日記帳(09年7月26日〜8月9日)

 

 

今日,朝一で映画「サマーウォーズ」を見て来ました。

すばらしかったです。今までに見た劇場アニメで3本の指に入るくらい。

この私が言うのだから間違いない(笑)。皆さんも機会があればぜひ。

作品のことをあれこれ語るのは好きではないので,どんな話かだけ説明しておきます。

主人公は高校生の少年とその先輩の少女。少女の実家(長野県の旧家)でのいくつかの

エピソードと,ネット上での「地球を救うための戦い」とが並行して進む,叙情的かつ

エキサイティングなストーリーです。一番印象に残ったのは,シナリオの完成度が高いこと。

登場する大勢の人物の一人一人が,自分の物語を完結させているところがすばらしい。

(おそらくは時間が足りずに)広げた風呂敷をきっちり包まないままに終わってしまうことの

多い宮崎アニメに比べると,話の完成度がはるかに上です。

 

ついでにアニメの話題をもう1つ。現在NHKの衛星チャンネルで毎週火曜日の夜に再放送

されている「電脳コイル」。これがまたよくできた話で,毎週楽しみにしています。もっとも,

世界観と設定がかなり特殊で登場人物も多いので,最初から見ていないと筋がつかめません。

見た人にはわかるし,見てない人にはわからないので,これ以上は語りません。

興味のある方はレンタルDVDで見てください。面白さは不肖この私が(しつこい)保証します。

最近昔のガンダムがまとめて再放送されたので一通り見ましたが,改めて自分の好みには

合わないと思いました。エヴァは先日劇場新版の第1作をテレビで見ましたが,どうも

ロボットアニメは今イチのめり込めません。年を考えれば当たり前ですが,なんか悔しいです。

マニアとは,そういうものです。


 

 

今週の新聞を賑わした話題の1つは,裁判員制度による初めての裁判だった。

前にも書いたが,改めてこの制度に関しては素朴な,かつ大きな疑問を感じざるを得ない。


その疑問は,大きく言って2つある。1つは,この制度が「上から目線」になっていることだ。

たとえば「希望する」「やってもよい」「やりたくない」の3択で意思をたずね,「やりたくない」と

答えた人は候補から外すような形なら,何も問題なかっただろう。しかし実際は「原則として

辞退は認めない」「裁判所の許可なく辞退すれば罰則を貸す」というシステムになっている。

ここが決定的に理解できない。だって,そうでしょう?そもそも裁判員制度というのは,

「現行の裁判制度の不備を補う」ためのものなわけでしょ?つまり裁判所の立場としては,

「国民の皆さん,お忙しいところすいませんが,裁判に協力していただけませんか?」と

我々に頼んでいるわけだ。それなのに,どうして我々が裁判所に「辞退してもいいですか?」

と伺いを立てねばならないのか?頼む側と頼まれる側の関係が逆じゃないのか?
この関係をたとえて言えば,こんな感じだ。
A「いくらか金を貸してくれないか?」
B「ぼくも生活が厳しいから,あなたに貸す金はありませんよ」
A「いや,君はオレに金を貸す義務がある。その義務を免れることができるのは,君に

   本当に金がないとオレが認めたときだけだ」
言うまでもなく,Aが裁判所であり,Bが一般国民である。


前にも書いたことだが,ぼくらのような自営業者は,日々の仕事の積み重ねがそのまま

収入に直結している。だから,裁判に出席すれば貴重な労働時間を奪われることになる。

裁判員に支給される日当は,(おそらく多くの自営業者にとって)その時間を本業に充てた

場合に得られる収入に達しない。だから,裁判員は「給与所得者」に限定してもらいたい。

さもなければ,各人の前年度の申告所得に応じた額の日当を支払ってもらいたい。

自営業の人の大半は,たぶん同じ思いを抱いているはずだ。裁判官はサラリーマンだから,

自営業者の現実に思いが至らないのかもしれない(そんなだから裁判員が必要なのだ,

と逆説的には言えるが)。

第2の問題は,こちらの方が重要なのだが,この制度は「裁判官の存在意義」を否定して

いる,という根本的な疑問だ。「プロだけで仕事をするより,素人を混ぜた方が質の高い

仕事ができる」などという職場が,ほかにあるだろうか?スポーツなどで審判の判定の

補助としてビデオ判定が使われることがあるが,裁判員をビデオと同列視するのは無理

だろう。まして裁判は,人の一生を左右しかねない重要な仕事である。たとえば医者が,

教師が,政治家が,大工が,パイロットが,「自分の仕事にも間違いはあるから,素人に

手伝ってもらいたい」と言ったとしたら,誰がそんな人を信頼するのか?裁判員制度の

導入を認めた時点で,裁判所は自らの能力のなさを認めたに等しい。今回の初裁判を

通じて,「判事だけで裁判をするよりも,素人を入れた方が実際に適切な判断ができた」

ともしも言うのなら,すべての裁判に裁判員を入れるべきだろう。そうでなければ,「凶悪犯

の方がより正確な審判を受けられる」という逆差別が生じてしまう。また,裁判員制度を

維持するのに必要な経費(税金の一部)は,判事の給料を減らすことによって賄うべきだ。

「自分らだけでは半人前の仕事しかできない」と,彼らは自分で認めているのだから。



最近の話題をもう1つ。総選挙の話だ。

選挙には行くつもりだし,投票する個人や政党ももう決めてあるが,それはさておき。

自民党はまだ活路を開くチャンスが残っていたのに,自らそれを放棄した印象を受ける。

それは,選挙のスローガンだ。責任力とか安定性とか今までの実績とかをアピールして

いるのは民主党との差別化のつもりだろうが,どうしてそんなに真っ当な戦略を取るのか

理解できない。ぼくは実利主義者だから,古賀さんがタレント知事に出馬を打診したのが

悪いとは思わない。どうせなりふり構わず選挙民の関心を引きつけようと画策するのなら,

掲げるべきスローガンはたとえば「自民党は大改革を行います」というような類のもの

でなければならなかったのに。中身はなくたっていい。どうせ今までも公約を守っては

こなかったのだから。どういう形であれ「改革」の1語を加えるだけで,かなりの数の票が

自民党に回帰していただろう。その状況証拠はそろいすぎている。前回の選挙でも,

多くの人々は郵政民営化に賛成して自民党に投票したのではない。小泉元総理の

「自民党をぶっ潰す」という姿勢に共感したからだ。当時から選挙民は,閉塞した現状に

対する大きな変革を求めていたのである。それは「チェンジ」を合言葉に票を集めた

オバマ大統領も同じだし,現時点で民主党の支持が自民党を上回っているのも

「民主党の方が大きな改革をしてくれそうだ」というばくぜんとした期待感が広がって

いるからだろう。だから,自民党が民主党を逆転するための唯一の道は,「我々の

方が民主党よりもドラスティックな改革をやります」と宣言することだったのだ。

それなのに,「責任力」うんぬんを持ち出すとは愚かなことだ。「今の世の中の仕組みを

作ったのはおまえら自民党だろう?その責任を取って下野するのが当然だ」という

反感を買うのは目に見えているではないか。選挙戦略の誤りとしか言いようがない。

 

補足して言うと,麻生政権下の政策で一番反感を覚えたのは,定額給付金だ。

選挙が迫っている現在,民主党がなぜ「給付金の失敗」を議論の俎上に乗せない

のかも理解に苦しむ。「給付金がどれだけの経済効果を生んだのか?」「給付金を

配ったことはプラスだったのかマイナスだったのか?」という点は,途中経過であれ

ある程度客観的な数字で示せるのではないだろうか。給付金政策が全体として

成功したとは到底思えない。うちの場合,子どもらには給付金を渡したが,親の

給付金は税金の支払いに回した。税金から捻出された給付金が,また国の金庫に

戻ったわけだ。しかし,それは単に金が往復したというだけの問題ではない。

その手続きの中で相当額の金が無駄遣いされているのだから。

 

ついでに補足をもう1つ。たとえ民主党が政権を取っても,マニフェストを実行に移す

のは現実には難しいだろう。たとえば「高速道路の無料化」を例にとっても明らかだ。

無料にするなら料金所は不要になるが,だからといって料金所を取り壊すわけには

いかない。次の選挙で自民党が勝って,料金の徴収が復活するかもしれないからだ。

だから料金所のスタッフをリストラすることもできないが,当面彼らには仕事がなくなる

から,別の仕事を与えねばならない。下手をすると,その過程で役人が彼らのために

別の仕事を作って,かえって行政効率が下がったり持ち出し予算が増えたりするかも

しれない。また利用者からは「割引されると聞いたからETCをつけたばかりなのに,

無料になるならETCを買う必要はなかった。どうしてくれるんだ」という苦情も出そうだ。

あるいは,有料道路が全部無料化されたら,陸路と海路(フェリー業者)や空路(航空

会社)との格差も放置できなくなるだろう。そうしたさまざまな形で波及する問題を

考えると,民主党がどれだけ公約を守れるかもかなり怪しい。しかしそれでも,

民主党は今度の選挙に勝つだろう。その理由はただ1つ。「改革(の公約)争い」と

いう点で,民主党が自民党をリードしているからである。



最後にもう1つ。あまり他人の批判ばかりしていると心がすさむので好きではないのだが・・・

ぼくは普段から物を書く仕事をしているので,プロが下手な文章を書いていると癇に障る。

逆に,たとえば新聞の投書欄などに載っている普通のおばあちゃんの身辺雑記などが

素晴らしく味のある文章だったりすると,心が洗われる気分になる。

これから書くのは前者の例だ。同じネタで恐縮だが,カープに関連する記事である。

まず,比較のために1つの記事を読んでみよう。

日刊スポーツの「C調気分でどんとコイ」というコラムだ(8月5日付け)。
http://www5.nikkansports.com/baseball/carpwriter/entry/20090805_82978.html


「今そこにある危機」は俳優ハリソン・フォードふんするCIA情報官を描いたハリウッド映画だった。
 唐突だが、カープの戦いぶりを追いかけていて、最近ふと浮かんだのが冒頭のフレーズなのだ。

クライマックスシリーズ進出が厳しい情勢のなか、ブラウン監督は上位浮上に向けて、あらゆる

策を繰り出している。
 8月2日の横浜戦。同点で迎えた延長10回表に送り込んだのは、新人の小松だった。

指揮官は「相手の打順を見て、永川をクリーンアップと対戦するまで取っておきたかった」と説明。

休養日だった横山を使えずとも、守護神永川をつぎ込むことはできたはずだ。延長戦では、

力量の勝る投手から優先的に起用するのが勝負の王道。下位打線相手とはいえ、永川が

ピシャリと抑え、勢いよく攻撃に移ることはできなかったか。
 ブラウン監督のいう「クリーンアップ」と対戦するのは、小松がもし3者凡退に抑えていれば

延長11回表以降になる。そこに延長10回裏で試合を決めるという「攻めの姿勢」があったなら、

また違った選択肢もあったのではないだろうか。
 こんなこともあった。7月20日の中日戦。1点を勝ち越した直後の8回裏、代打を送られた

石原に代わってマスクをかぶったのは12年目の倉ではなく、3年目の会沢だった。ワンプレーが

勝負の行方を分ける試合終盤。しかも、1番井端からの好打順だった。この回に2失点して逆転

負けした試合後、指揮官は「会沢の肩で盗塁を防ぐ意図があったんだ。井端が一塁にいれば

打席も荒木だし(盗塁を)仕掛けてくるだろうから」と振り返った。そこからは、まず井端を抑える

ことよりも、出塁したことを想定しているというニュアンスが多分に含まれている。
 指揮官の胸中に宿っていたのは『危機管理』の意識だろう。確かに、事態を先読みし、あらゆる

リスクを想定した上で、タクトを振るうのはリーダーに必要な資質だと思う。慎重さと大胆さを

使い分けるバランスは難しいが、しかし、二つのケースからは、危機管理にとらわれ過ぎた

「守りに入った采配」といった印象が否めない。せめて、前のめりに倒れてほしい。勝負事で

大切なのは攻める姿勢であり、そこから士気も高まってゆく。いまを乗り越えなければ、未来は

やって来ないのだ。

書かれている内容に賛同はしないが,この文章は悪くない。筆者は,自分の伝えたいことを

的確に文章にできている,という印象だ。赤字の結論も,前段との整合性がある。


次に,悪い例を出す。例によって,中国新聞の「球炎」である。
http://www.chugoku-np.co.jp/Carp/index.html

「アバウトさが悲劇招く」(8月4日付け)
情けなさの限りを尽くした先日の横浜戦の「続き」があるとは思いもしなかった。これまで何度も

サヨナラ負けを見てきたが、九回に同点弾を浴びた打者にサヨナラ弾も浴びる野球なんて初めてだ。

はるか旭川までやって来て、心が折れそうである。
 九回で事態が暗転する今は、接戦を逃げ切るすべを失っている。不安定な永川を抑えから外した

ところで、継投で乗り切っていけるだけの投手力には乏しい。となれば、ミスのない細かな野球を

しなければならないはずだが、ミスばかり。もはや袋小路だ。
 ベンチワークも相変わらずである。サヨナラ弾の直前、十一回1死一塁から捕逸で走者の二進を許し、

カウントは0―2となった。敬遠の選択もあって、ベンチをのぞきこむ石原に対し、出た指示は勝負。

その直後の一球が右翼席に消えた。何ともずぼらすぎる。
 プレーで起きる選手のミスはベンチで防げるものではない。しかし、試合を左右する局面では選手の

重圧を和らげ、痛手を予防するのがベンチの仕事だろう。捕逸の直後は首脳陣が誰もマウンドに

行かなかった。こんなアバウトな空気が許されるチームに、締まった野球などできるはずがない。

(木村雅俊)

赤字の1文をたとえて言うなら,あたかも糸の切れた凧のように,言葉が宙を舞っている

一般に物を書く人は,思考のすべてを文字にするわけではない。そんなことをしたら膨大な分量に

なってしまうので,筆者は思考の一部(あるいは多く)を文字にしないで省略する。そして読者は,

一字一句から「書かれていない筆者の思い」を想像しながら文を読んでいく。つまり文章とは「凧」で

あり,その糸の先は「筆者の思考」とつながっているはずである。「糸の切れた凧」とは,文章を

読んでも筆者が具体的に何を考えているのかが読み取れない,という状況をたとえたものだ。

要するに「下手な文章」ということである。


本文中の問題の箇所を,もう一度見てみよう。


敬遠の選択もあって、ベンチをのぞきこむ石原に対し、出た指示は勝負。その直後の一球が

右翼席に消えた。何ともずぼらすぎる。


「ずぼら」という言葉の背後にある筆者の考えが,ぼくには理解できない(邪推はできるが)。

上の文面だけから判断する限り,「ずぼら」という言葉の内実に対する最も理にかなった

解釈は,「ずぼら=敬遠しなかったこと」となるだろう。しかし,この解釈は正しいのだろうか?

これが正しければ「凧の糸」は切れていないことになるのだが,後述するようにこの解釈が

正しいとは思えない。では筆者の真意はどこに?・・・「糸の切れた凧」の所以である。

 

このときの状況を正確に解説すると,得点は2対2で,11回裏の巨人の攻撃。一死二塁の

場面で打者は(9回に同点弾を打った)亀井,投手は横山,カウントは0−2である。

次打者は阿部だ。一死二塁だから,亀井・阿部の両方を敬遠する選択肢はなく,どちらか

一方と勝負しなければならない。ここでベンチは,亀井との勝負を選んだ。それを筆者は

「ずぼら」と評している。ちなみにこの試合が終了した時点での成績は,打率は亀井が.289,

阿部が.292であり,本塁打は亀井15本,阿部13本だった。今季の両者の成績はほぼ互角と

言ってよい。過去の実績から考えると,阿部はかつてサヨナラ男の異名を取り,カープも

さんざん痛い目に会ってきているので,勝負強さでは阿部の方が上と判断するのが普通

だろう。だから,ベンチが亀井との勝負を選んだのが明らかな間違いだとは言えない。

そもそも,過去の実績と現在の調子から考えて,横山と亀井の力量はほぼ互角であり,

抑えることもあれば打たれることもあるだろう。それが野球だ。横山が相手の投手に

サヨナラヒットを打たれて負けたのなら反省の余地もあるだろうが,亀井に打たれて負けた

のは時の運でしかない。

 

筆者の本当の思いは,「亀井を歩かせて阿部と勝負すべきだった」ということではないと思う。

もしそうなら,「阿部の方が打ち取りやすかった」という理由付けがなければならないからだ。

そこで,「ずぼら」という言葉にこめられた筆者の思いを(文脈を離れて)邪推すると,簡単に

答えが出る。それは,「カープが負けたという事実に対する,ベンチへの八つ当たり」だ。

おそらくこれが,「ずぼら」という言葉に対する正しい解釈である。状況証拠からも明らかだ。

「球炎」では,カープが負けた原因を,ほとんど毎回ベンチの采配のせいにしている。

しかし,ちょっと考えればわかることだが,監督の采配の上手下手によってそんなにチームの

勝敗が左右されるはずがないではないか。プレーしているのは選手なのだから。

現在カープがBクラスにいるのは,上位3チームと比べて個々の選手の実力の総和で劣って

いるからだ,というのが最も合理的な説明だろう。この試合に関して言えば,亀井の打力が

横山の投球術を上回った結果であり,ベンチが「ずぼら」だったことが敗戦の理由ではない。

そんなことは誰だってわかるはずなのに,「敗戦の責任を誰かに押し付けなければ気が

済まない」という思考回路が染み付いた不幸なコラムニストたちは,監督を批判することで

個人的なうさ晴らしをしているだけなのだ。この記事のタイトルは「アバウトさが悲劇招く」と

なっているが,残念ながらアバウトなのは筆者の思考と言葉使いの方である。

 

余談だが,記事の最後の段落もどうかと思う。

 

プレーで起きる選手のミスはベンチで防げるものではない。しかし、試合を左右する局面では

選手の重圧を和らげ、痛手を予防するのがベンチの仕事だろう。捕逸の直後は首脳陣が誰も

マウンドに行かなかった。こんなアバウトな空気が許されるチームに、締まった野球などできる

はずがない。

 

文字通りに解釈すれば,「首脳陣がマウンドに行かなかったから選手の重圧が和らがず,

その結果ホームランを打たれた」と筆者は主張していることになる。その主張がいかに無茶な

ものであるかは,言うまでもないだろう。筆者が何を主張しようと自由だが,自分の書いた文章

を読み返して,「自分の思いが正確に言葉に反映しているか」と問い直してみてはどうか。

もっとも,カープが負けて気分が悪いからといって,それをそのまま活字にされたのでは,

読者もたまったもんじゃないだろうが(中国新聞には,かつてそういうコラムニストもいた)。

 

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