日記帳(06年10月2日〜10月15日)

 

 

今は、15日の午後2時ごろ。

何を隠そう(ってか、隠したい)、今日はぼくの50歳の誕生日なのです。

50歳!江戸時代なら死んでいる。

同い年の友達で孫ができた人はまだ知らないが、そういう年齢である。

しかし中身は若い頃からあまり変わってなく、いまだに今年のマンガはどうたら、

とか言っている。なので、50歳になったからとて、特別な感慨はない。

 

人間には、過去を振り返るのが好きな人と、過去に興味を示さない人がいるという。

ぼくの場合は、明らかに後者である。過去のことは、あんまり思い出したくない。

その理由は、過去を振り返ろうとすると、ネガティブな思い出ばかりが浮かぶからだ。

客観的に言えば、他人より特に多くの不幸があったわけではない。人並みの幸福と

人並みの不幸との積み重ねで、ここまできた。だから、暗い思い出が先に出て来る

のは、単に性格の問題でしかない。

 

久米田康治の「さよなら絶望先生」(またマンガですね)に、ネガティブなひな段の

話が出て来る。その中に「ニートびな」というのがあって、下から2番目の段は

「自分でジャンプを買いに行くニート」、一番下の段は「親にジャンプを買いに

行かせるニート」である。高校生くらいまでのぼくは、この後者みたいなヒトだった。

もちろん現実に引きこもりだったわけではないが、精神的にそんな感じ。だから、

結婚したとき「子供は女の子がええ、男はいらん」と思った。理由は簡単。

子供の頃の自分のようなガキは、ほしくなかったのだ。(今はちがうけどね)

若い頃の自分を振り返ろうとすると、自分は何と愚かだったのかという、はなはだ

自意識過剰の暗い経験ばかりが思い浮かぶ。若い頃の失敗談なんか書いても

仕方がないので、その頃の自分と今の自分がどう違うのか?と考えてみた。

 

大人になるための通過儀礼はいろいろあるが、大学生くらいまでの自分にとって

忘れられない原体験、あるいはトラウマが2つある。1回目は高校生の頃、2回

目は大学生の頃だった。その2つの体験は、とても似通ったものだった。それは、

「医者にバカにされた経験」である。こちらは患者、あちらは医者。力関係は歴然

としている。ましてこちらは「子供」であるから、何を言われても黙って聞くしかない。

1回目のときは、学校関係の人だった。詳しいことを書くと誰かに迷惑がかかる

かもしれないので詳細は省くが、ぼくはあるケガをした。医者はぼくに、「ケガを

するのは日頃の自己管理ができていないからだ」と言った。しかしそのケガは、

体育の授業中に起きたものである。納得できなかった。当時のぼくは、今よりも

10kg近く体重が重く、明らかな肥満児だった。その人は、そもそも太っている

ことが悪いのだ、と言った。医学的にはそうなのかもしれないが、そんなことを

今ここで言われても・・・と思った。たとえ発言の中身が正しくても、ものの言い方

ひとつで人は傷つくものだ。ぼくが不満そうな態度をすると、その人はうちの親を

呼び出し、「親がなってない」と説教した。どんなことを言われたかはもう正確に

覚えていないが、あのとき途方もない屈辱感を感じたことだけは覚えている。

 

2度目は、大学病院だった。大学生にありがちな不摂生で胃の調子が悪くなった

ぼくは、大学の附属病院で若い医師の診察を受けた。その人は、もう最初から

「患者をバカにする」態度がありありで、「君は大学生にもなってこんなことも

知らないのか」とか、こちらが具合を説明しようとすると「君の雑談を聞きたい

わけではない」とか言った。たぶん研究職志望で、患者の診察など面倒なだけだ

と考えるタイプの医者だったのだろう、と今ならわかるが、そのときは「これでも

医者か?」と思った。そのあまりにも高圧的な態度に、一言も文句を言うことが

できない自分が情けなかった。診察の後で看護婦さんに「ごめんなさいね」と

言われたときは、涙をこらえるのがやっとだった。

 

この2つの話のオチは、こうだ。

 

「だからオレは今でも医者という人種が嫌いだ」?--- 全然違う。

 

これらの経験がぼくに教えてくれたものは、当時の感覚で言えば、

世の中は、善人だけでできているわけではない」という事実である。

高校生の頃までは、「大人は基本的に『いい人』だ」と思っていた。

子供の頃はよくいじめられていたが、「悪い子」がいることは受け入れていた。

しかし、「悪い大人」というのは、テレビドラマの中の存在でしかなかった。

もちろん、生徒から相手にされないような「ダメ教師」も身近にいた。

しかし、人格的には尊敬できなくても、大人はそれなりに子供とは違う

徳性のようなものを持っているものだと思っていた。二人の医者から得た

経験は、その考えが間違いだったことを教えてくれた。

世の中には、「どうしようもない人」もいるのである。

 

しかし、話はこれで終わりではない。

そもそも「いい人」「悪い人」という二分法に意味がないことが、その後の経験を

通じてわかってきた。真実は、「世の中には『いろんな人』がいる」のである。

仕事やプライベートな付き合いを通じて、自分の持っていた常識の範囲から

はみ出すたくさんの人たちに出会うにつれて、その「常識」の幅は必然的に

広くなっていく。「普通の人ならこう考える(あるいは行動する)はずだ」という

自分の常識が通用せず、いろんな人がいろんな意見を言い、利害を主張する

中で、どこかに妥協点を見つけて折り合いをつけながら、われわれは日々の

生活を送っている。

 

「大人になるとはどういうことか?」と誰かが尋ねたなら、ぼくの答えはこうだ。

 

『大人になる』とは、『他人に対する許容範囲を広げること』である。

 

ぼくはかつて、若い頃に出くわした二人の医者に対して、憎悪を抱いた。

「この屈辱は死ぬまで忘れない」と当時は思ったが、今ではそういう気持ちはない。

逆に、あれらの経験がなかったら、自分は今ほどタフな精神は持ち得なかった

かもしれない、とさえ思う。

 

人と人とが交われば、中には「あの人は嫌いだ」というケースも出てくるだろう。

しかし、自分の「許容範囲」を固定していると、「嫌いな人」はどんどん増えてくる。

下手をすると「自分の周りの10人のうち許せるのは1人だけで、残りの9人とは

話もしたくない」ということにもなりかねない。これでは、社会生活は営めない。

かつてぼくにあれほど憎悪の念を抱かせた二人の医者も、今振り返ってみれば、

その後出合った多くの「自分の常識からはみ出す人たち」のごく一部でしかない

ことがわかる。その人たちが悪かったのではなく(まあ多少は問題があると思うが)、

ぼく自身の常識の幅が狭すぎたのが問題だったのだ。

 

他人に対する許容範囲が広がれば、当然のことだが、他人を批判することが

少なくなる。自分とは全く違うタイプの人間である人たちも、その人たちなりの

人生観や感情を持って、ある意味で一生懸命に生きていることが理解できる

ようになる。もちろん、「誰が見ても非常識な人」はいる。しかし、若者と年配者

とでは、その「誰が見ても」の幅が違っていて、一般には年配者の方が許容範囲

が広い。若者にはそれが優柔不断だとか事なかれ主義だとかに映るだろうが、

事実はそうではない。俗に言う「人間ができてくる」というやつである。

吉田拓郎が先日のつま恋のコンサートでゲストの中島みゆきに「みんな年を

とると人間が丸くなる」というようなことを言ったそうだが、彼らでさえそうだ。

キヨシローも生命保険のCMに出た。

 

だからぼくは、昔の自分よりも、今の自分の方がずっと好きである。

「昔に戻りたい」という人は多いが、ぼくは全然昔に戻りたくない。

このまま年老いて死んでいければ、それでいい。

五十にして惑わず、っていうの、これ?

 

 

10月のカレンダーには、締め切りが8本入っている。

原稿料ロハの「釣り仲間」を入れれば9本。

そのうち5本をアップして、残りは4本になった。

1つの点を除いては、「(プチ)売れっ子作家」というような状況だ。

1つの点とは、言うまでもなく原稿料のケタだが。

オフ会の2日目も、レポートをアップしてから3時間ほど仕事をした。

きのうの土曜日も、釣りから帰って朝の9時から夜7時までワープロ打ち。

今日もやろうと思えばいくらでも仕事はあるが、まあ誕生日でもあるし、

今日くらいはパス。今は昼の3時過ぎ。これからブックオフでマンガを立ち読みして、

夕方は明日の弁当の買出しに行って、夜は誕生祝いで家族で外食することに

なっている。もっとも勘定はオヤジの懐から出るのだが。

 

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