日記帳(2013年2月17日)

 

 

また仕事が忙しくなってきて,この週末は釣りに行く時間もなし。

日記を書くくらいの時間はあるだけ去年より多少余裕はあるが,

平日も休日も同じペースで仕事をするのは精神的にきつい。

日曜日の行動の優先順位は,「半日以上時間が取れれば釣り」

「3時間くらい空いていれば映画」「その時間もなければ本屋」。

今日はこの日記を軽く書いて,本屋でしばらく時間をつぶす。

 

パソコンの遠隔操作事件で容疑者が逮捕されたというニュースが

数日前の新聞の一面に載った。容疑者の顔写真が写っていたが,

本人は犯行を否定しているという。それなら真犯人ではないかも

しれない。単なる容疑者の時点で顔写真まで出してええん?

もし間違いじゃったら,遠隔操作の被害者のときと同じ間違いを

くり返すことになるじゃろうに,と普通の人は考えると思うが。

 

きのうの新聞に,大阪で小学生が遺書を残して自殺したという

ニュースが載っていた。自分の命と引き替えに,自校が廃校に

なるのを阻止しようとした,というのが動機のようだ。

この事件の記事を読んだ感想を少々。

まず,「悲しい事件だ」と思う。次に,「それ以上詮索すべきではない

という感想を持つ。つまり,こういうことだ。

自殺した小学生の心情は理解できる。評論家的な言い方をすれば,

本人の「ヒーロー願望」が好ましくない形で現実になったということだ。

「早すぎた中2病」と言ってもいいのかもしれない。

もちろん本人を責めることはできない。

うちの娘はこの小学生を「立派だ」と言っていたが,そういう見方も

あるだろう。しかし残された人たちに悲しみを与えたという点では,

本人が大人だったら「無責任だ」と批判する人もいるだろう。

現実は子どもなんだから,そんな理由で本人を責めるのは酷だ。

「不幸な事件だった」と言うしかない。

同時に,周囲の人たちも責められない。

まさかそんな理由で小学生が自殺するとは誰も思わない。

本人なりに悩んではいただろうが,事前に自殺の徴候を見せて

しまったら自分の行為の価値が下がってしまう。それくらいのことは

小学生でも考えるだろう。「いきなり死ぬのがカッコいい」と思ったに

違いない。だから周囲が気づかなかったのも無理はない。

もちろん,学校の統廃合を決めた行政の側にも責任はない。

「死をもって訴えたその子の気持ちを尊重して,その学校を廃校に

するのを中止すべきだ」と主張する人はいないと思うが,それは愚かだ。

そんなことをしたら,「自分が死んだらみんなの役に立てる」と考えて

全国で後追い自殺をする子どもが続出しかねない。

結局この事件は,「誰にも責任はないが,悲しい結果を生んだ」と

総括するしかない性格のものだ。

 

ロシアに隕石が落ちて多数の負傷者が出たが,誰も「隕石が悪い」

とは言わない。世の中の多くの不幸は,誰のせいでもなく起こる

その不幸をどう受け止めるかは人それぞれだろうが,結局最後には

「仕方がないことだった」と自分を納得させるしかない

そういう「諦観」の積み重ねがその人の社会性を育む,つまり性格が

だんだん丸くなることにつながるんじゃないだろうか。それを拒んで

誰かに責任を取らせようという発想から抜け出せない人も,世の中

には少なからずいるようだが。

 

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