日記帳(10年2月12日〜2月21日)

 

 

今は21日(日曜日)の午前11時。今週は2月末締め切りの原稿を2本抱えている上に,

S社・B社・N社・P社から次々に校正ゲラが次から次に届いて,めちゃくちゃ忙しい。

ようやく先ほど最後のゲラの赤入れが終わって封筒に入れたので,この日記をアップした

後でこれを宅配に持って行って,そのあと昼飯を食って,午後は映画にでも行こうと思ったが

今日はすばらしい天気なので,ちょっと釣りに行こうかとも考えている。

 

きのう,今年3冊目の新刊本の見本が届いた。

 

<対訳つき>シャーロック・ホームズの冒険(PHP文庫:680円)

詳しくはこちら

 

3月に「ホームズ」の映画が公開予定なので,それに合わせて大急ぎで作ったものだ。

「原文を読みながら英語学習ができる」というのがウリなので,興味のある方はぜひ。

 

 

先週の日曜日(14日)は,広島へ遊びに行った。昔の仕事仲間に誘われて4人で集まり,

昼過ぎから酒を飲んで何年ぶりかで麻雀をやり,最終の高速バスで帰った。行った先は

中心街からバスで20分ほどの江波で,ちょうど「江波祭り」というのをやっていて,

安く買った大量のカキを,焼きガキとカキ鍋でたらふくご馳走になった。カキは大好きな

食材だが,スーパーで買うと8〜10個くらい入ったのが380円くらいで,腹いっぱい食える

チャンスはなかなかない。この日は一人で20〜30個食べられたので嬉しかった。

帰りに,江波にある有名なラーメン店「陽気」へ初めて行った。正統派の広島ラーメンで,

噂に違わず美味しかった。最近は背脂でギトギトの尾道ラーメンはけっこう腹にこたえる

ので,トンコツ醤油味の広島風ラーメンの方が食べやすい。それにしても,「陽気」は

どこにでもある小ぢんまりした店で,こんな外れの小さなラーメン店があれほど有名に

なるとは,改めて情報の力はすごいと思った。

 

 

話は変わってが,やはり一言書かずにはおられないので,この話題を。

 

オリンピックの服装問題で批判を浴びた,スノーボードの国母選手のことだ。

 

彼の立ち位置は朝青龍と似ており,世間の評価も批判派と擁護派に分かれている。

数的にはもちろん批判派の方が多いのだろう。ぼくは,もちろん擁護派だ。

 

最初に彼がテレビ画面に映って「批判が出ています」という趣旨の報道が流れたとき,

最初に思ったのは,「これでもし彼がメダルでも取ったら,マスコミはどういう反応を

するのだろう?」ということだ。たとえば彼の服装や言動は,「子どもの教育上よくない」

という視点からの批判がある。もしも彼がメダルを取って,マスコミが手の平を返した

ように彼を賛美し始めたなら,いわゆる「子どもの教育」という観点からは,計り知れない

悪影響を生むだろう。「結局,強けりゃ何やっても許される」というメッセージを社会に

向けて発することになるからだ。

 

しかしその反面,彼が普段通りの実力を発揮することは99%ないだろう,とも予想した。

やくみつる氏の言うように彼が今まで「調子こいた」人生を送ってきたのなら,なおさらだ。

叱られた経験のない人間が他人から叱られ,世間に「恥をさらした」直後に,平静な精神

状態を保てるとは絶対に思えない。それは,子どもでも大人でも同じことだろう・・・・・・

 

ところが!彼は,本人も後で語ったように,本番でおそらくは実力を出し切った。

転倒したのは技術が未熟なせいであって,バッシングによる精神的重圧が演技の

内容に影響したようには見えなかった。常人では考えられないような,強い精神力を

見せつけられた思いだ。もともとそういう性格だ,というのは理由にならない。繰り返すが,

他人の目が一切気にならない人間など,この世にはいない。それは断言していいと思う。

他人の目を気にしながら,それでも平静を保てるのが強い精神力の持ち主であって,

そういう強いハートを持っているからこそ,その道で一流になれるのだと思う。

 

これは実際,スポーツに限ったことではない。社会人なら共感してくれる人も多いと思うが,

およそ世の中で「トップに立つ」人間というのは,多かれ少なかれ「わがまま」である。

中小企業の社長や,地方議会の議員なんかを見ればわかるだろう。普通の小市民の

感覚からは「人として,どうよ?」と言うしかないような人物が,往々にして組織の長の座に

着いて偉そうにしてないかい?おたくの会社は違うかい?

 

つまりだ。「社会的に地位が高かったり,世間の注目を浴びたりするような立場にいる

人間には,一般人以上の節度が求められる」という考え方は,逆ではないのかな?

一般人が思うような『節度』を持っていないからこそ,彼らはそういう立場に登りつめる

ことができた,のではないかい?かつて「政治家に徳性を求めるのは,八百屋で魚を

求めるようなものだ」と正直に言った代議士がいたが,結局そういうことではないかな。

 

「国の代表として五輪に出ているのだから,日本の恥を世界にさらすような行動は

けしからん」という批判についても,何か閉鎖的というか,了見が狭い印象を受ける。

果たして外国人の観客は,あるいはスノーボードのファン一般は,彼の服装を見て

嫌悪感を抱くのだろうか?彼の服装やスタイルは,スノーボードという競技の中では

普通のものなんじゃないか?だとすれば,彼を批判するのは結局,今風のファッションに

身を包んだわが子を「もっとちゃんとした格好をしなさい」と親が叱るのと同じレベルじゃ

ないのか?という気がする。もちろんそういう親は大勢いるのだし,批判すること自体が

悪いとは言わない(ちなみにぼくは,うちの娘らがどんな服装をしようが叱ったことはない。

そんなものは親が口を出す問題じゃないと思っている)。ただ,「私はああいう格好は

好きじゃない」という単なる好き嫌いの感情が,「ああいう格好をしてはいけない」

という方向(つまり自分の価値観を他者に押し付ける方向)にエスカレートするのが

問題なのだ。両者の間には天地の開きがあるが,意外にそれを意識していない人が多い。

国母くんを批判する前に,実際に彼のスタイルが「日本の恥」になるのかどうかを検証

することが必要だと思う。それは自分たち(批判派)の単なる思い込みにすぎないのかも

しれないのだから。(実際に彼の行動が日本の印象を悪くする,あるいは悪くした,と

推定できるのなら,彼を批判することには合理性があることになる)

 

ついでに言うと,「五輪の代表は国民の税金を使って派遣されているのだから」云々も,

少なくとも国母くんには通用しない。彼に言わせれば,「別にオレが五輪に出してくれと

頼んだわけじゃない。代表に選ばれて『出てくれ』と頼まれたから出てやったんだ」と

いうことだろう(実際彼はプロだから,報酬の出ない五輪に出場してもメリットはない)。

 

これを書きながら,今まさに国会に提出されようとしている「夫婦別姓法案」,つまり

「夫婦が別々の姓を名乗ることを選択できるようにする」法案を連想した。

ぼくはこの法案に賛成だが,世の中にはこれに反対する人たちも少なからずいる。

細かいことは抜きにして言えば,その人たちにも「自分の価値観を他者に押し付けて

いる」という印象を受けざるを得ない。まあ言ってしまえば,「保守派」と言われる人々は

全部そうだ。他者への想像力が欠けている,と言ってもいい。

 

ぼくが考える「望ましい社会の進歩」のイメージは,こんな感じだ。

 

@選択肢が増える

 → A人々の価値観が多様化する

 → B人々がお互いの多様な価値観を認め合う

 

@→Aまでは必然的な流れであり,問題はBにある。ここがうまく機能しないと,

多様化した価値観を持つ人々の間の対立が増すばかりだろう。前にも書いたが,

人間は好き嫌いの感情を捨てることはできない。その感情と,善悪の判断とは分けて

考えるべきだと思う。それが「他人の権利の侵害」につながるのならなおさらである。

 

日記帳の目次へ戻る