日記帳(10年1月31日〜2月6日)

 

 

今は6日(土曜日)の昼過ぎ。今日は朝からずっと仕事で,今はちょっと休憩中。

1月に飛び込みの仕事が1本入って,本当は1月末までにアップしたかったが,体調を崩したり

したせいでまだ終わってない。2月末締め切りの原稿を2本抱えているので,かなりまずい。

2月末締め切りのやつは雑誌のようにきっちりした締め切りがあるわけではないが,発売予定が

4月の本なので,脱稿が3月にずれ込んだら関係者に迷惑がかかるだろうから,それは避けたい。

本当はこんな日記を書いているヒマもない・・・明日くらいは半日休みを取りたいが。

 

ところで,先週の日曜日に「オーシャンズ」を見て来た。海の記録映画だ。

まだ見てない人のために感想を言うと・・・55点!

何が悪いって,CGの映像が混じっているのだ。これは,この手の映画には禁じ手だろう。

1か所でも作り物の映像が入っていれば,作品全体の信憑性が疑われる。エコロジーと関連

づけようとする製作者の糸は理解できるが,失敗作と言っていいと思う。



朝青龍の引退について,一言。

 

理性で考えるなら,横綱審議会の引退勧告は不適切だったと思う。ただし,これには前提がある。

「大相撲は何のために存在しているのか?」ということだ。もしも「相撲ファンのため」であるなら,

彼を引退に追い込んだのは間違っている。しかし,前提が「大相撲は日本の伝統の象徴の一つ

であり,ファンがどう思おうと関係ない」ということなら,審議会の方向性は間違っていない。

「ファンのため」という観点から言うなら,現に朝青龍は人気力士であり,それはすなわち多くの

相撲ファンが,相撲を一つのスポーツとして楽しんでいることを意味している。今回の彼の事件と

同じことを野球やサッカーや格闘技の選手が起こしたとしたら,果たして引退にまで話が大きく

なっただろうか?暴行は悪いことには違いないが,薬物汚染(つまり犯罪)とはレベルが違う。

一方で,相撲をスポーツではなく伝統芸能の一種と考え,力士は sumo wrestler ではなく

sumo performer あるいは sumo actor であると定義するなら,伝統に逆らう者は切ればよい。

一口で言えば横綱審議会の意識と多くの相撲ファンの意識との間に格差があるということだが,

審議会は大相撲のマネジメントを行う立場にはないわけだから,今回の勧告は越権行為と

言われても仕方がない。極端な話,日本の伝統に従わないとして外国人力士をバサバサ切り,

それによって大相撲が経営的に立ち行かなくなったら,審議会は責任を取れるのか?

 

以上は,理性の話だ。しかし,ぼくが朝青龍の引退に際して第一に思ったのは,そういうこと

では全くない。それは,「現役力士を廃業する」という彼の心境に対するシンパシーだ。

その気持ちは,たとえ彼が酒の勢いで人を殺して刑務所に入ったとしても基本的には変わらない。

野村克也・前楽天監督を見よ。どう考えても引退した方がいいだろうという年齢になってから

メジャーに挑戦した桑田真澄を(古くは江夏豊を),40歳を過ぎてから四国の独立リーグ入って

まで日本球界への現役復帰を目指した伊良部秀樹を,あるいはサッカーのカズや中山を見よ。

現役のスポーツ選手にとっては,競技人としての自分が人生のすべてであり,だからこそ

ほとんどの選手は,とっくの昔に選手の盛りが過ぎていても,なお現役であることにこだわる。

彼らにとって現役を引退することは,サラリーマンが定年退職するのと変わりがない。

現役をやめても生活はできるが,ピークの自分には戻れない。その寂しさ,悔しさを思うと,

他人事ながら胸が痛む。もっとも朝青龍の場合は引退後もカネや仕事に不自由することは

ないだろうから,まだ救われる。もしかしたら,力士の頃よりも輝かしい未来が待っているかも

しれない。気を落とさず,新しい仕事で頑張ってもらいたいものだ。


 

 

ネットで拾った話題を一つ。

 

ある女性が,地震で大きな被害を出したハイチに「千羽鶴を送りたい」とブログに書いたら,

全国から賛同者が千羽鶴をたくさん送ってきたが,その女性のブログは炎上して大騒ぎに

なったという。

 

この話を聞いて,どう思いますか?

 

ぼくは他人に対する寛容度がたぶん平均より高い人間だが,この件に関しては,この女性に

批判的な立場を取る。結論を言おう。

 

「地震の被災地に千羽鶴を送りたい」と言って許されるのは,せいぜい小学生までだ。

 

中学生くらいの年になったら,そういう子どもじみたことを言ってはいけないよ,君たち(誰?)。

まして大人がこんなことを言ったら,それはもう社会人失格だ。この千羽鶴の発想は,「パンが

なければお菓子を食べればいいじゃない」と言ったフランス王妃の発想に,どこか似ている。

 

理由はいちいち説明するまでもないだろう。「外国の人には千羽鶴が何を意味するのかが

通じない」というのは,ささいな問題だ。千羽鶴を受け取ったハイチの人々が何を思うか?と

いうことが,普通の大人なら想像できなければならない。全員そうだとは言わないが,まず

100人中95人くらいは,「そんなモノより生活必需品がほしい」と言うだろう。そして,被災地に

紙くずを送るという「恵まれた国に住む金持ちたち」に,軽蔑と敵意を抱くだろう。

 

ブログが炎上したのは面白半分だろうが,この話を美談とするような風潮が社会に蔓延

しないことを祈る。そういう社会は,子どもの社会だ。

 

 

日記帳の目次へ戻る