日記帳(06年1月25日〜2月11日)

 

 

福山の春日に,「都(みやこ)」というステーキハウスがある。

今までに1回しか行ったことがない。2,3年前に,家族で行った。

そのとき連中がこの店をえらく気に入って,「みやこへ連れて行けー」とうるさい。

仕方がないので二人の娘に「おまえらが学校の定期考査で○○番以内に入ったら

連れて行ってやるわい」と約束して,幾年月(笑)。(二人の目標ラインは同じではない)

なんと下の娘が,冬休み明けの校内実力テストで,その目標をクリアしてしまった。

まあ絶対ムリじゃろ,という線を引いていたのだが・・・ちなみに普通の人から見れば

全然普通の順位なので,二人の名誉のためにここには数字は出さない。

 

しかし結局,いろいろごまかして,まだ行ってない。なにしろ高いのですよ,あそこ。

家族で外食するときは,いろんな料理が食えるし酒も飲めるので,居酒屋へ入る

ことが多い(帰りの車はヨメの運転)。「都」へ1回行く金があったら,居酒屋へは

4回くらい行ける。そのくらいの金を取るだけあって,料理もサービスも質は高い。

初めて家族で行ったとき,ウエイターに「今日は何かいいことでもありましたか?」

と質問されてしまった。要するに「あんたら,特別なことでもなかったら,うちのような

高級店には入らんのでしょ?」と言いたいんか?当たりじゃわい。そのときは,もう

忘れたけど何かめでたいことがあって,奮発して行ったと思う。ステーキやらアワビ

やらエビやらを食べて,大満足して帰った。女連中はみんな「トイレがめちゃくちゃ

きれいで広かった」「あのトイレに住みたい」(アホ)と,やたらトイレに感心していた。

「都へ1回行くんと,その金で4回外食するんとどっちがええ?」と娘らに聞くと,

回数が多い方がええ,ということになって,こないだ尾道のとある寿司屋へ行った。

アーケード街の中にある,ガイドブックには必ず出ている有名な店だ。

コース料理を頼んだら,突き出し(ヒラメの南蛮漬け)・生ガキ・キスの塩焼き・

お造り(シマアジ・平貝・キス)・握りなどが出てきた。どれもそこそこ美味かったが

(特にキスの塩焼き),お客を連れて来るほどでもないか?という感じだった。

 

東京から客が来るときのために,福山の食い物屋のガイドブックで「個室のある店」

というのを買った。その中のある店(海仙楽から歩いて5分くらい)へ,先日お客と

二人で行った。1階はカウンターのみで,ほかに客はいなかった。料理はお任せで,

お造りは今イチだったが,突き出しの姫オコゼ(カナコギ)の唐揚げと,タチウオの

塩焼きが美味かった。この店は福山近辺では珍しく,日本酒の種類が多かった。

東京と田舎の飲み屋で一番違うのは,日本酒や焼酎の種類である。東京には,

「酒にうるさい人」が非常に多い。どこの居酒屋へ入っても,ずらっと並んだ地酒

のリストが置いてある。当然店員も,「辛口でこの料理に合う酒を出して」とかいう

客の注文にテキパキ答えられる必要がある。したがって,バイトの女の子でさえ

銘柄ごとの酒の特徴をスラスラ語っている(実際に味がわかるかどうかは別だが)。

で,その福山のお店で,「お勧めの日本酒を適当に出してください」と板前さんに

言うと,まず出てきたのが新潟の「八海山」。続いて「だっさい」(漢字は忘れた)。

どちらも東京でもよく聞く銘柄で,先日東京へ出張したとき酒に詳しい仲間に

聞くと,「なかなかいいチョイスだ」と言っていた。で,「最後に一番ええ酒を出して

ください」と頼んだら,「黒龍」というのが出てきた。これも,東京で飲んだことがある。

ランクがいろいろあって,高いやつはコップ1杯で2千円は軽く越える。このレベルの

酒になると,シロウトでは値段の差がどう味に反映しているのかさっぱりわからん。

しかしどれも,抜群に美味いことだけはわかる。

 

年末に,その東京の酒飲み仲間から,日本酒の1升瓶をお歳暮にもらった。

名前は忘れたが生酒で,これももちろん美味かった。お返しに出張のとき地酒の

4合瓶を持参することにしたが,どんな酒がええかわからん。で,近所の酒屋へ

行って,「酒にうるさい東京の人へ贈る酒で,なんかええのないですか?」と聞いて

みた。福美人とか賀茂鶴とか,聞いたことのある名前ばっかり出てきたので,

「もうちょっとレベルの高いやつ,ないですか?」と聞いたら,結局出してきたのが

まぼろし」という酒だった。4合(720ml)で4千円ちょっと。聞いたことも,飲んだ

こともない。とにかくそれを買って東京へ行く新幹線に乗ろうとしたら,福山駅の

土産物コーナーにも同じ「まぼろし」があった。全然,まぼろしじゃないやんか!

しかし,駅のやつは値段が半額くらい。横にあったママカリの干物(300円)を

買って東京へ持参した。感想はまだ聞いてないが,果たして東京の酒飲みに

通用するような味であっただろうか?大丈夫か,まぼろし?

 

 

話題転換。

今話題の本,「国家の品格」(藤原正彦・新潮新書)を読んだ。

だいぶ前に立ち読みしたとき,「読む価値のない本だ」と思った。というのは,

最初のページにこんなことが書いてあるからだ。

 

「私ひとりだけが正しくて,他のすべての人々が間違っている。かように思って

おります。」

 

こんなことを書くヤツが,まともな神経の持ち主であるはずがない。

瞬間,10年くらい前にベストセラーになりかけた「英文法の謎を解く」の著者・

S島T彦を思い出したくらいだ。しかし出張中にホテルでヒマつぶしに読む分

には面白いかもしれないと思って,買って読んだ。

 

意外にも,面白かった。書いてある内容にはあまり賛同しないが,読み物と

しては面白い。「下流社会」は「まっとうに」面白い本だと思ったが,こちらは

「色モノとして」面白い,という感想を持った。もちろん著者にはそんなつもり

はないだろう。なにしろ新田次郎の息子であり,かつ現役の数学教授だから,

文章の構成はしっかりしている。それに,博学でもある。品格という言葉自体

が死語になりそうな世の中だから,「国家の品格」というタイトルもいい。

 

が,しかし・・・

一言で言うと筆者の言っていることは,「エリートである自分たちの世界では」

という枕詞をつけて読む限りにおいて正しい,と思う。親から受けた教育や

育った環境が一般庶民とは相当に違っていて,「こういう育ち方をした人なら,

こういうことを言うのも当然だろうな」という感じがする。意地悪な言い方を

すれば,ある種の思想に染まりすぎて「思考停止」状態に陥っている面がある。

小泉首相の靖国神社参拝と同じ構図である。

 

個々の内容を見ると,共感するところもある。たとえば,第2章のタイトルに

なっている,「論理だけでは世界は破滅する」というのは,その通りだと思う。

ただし,現実には世界が破滅するおそれはない。なぜなら,前から言っている

ように,世の中は決して論理で動くわけではないからだ。

 

筆者の言う「情緒力がなくて論理的な人が最悪」という言葉には,賛成しない。

最悪なのはむしろ,「情緒力があって論理的でない人」だ(両方ないのは論外)。

著者自身にも,いくぶんその気味がある。

 

「愛国心」には2種類ある,という説明は面白い。1つはナショナリズム(N),

もう1つはパトリオティズム(P)だそうだ。Nはよくないが,Pは万人が持つべき

だというのは,わかりやすい話ではある。しかし,「あなたの持っている愛国心

はNですかPですか?」と尋ねたなら,Nと答える人は皆無だろう。問題なのは

PがたやすくNに転化してしまうことである。実際筆者の論調自体,P的という

よりもN的な部分が多い。「日本には古来から独自の文化があった」という

ところまでは賛成だ。しかし,「その文化は他の国々よりも優れていた」と言って

しまったら,もうダメである。それこそがPからNへの転化だ。

 

本書にはそうした例がいくらでもあるが,一つだけ紹介しよう。(p.133)

 

例えば親孝行。親孝行なんて最近は廃れていますし,アメリカやイギリスに

行ったら誰もそんなことは考えない。年を取れば老人ホームに入るのが当たり

前という国柄です。

しかし,例えば日本人の留学生がアメリカに行って,故国に残している年老いた

両親を思ってふと目に涙を浮かべたら,必ずやその留学生はアメリカで尊敬,

信頼されるでしょう。親孝行はアングロサクソンの間では流行りませんが,

やはり人間の心というは奥底では非常に似ている。心の奥底に訴えるものは,

世界のどんな辺鄙な地で生まれたものでも,大概,普遍的価値と言えます。

 

巧みに言葉を取り繕ってはいるが,上の説明は,情緒過多のあまり論理の

レールを外れてしまっている。論理しかないのはダメだが,論理自体がない

のはもっとダメである。上の文章には,次のような主張が含まれている。

 

@ 英米人は,親孝行には興味がない。

A 日本人が親を思う姿を見せれば,英米人は感心するはずだ。

B なぜなら,親を思う気持ちは(世界共通の)普遍的価値だからだ。

 

@とBは,明らかに矛盾している。もしも@が正しければ,親孝行は万国共通の

価値ではなく,したがって親を思って泣く日本人の姿は英米人の共感を生まない。

逆にBが正しければ,英米人も親を思う気持ちがあり,自分たちなりの親孝行

をしているはずである。言うまでもなく,後者の方が真実だ。英米人が年を取って

老人ホームに入るのは,「子供に老後の世話をさせるのは悪徳だ」,すなわち

「子供にとっての親孝行とは,一人前の社会人となって親元を離れることだ」と

いう社会常識が,英米では一般的だからである。日本では子供が親の面倒を

見るのが美徳(親孝行)とされるが,それは文化の違いにすぎない。もちろん,

どちらがいい悪いの問題ではない。しかし上の文章で筆者が言いたいのは,

明らかに「日本人には,英米人にない徳性がある」ということだろう。そういう

思想が悪しきナショナリズムに容易につながるであろうことは,想像に難くない。

 

全体として筆者の主張は安易に情緒に流れている面があって,その情緒を

共有できる人には受け入れられるだろうが,個人的には違和感がある。

しかしヒマつぶしに読む本としては面白いので,読んでない人にはお勧めしたい。

 

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