日記帳(09年3月15日〜4月12日)

 

 

おとといの金曜日に市販本の原稿が1本アップしたので,この週末はオフ。

きのうは弓削島でチヌを3匹釣ったので,今日は遠出はなし。残ったカキで

昼ごろ1時間ほど近場で竿を出したがノーヒット。パソコンをつついたり

仕事場の掃除をしたりして過ごした。

 

先週の日曜日,映画「釣りキチ三平」を見た。55点。キャストは悪くなく,背景の

映像もきれいだったが,釣りのシーンがいかにも中途半端だった。監督としては

「釣りの好きな人にも楽しんでもらえる映画」を目指したようだが,クライマックスの

巨大イワナとの格闘シーンがいかにも作り物っぽく,全体としてチープな印象に

なってしまった。釣り人に見てもらいたければもっとリアイティがほしいし(しかし

アユ釣りのシーンは悪くなかった),一般向けならもっと派手なアクションを入れた

方がよかったのでは?山登りの場面が長すぎたのも減点。実際あまり人気も

なかったようで,映画館の客もまばらだった。

 

今年のカープは期待できそうなので,スカパーで試合を見ている。まだ9試合しか

消化してないが,ここまでの印象を一言で言うと,「ブラウン監督,やればできる

じゃないか」。去年までの采配は,投手起用以外の部分で疑問な点が多々あった。

たとえば1点差の最終回でも守備固めを使わないとか,1点取れば勝てる展開

でも強攻させて併殺を食らうとか,要するに「スモールベースボールが下手な監督」

という印象だった。しかし今年は,選手起用や作戦のどれを取っても納得のいく

ものばかりで,去年まであった「セオリー無視の個人的なこだわり」のようなものが

見られない。この采配を続けてくれるなら,ずっと監督をやってもらってかまわない。

巨人との第3戦に,ブラウン采配の長所が如実に現れていた。この試合は9回

二死から梵のヒットで1対1の同点に追いつき,そのまま引き分けになったが,

翌日の新聞では9回のダブルスチールを評価していた。しかし,あの試合で特筆

すべきは,延長11・12回の投手起用だ。他球団の監督なら,間違いなくその

2回は,横山と永川を登板させただろう。しかしブラウン監督が出した投手は,

今季初登板の林と上野だった。横山・永川を出さなかった理由は,彼らが前の

2戦にも投げていて,3連投になるからだ。歴代のカープの監督の中にも,この

投手起用ができたであろう人は一人もいない。この3連戦で唯一3連投したのは

シュルツだが,その理由も何となくわかる気がする。ブラウン監督については,

「外国人選手をひいき[特別扱い]している」という批判が一部にあるようだが,

少なくとも投手については「外国人の方が使い勝手がいい」と監督は考えている

のではないかと思う。日本人投手はいわば「球団の財産」だが,外国人投手は

「使い捨て」でもかまわない。彼らは1年契約であり,ダメならすぐに解雇される。

本人たちもそれがわかっているから,多少の酷使にも耐える覚悟ができている。

ブルペンに最低一人は,そうした「連投させられる投手」がほしい。それは日本人

ではなく外国人の投手から選ぶべきであり,それが球団の利益にもかなっている

--- と,ブラウン監督は考えているのではないだろうか。一ファンとしては,納得の

いく采配をして負ける分にはあまりフラストレーションは溜まらない。勝ち負けより,

監督には今の安定した采配を1年間続けてもらえればそれでいい。

 

時々娘と一緒にツタヤへ行き,マンガを10冊くらいまとめてレンタルしている。

最近読んだ中で一番印象に残ったのは,「この世界の片隅で」(こうの史代)だ。

上・中・下の3巻から成るが,まだ上・中巻しか読んでない。昭和18〜20年頃の

広島と呉を舞台にして,一人の若い女性の日常生活や当時の風俗を描いている。

下巻には当然原爆が出て来るので,「夕凪の街」のような展開になるのだろうが,

上・中巻も画面から筆者の創作意欲が伝わってくる。この作品も,映像化される

可能性が高いだろう。

 

ついでにマンガの話を続けると,前にも日記に書いた「ココナッツ・ピリオド」

(山田玲司)をネットで検索すると,この作品を批判したある編集者のブログが

上位に出てくる。

 

http://blog.livedoor.jp/editors_brain/archives/281590.html

 

この作品(単行本は現在2巻まで)は,「地球温暖化を止めるウサギ」こと天才

科学者(ウサギ)のココナッツ・ピリオドと,バカな日本人大学生の冒険を描いた

一種のファンタジーだ。ブログで編集者が批判しているのは,単行本の巻末に

書かれている「地球温暖化」に関する作者の解説であり,要するに「山田氏は

勉強不足だ」と言っている。これを読んだとき,「何と了見の狭いことか」と

ぼくは思った。「このマンガは環境問題に対する誤った理解を読者に与え

かねないから問題がある」と編集者氏は言いたいのかもしれないが,それは

「青少年がマンガで暴力シーンを見ると暴力に走る」と言うのと同じくらい陳腐だ。

 

批判の構図は,こうだ。あるマンガ家が,環境問題をネタにして作品を描いた。

作者は自分なりに環境問題を勉強し,その知識を作品中に反映させた。それに

対して別の素人(編集者だから環境問題の専門家ではない)が,「作者の理解は

間違いだ」と責めている。--- たとえそれが環境問題のプロからの批判であった

としても,その批判は間違っている。そういうのを「大人げない」と言うのだ。

そんなことを言ったら,歴史ドラマも,SF映画も,推理小説も,世の中のあらゆる

フィクションは,「それは専門的見地からは荒唐無稽だ」と批判されることになる。

しかし,そういう批判をする人はほとんどいない。フィクションとはそういうものだ,

という暗黙の了解があるからだ。これが「ゴーマニズム宣言」(小林よしのり)の

ような作品や,「マンガ日本の歴史」のような解説書なら,「専門的知識の不足」

という観点からの批判は許されるだろう。それらはマンガというよりも「イラスト

入りの文章」だからだ。しかし,「ココナッツ・ピリオド」というマンガは,誰が見ても

エンターテイメント作品であり,環境問題のプロパガンダを目的とするものではない。

作者・山田玲司氏が社会問題に強い関心を持つことは確かだが,作品に対する

批評はその作品(マンガ)を読んでからするのが,作者に対する最低限の礼儀と

いうものだ。「面白くないから読まない」というのなら,それ以上語ってはいけない。

「マンガ作品でなく作者の背景知識の不足を批判しているのだ」と言うのなら,

それも間違いだ。山田氏は社会評論家ではなくマンガ家である。マンガ家は,

マンガ作品によって評価されるべきだ。それはちょうど,変わった趣味を持って

いるとか,家庭生活がうまくいっていないとかの理由で,芸能人や政治家や

編集者の本業における実績を評価してはならないのと同じである。

前にも書いたが,「ココナッツ・ピリオド」というマンガ自体は,非常に面白いと

思う。環境問題に対する作者の理解が正しかろうと間違っていようと,そんな

ことは関係ない。マンガとして面白ければそれでいいのだ。

 

件のブログには,こうある。

 

・・・マンガ自体も単にエコを「ウリ」のきっかけにしているだけで別段エコロジーと

関係ない(と思ういまのところ)志の低いもので・・・

 

マンガに「志」を期待する読者は,世の中にほとんどおらんと思うよ。

 

 

最後に,マグロの途中経過を。市場に出たのは2月の末ごろで,今のところは

期待どおりに好調に売れているようだ。5月の連休ごろには増刷されそうだ,と

いう連絡ももらっている。皆さんのおかげです。ありがとうございます。

当面の目標は5万部です。5万部売れんと元が取れんので・・・


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