日記帳(2012年9月17日)

 

 

この週末は潮も大きいし,ゆっくり釣りをする時間があったら蒲刈へ行きたかったが,

仕事の都合と台風が接近中のため行けなかった。

 

今日は仕事が一段落したので日記を。今回は「プロ野球のWBC参加問題」について。

 

簡単に経緯をまとめると,日本が2連覇中の国際野球大会(ワールド・ベースボール・

クラシック)が来年の春にアメリカで開かれるが,日本のプロ野球選手会がこれに

不参加を表明した。今年の7月のことだ。主な理由は,日本に回る収益配分率の

引き上げと,日本企業へのスポンサー権の譲渡だった(以前から主催者側のMLB

(米国メジャーリーグ)に要望していたが,ゼロ回答だったため不参加の方針を決めた)。

MLB(大会運営会社はWBCI)との日本側の交渉窓口はNPB(日本野球機構)で,

週刊誌報道によると実質的にNPBを仕切っているのは読売新聞社と電通だという。

 

その後いろんな経緯を経て結局選手会は参加を決めたが,全く予想通りの結果だった。

選手会の行動は合理的だったと思うし,結果的に収益配分の比率は変わらなかったが,

スポンサー権についてはMLBから譲歩を引き出した。つまり「ゴネた甲斐があった」と

いうことだ。この結果は,たぶん選手会の筋書きどおりだ。彼らはこう考えたのだろう。

 

「NPBは所詮あやつり人形であって,WBCIと交渉しようなどという気は最初からない。

しかし窓口がNPBになっている以上,選手会とMLBが直接交渉することはできない。

それならNPBをメッセンジャーとして使い,実質的に選手会の要望がMLBに伝わる

ように仕向ければいい。WBCIも,それでなくてもアメリカ国内では全然盛り上がっていない

大会に,ディフェンディングチャンピオンが不参加となれば収益に大きな影響が出ると

考えるだろう。だから,ビジネスの観点から最後は必ず一定の譲歩をしてくるはずだ。」

 

この推測が正しいかどうかはわからないが,選手会が不参加を決めたとき,直感的にこう

思った。そして結果はそのとおりになった。MLBは当初「これは選手会とNPBの内輪もめ

だから,両者の意見を統一してほしい」と主張していた。窓口はNPBなのだから,「意見を

統一する」とはつまり,「NPBが選手会を説得する」ということだ。しかし実際は,NPBは

選手会の説得に失敗した。選手会側は当然それも織り込み済みだっただろう。NPBは

結局「オーナー側」であり,「選手会VSオーナー側」の力関係は,あのとき完全に決して

しまっているからだ。

 

「あのとき」とは,東北で震災があった去年の3月のことだ。NPBは(収益を優先して)

予定通りプロ野球を開幕させるつもりだったが,選手会が猛反対して,結局開幕は

1か月程度遅らせることになった。このときの世論調査では,ほとんどの人が選手会を

支持した。オーナー側(とりわけその中心にいた某球団のドン)の傲慢な態度にファンが

怒ったからだ。今回のケースでも,アンケートでは6割以上の人が選手会の不参加の

表明を支持しており,その最も多かった理由は「MLBの金儲けに付き合ってやる義理は

ない」という趣旨の意見だった。

 

要するに現状は,多くの人が「選手会=善」「NPB(オーナー側)=悪」というイメージを

たぶん持っている。あるいは,「選手会=従業員」「NPB=経営者」という構図かも

しれない。景気が良かった頃は,従業員と経営者の仲はそれほど険悪ではない

こともあっただろう。しかし今多くの人々は,リストラや低賃金や過酷な労働条件に

苦しんでおり,自分が勤める会社の経営者を「人件費を削ることしか頭にない悪者」の

ように見ているかもしれない。また,貧富の差が広がるについて,「金持ち」を見る目も

変わってくる。世の中全体に余裕があれば,「自分も頑張ってあんな金持ちになりたい」

と思うかもしれない人が,今のご時世では「あいつばっかり金を儲けやがって」という

妬みを優先させるかもしれない。そういう「社会の空気」が,選手会に対する一種の

「判官びいき」としてアンケートの結果に現れているような気がする。だから現在の

力関係は完全に「選手会>オーナー側」である。選手会を怒らせることはファンを

怒らせることだと(震災のときに)悟らされたオーナー側は,もはや選手会の言い分を

聞く以外の選択肢を持っていない。日本プロ野球選手会は,今の日本で最強の

労働組合だと言っても過言ではないだろう

 

さらに言えば,NPBには交渉能力というものが全くない(と思う)。それは一部の

有力者の「鶴の一声」で物事が決まるシステムのため,実務担当者(たとえば弁護士)

の裁量の余地が限定されているからだろう。選手会も野球選手の集まりだから

難しい話は苦手だろうが,逆に事務局長や弁護士に交渉の権限を「丸投げ」する

ことによって,結果的に筋の通った主張ができる。一週間ほど前のスポーツ新聞に,

WBCへの参加を表明した新井選手会長(阪神)の次のようなコメントが載っていた。

 

新井会長は会見の最後に「加藤コミッショナーの発言は非常に残念でなりません」

と話した。同コミッショナーは以前に「復興支援の意味でも,WBC出場を求めている

人がたくさんいる。それを含めて決定をするべき」と発言。新井会長は「トップとして

イニシアチブを取って,MLBと交渉しなければならない。その機能を果たしていない

のに,『野球界のために出るべき』とか。そういう発言は全くの筋違い」と指摘した。

 

この言葉はたぶん新井本人が考えたのではなく弁護士からレクチャーされたのだ

ろうが,この意見に賛成だ(「正しい」とは言わない。何が正義かは人によって違う)。

コミッショナーの仕事が「自分の言いたいことを言い散らかしてそれで終わり」という

ものでない限り,上のコミッショナーの発言は,自分に当事者意識がない,あるいは

問題解決能力がないことを自ら認めたに等しい。選手会とMLB(の代理人たち)の

板ばさみになって,何も出来ずに苦し紛れの「正論」に頼るしかない無能で哀れな

老人たちの姿が目に浮かぶようだ。

 

ついでに,このスポーツ紙(デイリースポーツ)に掲載された「記者の目」という記事も

紹介しておこう。

 

WBC出場問題とは何だったのか―。選手会の松原徹事務局長は「条件闘争では

ない」と主張したが,振り返ってみて,その印象しか残らない。

確かに前回大会から約2年,何の動きも見せなかったNPBの姿勢に騒動の一因は

ある。ただ,「侍ジャパン」の常設から独自スポンサー獲得での収益増を目指す,

新たなプロジェクトの中で「不参加宣言」が大きな損失を生んだのも事実だ。

軌道に乗るまで,WBC出場を前提にしていかなければいけない中で,得られるはずの

スポンサー収入は日ごと減っていった。侍資金はアマ球界にも還元され,選手自身の

年金資金にも運用されるものであるのに…だ。

そうしたイメージがつきまとい,どんな言葉も色を失った。未来の野球界のためと

言うならば,せめて3連覇の偉業で活気を与えてほしい。

 

この記事には賛成しないし,新井発言の場合とは逆に「正しくない」と言ってもいい。

ロジックが破綻しているからだ。

 

ポイントは「条件闘争」という言葉にある。ここで使われているこの言葉の実質的な

意味は,たぶん次の2つだ。

(A) 金銭的利益を追求する闘争

(B) 上記のうち,個人の金銭的利益を追求する闘争

(A)は広い意味での条件闘争,(B)は狭い意味での(利己的な)条件闘争である。

松原事務局長の意図は,おそらく「(B)の意味での条件闘争ではない」ということだ。

つまり,「我々の行動は,たとえ金銭面での有利を得ようとする(=(A)の意味での

条件闘争であったとしても,それは野球界全体の利益を考えた上でのことだ」という

のが選手会側の言い分だ。それに対してデイリーの記者は,上の記事の2行目で

「振り返ってみて,その印象しか残らない」と言っている。これを易しく言い換えれば,

記者は「選手会の行動は,(B)の意味での条件闘争だったという印象しか残らない」

と言いたいのだと想像できる。要するに記者が言おうとしているのは「選手会は

きれいごとを言っているが,結局は自分の利益のための行動だろう」ということだ。

 

ところがこの記者は,記事の後半でこう述べている。

侍資金はアマ球界にも還元され,選手自身の年金資金にも運用されるものである

のに…だ

これを解説すれば,「選手会の判断は,自分たちが得られるはずの利益を失うという

結果を生んでいる」と記者は主張していることになる。もしそれが事実だとすると,

記者の主張には矛盾がある。彼はこう言っているわけだ。

 

@選手会は(B)の[=利己的な]条件闘争をしているように見える。

A選手会は自己の利益の追求に失敗している。

 

この2つは両立しない。なぜなら,もしAが事実なら,@の結論は出てこないはずだからだ。

普通に考えれば,Aが事実なら,そこから導かれる結論は「だから選手会が行ったのは

利己的な条件闘争ではないように見える」だろう。ではどんな条件闘争か?それは当然,

「利己的ではない(日本の野球界全体のことを考えた)条件闘争」ということになる。

 

なお,「選手会は利己的な条件闘争を試みたのだが失敗した」という説明も成り立たない。

彼らは「日本企業へのスポンサー権の譲渡」を自らの((A)の意味での条件闘争の)成果と

して参加を決定した。その「成果」は,個々の選手の利益には全く関係ない。その意味で,

「選手会は自己の利益の追求に失敗している」というのは事実としては正しい。そして

それは,彼らの条件闘争が利己的なものではなかったことの立派な証拠になりうる。

 

記者は最後に「そうしたイメージがつきまとい,どんな言葉も色を失った」と書いているが,

この「そうしたイメージ」というのも「利己的な条件闘争というイメージ」という意味だ。

選手会がその闘争に成功して個々の選手の取り分を増やしたのなら,この言葉には

説得力がある。しかし実際は今回の選手会の判断は,結果的に個々の選手の利益を

増やしたわけではないのだから,そもそも「利己的な条件闘争」というイメージを持つこと

自体がどうかしている(補足して言えば,選手会の主張の一つであった「日本側への収益

配分率のアップ」は,もし実現すれば増額分が「侍資金」に組み込まれてアマ球界にも

還元されるはずだ。いずれにしても,選手たちの側に「ギャラが安い」という不満がある

わけではない)。

 

以上のとおりデイリーの記者が言う「イメージ」は,根拠のないただの妄想にすぎない。

妄想をベースにして何かを主張しても,そんな言葉はすべて「色を失う」だけだろう。

 

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