日記帳(11年8月15日〜9月4日)

 

 


もう100日以上,休みを取ってない。

 

今までの人生で受注したうちで一番大きいと言えそうな仕事に,本当なら7月中旬

ごろから着手するはずだった。タイムリミットは10月末。ところが6月以降同時に

大量の仕事が既に入っていて,そのデカい仕事になかなか取り掛かることができず,

ようやく8月31日の夕方に,それ以外の仕事が全部片付いた。

その間,特に8月は,たぶん半径2キロくらいの円内を一歩も出ていない。

身内の葬式にまで仕事を持ち込んで,親族の控え室で親戚が雑談している中で

黙々とゲラのチェックをやっていた。

 

そして9月1日からその大仕事に着手し,10月末までの正味60日間のスケジュールを

組んでみた。しかし・・・・・・・どう考えても,休みが取れん!普通にやったら3か月くらい

かかる仕事で,相当無理をしないと締め切りに間に合わない。台風が遠のいた今日の

日曜日くらいは休みたかったが,精神的なプレッシャーが大きすぎて釣りどころじゃない。

 

で,普通に仕事をして,気づいたら夕方。もう今日は上がることにして,せめて日記でも

書いておこうと思う。

 

 

お題は,島田紳助の引退宣言について。

 

8月26日の中国新聞の社説は,こんな内容だった。


http://www.chugoku-np.co.jp/Syasetu/Sh201108260068.html


紳助さん引退 「黒い交際」本気で断て

いつものキレ味とはほど遠く、分かりにくい「紳助節」だった。タレント島田紳助さん(55)が

暴力団関係者との交際を自ら認め、突然の記者会見で引退を告げた。その後も親密な

関係を示す直筆の手紙などの存在が明るみに出ている。芸能界では惜しむ声も

上がっているようだが、引退は必然といえよう。反社会的組織の根絶に向け、国民が

一体となって取り組んでいる最中である。芸能人だからといって大目にみていい道理はない。

ましてや毎日のようにテレビに登場する人気者だ。社会的影響力は大きい。「黒い交際」を

続けながら茶の間を沸かしていたとは、それこそ笑って済ませる話ではなかろう。

 

記者会見で島田さんは、十数年前のトラブル解決に暴力団組員の力を借り、「恩を感じて

いた」と明かした。その後も知人を介してのメールのやりとりなどをしていたが、「自分では

セーフだと思っていた」と述べた。状況認識が甘いというほかない。

島田さんが所属する吉本興業グループは企業行動憲章で反社会勢力の排除をうたい、

社内の意識向上に努めてきたという。今回、グループ側が黒い交際を把握し、島田さんに

ルール違反だと通告したようだ。

 

芸能界では「氷山の一角」との見方もある。

芸能界と暴力団との結び付きは古い。戦後、山口組が芸能プロダクションを旗揚げし、

美空ひばりさんらを専属歌手として抱えた話はつとに知られる。近年も、大物演歌歌手が

組長とゴルフコンペに参加していたことなど、黒い交際が取り沙汰されている。

放送局に責任は全くなかったと言い切れるだろうか。

島田さんが出演していたレギュラー番組は6本。民放各社は内容の差し替えや、

番組の打ち切りを検討するなどしている。だが一番の被害者は、後味の悪い不始末に

付き合わされた視聴者である。人気者に頼った番組作りに傾斜するあまり、見て見ぬ

ふりをしていたとすれば問題だ。疑わしいことがあれば起用しないなど、健全な土壌

づくりが求められよう。芸能界の自浄作用にもつながる。

 

暴力団対策法施行から来年で20年を迎える。警察は暴力団の資金源を中心に

取り締まりを強め、企業や行政も足並みをそろえる。さらに全都道府県が暴力団排除

条例を制定した。今年4月に施行された広島県の場合、暴力団への利益供与は

公安委員会による調査・勧告の対象となり、従わなければ「暴力団員等」として

公表されるとの内容だ。社会全体が暴力団につけ込まれる隙を与えず、完全な

排除に向けて結束していく。そうした機運をいっそう高めていかなければならない。

島田さんが会見で語らなかったことも多そうだ。直接の弁明が無理なら、吉本興業

側が調査と説明を尽くすべきだ。それが裏社会との関係断絶の出発点となる。


これは新聞の社説としてはまあ妥当なところで,別に文句を言うつもりはない。

ただ,記事を書いた新聞記者もこの問題の「本音」の部分は意識していると見える。

それが,下から2行目の「直接の弁明が無理なら」という言葉に表れている。

 

この問題に関して,自分を含めて世間の多くの人は,「割り切れない気持ち」を

持っていると思う。その気持ちの正体を,これから言葉にしてみたい。

 

結論を言おう。あなたや私の「割り切れない気持ち」の正体とは,言葉を変えて言えば

だれも悪くないんだが(結果だけが悪い)」という気持ちだと思う。

 

上の新聞記事が言おうとしているのは,

 

「暴力団は存在自体が悪だ。だから一切の関係を絶つべきだ。」

 

ということではない。

 

マクロ的に言うなら,こういうことだ。

 

暴力団と犯罪が密接に関係していることは子供でも知っている。しかし,いかに警察でも,

ある人が「暴力団員だ」という理由だけで逮捕することはできない。暴力団が悪である

ためには,具体的な犯罪行為(の立証)が必要になる。今回の「黒い交際」については,

今のところ,その交際にまつわる具体的な違法行為は報告されていない。せいぜい

紳助が吉本のチケット購入の際に暴力団員に前列の席を確保してやったという程度の,

公務員でもやりそうな軽い便宜供与にすぎない。

 

つまり暴力団は,少なくとも法的には,「麻薬」のようなものではない。麻薬は所持する

だけで違法だが,暴力団員と交際することはそれ自体が違法なわけではない。

言い換えれば,たとえ暴力団員といえども基本的な人権はあるわけで,「暴力団員は

存在自体が悪だ(この世からいなくなればいい)」と思うのは自由だが,それを理由に

一人一人の暴力団員の社会的権利をふみにじることは,法治国家では許されない。

「では,暴力団とつき合うことに非は全くないのか?」と問われるなら,その答えはノーだ。

上の新聞記事の主張は,その点にある。

 

わかりやすく言えば,社会から暴力団の影響力を排除するために社会の成員に求め

られるのは,「暴力団への兵糧攻めに協力する」ということだ。え?わかんない?

兵糧攻めというのは,敵の兵士への食糧供給のルートを止めて,敵兵を弱らせて

おいてから攻め込もう,という作戦のことですね。敵を暴力団とみなすなら,資金源を

絶つこと(たとえば用心棒代を払わないこと)がそれに当たるが,それだけではない。

暴力団が社会活動の中に見え隠れするという状況自体をなくせば,言い換えれば

「今どき暴力団なんて流行らない」という気分を社会全体が持つようになれば,それだけ

暴力団の排除がスムーズになるはずだ,という思想がそこにある。それは間違っていない。

紳助の行為はその協力体制にヒビを入れたという点で非がある。それはその通りだ。

 

それだけで片がつくのなら誰も「もやっとした気持ち」は持たないだろうが,実際は違う。

その理由は,ミクロ的には多くの人が彼の行動や言動に共感しているからだと思う。

このへんは,暴言を吐いていったん首になり復活して甲子園に出場した島根県の

某高校の野球部監督の一件にも似た構図がある。

 

自分が島田紳助だったら,どんな行動を取っただろうか?と想像してみればいい。


上の新聞の社説では「状況認識が甘いというほかない」と論評しているが,マクロ的

(第三者的)にはそうであったとしても,ミクロ的には(紳助本人の個人的な思いは)

そうではないだろう。暴力団員と多少でもかかわりを持つことで自分が何らかの

リスクを背負うことは,芸能人でなくても容易に想像できる。そのリスクを覚悟の上で

彼は「恩義」なり「友情」なりを今まで優先してきたののだろうと思う。そのリスクが

現実のものとなったとき,「自分の不始末の責任を自分で取った」というのことだ。

つまり彼と暴力団員との交際は,「状況認識が甘かった」のではなく,「状況を認識

した上で,自分の義を貫く判断をした」のだと思う。そして彼は実際に引退という形で,

最後まで自分の行動に責任を取った。さらに引退発表の直後,交際していた暴力

団員(渡辺二郎)に「交際を後悔してはいない」という趣旨の連絡をしたという。その

行動も,また「自分はセーフだと思った」という発言も,彼の立場で考えれば当然だ。

「自分が甘かった」と認めてしまったら,自分の「義」を否定することになるからだ。

引退宣言については,当然会社からの強い圧力があっただろう。芸能界に残り

たければ吉本から独立する手もあるだろうが,それでは育ててくれた会社に対して

恩を仇で返すことになる。だから彼は「引退する」ことで自分の筋を通したことになる。

そうした彼の一連の行動のどこにも矛盾はなく,少なくとも個人レベルでは,自分にも

他人にも恥じるところはない。そこのところを理解できるからこそ,たとえ社会的には

ある種の責任を果たすのを怠ったとして非難されるべき点が紳助にあったにせよ,

おそらく多くの人は「割り切れない気持ち」を感じているのではないかと思う。

最初に挙げた新聞の社説で「(本人の)直接の弁明が無理なら吉本興業側が

調査と説明を尽くすべきだ」と書いているのも,「自分なりに責任を取った本人を

これ以上責めるのは酷だ」という思いを,やんわりと表現したのだと思う。

 

以上のことから,この件に関してぼくは,関係者たちに対して次のように感じている。

 

●行動や言動には,(今のところ)ミクロ(個人)的には共感できる。

●交際相手の暴力団員にも,(今のところ具体的な犯罪事実は出ていないので)

  特にネガティブな感情は持っていない(個人的な交際でしかないと思う)。

●紳助を(おそらくは本人の意に反して)引退に追い込んだ会社側も,また

 彼の「不始末」を非難するマスコミも,それぞれの立場としては当然だと思う。

 

したがって,「誰も悪くない」。しかし結果として島田紳助という有能な芸人が

いなくなってしまったことは(別に彼のファンではないが)残念に思う。

 

自分を含めて多くの人が感じているであろう「割り切れない思い」の正体を,以上の

ように説明してみたのだが,これを読んだ皆さんはどう思われるだろうか?

 

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