日記帳(11年7月11日〜8月14日)

 

 


今日(14日)はお盆の日曜日。今日仕事をしている人は全国民の数%くらいじゃないかと思うが,

こちらは今日も朝の7時から仕事場でパソコンに向かっている。さっきコンビニで買って来た

冷やしうどんを食べて,午後はまた仕事だが,ちょっと休憩。今年は墓参りにも行けない。

本当はこんな日記を書いているヒマもないが,ちょっと息抜きに。

 

つい最近,こんなニュースがあった。(下の記事は中国新聞のHPから抜粋)

 

広島県は11日までに、7日夜に放送されたフジテレビ系の連続ドラマで主演の女性アイドルが

着ていた「LITTLE BOY」(リトルボーイ)と書かれたTシャツについて「広島型原爆の通称で

苦情の声が寄せられた。配慮してほしい」と同社に申し入れた。

ドラマは「花ざかりの君たちへ〜イケメン☆パラダイス〜2011」。県被爆者支援課によると、

放送翌日の8日朝から「不謹慎だ」との苦情が電話や電子メールで相次ぎ、同社に10日夕、

電話で申し入れた。苦情などは11日夕までに約160件に上り、広島市にも約240件あったという。

同社広報部は「不快な思いをした方がいるなら遺憾。誤解のないように番組制作に取り組む」と

している。

この記事を読んで何を思うかは人それぞれだろうが・・・

 

皆さんは,「四つ」という差別用語を知っていますか?ウィキペディアに解説があります。

 

われわれの世代が20代だった頃,部落解放運動はたぶんピークの時期だったと思う。

その一例が,この「四つ」という言葉の扱いだ。(以下はウィキペディアからの抜粋)

 

過去に発生した主な問題

1983年、情報バラエティ番組『久米宏のTVスクランブル』(日本テレビ)において、

横山やすしが「サラ金業者の中にはヤクザが多い」と四本指で小指をつめたヤクザの

ジェスチュアをしたところ、部落解放同盟や全解連等が「四本指を示すのは四つという

被差別部落民への侮辱表現」と抗議し、番組終わりに久米宏が謝罪した。

2011年放送の正月特番『今年も生だよ!新春6時間笑いっぱなし伝説?2011年最も

売れる吉本No.1芸人は誰だ!??』(テレビ東京)の中でお笑いコンビブラックマヨネーズの

小杉竜一が、相方の吉田敬がSMデリバリーヘルスにはまっているという話の中で

「SM嬢に四つん這いのことを、よっつと略して頼んでいる」と発言した。後に司会の

同局アナウンサー大橋未歩が謝罪した。
テレビドラマ『嫁姑10年戦争』(毎日放送)の台本にあった「悪徳不動産四つ輪不動産」の

「四つ」が誤解を招くとして改稿された。リポビタンDのテレビCMで「ヨッ!お疲れさん!」と

いう宣伝文句が、「ヨォ!やるじゃない」という文句に替えさせられた。
ちあきなおみのシングル「四つのお願い」の放送自粛。現在はCDなどのベスト盤に収録、

テレビやラジオ等でも放送されている。
『人魚の森』で原作やOVA版ではなりそこないの人魚が3本指なのに対しTVアニメ

(15禁の未放送分)では5本指に訂正されている。『Left 4 Dead』Xbox360のパッケージ

(左手が全体的に写っている)も指が4本に見えることを懸念して日本語版は修正されている。

ここには書かれていないが,当時は小学校1年生の算数の教科書でも,「四つ」という

言葉は使わないよう配慮されていた,と聞いたことがある。

 

今回の「リトルボーイ」も,まさしくこれと同じ構図の事件だと思う。図式的に言うなら,

次のようになるだろう。

 

A  批判者は,ある種の社会的弱者または自らをその代弁者と考える人々である。

B  批判の対象となるものは,「ことば」(多くの場合は普通名詞)である。

C  そのことばは,Aの人々にとって特殊な(何らかの苦痛を連想させる)意味を持っている。

D  多くの人々は,そのことばにそうした意味があることを知らないか,知っていてもふだんは

    その意味を意識していない。

E  批判者の言うことは,端的に言えば「神経質すぎる正論」である。

F  批判された側は,(たいていは形式的に)謝罪する。

 

このHPではしょっちゅう言っていることだが,「正論」と「常識〔良識〕」とはイコールではない。

端的に言えば「正しくない良識」というものはなく,逆に「非常識な正論」は多く存在する。

もちろんこれは自分勝手に言葉を定義しただけのものであって,一般論とは関係ない。

そういう定義に基づいて言うなら,「リトルボーイ」事件は「非常識な正論」の典型である。

 

基本的なことばは,たいてい「隠語」的な意味を持っている。たとえば little boy は,俗語では

「おちんちん」を意味する。だから,あっちゃんのTシャツに書かれた「リトルボーイ」の文字を

「わいせつな連想を引き起こすからよくない」と批判することだって可能だ。しかしそういう

批判がたとえあったとしても,テレビ局は無視するだろう。上記の図式のAに該当しないからだ。

 

今回の事件について言うと,原爆の被害者自身が不快感を表明するならまだ理解できる。

しかし,果たして高齢化の進む被爆者自身が「イケメン☆パラダイス」というドラマを見て

いたのか?という素朴な疑問はある。テレビ局に抗議の電話をかけてきた人の大半は,

おそらく「神経質な正論を吐きたがる人」だろう。しつこいが,ぼくはそういう人々が嫌いだ。

その理由は,そうした正論(悪く言えば重箱の隅をつつくような批判)は,社会正義のためと

言うよりも,本人の自己顕示欲を満足させることに主な動機があるように思えるからだ。

そういう主張は,2ちゃんねるでやってほしい。批判された側が謝罪するのは仕方ないが,

マスコミはこの種のことを「社会的事件」として報道してほしくはない。芸能記事と同じ扱いで

十分だ。

 

部落解放運動が衰退した理由はさまざまだが,彼らが本当に「まじめな活動」をしていたの

なら,もっと社会全体の理解が得られただろうと思う。現実には「熱心」な活動家たちは

常軌を逸した反社会団体そのものであり,彼らに人生を破壊された人々がたくさんいた。

一方で同和関連事業は利権のかたまりであり,怪しい人々が群がっていた。福島の原発

事故以降,関係者を揶揄する「原子力村」という言葉がよく聞かれるが,「同和村」も

「広島原爆(平和運動)村」もそれによく似ている。本人たちがユートピアを温存しようと

すればするほど,まわりの人々の視線は冷たくなっていく。

 

8月6日前後の中国新聞に,こんな内容の記事が掲載された。

 

「広島市で原爆投下の日時を正確に言えるかどうかを小・中学生に調査したところ,

前回の調査よりも正解率が下がっていた。これは平和教育の衰退を意味する。」

 

書いた人は何の疑問も持たないのかもしれないが,この記事は非常識だと思う。

原爆が投下された日くらいは,日本人なら一般常識として知っておくべきだろうが,

時刻(8時15分)まで暗記させることにどんな意味があるのか?そして,それを

正確に言えない子供が増えることに,どんな問題があるのか?子供にとっては

原爆投下時刻は他の歴史上の年号と同じ意味しか持っていない。しかし教える

側は,その数字に特別な意味を感じるのが当たり前だという前提に立っている。

「平和運動村」の人々にとってはそれでいいのかもしれないが,学校教育は彼らの

ためにあるのではない。その点で,かつて同和教育が学校現場を蹂躙したのと

同じ構図を,上記の新聞記事は志向していることになる。(新聞記者の主張では

なく,市の教育委員会の発表をそのまま文字にしただけかもしれないが)

 

ぐだぐだと書いたが,要するにこういうことだ。

 

「Tシャツに書かれたリトルボーイの文字は原爆を連想させるからよくない」

という批判をする人も,その意見に賛成する人も,ぼくは良識ある大人とは

認めない。

 

たとえこの批判が被爆者本人の口から発せられたとしても同じだ。制作者側に

悪意がなかったことが明らかである以上,「原爆を連想させるものはすべて悪だ。

自分にはそれを言う権利がある」と主張するのは,一種のファシズムでしかない。

もしも自分が被爆者であったなら,(心の中では不快感を持ったとしても)

決して口には出さないだろう。それが大人というものだ。

 

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