日記帳(11年6月13〜26日)

 

 

今日の日曜日(26日)も,朝の7時前から仕事場でパソコンに向かって仕事。

週末もべったり仕事をしているのでそれなりにはかどってはいるが,いつまで

たっても終わりそうにないほどいろんな仕事が溜まっている。息抜きできるのは

夕飯のときくらい。だいたい6時半〜7時ごろ帰宅し,シャワーを浴びてから

自分の好きな料理(最近はカツオの叩きとかゴーヤチャンプルとか簡単なもの)

を作って,父の日に家族からもらったウイスキーを1本75円のソーダで割って

ハイボールを飲んでいる。食事が済んだらちょっと休憩してまた仕事。寝る前に

ユーチューブをちょっと見たりして11時ごろ就寝。朝は7時ごろから仕事。

毎日この繰り返しで,平日も休日も関係ない。

 

それでも日曜日はふだんの日とはちょっと気分が違うので,仕事の合間を縫って

この日記を書いている。引き続き震災と原発の話を少し。

 

前々から思っていることだが,世の中には「マクロ病」とでも言うべき人たちが

いるような気がする。物事をマクロの視点でしか考えることができない人のことだ。

その典型が経済評論家であり,一部の(あるいは多くの)企業経営者だろう。

数字上の計算だけなら,どうにでも言える。久米田康治の「かってに改蔵」に

「夢理論,持ってますか?」というネタがあって,地丹くんがこう言う。

「日本人が全員オレに1円くれたら,オレ億万長者じゃん。1円くらい,みんなくれるっしょ」

 

福島の事故を受けて,「脱原発」の議論が盛り上がっている。この論に賛成する

人たちの意見はどれも基本的に同じだ。村上春樹であれ近所の小学生であれ,

言っていることの本質は変わらない。「原発がなくたって何とかなるでしょ?」−

問題はその「何とかなる(かもしれない)」という予想が,どの程度真実に近いかだ。

庶民レベルで言うなら,それはほぼ100%真実だと言っていいだろう。アンケートの

結果からわかるように,多くの国民は(たとえ一時的な集団ヒステリーであったにせよ)

現時点では「代替エネルギーへの移行によって(一時的に)電気料金が値上がりしても

かまわない」あるいは「夏場にクーラーがない生活に逆戻りしても我慢する」という

方向で物を考えているからだ。

 

しかし,たとえ国民の100人中90人以上が「原発は全廃しよう」という案に同意しても,

それだけで脱原発が実現するとは思えない。問題の根っこはその先にある。

 

そこで,「マクロ病」の話に戻る。現時点で「原発が必要だ」と思っている多くの人は,

おそらく個人の生活水準のレベルではなく,「日本経済全体が生産性を維持していく

(あるいは向上させる)ためには原発が必要だ」と考えているのだと推察される。

そういう物の考え方がマクロ病だと短絡的に決め付けるつもりはないが,果たして

そういう「経済力維持のストーリー」は本当に正しいのか?という素朴な疑問がある。

 

話をわかりやすくするために二元論的に言えば,原発問題の根っこには次のような

対立の図式があると思う。

 

●マクロ的な思想 → (これまでそうであったように)日本という国が全体として経済力を

維持するためには,製造業(とりわけ大手)が繁栄し,外貨を稼ぐ必要がある。それには

大きな電力が必要であり,その需要を賄うには現時点では原発が必要だ。日本経済の

牽引車である(大手)製造業者の業績が上がれば,その利益の「しずく」が下部の経済に

浸透して,日本全体の経済が潤うはずだ。

 

●ミクロ的な思想 → 別にワシ(ら)は,今原発がなくなっても構わんよ。電気が減ったら,

それに合わせた生活をすりゃええじゃないか。みんながそういうふうに行動したら,

それが社会全体の流れになっても不思議じゃあなかろう。

 

もう少し格好をつけて言えば,ミクロ的な思想の発展形として,次のような論を立てる

人もいるだろう。

 

「大きなエンジンに引っ張ってもらって,みんながそれに乗っていく」という発想は,もはや

時代遅れだ。これからは地方が主体となって,地域ごとの特色を生かして内需をベースに

した循環型の経済発展を目指すべきであり,そのためには大量生産は必ずしも必要ない。

したがって原発がなくてもエネルギー需要は賄える。

 

この対立は,サッカー・Jリーグの発足当時の対立の図式とダブって思えて仕方がない。

うろ覚えだが,大筋はこんな感じだ。対立の主役は,K氏とW氏である。

W氏は某プロ野球球団のオーナーであり,当時のプロ野球と同じ発想をサッカーに

持ち込もうとした。「飛び抜けて強いチームを1つ作り,他のチームがそれに対抗する」

という形が,野球でもサッカーでも最も有効なビジネスモデルだ,と彼は考えた。

そして当時のトップ選手だった三浦カズやラモスを大金を積んでヴェルディというチームに

かき集め,事実ヴェルディはJリーグの初代王者になった。一方,Jリーグのチェアマン

だったK氏は,地域密着型のクラブ運営を志向し,将来はすべての都道府県にプロの

サッカーチームを作る,という構想を打ち上げた。

 

結果がどうなったかは,言うまでもない。現在のJリーグは,採算や集客では野球に

及ばないが,おおむねK氏の思い描いた方向に進んできた。W氏はサッカーでは

完全敗北し,野球の方も「巨人が強ければ客は集まる」という時代は完全に終わった。

 

スポーツと経済を同列に論じることはできないのは承知している。ただ,原発論議の

本質がどこにあるかと言えば,それは次のようにまとめることができるだろう。

 

●社会を動かすリーダー的な立場にいる人々はおおむね「マクロ病」的であり,

経済を数字でとらえている。彼らに言わせれば,日本という国は大きなエンジン

(昔のプロ野球で言えば巨人軍)に支えられている。

●一般庶民はおおむね「ミクロ病」的であり,自分の生活をベースに物を考える。

彼らは,実質的に社会を動かしているマクロ派の人々の思想がよく理解できず,

大きなエンジンは必ずしも必要ないんじゃないか?と思っている。

 

プロサッカーや野球では,今や結論が出たと言っていい。「主役ががっぽり金を稼いで,

脇役たちはそのおこぼれにあずればいい」というマクロ的な発想は,成功しなかった。

小さくても,弱くても,おらが地元のチームを応援したいというファンの心情が,現在の

プロスポーツ界を支えている。経済でも,それと同じことができないのだろうか?

本当にわれわれは,大きなエンジンに引っ張られて進むしか,生き残る道がないの

だろうか?具体的な方法は何一つわからないが,何か別の道があるんじゃなかろうか?

――― 偉い人たちからは「君たちはミクロ病患者だ」と言われるであろう多くの庶民は,

(どの程度自覚があるかは別にして)おおむねそう思っているだろう。そして,マクロ派と

ミクロ派のどちらが正しかったかは,いずれ歴史が証明することになるだろう。

 

 

さて,仕事に戻るか。

 

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