日記帳(07年3月25日〜4月22日)

 

 

きのうの土曜日(4月21日)は,久しぶりに一人で夜を過ごした。

ヨメと下の娘は,姉ちゃんの様子を見に,きのうの午後から広島へ行っている。

夜はゆっくり酒が飲めるので,7時に仕事を終えた後,スーパーへ買い出しに行った。

缶ビール(エビスの黒ビールとか,金色の模様のやつ)を買い,つまみは焼き鳥5本

セット・伊藤ハムのタン塩パック・野菜サラダ・おしんこ盛り合わせ。片付けるのが面倒

なので,刺身とか皿が必要なものは買わない。家へ帰り,暖かいので風呂はわかさず

シャワーを浴びて,テレビの前にビールとつまみを置いて,DVDのスイッチを入れる。

DVDには予約録画したテレビ番組が数十本溜まっているが,家でも仕事をやっている

ため,普段はなかなか見る機会がない。平日の夜はだいたい8〜9時ごろ食事を終え,

ニュースを聞きながら30分〜1時間くらいパソコンで仕事してから,10時半〜11時

ごろ寝る。テレビの娯楽番組はあまり見ない。特にドラマは見ない。マンガは好きだが,

マンガの原作をテレビ化したドラマはいかにもチャチで,見る気がしない。それよりも

さらに「なんでみんな,こんな番組見るん?」と思うのは,芸能人が出て来る歌番組で

ある。かつての「ベストテン」的な歌番組には,それぞれの歌の歌手本人が出てきた。

しかしいつの頃からか,ヒット曲を別の歌手に歌わせる番組が現れた。この手なら,

人気歌手のスケジュール調整など不要なので,番組の作り手には好都合だろう。

聞く方としては物足りないが,まあここまでは許せた。一応プロが歌うわけだし。

しかし次に登場したのは,「歌手ではない芸人がカラオケを歌う」というものだった。

はっきり言って,彼らの歌は上手くない。さすがにそれだとあまりに芸がないので,

今度は「カラオケをとちらずに歌えたら200万円!」という番組が現れた。歌い手は,

すべてお笑い芸人などの芸能人である。うちの娘らは,この番組を夢中で見ていた。

はっきり言って,どこが面白いのか全然わからない。おまえら,カラオケボックスで

他人が歌うのを聞いて面白いか?おまえらは「間違えるかどうかのスリルが面白い」

とか言うが,あんなもんヤラセに決まっとろーが!本当に200万円くれるんなら,

連中はカラオケの歌を全曲覚えるわい!そんなもん,芸能人にとっちゃ朝飯前よ。

暗記が苦手な奴が芸能人になれるはずがない。たまに全部歌えて「200万円です,

おめでとう!」とか言っているが,本当に本人がその金をもらっているかどうかは

非常に疑わしい。つまりこの種の「カラオケ」番組は,予算をかけずに視聴者を適当に

笑わせるような番組を作っておけばよい,というテレビ局側の安直な発想が透けて

見えるようで,気分がよくない。しかし,そういう番組を大勢の人が好んで見ている

わけだから,テレビ局側の人心掌握術はさすがと言うほかない。

 

そういうわけで,酒を飲みながら見るのは,録画予約してあるテレビ番組である。一番

新しいのは,この日の夕方放送された地元の釣り番組「釣りごろ釣られごろ」だった。

再生してみると,今日の内容は偶然にも「広島の春の風物詩・かぶせ釣り」!

イカダに船をつけて,数人でチヌを狙っていた。釣り方は基本的にわれわれと同じで,

チヌも全員で10枚以上釣れていたが,やっぱりビデオで見るよりナマでやった方が

ええですねゴトウさん。

 

その1つ前の予約は,きのうの夜NHKで放送された,「カーペンターズ〜その栄光と

挫折〜」というドキュメンタリーだった。リアルタイムで聞いていたかどうかはよく覚えて

いないが,カーペンターズは昔好きだった。「トップ・オブ・ザ・ワールド」「イエスタディ・

ワンスモア」「青春の輝き」などの名曲をバックに,番組では彼らの歴史が語られた。

カーペンターズを有名にしたのは,その歌だけでなく,ボーカルを担当した妹のカレン・

カーペンターが,1983年に32歳の若さで死んだ事件だった。原因は拒食症で,日本

人の多くが彼女の死によって拒食症という言葉を知った。当時の彼女の友人の証言

によると,カレンは結婚して子供を作ることに強く憧れており,(スターとして忙しいなど

の理由で)それが実現できないことを悩んでいたという。兄のリチャードも,人気絶頂

だった頃に睡眠薬の常用で体を壊していた時期がある。こういう話を聞くと,人間の

幸せというのは,金や名誉やその他多くの客観的な(ように見える)幸福の要因だけ

では決まらないものだ,とつくづく思う。結局,自分の幸せのありかをどこに求めるか

が大切なわけで,思い切って周囲のしがらみを全部捨てる勇気を持つか,あるいは

自分の置かれた境遇に納得もしくは妥協して生きていくしか,幸せをつかむ方法は

ないのではあるまいか。

 

この録画を見終える頃に新聞のテレビ欄を見ると,ちょうどNHKで面白そうな番組を

放送していた。それは,将棋の渡辺竜王と,ボナンザという名のコンピュータとの

対局を記録したドキュメンタリーである。既に報道で結末は知っていたが,いやはや

面白い番組だった。チャンネルを回すとちょうど終盤戦で,ボナンザが今まさに「敗着」

を指そうとするところだった。開発者は将棋のプロではないので,局面の有利不利は

自分では判断できない。「いい勝負になっている」と聞いて彼は一応安心し,しかし

見ていられない,とソワソワしていた。一方ボナンザは,自分がどの程度有利かを

1手ごとに数値化しており,その「負けにつながる1手」を指した直後の自己評価は

プラス約500点(数字の基準は知らないが,自分がかなり有利,ということだろう)

だった。そのときボナンザには「一気に攻める手」と「いったん引いて守りを固める手」

の2つがあり,後者の手を指されたらたぶん自分は負けていた,と渡辺竜王は対局

後に述べた。しかし将棋のコンピューターは基本的に「攻め」を得意とし,ボナンザは

このとき,最後の1手まで読み切ったつもりで強気の1手を選んだらしい。ところが

実際は「見落とし」があり,その後の2手の間に自己評価の数値は少しずつ下がり,

3手目で一気にマイナスとなった。もちろん竜王はそれより早く自分の勝ちを確信して

いたが,ボナンザの数字の変化はあたかも人間が「自信満々の状態」から少しずつ

その自信をなくしてネガティブな気持ちに変化していくさまを目に見える形で表した

ようで,インパクトもあったが,何か哀れな気もした。なぜなら対局を見ていた大勢の

将棋関係者たちは,ボナンザの「敗着」の時点で勝負の行方が見えていたのだが,

ボナンザ自身はその時点では「自分が優勢だ」と周囲に公言しているわけで,これが

もし人間なら,後でものすごく恥ずかしい思いをすることになるだろうから。もう1つ

感じたのは,「引くべき場面では引く」という物事の進め方は,一方的に攻めること

よりもかなり高度な「知性」を必要とし,コンピューターがまだその種の知性を駆使

する段階に至っていないのだろう,ということだ。このことは,人間や組織の行動にも

当てはまりそうだ。いったん動き出したら止まらない公共工事などは,まるでボナンザ

のようだ,と思った。

 

で,この番組を見て,天気予報を聞いて,11時に寝た。

今日の日曜日は5時過ぎに起きて,午前中軽く釣りをして,11時ごろ仕事場へ戻り,

昼食を食べて釣り日記とこの日記を書き,これからアップする。今は午後1時半。

連休までに仕事を1本片付けておきたいので,夕方までまた仕事じゃー。

 

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