日記帳(08年6月16日〜7月13日)

 

 

今日の日曜日は,まだ釣ったことのないサンマを狙って須波へ。

朝の5時過ぎに着いたが,もう波止にはかなりの人が入っていた。

サビキに小サバが釣れていたので,L字の曲がり角の手前あたりでサビキをやってみた。

小サバはポツポツ釣れるが,1回に1〜2匹しかハリに乗らないので手返しが悪い。

満潮で潮が止まった7時ごろまでに,約50匹の小サバをキープ。さばく手間を考えて,

これで終了。小イワシも時々回ってきたが,釣れたのは全部小サバだった。ダツも見えた。

サンマの姿はなし。今日は曇り空でまだ暑くないので,延長してかぶせをやってみた。

が,フグが時々つつくのみ。8時に納竿。波止付け根では,チヌ狙いのフカセの人に

煮付けサイズのアコウが釣れていた。小サバは現地で頭と腹を取ってクーラーへ。

 

 

先週は南蛮漬けを食べたので,今日は別の料理を作った。自宅へ帰って焼き網を取り出し,

サバを素焼きにする。タッパーに市販の南蛮漬けのたれを入れ,焼きあがったサバをその

中へ浸けていく。網には1回に15〜20匹しか乗らないので,けっこう時間がかかった。

とにかく,小サバの酢漬けが完成。

 

 

これで晩酌の肴は準備できたし,午後はゆっくり映画でも・・・といきたかったが,この夏は

また大きな仕事を1本仕上げたいので,午後は仕事の予定。その前に,最近更新して

なかった日記帳を書いておく。

 

その1。カープは今年は健闘していて,まだAクラスのチャンスが十分ある。しかし,今年は

Bクラスになってもらいたい。ブラウン監督の残留の条件が「Aクラスに入ること」だからだ。

ブラウン監督に辞めてほしいわけじゃないが,来年は新球場になることだし,野村謙二郎を

新監督としてゼロからスタートするのがよかろうと思う。緒方も前田も今年で引退だろうし,

高橋もメジャーへ行く気になっている。監督も選手も全員若返って,新しい気持ちで挑戦して

もらいたい。ついでに言うと,東出もFAで移籍したがっているようなので,来年は選手の

顔ぶれも相当に変わるだろう。東出の移籍先は巨人か阪神のどちらかになる公算が強い。

阪神なら,2〜4番が東出・新井・金本になって,元カープの選手が並ぶことになる。まあ,

それはそれでよかろう。人的保障のターゲットとしては,投球フォームを変えた太陽には

もう魅力を感じない。江草はプロテクトされるだろうし,イチ押しは若手右腕の玉置だ。

 

2年半ほどブラウン監督を見てきて,彼の長所と短所について考えてみた。まず長所に

ついては,チームのマネジメント能力に長けていることが挙げられると思う。特にファンや

スタッフへの心配りが上手だ。それから,選手を評価する目が的確である。新井の代わりに

取った赤松は今やレギュラーだし,二軍でも結果を残せなかった上野を重用してセット

アッパーにまで育てたのは慧眼だった。素人目には梵より小窪の方が能力が上に見える

が,あえて梵を使い続けているのも,監督なりの見通しがあるんだろう。

さらに,これが決定的な長所だと思うが,「投手を酷使しない」という方針には非常に好感が

持てる。ブラウン監督は「リリーフ投手の登板イニング数は,3連戦で2イニングまで」という

ルールを持っている。最近はやむなくこれを破ることもあるが,1人の投手を3連戦で

3連投させることはまずない。これは,他球団の日本人監督にはない,大きな長所だ。

たとえば,ヤクルトを見るがいい。松岡・押本・林の3人が,毎日のように登板している。

阪神の久保田しかり。そして,今年一番目についたのが,巨人の西村だ。彼はシーズン当初,

ほとんど毎日試合に登板していた。あんな使い方をしたら故障するのは間違いないように

思えたが,案の定今は一軍にいない。カープは,来年以降が本当の勝負になるはずなので,

今年は好調な救援投手陣に故障者を出さないことを最優先してもらいたい。

 

ただし,ブラウン監督には短所もある。それは,一言で言えば,彼の頭の中に「ベースボール

とはこういうものだ」という一種の固定観念があって,それが時として「目の前の試合に勝つ

ために最善の手を打つ」という,監督として当然の仕事よりも優先されているように見える

ことだ。救援投手を休ませることについては,異論はない。しかし,攻撃面では戦術上の

間違いに思えるケースがよくある。代打・代走・守備固めの出し方,犠打・盗塁の使い方

など,シロウトが見ても首をかしげる場面が非常に多い。カープは得点力が低いと言うが,

その理由の一つは監督の采配のまずさにあると思う。たとえば試合の終盤になって「ここで

1点取れば勝てる」というケースでも,普通に強攻させて併殺,という場面が何度もあった。

捕手に代打を出さないのもブラウン監督の采配の特徴で,自分の流儀にこだわりすぎて

臨機応変の対応ができていないような気がする。それから,「先発投手を育てる」という

観点からも疑問を感じる。監督は二軍でも先発投手とリリーフ投手とをはっきり分けている。

しかたとえば大島は二軍では先発でしか投げていないのに,一軍ではリリーフでしか使って

もらえない。チームとしては今年は今のところ健闘しているが,来年以降を考えると

「先発の頭数が足りない」という弱点は全く改善されていない。次の監督のためにも,

大島・篠田・斎藤の3人には今後先発の経験を積ませてもらいたい。

 

 

その2。終身刑についての補記。前回雑記帳を出してからも改めて考え直してみたが,

やっぱり「終身刑」というのはダメな制度だと思う。
実際に終身刑という制度が導入された場合の,刑務所の現実を想像してみよう。

そこでは,こんな会話が交わされるかもしれない。


囚人「どうせ出られん牢屋で何十年も暮らすぐらいなら,早う殺してくれ」
看守「おまえを殺したら,ワシが殺人罪で捕まるわい」
囚人「ワシが早う死んだら,税金も無駄にならずに済むじゃろうが。ワシがここで生き

       長らえることに,何の意味があるんじゃ?」
看守「死ぬまで反省して,おまえが殺した被害者に罪の償いをせいっちゅうことよ」
囚人「ワシが反省したら,被害者が生き返るんか?遺族が喜ぶんか?たとえワシが

       反省したとしても,そんな気持ちは遺族に伝わりゃせんじゃろうが」
看守「そんなことはない。おまえが心の底から反省したら,その気持ちを手紙にでも書いて

       遺族へ送ったらええ」
囚人「それでホンマに遺族が喜ぶか?ワシが遺族なら,辛い過去を思い出させるような 

       そんな手紙,読みとうもないわい」
看守「おまえがホンマに反省しとるなら,他にもできることはあるじゃろ。ここで何かの

       仕事をして金を儲けて,遺族やおまえ自身の家族にその金を送るとか」
囚人「女房や子供がおったら,犯罪なんかに走るかい。それに,ここを出られる可能性が 

       ないのに,働く意欲が沸くわけがなかろうが。結局,ワシがここで無駄飯を食ろうて

       生きとることで喜ぶのは,世間の死刑廃止論者たらいう連中だけよ。ワシは,

       そいつらの自己満足のために生かされとるようなもんじゃ」
看守「ワシがお前の立場でも,早う死にたいと思うじゃろうよ。どうしても死にたかったら,

       絶食でもせえや。コンクリの壁に自分で頭を打ちつけてもええぞ。自殺なら,ワシの

       罪にはならんしな」
囚人「つまり,終身刑の刑務所っちゅうのは,囚人に自殺せいっちゅうプレッシャーをかける

       場所なんか?そりゃあ,死刑より辛いで。電気イスか首吊りで,さっさと殺してくれた

       方がよっぽど楽じゃわ」

--- つまり終身刑という制度は,「世間一般の人々が,死刑という残酷な刑罰に自分が

(社会の一員として)かかわっているという罪悪感から逃れるために,その苦痛を囚人や

看守に肩代わりさせる」という機能を持っているのである。確かに終身刑によって,

一部の人々の「心の痛み」は軽減されるだろう。しかしその「痛み」は,形を変えて

終身刑を受けた囚人や彼らを収監している刑務所職員たちにのしかかるのでだ。

前回の雑記帳で「眼の前からゴミがなくなりさえすれば海へ捨てても構わない,

という考え方と同じだ」と書いたのは,このことを指している。

 

その3。ちょっと古い話になるが,宮崎県の東国原知事が「ゲンコツ条例のようなものを

作れないか」と発言したと,新聞の片隅に載っていた。要するに,教育的な目的で子供に

ゲンコツを振るうことを公認してはどうか,という趣旨のようだった。以前の「徴兵制」発言

ほどのインパクトがなかったためか,その後マスコミの話題にならなかったようだ。

これに関して,思うことを述べてみたい。


発言の内容自体は,「考え方は人それぞれだ」で済まされる程度のものでしかない。

が,この発言が「知事」の口から発せられたことを考え合わせると,これはいわゆる

「ヒンシュク」ものである。なぜか?ここでぼくが示す理由は,これを読んでいる方々が

直感的にかつ漠然と頭に思い浮かべた理由とは,たぶん違う。

 

ぼくは,この発言が知事ではなく県議会議員の口から発せられたのなら,全く問題視しない

立場を取る。要は,役割分担の問題である。県議会議員と県知事との関係は,国で言えば

国会議員と内閣総理大臣との関係に当たる。三権分立の原則から言えば,前者は立法,

後者は行政を担当している。つまり,「知事=県の行政のトップ」ということだ。「新しい

条例を作れないか?」という発言は,本来,立法の仕事をする人々が言うべきことである。

ただし,「行政の担当者は,立法の領域に立ち入るべきではない」と言いたいわけではない。

行政側にいて初めて気付く問題点はあるだろうし,広い意味で「地域社会をよりよくしよう」

という立場からの建設的な発言をしようという意欲を否定するつもりはない。

 

ここでが言いたいのは,「ゲンコツ条例」なるものが実現可能かどうか?という現実主義的

視点を,行政側の人間なら持たねばならない,ということだ。今さら言うまでもなく,「正当な

教育的目的があると認められれば,子供に対するゲンコツ(=肉体的制裁)を合法化しよう」

という発想が,実際に条例や法律として制定される現実的可能性は,今の日本においては

皆無である。つまり知事の意見は,机上の空論,あるいは白日夢でしかない。立法サイドの

人間が,こういう「空論」を吐くことは否定しない。彼らは「実現の可能性」を考慮する必要の

ない立場で,いわば「思いつき」の発言をすることを期待されているからだ。その「思いつき」

を具体化するのが,行政側の人間の仕事である。したがって,行政の長である県知事が

何かの提案を行いたければ,「現実レベルで実行可能か」という点を考慮に入れて発言し

なければならない。東国原知事の発言を聞いてぼくが直感的に思ったのは,「この人には

行政的なセンスがない」ということだ。逆に言えば,国会議員向きの性格だとは言えるだろう。

なんかもう昼になったので,今日はこのへんで。夕飯はヨメのリクエストで,おかゆを作る予定。

なぜおかゆかと言うと,ヨメがおととい(7月11日),冷蔵庫の隅にあった7月1日が賞味期限の

食パンを食べて,食中毒にかかったからだ。夜中にウンウンうなりながら,以前病院でもらった

消費期限切れの薬を飲んで,多少回復した(?)ヨメいわく,「前に賞味期限の9日後のパンを

食べたときは大丈夫じゃった。10日たったらアウトなんじゃー。初めて知ったわ」。

主婦のカガミと言うべきか?

 

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