日記帳(08年2月18日〜4月13日)

 

 

この日記も,マグロとの格闘のため2か月近く休んでいた。

今は13日(日)の午前8時半。今日は朝から大越→天神→坊地でちょっとずつ竿を出し,

1回も当たりなし。帰りに能登原へ寄るとyさんがきのうに続いてチヌを上げていた。

 

やろうと思えば仕事はいくらでもあるが,大きな仕事が終わってやや脱力気味なので,

今日は完全オフに決めた。が,することがない。今日は干潮が11時ごろの小さい潮で,

少なくとも午前中は釣りに行っても釣果は期待できそうにない。天気も下り坂の予報だ。

 

時間つぶしに,思いつくままに書いてみる。

 

まず,カープの話。開幕して数試合は全く予想どおりであり,先発投手陣の弱さは今年も

改善されたとは言い難い。今年は大竹・ルイス・長谷川・宮崎・高橋・前田健の6人で

ローテを組んでいるが,長期的に見るとこれから伸びしろがあるのは大竹・前田健の2人

だけで,長谷川・宮崎は今がピークだろうし,高橋は今年あたりが限界だろう。ルイスは

好投手だが,活躍しすぎて年俸が払えなくなる公算が高い。しかし今年だけのことで言えば,

現在は救援投手陣の頑張りでいい戦いができている。中途半端に永川を復帰させるより,

横山を抑えで使う今の形の方が安全だろう。去年は交流戦で負けが込んだが,それよりも

交流戦終了からオールスターまでの期間が最悪だった。主な理由は永川の不調で,投手陣

全体が連鎖反応で全員打たれ出した。永川は本人の希望どおり先発で使ってはどうだろう。

 

なお,毎年書いているように思うが,中国新聞のカープ担当記者のコラムは,相変わらず

「負けが込むと誰かに八つ当たりする」傾向がある。カープが開幕直後に連敗したとき,

コラムニストは「今年は機動力を使うと監督は言っていたのに,今のカープの野球は長打を

待つだけの作戦になっている」的なことを書いていた。しかし現実には,スタメンに天谷・梵・

東出の3人の俊足選手が常に入っていた。残りのスタメンの野手は,ほぼ栗原・シーボル・

アレックス・前田・石原である。内野のスペアで俊足の尾形は既に二軍落ちしていたので,

結局このコラムニストの意見は,「アレックス・前田のどちらかを,赤松・中東のどちらかに

入れ替えろ」と言っていたに等しい。その意見が正しかったかどうかは,その後の試合を

見れば明らかだ。アレックスと前田は不調の栗原の穴を埋める大活躍で,基本的には

打線から外せない。ブラウン監督のスタメンの選択は正解だったわけだ。

 

ひいきのチームが不調に陥ると,どこかにその原因を求めたくなるのがファンの心理であり,

「監督の采配が悪い」と言いたくなる気持ちはわかる。しかし基本的には,技術の差が勝敗を

決めるのだと思う。ブラウン監督は「練習だとケースバッティングができるのに,試合になると

できないのは,技術でなくハートの問題だ」と言う。しかし,これは正しくない。試合では,相手

投手は「ケースバッティングをさせない」ように攻めてくる。それに対処できないのは,打者に

技術が足りないからである(練習の仕方が悪い,とは言えるかもしれない)。ただ,「負ける

のは相手の技術の方が上だからだ」と言ってしまってはそこから先へ思考が進まないので,

監督は選手のモチベーションを上げるために「ハートを強くしろ」と言い,コラムニストは

「監督がもっと上手に采配を振るえば勝てる(かもしれない)」という一種の「心の逃げ道」を

求めるのである。身もふたもないようだが,それが現実だ。ただし,選手のモチベーションの

問題は無視できない。プロだからどんな試合にも全力を尽くすのは当たり前だが,優勝を

争っているチームと最下位に低迷するチームとでは,選手の「やる気」に差が出ても仕方が

ない(新井が阪神に移籍した理由の一つもそれだろう)。夏までに「今年のカープはもう終わり」

という状態にならないよう,選手たちには自分の生活のためにも頑張ってもらいたい。

 

次の話。3月の下旬に,「ねんきん特別便」が送られてきた。「まずは『ねんきん特別便専用

ダイヤル』へ」とある。示された電話番号にかけても,全然つながらない。これは仕方ないと

しても,驚いたことにこの電話番号は,フリーダイヤルではない。何の非もない国民の側に

電話料金を負担させるのは,社会保険庁と電話会社が結託した一種の詐欺じゃないんか?

と言いたくなる。

 

とりあえず聞きたいことはあるので福山社会保険事務所に電話すると,すぐにつながった。

聞きたかったのは「タイムリミットはあるのか?」つまり,年金記録に間違いがあった場合,

こちらから一定期間内に社会保険庁に連絡しないと記録の修正ができなくなるのか?と

いうことだ。これに対する回答は「期限はない」ということだった。今は仕事が多忙でもあるし,

全国から問い合わせが殺到しているだろうから,少し時間を置いてから連絡することにした。

実際,問題は大ありだった。今までの自分の経歴を並べると,仕事先は全部で5つあり,

それぞれの所管は次のようになる。

 

1番目の職場=公立学校共済

2・3番目の職場=私立学校共済

4・5番目の職場=厚生年金

 

ところが,年金手帳には「厚生年金」と「国民年金」の欄しかない。つまり,1〜3番目の

職場(共済年金分)は,ぼくの年金記録からすっぽり抜け落ちているわけだ。当然「名寄せ」

が必要になるわけだが,そもそも年金手帳に共済年金の欄がないのがおかしい。当局の側

には言い分はあるのだろうが,年金が自己申告制である以上,本来もらうべき年金の申告を

し忘れて損をした人も大勢いるはずだ。近いうちに社会保険庁に連絡して年金記録を訂正

してもらうつもりだが,その経緯も機会があれば紹介したい。

 

その3。最近ガソリン代が下がったのは有難いが,また上がるかもしれない。

福山市内の北部に,変わったセルフのガソリンスタンドがあるという。普通は料金を入れてから

ガソリンを注ぐのだが,そのスタンドでは料金が後払いなのだそうだ。だから,「金を払わずに

逃げる」輩がしばしば出てくる。サラ金と同様に見えないところからモニターでチェックしていて,

そういう連中は警察に通報される。で,そのスタンドの周辺ではしょっちゅうパトカーが走り

回って物騒だし,交通の妨げにもなっているのだそうだ。それなら料金先払いにすれば

よさそうなものだが,スタンド側が何を考えているのかよくわからない。

 

そのガソリン代に関連して,道路特定財源の話は,根本的によくわからないところがある。

世論調査では,民主党の主張に賛成する人が多いという。当然だろう。「ガソリン代は下げる」

「特定財源は一般化して,地方の裁量で自由に使えるようにする」「道路整備の予算は確保する

(地方に迷惑はかけない)」というのが全部本当なら,それが一番だ。3番目の主張が不透明

ではあるが,地方自治体にとってもトータルで考えると民主党案の方がおトクだと思うのだが。

 

ところで,世間では「無駄な道路(やダム)建設」に対する批判が強い。これに関しては,

ぼくは少し違った考えを持っている。その批判をする人たちに問いたいのは,「公共事業が

地方の雇用の受け皿になっている」という現実をどう考えているのか?ということだ。

多くの人々は,「それは税金の無駄遣いだ。公共事業依存の体質を改めねばならない」と

言うだろう。では,どうやって「改める」のか?あなたたちにその具体案はあるのか?

「それはそれぞれの地方自身が考えることだ」すなわち「自己責任だ」と言うのか?

その発想は,現在の格差社会を肯定する思想そのものである。よく言われているように,

政治の本質は「富の再配分」にある。市場原理だけに任せておいたのでは,貧富の格差は

必然的に広がってしまう。だから,国民全員から(金持ちからはより多く)集めた税金を,

貧しい層により重点的に配分することによって社会のバランスを保つことが,政治の最大の

役目だと言ってよい。「無駄な道路など作らなくてよい」という主張は,現実には「地方には

国の予算を配分しなくてよい」と言っているのと同じだ。「都会には多くの人々が住んでいる

のだから,一人当たりに配分される税金を均等にしようと思えば,全自治体への予算配分の

大半が都会に集中するのは当然だ」という意見はあるだろう。しかし,その考えを進めれば,

結局大都市圏と地方との格差は広がる一方になり,地方は荒廃してしまう。

 

現実問題として,公共工事の最大の意味は,地方の労働者に雇用を提供することにある。

「幹線道路の整備によって地方の振興を図る」という建前は疑わしい。たとえば尾道と松江を

結ぶ高速道路が遠い将来に完成したとしても,その道路の交通量が大幅に増えるとは到底

思えない(その頃にはガソリン車が激減しているかもしれない)。主要産業を持たない地方に

とって,公共工事がなくなることは致命的な問題である。

 

「税金を使うにしても,建設業でなくてもいいではないか。介護事業など,地元に密着した雇用を

生み出すことは可能だ」という意見も,当然あるだろう。それに対しても,コメントしておきたい。

世の中には,いろんな人がいる。子供もそうだ。サッカーが得意だったり,勉強ができたり,

絵や歌が上手かったり。しかし,現実には「何の取り得もない(ように見える)」子も大勢いる。

大人もしかり。有名大学を卒業したり,専門学校へ行って資格を取ったり,親方の元で修行を

して技術を身につけたり・・・・そういう「取り得」のある人もいれば,「学歴も資格もコネもない。

あるのは動かせる肉体だけだ」という人もいる。そういう人たちは,何を生活の糧にすれば

よいのか?それとも,彼らには生きていく資格がない,と言うのか?

 

そういった「普通の人」が,まじめに仕事をすれば暮らしてゆけるだけの稼ぎを得られるような

社会環境を整備するのが,政治の仕事である。そのためには,やるべき「仕事」がなければ

ならない。現在は,地方に住む多くの「普通の人」が,公共工事に携わることで生活している。

「景気の底上げには内需拡大が必要だ」と口では言うが,政治家も大手企業も,そんなことが

できるとは思っていないし,やろうという意志もないのは明らかだ。国民の賃金水準を上げて

国内消費を拡大するという回りくどいプロセスよりも,海外の安い労働力を利用して利ざやを

稼ぐ方が簡単だからである。社会全体は,放っておけばどんどん「弱肉強食化」していく。

「無駄な道路を作る必要はない。そんな金があったら,自分たちの生活環境の改善に回して

ほしい」という考えはもっともだが,「税金を少しでもこちらへ回してほしい」と思うのは全自治体,

全国民に共通の希望である。分捕り合戦になるのは必然だが,それでも「より切実に困って

いる人に,重点的に予算を配分しよう」という視点は大事だと思う。税金の配分には往々に

して「利権」がつきまとうが,それとこれとは区別して考えるべきだ。

 

まだ書きたいことはあるが,もう2時間以上も書き続けて疲れたので,今日はこれでおしまい。

昼飯を食べた後は,釣りに行くか映画を見に行くかで今迷っている。

 

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