日記帳(2012年7月22日)

 

 

今は同時並行で10本近く仕事をこなしていて,この土・日もずっと仕事。

1本1万円とか2万5千円とかのちまちました仕事が多く,締め切りに追われながら

次から次へ原稿を書く毎日が続いている。節電のために室温を28度に設定する

ような精神的な余裕はない。実家の半分寝たきりのおばあちゃんの部屋も,

22〜24度くらいに設定している。去年夜中にエアコンが止まって大汗をかき,

脱水症状になって入院したので,今年は寒いくらいの温度をキープしている。

「一人一人がエネルギーを節約すれば原発もいらなくなる」と口で言うのは

簡単だが,実際にやるのはそれほど簡単でもない。

 

仕事の合間に,どうしても書いておきたいのでこれを。

 

 

大津市のいじめ自殺事件について思うこと

 

この種の事件は個別に事情が違うので一般論を語ることはできないけれど,

今回の件で真っ先に思ったのは,「親は何をやっとったんじゃ?」ということだ。

わが子を亡くした傷心の親を責めるようなことはしたくないが,報道によれば

自殺した少年は「学校へ行きたくない」と親にも語っていたという。その信号を

親が真剣に受け止めて適切な手を打てば,自殺は防げたような気がする。

親は「学校に相談した」と言うかもしれないが,子ども本人がどの程度の深刻な

ダメージを受けているか,またその子が最悪自殺もしかねない性格であるか

どうかなどは,親が日ごろから子どもを見ていればおよそ想像できるはずだ。

加害者の生徒たちも今はおそらくは針のむしろ状態だろうが,そういう周囲

からの「人殺し!」的なバッシングによって加害者の方が精神を病んで自殺した,

という話は今までに聞いたことがない。つまり,同程度の精神的プレッシャーを

受けても,自殺まで至る性格の人間と,そうではない人間とがいるということだ。

親はそこを見抜かなければならない。

 

うちの子も,中学から高校にかけて一時期不登校になりかけたことがあった。

学校という閉ざされた空間では,人間関係のバランスは崩れやすい。

うちは基本的には放任主義だが,このときは「親(それも父親)が出て行かんと

問題は解決しそうにない」と思った。学校へ行き,担任の先生と話し合った。

うちの子にとって幸いだったのは,心を許した友達がクラスに1人いたことだ。

まもなく学年が変わる時期だったので,先生に次の2つのことを頼んだ。

「新学年でもその親しい友人と同じクラスにしてやってほしい」

「新学年でもその先生のクラスに入れてやってほしい」

2つめは,話をしていて「この先生なら任せられる」と思ったからだ。

結果,わが子は曲がりなりにも無事に学校へ通い,卒業することができた。

その友人と担任の先生がいなかったら,下手をすると自殺することもありえた。

当時,やたら自殺願望を口にしていたからだ。もっとも,その後もいろんな経験を

積んだせいで,今では「オマエはどこのオバサンじゃ」というくらい肝が座っていて,

自分にはもう怖いものはない,とまで言う始末だ。それはそれで困ったもんだが。

 

うちの子の過去と現在の状態は,「学校(小学校〜高校)」というものの役割に

ついての1つの示唆を与えてくれる。

 

ぼくはこう思う。学校の基本的な役割は,「シェルター」あるいは「鳥かご」のような

ものであるべきだ。それ以上のことは必要ない。言い換えれば,学校へ入る前と

学校を出るときとを比べて,生徒に何かが「プラス」されていることは必須ではない。

大切なことは「マイナスになってはいけない」ということだけであり,プラスマイナスが

ゼロでも全然かまわない。生きるために本当に必要なことは,社会が教えてくれる。

学校はただ,未熟な子どもを「守る」場所でありさえすればいい。

 

もう少し具体的に言うと,学校が「やってはいけない」基本的なことは次の3つだ。

@子どもの体に(後が残るような)傷をつけること

A子どもの履歴に「犯罪歴」を加えること

B子どもを学校から中退させること

 

@については,体育の授業で足を捻挫したくらいのことは仕方がないが,首の

骨を傷めて後遺症が残ったなどというのは許されない。自校の生徒が自殺する

というのは当然アウトだ。「体の傷じゃなくて心の傷はどうなんだ」と言われれば,

ABの条件を満たす限り「心の傷」はそんなに心配しなくていい。その傷は

長い目で見れば本人の成長の糧になってくれるだろう。

Aを言い換えれば,「警察沙汰になるような事件を子どもに起こさせてはいけない」

ということだ。逆に言えば,警察沙汰にならない程度の「事件」は,起こらないに

越したことはないが,子どもにとって致命的な傷にはならないだろう。

Bは,大検制度があるので高校を中退しても大学に入れば問題ないが,高校を

ドロップアウトして中卒の資格しか持たない若者を社会に送り出すことは,学校が

やってはいけないことだ。中卒でまともな仕事につくのは難しいからだ。

 

以上の3点が「学校がやってはいけないこと」であり,逆に言えば学校は,この3点

さえ守ってくれれば,それ以上のことはしてもしなくてもかまわない。かつて学校の

生徒であり教師でもあった立場から言わせてもらえば,少なくとも自分の経験に

照らして言えば,子どもが学校で身につけることなどたかが知れている。

学力?仕事に必要なことは,放っておいても自分で勉強するだろう。

集団への適応力?社交性?道徳?そんなものは実社会が教えてくれる。

生きる力?ふざけんな,って感じ。

「教育」を社会の重要課題だと考える人が世の中には大勢いるが,ぼくは全くそうは

思わない。子どもは大人の鏡であり,大人がやらないことは子どももやらない。

逆に,大人がやることは子どももやる。「子どもが未来の社会を変えてくれる」と

いうのはただの幻想だ。大人が変わらない限り,子どもも変わりはしない。

 

ただ,鳥かごを出て外の世界に足を踏み入れた瞬間に猛獣に食われないための

最低限の知識は,学校で教えておくべきだろう。たとえば次のようなものだ。

・詐欺商法の手口

・新興宗教や思想団体の勧誘の手口

・連帯保証の意味

・自己啓発セミナーの危険性

・意外と知られていない違法行為(ネットの著作権など)

 

こういったことは社会に出れば自然に身につくが,「知らなかったから騙されました」で

致命的な傷(特に金銭面で)を負わないように,基礎知識を身につけさせてから生徒を

社会へ送り出すことが,今日の学校には求められていると思う。

 

話を本筋に戻すと,今回の事件が公になったとき,野田総理が談話を発表した。

「いじめは卑劣な行為だ。いじめを見つけた人は放置せず,先生に知らせてほしい」と

いうような,穏当な内容だった。その日の新聞には「いじめを根絶するために」という

タイトルの社説が載っていたが,「いじめの根絶」などできるわけがない。大人の社会を

見ればわかるだろう。ちなみにセクハラはsexual harassmentという英語がもとになった

言葉だが,英語にはパワハラ(power harassment)という言葉はない。パワハラを英訳

すれば,office bullying(職場でのいじめ)とでもなるだろう。つまり,日本の社会全体が,

いじめの発生しやすい環境にあるいるということだ。

 

では,根絶とまでは言わないまでも,自殺者が出るような強度のいじめを防ぐために

どんな手を打てばいいのか?前に雑記帳にも似たようなことを書いただが…

 

絵本 地獄」という,ずいぶん昔に出版された本が今ブームになっているという。

子どものしつけに使うためだ。きっかけとなったのは,今をときめくマンガ家・東村

アキコが,自らのファンキーな子育てを描いたコミック「ママはテンパリスト」の中で,

「言うことを聞かないと地獄に落ちるよ」とわが子にその絵本を見せたら,それ以来

子どもがおとなしくなったというエピソードである。

 

「いじめ防止教育」の基本も,これと同じでいいと思う。子どもらに「地獄」を見せて

やればいいのだ。いじめによって同級生を自殺に追い込んだ子,あるいはそれを

見ても放置していた子たちが,いじめ自殺事件のあとでどうなったのかという話を

ドキュメンタリーとして聞かせてやれば,大半の子どもは「自分はそうなりたくない」

と感じるはずだ。要するに一般の生徒に対しては,

(A)先生にチクって自分もいじめのターゲットにされるリスク

(B)先生にチクらないでいじめられた子が自殺したときに自分にふりかかるリスク

これを天秤にかけたとき,A<Bとなるような心理に追い込んでやれば,いやでも

「先生にチクる」道を選ぶ子が増えるだろう。やっていることは悪徳商法と本質的に

変わらないかもしれないが,結果が望ましいものになれば許されるだろう。

 

 

今日は時間がもうないので書かないが,プロ野球選手会がWBCへの不参加を

表明した判断には賛成したい。交渉戦略として当然だ。最終的には出場する

ことになるだろうし,「あのとき不参加を表明してよかった」という結果に落ち着く

公算が強いと予想している。

 

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