日記帳(07年5月28日〜6月10日)

 

 

現在時刻,6月10日(日)の午前10時前。リアルタイムで困ったことが起きている。

「月刊釣り仲間」の取材を頼まれて,きのうの土曜日の早朝から常石・大越の波止で

能登原のyさん・ツカポンさんと3人で竿を出すもチヌ上がらず。記者さんから仕切り

直しを頼まれて,けさは朝の5時半ごろから3時間ほど瀬戸田・垂水港左手の波止で

やってみたが,これも失敗。満潮で潮が緩んだ7時半ごろに立て続けてコブダイが

当たっただけに終わった。雑誌に穴を開けるわけにはいかないので,記者さんは

これから他を当たって見るがダメなら三度目の正直で今日の午後3時ごろからまた

大越で竿を出してほしい,と頼まれている。困った困った。

 

この取材がなかったら,今日は映画でも見に行くつもりだった。が,今はあんまり

面白そうなのをやってない。「大日本人」は話のタネに見ておこうかとも思うが。

最近では,2週間前に1本見た。このときは「俺は君のためにこそ死にに行く」を

見ようかと思っていた。こういう話はあまり好きではないが,石原慎太郎がどんな

脚本を書いたのか興味があったので。しかし結局これは見ず,代わりに見たのは

秒速5センチメートル」というアニメ映画だった。一組のカップル的な男女の

成長の記録のようなものを3本の違うストーリーでつづった話で,映像の美しさは

さすが日本のアニメーションだけあって素晴らしかった。DVDでは,この魅力を

味わうのは難しい。アニメとは言え,やはり映画は映画館で見るに限る。

ちなみに1か月ほど前に「名探偵コナン」の劇場版も見たが,こちらはテレビ番組と

絵的にも話的にもあまり変わらず,スタッフが仕方なく惰性で作っている感じだった。

それに比べて「秒速5センチメートル」は,監督の意欲がありありと伝わってくる

なかなかの力作ではあったが,いかんせん3本目のストーリーの後味が悪すぎる。

現代的なリアリティーを求めたいのもわかるし,ああいう終わり方の方が余韻が

あると監督は考えたのかもしれないが,主な客層は10代から20代の若者だろうし,

もう少し前向きなラストにしてほしかった。興味のある方は映画館で見てください。

時間は1時間ほどで,その分料金も安いです。もうやってないかな?

 

 

話は変わって。もう10日ほど前の話題になるが,山口県光市で8年前に妻子を

殺害された本村さんという男性がテレビに出ていた。この事件は前からかなり

世間の注目を集めていて,本村さんはたびたびテレビに出ている。最近テレビで

見た人物の中で強烈な印象を受けた一人が,この本村さんだ。以前にも感じたが,

この人のすごいところは,言葉をほとんどトチらずに,自分の言いたいことを的確に

かつよどみなく口に出す点である。プロのアナウンサーやニュースキャスターでも

難しいことを,この人は平然とこなしているかのように見える。この事実はたぶん,

現在31歳の彼が,自分の人生のすべてをあの事件への思いに傾けており,

語りたいこと,語らねばならないことに常に思いを巡らせているからだろう。

激しい口調で語っているわけではない。しかし,その言葉には本当に大きな「力」が

感じられる。事件が解決した後で政治家に転身しても,十分にやっていけるだろう。

 

一方,この事件がさらに大きな注目を集めたのは,当時18歳だった被告の男性に,

20人を越す大弁護団が新たに結成されたためだ。主任弁護士はオウム裁判の

弁護人ともなった先鋭的な死刑廃止論者であり,今回の弁護団結成は,彼らが

自らの主張を世間にアピールするための一種の政治的手段としてこの裁判を利用

しようとしているのではないか,と指摘されている。たぶんそれは正しいだろう。

そこまではまあ,理解できなくもない。しかし,週刊誌にも書かれているが,彼らの

主張の過激さは明らかに常軌を逸している。「被告は強姦目的でアパートに侵入し,

主婦を殺害した後に暴行,傍らの幼児も殺害した」という事実関係に関しては,

これまでの裁判で弁護側も争っておらず,あとは量刑の問題だけだった。ところが

今回の新弁護団は,この事件の動機が被告の母胎回帰願望にあり,殺害した

主婦を暴行したのも,その行為によって被害者が生き返ると考えたからだ,という

トンデモな理屈を新たに持ち出している。弁護士は被告の罪を少しでも軽くするよう

働きかけるのが仕事だから,被告に有利になるような弁明をしたいのはわかる。

しかし,常人の思考の枠を完全に飛び越えたこんな突飛な弁護をすることが,

裁判官の心を動かすとはとても思えない。彼らの最終的な目的は「どんな被告も

死刑に処せられるべきではない」という思想を広めることにあるのかもしれないが,

彼らの現実の行動は,彼ら自身が世間から相手にされなくなるというマイナスの

結果を生み,そのことで世間の「心ある死刑廃止論者」たちの運動全体が異端視

されるおそれは多分にある。その意味で彼らは一種の宗教団体のようなものであり,

自らの思いとは逆に,「死刑は是か非か」という本質的な議論から世間を遠ざけて

いく害悪を撒き散らす存在でしかないと思う。

 

この種の「空気の読めない」タイプの人たちはどこにでもいるが,最近テレビで見た

中で似たような印象を受けたもう一人の人物が,教育再生会議の事務局長を努める

首相秘書官の女性だった。彼女はNHKのキャスターの質問によどみなく答えていたが,

口調にはかなりのインパクトがあり,その人だけ異様にテンションが高い雰囲気だった。

早口とか,こわもてとか,そういうのではなくて,何と言うか「空気が読めなさそうな人」

という印象を受けた。頭の回転は速いのだろう。話の中身は当り障りのない一般論

がほとんどで,「上から人を見下ろすよう」という批判を意識してか「教育への支援」

という言い方をしきりにしていたが,本音は「支援」ではなく「指導」にあるのだろう。

笑顔を絶やさず明るくはっきりとした口調でしゃべってはいたが,何とも言えず

「気持ち悪い」感じだった。肩書きで偏見を持ったわけではない。途中から聞いたので

最初は誰だかわからなかった。字幕で肩書きが出て,ああこの人が例の事務局長か,

と思った。さもありなん,とも思った。

 

しかしここ1週間ほどは,もやは教育やら憲法やらの話ができる環境ではない。下手に

政府がそんな話を持ち出したら,「おまえらに教育や国の形を語る資格があるのか」と

いう集中非難を浴びるだろう。それほど,年金問題が世間に与えた影響は大きい。

将来自分のフトコロに入るはずの金が消えているかもしれないという不安に比べれば,

教育や憲法の話など二の次と思うのは誰でも当然だ。わが身を振り返っても決して

人ごとではないわけで,ぼく自身も仕事場をいろいろ変えている関係で年金の支払い

方法は3回くらい変動していて,自分の記録が社会保険事務所で正しく処理されている

かどうか不安がある。ただ,実際に年金を受け取るのはまだ先の話なので,今すぐに

問い合わせるつもりはないし,問い合わせても後回しにされるだけだろう。それにしても,

民間なら帳簿と現金が1円合わなくても大問題になるのに比べると,いかにも役所は・・・

と言いたいが,昔公務員だったことがあるので,こういう事件が起こる背景はわかる。

担当者レベルでは,「こんなズサンな処理をしていたら後で困るだろうな」ということは

わかっていたはずだ。しかし,だからと言ってその人自身にはどうすることもできない。

役所の仕事は本質的に「誰がやっても同じ」でなければならず,自分の裁量で仕事を

することは許されない。したがって「格差」は基本的に排除しなければならず,たとえば

「よその自治体がやっていなくても,うちだけはやろう」という抜け駆け的な判断をする

のは「不公平」を生むとして嫌われる。そして,一番大きいのは,「たとえ問題が発覚

しても,その頃には自分は別の部署に異動しているだろう」という逃げ道である。

役所には,個人的な脱法行為以外は,「問題が起きた当時の担当者を処罰する」と

いう発想はない。なぜならその仕事は「誰がやっても同じ」だったはずだからだ。

そういう体質が,今回の年金問題の背景にもあることは間違いない。少なくとも言える

ことは,社会保険庁の罪は,一部の国民に対して現実の経済的損害を与えたこと

だけにあるのではない。彼らのより大きな罪は,すべての国民に「日本(の行政機構,

ひいては日本政府)とは何と信用できない存在なのか」というネガティブな感情を呼び

起こし,「国民がますます日本という国を嫌いになる」一つのきっかけを作ったことにある。

こんな状況で「公に奉仕する心を持て」と言われても,素直に従う気になれるわけがない。

この問題が発覚したことによって,安倍総理の「悲願」達成の見通しは,政治的にも

国民の意識の面からも,大きく後退したと言わざるを得ないだろう。

 

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