日記帳(2013年5月12日)

 

 

ゆうべは釣った魚を美味しく食べてぐっすり眠り,今日の日曜日はゆっくり起きた。

ゴールデンウィークまで忙しかったがようやく仕事が一段落して,週末は休みが取れる。

きのう釣りから帰る車中で改めて思ったが,休みの日に没頭できる趣味があることの

有難さをしみじみと感じる。

 

今日は一日のんびり過ごす予定だが,時間があるので日記帳も更新して,最近の

話題からいくつか。

 

まず最初に個人的なことですが・・・

きのう下の娘(大学4年生)から電話があり,JA福山から就職の内定をもらったそうです。

本人はもう1つの会社(東京に本部のあるプリモジャパンというウェディング用の宝石を

売る会社)からも内定をもらっていて,どちらに決めるつもりでいますが迷っています。

迷っている理由は,ノルマがどれだけきついかということ。どこの会社へ行っても

売り上げのノルマはありますが,どなたかJA(またはプリモ)のノルマについての情報を

お持ちの方がおられましたら,メールか掲示板で教えていただけませんか?

私が聞いた限り,JAもかなりきついという話があるようですが…

 

 

失礼しました。では本題。

 

裁判員になって審理に参加した60歳台の女性がストレス障害になって国を訴えた

というニュースがあった。刺激の強い現場写真などを見せられたのが原因だという。

「お気の毒に」という気持ちと,「バカだなあこの人」という気持ちが半々の感想を持つ。

オレオレ詐欺の被害者に対して持つのとちょうど同じような感想だ。

なんでバカ正直に死刑の判断まで迫られる裁判員を引き受けたのか。理由もなく

断るとペナルティがあるから?そう思うなら,電話か窓口で尋ねればよかったのに。

担当者はたぶん「法律的にはペナルティが課せられることになっていますが,実際は

それが適用されたことは一度もありません」くらいの事実は教えてくれただろう。

子どもじゃないんだから,「裁判員があんなに大変な仕事だとは思わなかった」と

いう言い訳は通用しない。もし「騙された」と思うなら,それは騙された方が悪い。

ウシジマ君とか読んでいると,世の中にはバカな人が多いなあとつくづく思う。

頭が悪いという意味じゃなくて,英語で言う naive という意味だ。この言葉は

日本語の「ナイーブ」(繊細な)という意味とは違って,「だまされやすい,お人よしだ,

世間知らずだ」という意味を表す(ちなみにエコロジーに関するある英語の記事に,

ペットボトル入りの水を金を払って買うことの愚かさを批判した文面があり,そこに

「Evian(商標名)を逆から読むと naive(お人よし)になる」という落ちがついていた)。

「裁判員に選任されたらそれを受けるのが国民の義務だ。それは法律で決まっている。

だから自分は裁判員になる。その結果自分に不利益が生じても仕方がない」という

覚悟を持って裁判員の仕事をするのならそれでいい。しかし気軽に引き受けておいて

後から「こんなはずじゃなかった」と言うのは見苦しい。前にも書いたが,ぼくはたとえ

裁判員への召集令状が来ても,引き受けるつもりは全くない。なぜなら,そういう人が

大勢いることを想定して,定員の10倍くらいの人数に打診の通知をするという制度に

なっている(と考えて間違いない)からだ。つまり自分が断っても実質的に誰も困らない。

もし通知を受けた人の全員が同じ考えを持って誰も引き受けなかったら,おそらく

事務担当者が断った人たちに一人ずつ「すいませんが引き受けてもらえませんか」と

改めて打診してくるだろう。そうなったらその時に考えればいい。こういう現実的な

発想が自分の根っこにあり,「ルールだから守る」という意識の優先順位は低い。

逆に,たとえば先週の釣り日記に釣り場(坊地)でゴミを拾ったことを書いたが,

「ゴミを拾いなさい」という明文化されたルールはない。しかし現場の状況を見て,

「誰もやらないんだったら自分がやってあげよう」と思ったからゴミを拾ったまでだ。

繰り返し繰り返し言っていることだが,人間はルールの奴隷ではない

ルールを守るよりも大切なことは世の中にはいくらでもあるし,ある人がルールを

破ったからといってそれだけでその人を悪人呼ばわりするのはおかしいと思う。

裁判員の仕事を受けるかどうかについて言えば,「ルールを守るか,それとも

(ルールを破っても誰も困らないという前提で)自分の都合を優先するか」と

いう判断を迫られたとき,あなたはどちらを選択しますか?という話だ。

「法律で決まっているのだから自分は裁判員を引き受ける」というならそれでいい。

ただし,あなたがそちらを選択したからといって,あなたとは違う選択をした人を

責めてはいけないんじゃないのかな。

 

 

その2。世間は今,憲法修正の議論で揺れている。これについて一言二言。

 

96条の変更(発議要件を緩和して国会での賛成を3分の2から過半数にする)に

ついては,基本的に賛成する。反対派の意見は十分に理解できるが,96条の

変更は「そのときどきの国民の意思」のウエイトがより高くなることを意味する。

どのみちどんな憲法修正案であれ,国民投票で過半数の賛成を得なければ

決まらないのだから,議論の分かれるテーマはどんどん国民投票にかければいい。

その結果として,一時の熱に浮かされた国民が(反対派に言わせれば)愚かな

選択をしたとしても,それはそれでいいじゃないか。我々はそういう国民なんだから。

国民主権というのは,結局そういうことなんじゃないだろうか。

 

9条の変更については,前にも書いたが必要ないと思っている。なぜなら,9条と

日米安保条約はセットだからだ。この体制がうまくいっている限り,9条を変える

必要はない。9条を変えないと日本が外国で軍事行動を取れない?そんなことを

する必要はない。イラク戦争のときと同様に,日本の自衛隊は外国で戦争なんか

しなくていい。その結果 show the flag という国際的な(あるいはアメリカの)要求に

応じられないことのデメリットと,自衛隊が海外で軍事行動を取らないという方針を

貫くことのメリット(たとえばそれによって日本が国際テロの標的になりにくいこと)

とを比べたとき,後者の方が大きいと思うからだ。自衛隊を国防軍にするとか

いうのは日本国内だけで通用する話であり,国際社会の中で日本がどう見られて

いるかを優先すべきだと思う。実際に日本は中東やヨーロッパなどの多くの国で

好意的な印象を持たれているが,それは敗戦以降の日本人に対して世界の人々が

「彼らは勤勉で平和的な民族だ」という印象を抱いていることと無縁ではないと思う。

そのイメージを大切にする方が,経済成長の面でもプラスだろう。

 

それに関連して,日本の安全保障の議論についても感想を述べてみたい。

 

一口で言えば,「どっち側も,茶番はええ加減にせい」と思う。

 

まず,憲法改正派の言う「北朝鮮脅威論」が大ウソであることはちょっと考えれば

わかることだし,おそらく当人たちもそれがアジテーションであることは意識している。

彼らは「北朝鮮は怖いよね。だから憲法を変えなきゃ」という理屈で国民を洗脳しようと

しているだけだ。つまり彼らにとって,北朝鮮は都合のいい「道具」にすぎない。

北朝鮮が日本にミサイルを打ち込んでくるかもしれない?バカも休み休み言え。

それは自己中の発想だ。北朝鮮の立場になって物を考えてみればいい。

彼らが一番恐れているのは,自国がイラクの二の舞になることだ。

イラク戦争でのアメリカの目的は指導者・フセインの抹殺であり,そのために彼らは

「大量破壊兵器を保持している疑い」という理由をつけてイラクに侵攻した。

結果的にその疑いは事実ではなかったが,要するにアメリカは北朝鮮に対しても

「侵略のための大義名分」を探している。そんな状況で北朝鮮が日本に少しでも

軍事的な行動を仕掛けたら,アメリカは安保条約を発動し,同盟国を守るという

大義名分ができたと喜び勇んで北朝鮮を攻撃するだろう。北朝鮮もそんな想定は

自明のこととして認識している。だから彼らは絶対に日本を攻撃することはない。

憲法改正派がしばしば口にする北朝鮮脅威論の「茶番」とは,そういうことだ。

 

一方の護憲派だが,これは改正派よりもなおタチが悪い。橋下市長が最近

「護憲派ほどうさんくさいものはない」と発言した。理由は同じではないが同感だ。

彼らは日本の安全保障という問題を全くまじめに考えておらず,自分たちに都合の

悪いことにはあえて触れようとしない卑怯者だ。具体的に言えば,護憲派は基本的に

日米安保体制を否定している。安保条約があるから沖縄の基地もなくならないし,

スイスのNPT(核拡散防止条約)の会議で「核兵器の非人道性」に関する決議に

日本が賛成しなかった(できなかった)のだと考えている。しかし彼らは間違っている。

前述のとおり,9条と日米安保条約とはセットであり,仮に安保条約を破棄して

9条だけになったら,日本は外国からの攻撃に対して丸裸になってしまう。

それではさすがに困るだろう。だったらどうする?アメリカが守ってくれないのなら,

自分の身は自分で守るしかない。なら軍隊を作るのか?この問いに彼らは答えない。

要するに護憲派の主張は,「戦争はいけない」「日本は軍隊を持つべきではない」

「アメリカの核の傘の下にいてはいけない」という,自分たちの言い分をわがままに

言い募るだけでデメリットの方には何も答えない「子どもの発想」にすぎない。

 

護憲派が大人としてのまともな主張をしたいなら,最低限「日米安保体制をどう

考えるか」を示すべきだ。これを維持するというのなら,「9条を変える必要はない」

という主張には筋が通る。アメリカが守ってくれるのなら日本には自衛力すら不要だ。

一方「安保体制は破棄すべきだ」というなら,「では日本の安全は誰が守るのか」と

いう疑問にきちんと答えるべきだ。かつて日本社会党は「非武装中立論」を唱え,

「誰も守ってくれなくていい。日本は軍事的には丸裸で国際社会の中で地位を確立

していくのだ。それが憲法の理念だ」という主張を展開したが,今ではそんな理屈は

誰も相手にしない。それでもその思想にこだわりたいというのなら,それはそれでいい。

しかし今の護憲派の言い分からは,「都合の悪いことから目をそらす」という卑怯者の

行動原理しか感じられない。

 

「では,あなたは日本の安全保障をどう考えるか?」という問いには,こう答えよう。

現実問題として,日米安保体制が崩れる,つまりアメリカと日本の軍事同盟が

解消される可能性は万に一つもない。日本の中には独自の軍隊を持つことで

アメリカと対等に渡り合えるようになるという幻想を抱く政治家もいるようだが,

そんなことをアメリカが許すわけがない。アメリカにとっては日本はいつまでも

「属国」でいてもらうことが最大の利益であり,孫崎さんじゃないがその体制を

脅かす勢力の芽を摘むことはアメリカにとっては容易だろう。つまりわれわれは,

是非の論議はさておき「安保体制はこれから先もずっと続く」ことを議論の出発点に

しなければならない。その前提で考えるとき,9条は今のままでいい。また「核兵器は

いかなる場合も使用してはいけない」というアピールに賛同の署名をしてもよかった。

日本がそれをしたからといって,アメリカはたぶん怒らないだろう。実質的な影響が

ないからだ。核抑止論と矛盾するというのは理屈ではその通りだが,そんな理屈に

こだわるのは学者と官僚だけでいい。政治的に言えば,日本がそのアピールに

加わることで世界から「アメリカの言いなりではない」という評価を受けることの方が

ずっと国益に叶うと思う。

 

要するに日本の安全保障は,憲法9条も安保条約も含めて,今のままでいいと思う。

 

 

他人の悪口ばかり言うのも気がひけるので,ほめる話も出したい。

 

過日,広島出身の元陸上選手・為末大氏の,スポーツ指導者の叱り方に関する

インタビュー記事が中国新聞に載っていった。その中で為末氏は,こんなことを

言っている。

 

体罰禁止の流れが加速する中で,気になるのはその方針がすごいスピードで

現場に下りてくることです。決まったからその通りやれ,という構図自体が

体罰的です。現場は混乱します。体罰問題を選手と指導者が相談できる

第三者的機関をつくることなどが必要です。

 

下線を引いたコメントがとても気に入った。「スポーツ選手としての実体験が,

知性に昇華されている」という印象を受ける。学歴が高くても,持っているのは

「知識」だけで「知性」があまり感じられない人が,世の中にたくさんいる。

逆に,学校の勉強にはあまり縁がなくても,物事を合理的に考える知性や,

立居振舞いを律する品性を身につけている人もたくさんいる。

「○○の品格」というタイトルの一連の本が一時期ブームになったが,

けだし「品格」ばかりは教えられて身につくものではない。

品性で飯は食えない。それは確かにそうだが,「あの人は品がない」とは

言われたくないものだ。

 

結局悪口になってしまうんだが,中国新聞のカープのコラムでこんなことが

あった。もうだいぶ前のことになるが,例のコラムニストが,前日の試合で

凡退を繰り返した新外国人・ルイスについて,「監督はこのダメな選手に

いつまでこだわるのか。もう見切りをつける時期だ」という,野村監督にも

ルイス選手にも,そしてプロ野球という職業に対してもものすごく失礼な

ことを書いていた。そしてその記事が朝刊に出た日の試合で,ルイスは

先頭打者ホームランを含む5打数4安打の大活躍を見せた。このとき,

「翌日の朝刊が楽しみだ」と思った。あのコラムニスト氏は,どんな記事を

書くだろうか。もし自分が彼なら,最初にこう書くだろう。

 

「ルイスさん,悪口を言ってごめんなさい。今日のあなたの活躍は立派でした」

 

果たして翌日の朝刊の記事の概要は,「ルイスの活躍も意外だったが,

もっと驚いたのは(対戦相手の)中日が去年より弱くなっていたことだ」と

いうものだった。

 

「品性がない」とは,こういう人のことを言うのだよ。

 

 

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