日記帳(09年3月9日〜3月14日)

 

 

今日(土曜日)の昼過ぎに,1か月近くかかった原稿が1本アップした。

今日は大荒れの天気だったが明日は回復しそうなので,明日は釣りに

行こうかと思っている。

 

今日は,まずお詫びを。

 

すまん,ソフトバンク。オジサンの早とちりじゃった。

 

前回の日記を出した後,福山のたかさんから情報をもらい,さっき

ソフトバンクの販売店へ行って来た。詳細は省くが,要するに今まで

月々2,700円くらい支払っていたのが,新しい機種の携帯に替えて

その代金を分割払いすることによって使用料が全額割引になって,

向こう2年間は約1,600円くらいで使えるのだそうだ。さっき,新しい

携帯をもらってきた。福山のたかさん,情報ありがとうございました。

おかげで月々の支払いが減ることになりました。

 

続いて,先週の日曜日の話。

 

昼間は「月刊釣り仲間」の原稿を書いてメールで送り,そのあと

帰宅して風呂へ入って,夕方電車で東福山へ行った。駅前で

「釣り仲間」のA編集長さんに車で拾ってもらい,中華料理店へ。

初対面だったが,「釣り仲間」の常連である投げ釣りのIさん,

ふかせ釣りのTさん,メバル釣りのMさんらと,総勢7人で会食した。

「たまにはみんなで会おう」という誘われ方をしたので,日曜日でも

あったし,来月号の取材帰りの打ち上げにでも混ぜてもらったかと

思っていたら,なんと「釣り仲間は先月号で廃刊する(した)」という

衝撃の報告がA編集長さんからあった。一同驚いていたが,うすうす

感じていた人もいたらしい。

 

「月刊釣り仲間」は今年で創刊30年だったそうで,これまでの歴史や

業界の裏話などもあれこれ聞いた。他の釣り情報誌のこと,釣り具

メーカーの現状など,ここには書けない話もいろいろ出たが,集まった

ベテラン釣り師の皆さんがそのへんの事情に詳しいのにも驚いた。

釣りにかける時間も,釣行の範囲も,広島県からほとんど出たことの

ないサンデーアングラーから見れば,皆さん羨ましい限りだ。

 

思い返してみれば,「釣り仲間」は創刊の頃から時々買っていた。

当時は福山・尾道方面の記事が多かったように記憶している。

昔の記事の切抜きを見ると,尾道駅前とか,浦崎・満越の波止とか,

内海大橋がなかった頃の田島・幸崎フェリー乗り場とか,懐かしい

釣り場がいろいろ出てきた。

 

ちなみに,「釣り仲間」はなくなるが出版社はそのまま残り,姉妹誌の

「BOAT&BOAT」(フリーペーパー)は今後も継続して出すと言う。

次は同タイプで自動車関係の本の出版も考えているらしい。

最近ではうちの近所でも「工場の経営者が自宅から家族ぐるみで

夜逃げした」とかいう噂話も入ってくるほど,どこの業界も厳しい。

うちの会社も,1月末が決算だったが,今年は売り上げが相当落ちた。

大きな理由はマグロの出荷が遅れたからで,今後どれだけ売り上げを

回収できるか,期待と不安で一杯だ。現実を見るといろいろ大変だが,

とりあえず編集長さん,お疲れ様でした!またどこかの釣り場で会いましょう。

 

最後に,結局雑誌には掲載されないことになった「幻の4月号原稿」を,

せっかくだからここに出しておく。今月は趣の違うネタだったのだが・・・

 

 

2月は数回釣りに行きましたが,釣果は2月7日に三原・須波港で

エギングで引っ掛けたコウイカ3匹と,11日に生名島でのかぶせ釣りに

ヒットしたアイナメ1匹の,合計4匹のみでした。ただ,このアイナメは

39.5cmの良型でした。1時間半ほど竿を出してこれ以外は全く当たりが

なく,まさに「出会い頭」という感じでしたが,冬場の釣りでもあり,

このサイズが1匹釣れれば大満足です。このときの釣り場は生名港

埋立地の波止で,水深は6〜7mほどです。竿下で釣れました。

持ち帰って腹を開くと,他の釣り人のメバル針が出てきました。

メバル狙いの細仕掛けでは,到底上がるサイズではありません。

この魚も,かぶせ釣りをする釣り人が来なければ,たぶん一生を

その波止の岸壁近くで過ごし,さらに成長していたかもしれません。

釣り師の側から見れば,こんな大物を自分の足元から引きずり出す

のが,かぶせ釣りの醍醐味です。私はかぶせ釣りをアイナメ狙いから

始めたので,今でもターゲットとしてはチヌよりアイナメの方が好きです。


先月号に,生口島・名荷港で福山市の後藤さんがコブダイを釣り上げて

いる記事が載っていましたが,実はあのとき,私も隣で竿を出していました。

私は年が明けてから数回,名荷港でチヌを狙ってみましたが,現時点では

まだ今年の初物を釣っていません。昨年はどこもチヌの釣れ初めがかなり

遅かったようですが,今年は桜前線も例年より早いらしいので,3月中旬

以降は各地で釣れ始めると思います。


ところで,先月号のグラビアに乗っていた後藤さんの取り込みの姿は,

非常に理に叶っていました。かぶせ釣りに使うイカダ竿は長さが2m以下と

短いので,竿の弾力を最大限に利用するには,腕と竿を一直線にして,

腕を竿の一部のように使うのがベストです。先月号をお持ちの方は,

後藤さんのフォームを写真で確認してみてください。私は学生時代に

ヘラブナを相手にする釣りサークルに入っていましたが,初めての釣行で

先輩に「魚が掛かったら,竿を持つ右腕を伸ばして真上に上げて,

二の腕を右の耳にくっつけろ」と言われました。どんな釣りでも慣れてくると

自然に竿さばきはよくなりますが,初心者の方には先月号の後藤さんの

フォームが参考になると思います。


3月に入ってからは,この原稿を書いている時点までまだ釣りに行って

いませんが,自宅から車で3分ほどの松永・柳津港へは休日によく見物に

行きます。ここはハラミのチヌ以外は何も釣れない釣り場ですが,福山

方面では例年早い時期からチヌが釣れるポイントとして有名です。

私が確認した限りでは,2月22日(日)に1尾,3月1日(日)に2尾,

35〜40cm級のチヌが釣れていました。ベストポイントは港の右手の護岸の

先端の曲がり角付近ですが,3月中旬ごろからは港内一帯でも釣れる

ようになります。沖に浮かぶイカダの近辺に居着いているチヌが産卵の

ために岸へ寄って来るわけですが,汚れた海に住んでいるので,食べる

には抵抗があります。サイズはまずまずで,50cm近い大型も例年釣れて

いるようです。

今月は釣りのネタがもうないので,HPの「雑記帳」の出張版を書きます。

お題は「福山市・鞆港の埋め立て計画」です。ここでは話を単純化するため,

賛成派と反対派の両方の要求を満たす「折衷案」はない,という前提で話を

進めます。現状は皆さんご存知のとおりですが,国と市(および県)の対立

から,私は「地方分権」にまつわる2つの問題点を感じます。


第1は,地方に判断を委ねることに伴う構造的な問題です。鞆の住民に

アンケートを取れば,「埋め立てるべきだ」という意見が多いのは当たり前です。

なぜなら,鞆に歴史的遺産がなくなり観光客が来なくなったとしても,自分の

生活には直接関係のない人の方がずっと多いからです。逆に,鞆地区の

住民以外の人にアンケートを取ったなら,おそらく「埋め立てるべきではない」

という意見が多数を占めるでしょう。(私を含む)地元に住んでいない人に

とっては,鞆の道路が不便でも全然困らないからです。要するに,両者の

言い分はどちらも「自己中心的」であり,対立するのが当然です。

その対立に決着をつけようとすれば,「行司役」が必要です。

現状では,その役目を担っているのが国土交通大臣ということになります。


ここで,仮に「地方分権」の立場から,地方の港の埋め立てを認可制から

届出制に切り替えたら,どんなことが起こるでしょうか?行司が「国」から

「市」に代わった結果,市はプレイヤーと審判とを兼ねることになり,偏った

判断が生まれます。なぜなら,(本来は考慮に入れるべき)「鞆地区の歴史的

価値」は,福山市にとっては(たぶん)取るに足りないものだからです。

その理由は(たぶん),鞆地区の観光業から入る税収が福山市の会計の

中で占める割合はあまり大きくない(鞆地区に来る観光客の数の増減は

福山市にとって重要ではない)からです。


私は,基本的には市の主張が間違っているとは思いません。私が市長や

市の職員でも,たぶん同じようなことを言うでしょう。彼らの仕事は市民の

生活レベルの向上であって,歴史的遺産の保存に責任を負っているわけ

ではないからです。これがたとえば倉敷市や萩市のような観光のウエイトが

高い都市なら,市は歴史遺産の保存にもっと敏感かもしれません。

問題なのは,そうした判断の基準が「お金」(=観光業による税収)を

ベースにしている点にあります。たとえば,観光都市であるA市と企業

城下町のB市で,同程度に貴重な古代の遺跡が発掘されたとします。

それらの遺跡を保存するかどうかの判断を市に委ねたとしたら,A市では

その遺跡が保存され,B市では同じ遺跡が破壊されるかもしれません。

「B市の判断が間違っている」と言いたいのではありません。B市がそう判断

するのは(ある意味で)当然なのだけれど,結果として世間の多くの人々が

支持しないような決定がなされたのだとしたら,それはB市の責任ではなく,

B市に判断の権限を与えたこと,すなわち「地方分権」が間違っていたのです。

「構造的な問題」とは,そういうことです。


第2の問題点は,むしろこちらの方が現実にはウエイトが高いと思いますが,

「地方分権は『レベルの低い判断』を生みやすい」ということです。鞆の例に

即して言うなら,たとえば市議会議員の中には「鞆地区の貴重な歴史的

遺産を守ろう」と主張する人がいてもよさそうです。しかし,市議会を傍聴

したわけではありませんが,そんな意見を言う議員はまずいないでしょう。

なぜなら,鞆の港を埋め立てることが自分の利益になる人はいても,

埋め立てないことが利益になる議員は(たぶん)いないからです。

ここで言う「利益」とは,たとえば議員自身や身内が経営する建設会社の

売り上げや,次の選挙での票集めです。


「地方分権」の思想は,建前としては理解できます。しかし,たとえば「国の

ひも付き予算や許認可を廃止して地方自治体の中だけで決める方が,

予算を有効に使える」という説明は,果たして現実に即しているでしょうか?

私はそうは思いません。一般に,国レベルでは官僚の方が国会議員よりも

実質的には優位に立っており,地方では逆に議会(議員)の方が行政サイド

よりも大きな権限を持っている,という印象が私にはあります。大分県の

教員採用試験にからむ不正事件なども,その一例です。行政は組織で動き

ますが,(特に地方の)議会は往々にして議員個人の意向に左右されます。

個人が強い権力を持てば,ある種の「腐敗」は避けられません。


繰り返しますが,私は鞆港の埋め立てには反対です。鞆の住民ではあり

ませんから。しかし,福山市の主張を責める気もありません。「国土交通

大臣が認可する」という今のシステムを維持する方が公共の利益に

かなっている,つまり「何でもかんでも地方に権限を委譲すればよいという

ものではない」ということが言いたかったのです。

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