橘高徹さんという一人の釣り人が始められたのです」

と紹介しようと思っている。

現在の自分の生活の一部であり,今後もおそらく死ぬまで続けていくであろう「波止のかぶせ釣り」を

教えてくれた師匠への,それがせめてもの供養になるだろうから。

 

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