日記帳(2012年7月1日)

 

 

きのうの土曜日(6月30日)は,朝からずっと「週刊 日本の魚釣り」の原稿書き。

それでも全く終わらず,日曜日というのに今日も朝からその続きで,ようやくさっき

書き上げてデータを送った。時計は午後3時前。今は今年一番いいうくらい仕事が

詰まっていて,この後もパソコンに向かわないといけないが,ちょっと休憩。

 

鞆の浦の架橋問題は予想通りの決着を見たが,これに対する新聞の論評が

興味深いものだった。まず,地元・中国新聞の社説(6月23日)を見てみよう。

 

30年という歳月はあまりに長く、重い。これ以上、時間を空費させてはなるまい。

湯崎英彦広島県知事は、1983年に原案を策定した福山市鞆町の鞆港埋め立て・

架橋計画を撤回する方針を固めた。景観への影響が少ない山側トンネルの整備を

推進するという。生活を重視する架橋推進派と、景観保全を求める反対派。双方の

対話を促しながら、解決の糸口を探るためには現実的な判断といえるのではないか。
知事は25日、羽田皓福山市長に計画の撤回を伝える構えだ。市長は「方針の伝達

だけなら会う必要はない」「30年の経過を踏まえていない」と、強い不快感を示している。

市民の期待を背負うトップとしての複雑な心境は理解できる。だが結論をさらに先送り

すれば、しわ寄せをこうむるのは地元住民となってしまう。

埋め立て・架橋計画の賛否をめぐり、この町は対立の構図ばかりが取り沙汰されてきた。

訴訟に発展するまで事態は硬直化し、そのため町への投資が遅れたとの見方もある。

下水道整備や高潮対策など、暮らしの課題が放置されてきた。対立から脱却する

ために、知事と市長にはいっそうのリーダーシップが求められよう。

30年かかって見えてきたこともある。2004年に景観法が制定され、景観は生活の

一部という認識が定着していく。環境保全への社会的関心も大いに高まった。開発が

地域を豊かにするとは限らず、一度損なったものは取り戻せない―。そんな考え方も

広がってきたといえそうだ。
景観や歴史的価値の重みを再評価すべきだという指摘は、国内外の専門家たちから

根強く出されていた。09年には広島地裁が「鞆の浦の景観は国民の財産というべき

公益」として、埋め立てを許可しないよう知事に求める判決を出した。これらの動きに

よって、わが町の魅力を見つめ直した福山市民も少なくないはずだ。

そのような観点からも、県は自らの姿勢を省みなくてはならない。多様な選択肢を

示すことなく、推進一辺倒で突き進んできた。一度決めてしまったことを見直す努力を

怠り、住民の対立を解きほぐすことなく前に進めようとしたことで、かえって反発や

混乱を拡大させた責任は重い。
地元からは「トンネルだと車が町を素通りして活気を呼べない」など、反発の声が

上がっているという。知事が自ら方針転換の意図を丁寧に伝え、住民の疑問に

一つ一つ答えていくしかないだろう。この30年で、鞆地区の人口は約9千人から

半減した。高齢化率も40%を超える。「待ったなし」の状態であることは言うまでもない。
全県民に向けても十分な説明を求めたい。経済が右肩上がりだった時代は終わり、

公共事業に対する世間のまなざしはよりシビアである。費用対効果も含め、県民が

納得できる具体的な工程を提示すべきである。住民が安心して暮らせる町づくりを、

どんな手法でかなえていくか。町の魅力をどう引き出し、伝えていくか。一日も早く

新たなスタートラインに立ち、町の再生に向けて将来像を描き直すときである。

 

これを読んで思ったことは,「自分が湯崎知事だったら,この記事を読んで落胆

しただろうなあ」ということだ。上の記事は,知事がこの問題に関して成し遂げた

重要な業績を理解していない(もしかしたら他の記事にはあったのかもしれないが,

少なくとも上の記事にはそのことは出てこない)。

 

 

次の記事は,福岡県をベースとする西日本新聞の社説(6月28日)だ。

 

万葉集にも詠まれる広島県福山市の鞆(とも)の浦は、瀬戸内海に面した景勝地だ。

アニメ映画「崖の上のポニョ」の舞台とされ、宮崎駿監督が2カ月滞在して構想を

練った場所でもある。その鞆の浦の埋め立て架橋事業をめぐり、反対派住民らが

計画阻止のため起こした訴訟で、広島地裁が公共事業にストップをかける判断を

下したのは2009年10月のことだった。鞆の浦の景観を歴史的、文化的に価値が

ある「国民の財産」と評価して住民の景観利益を認めた画期的な判決である。

広島県は判決を不服として控訴した。

あれから約2年8カ月、県が大きな決断をした。湯崎英彦知事は、現行計画を

撤回して景観への影響が小さい山側にトンネルを整備する、という。知事は

「埋め立て架橋では景観を元に戻すことが不可能になる。トンネルは生活の

利便性と景観保全を両立でき、住民ニーズを最もバランス良く満たす」と説明する。

一審判決が計画撤回にかじをきるきっかけとなったことは間違いなかろう。
公共工事はとかく「一度決めたら止まらない」といわれる。県が当初方針に

こだわらず、反対派と推進派双方の接点を探りながら、現実的な対応をした

点は評価したい。中でも注目したいのは、県の控訴後に就任した湯崎知事が

「住民ニーズを探りたい」として推進派と反対派の住民による協議会を10年5月に

設置し、双方の意見を聞きながら判断に至った点だ。協議会は今年1月までに

計19回開かれた。県が架橋案のほか、地区中心部を迂回(うかい)する山側

トンネルや海底トンネルなど計5案を示し、住民意見を集約した。

そして導き出されたのが、中心部の混雑解消を図る道路整備と、景観保全との

両立を望む点では共通する、との結論だった。住民の願いをかなえるために

選んだのが山側トンネル案である。鞆の浦地区は車の離合が困難なほど道路が

狭く、高齢化や人口減も進む。地域活性化を目指して県が架橋計画を発表したのは、

約30年前のことだ。この間、地元では賛否をめぐる対立が続き、結果的に

下水道や防災など生活インフラ整備が遅れた。架橋建設を求める声は、

福山市をはじめ住民の間には根強く残る。
景観論争では、どうしても開発か保全かの二項対立に陥りがちである。

本当は両方の声を生かす道を探ることこそが、重要だ。その責務を背負うのが、

行政機関の本来の役割だろう。それだけに、県が計画当初段階から景観を保ち

ながら利便性を高める努力をしていれば、事はここまでこじれなかったのではないか、

との思いを強くする。広島県だけの問題ではない。05年の景観法施行後、九州

各地でも街の風情や自然景観を守る動きが高まっている。多様な選択肢を示し、

見直すべきは見直す。今回の事例は、他の自治体にとっても大いに参考になる

はずである。 =2012/06/28付 西日本新聞朝刊=

この記事は,今回の経緯を上手にまとめていると思う。特に赤字の部分だ。

ここが今回の一連の流れの中での最大のポイントであり,ぼく自身も湯崎知事の

対応を評価する部分だ。知事の論理を要約すると,次のようになる。

 

@多くの住民は,「道路整備」と「景観保全」の両方を求めている。

A山側トンネルはその両方のニーズを満たす。

  (一方,埋め立ては片方のニーズしか満たさない)

Bよって,山側トンネル案がベストの選択である。

 

非常にシンプルな三段論法であり,真っ当な議論とはこういうものだ,と感心する。

一方,中国新聞に書かれていた「町の人々」の声は,(多様な意見を反映するという

新聞の性格上やむを得ない面はあるが)「住民の意思を無視している」とか,果ては

「架橋もトンネルもいらない。別のもっと大事なことにお金を回してほしい」などという

無茶苦茶な(言っている本人が,ではないよ。新聞の選択がだ)ものまで並んでいる。

地域住民の意見ですべてを決めるのなら知事の認可など必要ないわけで,制度的に

知事が認めないと工事ができないシステムになっているのは,大局的な見地(今回の

場合は景観保全)からの判断は地元だけではできないからだという理由がある。

ちょうど普天間基地の構図と同じだ。だから,今回の決定を批判する人が責める

べきは湯崎知事本人ではなく,そのシステム自体でなければならない。つまり

「知事の判断よりも地元の意向を優先すべきだ」という,究極の地方自治モデルを

作れば問題は解決する。それに賛成する人がどれだけいるかは別問題だが。

 

第三者的に言えば,長い目で見れば鞆町住民にとってもこれでよかったんじゃ

ないか,という気がする。もしここで埋め立てを強行していたら,鞆町そのものが

長良川や諫早湾と同列の汚名を背負わされてしまう可能性がある。

今回の決定は住民以外にはおおむね好意的に受け止められており,「公共工事を

途中でストップした先駆」として将来社会科の教科書に載るかもしれない。

当然,今回の決定のニュースによって観光客の増加も期待できるだろう。

利便性の面では多少マイナスかもしれないが,代わりに「名誉」を得たと思えば

いいんじゃないでしょうか。地元の人間ではないので無責任かもしれませんが。

 

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