日記帳(10年7月12日〜8月8日)

 

 

ここ3か月ほど異常に忙しく,夏休みとかを考える余裕もない。

この間,まる1日の休みを取ったのは先週の日曜日が初めてで,家族4人で宮島へ行った。

あとはお盆の頃に1日休みを取るくらいで,ほかは週末もたいてい仕事が入っている。

今日(8日の日曜日)も午後から仕事だが,早朝から3時間ほど向島の干汐でダンゴ釣りをした。

釣果はショボかったが(一番大きいチヌが26cm),ささやかに夏を満喫した。

きのうの晩は酒を飲みながら,前日の金曜ロードショーを録画した「サマーウォーズ」を見た。

去年映画館で見て以来1年ぶりだったが,やっぱり素晴らしい。歴代のアニメ映画の中で,

作品としての総合的な完成度はナンバーワンかもしれない。

ちなみに一番最近見た映画は「踊る大捜査線」だが,今回は今イチだった。

今年見た映画の中で今のところの私的ナンバーワンは「書道ガールズ」だ。

 

 

久しく日記も書いてないので,今回は戦争の話を少し。

うちの親父は大正14年生まれで,戦争中は朝鮮半島で屯田兵のような仕事をしていたそうだ。

戦争が終わり,釜山の港から船で帰国。下関から山陽本線に乗って,広島駅を過ぎたのが

昭和20年10月15日,つまり終戦のちょうど2か月後だったそうだ。広島に新型爆弾が

落ちたといううわさは聞いていたが詳しいことは知らず,汽車の窓から見る広島の街は,

本当に何もない廃墟のようだったという。我々の世代が幼年時代を過ごした昭和30年代には,

まだ「戦争の傷跡」のようなものも身の回りにあった。たとえば福山駅前などでは,軍服を着た

手足の不自由な人たち−いわゆる傷痍軍人(実質的には物乞い)を時々見かけた。当時は

近所にも廃屋のような家があり,ぼろきれをつなぎ合わせたような服を来た人がいた。

今の時代とは違って,目に見える「貧しさ」がそこらへんに転がっていた。もっとも,我々は

戦争を知らない世代で,かつ団塊の世代より下の世代なので,安保闘争が盛んだった頃は

まだ小学生とか中学生くらいだった。

 

そういうわけで,戦争を実体験した人たちの本当の「痛み」はわからないし,まして被爆者の

苦しみはほとんど想像もできない。

 

しかしそれを考慮しても,ぼくは(何度も書いているが)地元紙・中国新聞の,原爆に関連する

報道の姿勢に日頃から疑問を持っている。そんなら別の新聞を取ればよさそうなものだが,

カープや地元の記事が多いので昔から惰性で中国新聞を講読しているのだ。

 

下に転載したのは,中国新聞のおととい(8月6日)の社説だ。

ぼくが疑問を覚えるのは,赤い文字の部分である。

http://www.chugoku-np.co.jp/Syasetu/Sh201008060106.html

 

ヒロシマ65年 今こそ核廃絶の決意を 
老いた被爆者は言う。あの日のことを思い出すと体の震えが止まらなくなると。

飛行機の音にビクッとして隠れたくなるとも。放射線を浴びた体への不安も消えない。
あれから65年。鎮魂の日がことしも巡り来た。
午前8時15分に米軍機が広島上空でさく裂させた1発の原子爆弾。

市民への無差別攻撃の狙いは恐怖をあおることにある。

「テロの語源は恐怖。原爆投下こそが最大のテロだ」。先月末、広島市での国際

シンポジウムで講演した米国人政治学者ダグラス・ラミスさんはそう断じた。
あまたの命を奪った上、生き残った者の心身を今もさいなみ続けるような恐怖。

核兵器の残虐さをあらためて思う。
爆発力でいえば、広島型原爆の30万倍以上に当たる核兵器が地球上にある。

「核廃絶をこの目で」という被爆者たちの願いを共有しない限り、人類の将来は危うい。
国連の潘基文(バンキムン)事務総長は長崎で、核兵器のない世界を一緒に目指そうと

訴えた。きょう平和記念式典で発するメッセージは、世界の人々に勇気を与えることだろう。
米国のルース駐日大使や英、仏の代表も初めて式典に参列する。核保有国の代表が

原爆犠牲者を悼むことは、核兵器の削減に努めるという意思表示とみて間違いあるまい。

潮目の変化を実感する。

被爆地の役割
核爆発の下で起きた人間的悲惨の極み。それを正確に伝えるという被爆地の役割は

重みを増している。今こそ世界へ、核廃絶の大きなうねりをつくり出したい。
オバマ米大統領が「核兵器なき世界」を唱えた昨春を境に、核軍縮の機運は

盛り上がりを見せている。
だが、実際に歩を進めようとすると、米国をはじめ核保有国が立ちはだかる。

期待と落胆が交錯するさまは、あざなえる縄のようだ。
今年5月、核拡散防止条約(NPT)再検討会議が5年ぶりに国連で開かれた。

何ら成果がなかった前回と違い、全会一致で最終文書を採択できた。核兵器を

非合法化する核兵器禁止条約の交渉の検討が明記されたことは「希望の種」である。
一方で、核廃絶へ期限を設けた行程表をつくろうという非同盟諸国などの提案は、

削除された。核保有国がそろって強く反発したためだ。
オバマ政権の核政策にも二面性が見て取れる。4月に打ちだした米国の新核戦略指針に、

NPTを順守する非核国に核攻撃をしないことや、ロシアとの交渉合意を受け核弾頭の

削減を盛り込んだことは前進だろう。昨年1月の就任以来、臨界前核実験も行っていない。

禁止条約急げ
しかし、自国や同盟国を守るために核抑止力を堅持する方針は不変である。

核軍縮を進めながら、保有国以外への核拡散やテロ組織に核爆弾が渡るのを

阻止することに主眼を置いているようだ。
そうした核の不拡散政策にとどまっていては、廃絶への展望は描きにくい。

そこで注目を集めるのが核兵器禁止条約である。国連総会では1997年から毎年、

条約締結に向け交渉開始を求める決議案が賛成多数で採択されてきた。
潘事務総長は、この動きを支持している。2020年の核廃絶を目指す平和市長会議も、

禁止条約交渉の即時開始を求める。それを促す第一歩として、まずは来年中に

国際会議の開催を実現させる必要がある。
禁止条約の決議案に「時期尚早」との理由で棄権を続けているのが、ほかならぬ

日本政府である。
「核兵器廃絶の先頭に立つ」と国民に約束した民主党が政権交代を果たしてほぼ1年。

公約は置き去りにされているように見える。
数少ない成果が、核をめぐる密約の解明である。核兵器廃絶を唱えながら米国の

「核の傘」に頼ってきた矛盾を、あらためて国民に突き付けたことは評価できよう。
残念ながら、それに続く政策の見直しが進まない。岡田克也外相が有識者懇談会を

設けるなど核軍縮政策を再検討する動きもある。だが、内閣に司令塔が不在で、

政治主導が見えない。民主党政権への失望も広がっている。
約束に背を向ける動きも目に付く。インドへ原発関連機器を輸出できるようにするため、

政府は原子力協定の交渉に入った。相手はNPTに加盟せずに核武装する国。

例外扱いは、核拡散の連鎖を引き起こしかねない。
菅直人首相の私的諮問機関が非核三原則の「持ち込ませず」の見直しを検討中という。

相も変わらず核の傘にしがみつく発想だ。被爆国が核軍縮の機運に水を差すようでは、

世界から相手にされなくなるだろう。
日本政府がなすべきことは多々ある。まず、核兵器禁止条約の交渉開始に向けて

イニシアチブを取るよう方針を転換すべきである。
足元では、核の傘から抜け出す手だてを真剣に探る必要がある。北朝鮮や中国の

脅威を叫ぶだけでなく、北東アジアの非核化を長期目標に据えて外交努力で道を開く。

非核三原則の法制化に踏み切り、「非核の覚悟」を内外に示すことも不可欠だ。

米国は謝罪を
米国大使の式典参列で、原爆投下責任の問題が再燃しそうだ。正当化する意見が

根強く残ることは承知の上で、米国に求める。被爆者たちが命あるうちに、

許されない行為だったと認め、謝ってもらいたい。戦後、一度も抗議していない

日本政府も米国に働きかけていくべきだ。
核兵器をなくす決意は、原爆投下の非人道性に向き合うことで確かなものになる。

その上にこそ「核なき世界」の未来が築かれるはずだ。

 

疑問の第一は,「核の傘から抜け出せ」という主張である。今回は一応代案らしい

ものが示されているのでまだましだが,ふだんの中国新聞は,「核の傘に依存する

のはやめよう」と叫ぶばかりで,「じゃあ,核の傘がなくなったら日本の安全は誰が

守るの?」という素朴な疑問に全く答えようとしていなかった。上の記事では,一応

その答えが提示されている。「核の傘がなくても,外交努力によって日本の安全は

保たれる」というわけだ。しかし,その主張はあまりに無責任ではないだろうか?

その理屈が正しいのなら,自衛隊だって不要なことになる。しかし多くの国民は

自衛隊の存在意義を認めている。ぼくが知る限り中国新聞は,これまでこの疑問に

正面から答えたことはない。その疑問の本質は,「国を守るために武力は必要か?」

ということだ。その答えがノーだというなら(つまり旧社会党の非武装中立路線と

同様の主張をするなら),それを紙上で明言してほしい。一方その答えがイエスなら,

つまり「日本の安全保障のためには武力が必要だ」という判断を下すのなら,

次の質問,すなわち「では,その武力をアメリカに頼ってはいけないのか?」という

質問に正面から答えるべきだ。その答えがノーなら,筋は通っている。自民党の

右派(核武装も辞さない勢力)と組めばよい。その答えがイエスなら,アメリカが

現実に核を持っている以上,主張自体が自己矛盾することになる。要するに,

アメリカに対して「核を廃棄すべきだ」と訴えるのは問題ないが,日本政府に

対して「核の傘から抜け出せ」と主張したいのなら,「抜け出して,そのあとは

どうするのか?」をもっとまじめに考えなければダメだと思う。「外交努力を

すればいい」では,世間の多くの人々を納得させることはできないだろう。

 

疑問の第二は,こちらの方がよほど重要だが,「米国は謝罪せよ」という主張だ。

ぼくは,中国新聞のこの主張を読むたびに,何とも言えない嫌悪感を抱く。

「おまえたちが過去に犯した非人道的な行動を謝罪せよ」と相手に迫る態度は,

憎しみの連鎖を生むものでしかない。言われた相手は,こう切り返すだろう。

「あなたたちが犯した罪は,全体として原爆よりも重いのではありませんか?」

誤解のないよう補足するが,被爆者がアメリカに対して「謝罪せよ」と求めるのは

誰も責めることはできない。それはちょうど,車にはねられて子どもを殺された

母親が,犯人のドライバーに「おまえなんか死んでしまえ」と言うのと同じだ。

しかしそういう言葉を吐いていいのは当事者だけであって,たとえば事故の

調書を取った警官がそのドライバーに対して「死んでしまえ」と言うのは,社会

通念上許されないことだ。たとえその警官が「いや,自分はお母さんの気持ちを

代弁しただけです」と主張したとしても。

 

新聞は思想的に完全に中立である必要はないし,またそんなことは現実に

不可能だが,世間の人々の「知」を誤った方向に誘導するようなことは,それこそ

「道義上」やってはならないと思う。「中国新聞は被爆者の思いを代弁して,米国に

対して謝罪を求めているのだ」と主張するのは,「中国新聞は被害者の母親の

気持ちを代弁して,子どもをはねて殺したドライバーに『おまえも死ね』と言いたい」

と主張するのと本質的に同じだと思う。新聞が後者のような主張をすることが

社会通念上許されないとしたら,前者のような主張だってやっぱり許されない

のじゃないだろうか。

 

そして,以前書いたことがあるが,本当に被爆者の人々は,米国に対して

「謝罪」を求めているのだろうか?最初に書いたとおり,被爆者の苦しみを

第三者が理解することなど到底無理だから,推測で語ることは許してほしい。

もしもぼくが被爆者あるいはその親族だったら,「謝罪」してほしい相手は

米国だけではない,と思うだろう。戦争を起こした責任は日本政府にもあり,

戦争がなければ原爆が落ちることもなかった。つまり,もしも誰かに謝罪を

求めるのだとしたら,謝ってほしいのは「戦争を推進したすべての人々」だ。

アメリカという国が憎い,というのとは違うと思う。なお,「米国が謝罪すれば

反核運動にはずみがつく」というような政治的ファクターはここでは考えない。

つまるところ被爆者の最大の願いを一言で表現するなら,「二度と戦争を

起こしてほしくない」ということだろう。その思いを実現するプロセスの中で,

「アメリカの謝罪」が不可欠の条件だとはぼくには思えない。

 

 

今年完結したマンガ「きみのカケラ」(高橋しん)の最終巻で,作者は主人公の

少女が敵の大人と戦っている場面で,子どもらしからぬ長ゼリフを語らせる。

 

「正義は自分の中にあるものじゃねェ!

他人の中にあるものを見つけ合うものなんだ!

人は・・・それができるから人なんだ!」

 

アメリカでは,国民の6割が原爆投下を正当化しているという。

その調査結果に対して中国新聞は,「自分たちの思想とは相容れない」と

断定する論評をしていた。彼らは,「6割のアメリカ国民の思い」を理解する

努力を放棄している。その一方で,「被爆者の思い」を外に向かって理解させ

ようと必死になっている。それは厳しく言えば「独善」であり,穏当に言えば

「頭に血が上りすぎている」ということだ。中国新聞社の幹部がどう思って

いるかは知らないが,少なくともぼくは中国新聞を「赤旗」のような機関紙

だとは思っていないし,そうであってはいけないと思う。

 

お互いの「正義」を認め合う,少なくとも理解しようと努めることは,人と人とが

共生するための最低条件だ。その姿勢の普遍的な価値は,「原爆の惨禍を

世間に周知させるためには何をやっても許される」という行動基準よりも,

上位に置かれるべきものだと思う。

 

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