日記帳(11年1月23日〜2月6日)

 

 

今週も仕事が忙しく,釣りには行けず。

週末も休まず働いているので,リラックスできるのは夕食のときくらいしかない。

ゆうべ(土曜日)は知人と「銀わさ」で4時間ほど飲んで,これが休日代わり。

天気は絶好の釣り日和だが,また大量のゲラが送られて来たので今日も仕事。

 

先々週の日曜日,趣味で絵を習っている叔母が発表会で展示する絵を福山城の

隣の美術館へ運びたいというので,運転手役をした。絵は1週間展示され,

先週の日曜日に娘に片付けに行かせた。美術館へは見に行ってない。

叔母の話を聞くと,絵を習うのもかなり大変らしい。まず,あれこれ金がかかる。

道具代やレッスン代とかは当然として,自分が習っている先生が描いた絵を

(お手本の名目で)半強制的に買わされるそうだ。偉い(知名度の高い)先生ほど

1枚当たりの額が高く,安くても10万円代,ちょっと名の知れた先生だと百万円

単位になるという。

 

それはまあ仕方がないとしても,問題なのは先生の指導方法だ(あくまで叔母に

聞いた話です)。どんな先生であれ,基本的に「自分の指導したとおりに描け」と

求めるそうで(習っているんだから当たり前と言えば当たり前だろうが),実際

今回の発表会(叔母が習っている先生の生徒が絵を発表する会)でも,片付けに

行った娘が美術館に展示された絵を見た感想によれば,どの絵もそっくりだった

そうだ。叔母の絵以外は。

 

叔母は「自分の好きなように描きたい」というタイプの人で,先生の指導を守らない。

絵の題材も,みんなが静物画を描いている中で別のものを描いたりするという。

だったら何も先生に習わずに,自己流で描けばいいじゃないか,と誰もが思うだろう。

しかし,そうはいかない事情がある。趣味とはいえ絵を描く以上,せっかく描いた絵を

誰かに見てもらいたいという願望は誰にでもある。そのチャンスを得るためには,

どこかの先生に絵を習って(あるいは習っているということにして),その先生の

個人的な発表会で絵を飾ってもらうしかない。そういう意味では,自分の指導に

従わない生徒の絵を,他の絵と一緒に展示してくれる叔母の先生は偉い,とも言える。

 

では,自己流で描いて美術展に応募するのはどうか?これはもう全然チャンスがない。

審査員はみんな自分の生徒を大勢持っていて,自分の生徒を優遇して入選作を決める

(そのへんの事情は絵に限らない。書道など習い事は全部そうだ)。言い換えれば,

自己流で市美展や県美展に応募しても,その絵が入選する可能性はゼロだ。

だから,誰かに自分の絵を見てもらいたければ,誰か絵の先生の下につくしかない。

(よほどの才能があれば全国レベルの展覧会ならチャンスはあるだろうが)

 

これもある程度止むを得ないことかもしれないが,叔母の話では最近の公募展では

「大きな絵」でないと審査の対象にならないそうだ。どれくらい大きなサイズかと言えば,

「普通の家の玄関からは入らないサイズのカンバスに描いた絵」だという。そんな絵を

どこで描くのかと言えば,公募展に出すような絵を描く人は皆自宅に自分用のアトリエを

持っているのだそうだ。おまえら,どんだけ金持ちなんじゃ!絵が大きくなれば,画材も

たくさん必要になる。業界全体に金が入るようなシステムになっている,ということだ。

これも,絵に限ったことではないだろう。

 

しかし。「みんな,あんな絵を描いてどこが面白いんじゃろう」と言う叔母の気持ちは十分

理解できる。先生に言われるままに自分の絵を手直しするんじゃ,それはもう先生の

絵であって自分の絵とは言えないだろう。先生は基本を教えているだけだ,という人も

いるかもしれないが,生徒はみんな絵のプロになりたいわけじゃない。趣味で楽しく

絵を描きたい,という人が大半だろう。もうちょっと各自の好きにさせてやったら?と思う。

 

 

話は変わって。

中国新聞が「中国短編文学賞」という短編小説の公募を毎年行っている。

小説はあまり読まない(マンガばかり読んでいる)ので,毎年新聞に受賞作が掲載されて

いるのは知っていたが,ほとんど読んだことがなかった。去年の5月に何気なく中国新聞で

2010年度の最優秀作(新聞1ページ分の量)を読んで,「これくらい(の量)なら,自分でも

書けるんじゃないか?」と何気なく思った。で,その日のうちにプロットを考えて,「来年は

応募してみるか」と思いながら放置しておいた。12月に新聞に公募の記事が載ったので,

思い出してちょっと書いてみた。仕事が忙しい時期だったが,暮から正月休みにかけて,

7〜8時間を費やして原稿用紙22〜23枚分の短編が完成し,中国新聞社へ送った。

応募規定で職業を書くよう求められたが,「自営業」としておいた。「ライター」と書いたら

それだけで落ちるおそれがあるからね。要するに,中華料理のコックが遊びでお寿司を

握ってみましたけど,ということだ。

 

この賞は,最優秀作が1本(賞金50万円),優秀作が2本(賞金10万円)と決まっている。

去年の場合,応募は200数十件あったそうだから,入選の競争率は80倍くらいになる。

応募した人は全員,自分の作品を読み返して「これ,なかなかええじゃん」と思っただろうし,

「入選したらええなあ」とも思っただろう。ぼくも同じだ。ただ,仕事柄,出した原稿はもう

過去のものになり,目の前の次の原稿に頭を切り替える習性が身についている。まして

今回のはお金が入る当てもなく,「賞金が10万入ったら,家族で温泉旅行でも行こうで」

というくらいのもんでしかない。

 

作品を送った後で知ったことだが,この種の地方自治体が主催する文学賞は予想した

以上に数が多く,入選者の多くは「応募マニア」のような人たちらしい。去年の最優秀作

受賞者も,趣味の文学サークルに入って小説を書く勉強をしているという。

 

 

で,ふと思ったわけですが。

 

叔母が言ったような絵の公募展における「身内びいき」というようなものは,小説の世界

にはないのだろうか?水嶋某の件を見てもわかるとおり,出版社が主催する文学賞には,

当然そういうさまざまな思惑はあるだろう。小説のよさを決めるのは結局主観であって,

操作しようと思えばいくらでもできるのだから。中国短編文学賞の場合は選者が一人で,

地元の文壇に影響力を持つ人でもなさそうだから(よくは知らないが)その線は薄いかも

しれないが,「文学サークル」という受賞者の経歴にちょっと引っ掛かったのですね。

 

叔母もパソコンが使えれば,自分の描いた絵をブログに出すことができる。そうすれば

高い月謝を払って描きたくもない絵を描くよう強要されることもなく,自分の好きなように

描いた絵をインターネットを通じて多くの人に見てもらえるのだろうが。絵で金儲けを

したいわけじゃないんだから,それで十分だと思う。

 

この賞の発表は5月だが,温泉旅行の金が入らなくても問題ない。

新聞に掲載されなくても,ここに出せば大勢の人に見てもらえるわけだから。

中華料理のコックが寿司を握って金を取ろうというのは図々しすぎるしね。

 

そういうわけで。

5月の下旬くらいに,「中国短編文学賞落選作」をこのHPにアップする予定です。

 

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