日記帳(07年6月11日〜6月17日)

 

 

今週は釣り日記はなし。仕事が忙しく,ゆっくり釣りをしているヒマがない。

例年6月に入ると,かぶせ釣りは片手間にして,食べ飽きたチヌもパスして,

目先の変わった食材を狙って釣行する。今日は浦崎でキスを狙ってみた。

時期的には悪くなかったが,2時間ほどで20cm級が3匹釣れただけ。

戸崎へ回ってみたが,小イワシはおらず。キスは実家へ持って行った。

今日は父の日なので外食することになっている(しかし金はオヤジ持ち)。

 

 

今週の大きなニュースの1つが,内閣支持率が30%を切ったことだった。

安倍総理は政治家としてはそれなりに立派な人だと思うが,目指している社会の

イメージには共感できない。ただ今回の件(年金問題)は,いかにも運が悪かった。

誰が総理でも,あんな問題が起きたら支持率は下がるだろう。女性スキャンダル

など自分の不始末で失脚するなら諦めもつこうが,今回の安倍さんはちょっと

気の毒に思う。過去のデータがなければ証明のしようがないので,100%解決

するのが不可能であることは素人でもわかる。しかし責任者としては,「最後の

一人まで追跡調査します」としか言えない。その言葉が実質的にウソであることを

国民は見抜いているので,総理のイメージはますます悪くなる。本当に気の毒だ。

 

 

話は変わって,きのうの中国新聞に,ちょっと不愉快な記事が載っていた。

全文を再掲するので,どんな点が「不愉快」だったかを当ててみてほしい。

 

女児3人に切りかかる −栃木,女を逮捕−

 十五日午後六時五十分ごろ、栃木県下野市薬師寺の公園で、遊んでいた
小学二年の女児三人=いずれも(7)=に突然、女がナイフで切りかかった。

一人が指を切られ軽傷。女はこの女児を家まで追い掛け、玄関先で祖父(63)

にも切り付けもみ合いになった。祖父も指を切られ軽いけが。
 駆けつけた下野署員が傷害などの疑いで女を現行犯逮捕した。近くの無職

渋谷直子容疑者(31)で「女の子の遊び声がうるさかった」と、供述していると

いう。 調べでは、渋谷容疑者は自宅のテレビでアニメ番組を見ていたが、

突然、果物ナイフを持ち出し、近くの公園でフランコで遊んでいた女児三人に

切りかかったという。

 

これを書いた記者は,「警察の発表をそのまま記事にしただけだ」と言うかも

しれない。仮にこの記事が警察の発表そのものだとしたら,警察はある種の

バイアスを抱いて容疑者を見ている。新聞の使命とは,事実を過不足なく

客観的に伝えることであり,警察の偏見を世間に広めるのに加担すること

ではない。もちろん上の記事は,間違った事実を伝えているわけではない。

しかし,そもそも新聞や雑誌の記事は「事実」そのものではなく,「事実を

基にして記者が作り上げた物語」である。そのことを記者自身が自覚して

いないと,上のようなことが起こる。

 

正解を言おう。上の記事の問題点は,下から3行目の「でアニメ番組」という

6文字にある。この6文字を記事から削除すれば,おおむね「無色透明な

事実の描写」になると言ってよいだろう。

 

この6文字からは,警察のステレオタイプ的な発想が透けて見える。つまり,

「31歳にもなってアニメ番組を見ているようなやつは,ろくな人間ではない」

という偏見である。なぜなら,もしも容疑者の見ていたテレビ番組がアニメ

ではなくニュースやドラマや料理番組だったとしたら,果たして警察は,

そして新聞記者は,「渋谷容疑者は自宅のテレビでニュースを見ていた」

などと発表する(あるいは記事にする)だろうか?そうではあるまい。

彼らはおそらく,単に「自宅でテレビを見ていた」で済ますはずだ。

 

つまり上の記事において,「アニメ番組を見ていた」というくだりは,「容疑者

は精神異常者である」という発想を裏付ける事実として使われている。

言い換えればこの文言は「容疑者が悪者だと印象づける」ことに役立って

いる点で中立性を欠いていることに,警察も新聞記者も気づいていない。

しかし,容疑者は逮捕されたばかりであり,本当の動機はまだわからない。

一歩譲って容疑者が本当に「子供の遊び声がうるさくてテレビの音が聞こえ

ない」という動機でナイフを持ち出したとしても,それ自体十分異常な行動

なのだから,見ていた番組がアニメだった,という情報は語る必要がない。

「たかがアニメを見るのを邪魔されたくらいでナイフを持ち出した」ことの

異常性を記者が強調したかったのだしたら,それもやはり間違っている。

では,アニメではなく国会中継やクラシックのコンサートだったら,異常性は

より低いと言えるのか?そんなことは決してない。自分にとって「大切なもの」

の優先順位は,人によって違うからだ。「国会中継よりアニメの方が大事だ

というのは異常だ」と言う人がもしいたなら,異常なのはその人自身の方だ。

 

こういうことを書くと,「いい年をしてアニメ好きのお前自身を弁護しようとして

いるのだろう」と誤解されるかもしれないが,それとこれとは関係ない。

上の記事の中の「アニメ番組を見ていたが」という部分に不愉快さを感じるか

どうかは人それぞれであり,感じない人の方がずっと多いのかもしれないが,

ぼくはその部分に新聞記者の「鈍感さ」を見た気がして,不愉快だった。

 

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