日記帳(2013年6月16日)

 

 

ここ2〜3週間ほどで一気に仕事が増えて,今年もまた夏場は仕事場に缶詰に

なりそうだ。釣りもちょっと当分行けそうにない。

 

そうなるとどこで仕事の手を休めるかだが,出張は1つの息抜きになる。

6月に入って2回,東京へ出張した。先週の木曜日は日帰りの出張だったので

新幹線に乗ったのは夕方の6時ごろ。酒を飲みながら帰るにはベストの時間だ。

東京駅の地下には弁当やつまみをたくさん売っているので,いつも何を買うか迷う。

毎回買う好物が1つあって,駅の中央あたりの地価の弁当エリアの入り口にある

店で売っている,セロリやキュウリをシソで和えたマリネだ。これがあったらほかは

何もいらんというくらい好きな惣菜で,ここにしか売ってないのが残念。

この日はほかに惣菜セットなどを買い込んで酒を飲みながら帰った。

また,時々仕事の打ち合わせで福山駅前あたりで飲む機会もある。

明日の月曜日の晩も1件入っているので,銀わさへ行こうと思っている。

 

休日も仕事で釣りに行く時間がないときは,時々映画にも行く。

夏場は涼しい映画館で過ごすのもリラックスできるが,見た映画のよしあしで

ストレスの解消の度合いが違ってくる。先週は蒲刈から帰った日曜日の夕方に

映画館へ行き,「リアル〜完全なる首長竜の日」を見た。感想は…納得できなかった。

ネタバレになるので詳しくは書かないが,話の転換点になる大きなエピソードが,

どう考えてもつじつまが合わない。「おまえ(主人公)はそれをどうやって知ったの?」

という疑問が残る,ヘンな話だった。

 

今週一番の話題と言えば,NPB(プロ野球)の統一球問題だろう。

コミッショナーの対応に批判が集まっているが,ニュースや新聞でいろんな人が言って

いることを見聞きすると,立場の違いや本人の関心が向かう方向によってそれぞれ

違う意見を語っているのが興味深い。一番面白かったのは,野球界と直接関係のない

第三者の中には「ボールの変更が選手に与えた影響は小さくなかったはずだ」と主張

する人が多いのに,選手の側からはそういう意見が全く出てこなかったことだ。

選手たちは,マエケンの言葉に代表されるように,「ボールが変わっても影響はない。

自分たちはそれに合わせていくだけだ」と割り切っている。つまり選手側から言えば,

この件はほとんど実害のない,ささいな問題にすぎない。

一方で野次馬(たとえばニュース解説者)は,選手の契約問題や「事実を隠していたこと」

が大問題であるかのように語る。それは結局,各人が自分の興味に沿って,1つしか

ない事実にいろんな色をつけて解釈するということだ。

たとえばネット上には,「コミッショナーは巨人の犬だから,巨人(の選手)だけは事前に

教えてもらっていたに違いない」という妄想を書いている人もいる。

 

そういう現実を前提として個人的な感想を言わせてもらえば,この問題は,世間が騒ぐ

ほどの重要性はないと思う。特定のチームや選手に有利不利が発生したわけではなく,

現場の選手自身も迷惑に思ってはいないからだ。コミッショナーの態度は確かにあまり

ほめられたものではないが,政治や一般社会でもああいうタイプの人はたくさんいる。

柔道連盟のトップもそうだろう。偉くなるタイプの人ほどプライドが高いから,謝罪する

のを嫌がる。すると多くの人は「不誠実だ」と批判する。マスコミはその心理がわかって

いるから,ますまず一般大衆の怒りをあおるような記事を書く。この構図の中で誰が

一番悪いのか?と問われれば,あえて言うなら誰も悪くない。実害がほとんどないなら,

その種の事件は「リアリティのあるドラマ」程度の,一種の娯楽にすぎない。

 

なお,「ボールの変更をなぜ隠したのか経緯を詳しく説明せよ」という批判もある。

しかし,第三者委員会を設けてもその経緯は明らかにならないだろう。

勝手な想像だが,変更を隠した理由は「公表するほど大きな問題だとは思わなかった」

「公表できない理由があった」のどちらかだろう。前者の理由も今さら言い出しづらいし,

後者ならなおさら言えない。「公表できない理由」がもしあったとしたら,一番可能性が

高いのは,納入業者であるミズノ社との契約のからみだろう。

たとえば,統一球の導入に際して,こんなやりとりがあったかもしれない。

 

ミズノ「基準の数値をきっちり守るのは無理です。どうしても誤差が出ますから」

NPB「かまわない。新しいボールの導入は決定済みなので,見切り発車でいく」

ミズノ「では,誤差の許容範囲を教えてください」

NPB「限度を下回るのはOK。上回ったら従来と同じになるからダメだ」

 

そして去年,何回かの抜き打ちテストで限度を下回るボールが見つかった。

そこでNPBはミズノと再交渉した。

 

NPB「ボールが飛ばなくてゲームが面白くないという声が多いので,もう少し飛ぶようにしたい」

ミズノ「だから誤差が出るって言ったじゃないですか。今度は上限を超えてもいいですか?」

NPB「かまわないが,今使っているボールとの違いが大きすぎるのでなるべく抑えてほしい」

ミズノ「今までに一括納入したボールは返品できませんよ」

NPB「それは2013年のキャンプやオープン戦で使うからかまわない」

ミズノ「ボールの変更は公表しますか?」

NPB「しない。朝令暮改と解釈されそうだし,ミズノ社のイメージが悪くなる可能性もある」

ミズノ「そうですね。もしうちが『なぜ今まで基準を下回るボールを使っていたのか』と

        尋ねられたら,正直に『それは許容するというのが最初の約束だった』と言います。

        それだとNPBも困るでしょうから,お互いに黙っておくのが得策でしょう」

 

みたいな。この場合は裏金が動いたというようなダーティーな話ではないが,当事者たちが

公表をためらった理由はある程度説明できる。実態はこんなもんじゃなかっただろうか。

 

 

今週のニュースをもう1本。復興庁の幹部がツイッターで東北の地方自治体や議会などを

侮辱する暴言を吐いていた,という報道があった。こちらは,統一球の問題より根が深い。

この件が個人の資質の問題なのか,それとも組織の体質の問題なのかは,本人の今後の

処遇から判断できるだろう。可能性は3つある。「懲戒免職」「依願[自主]退職」「配置転換

(ほとぼりが冷めるまで日陰に置いておく)」だ。民間企業なら当然「会社の信用を下げた」

という理由で懲戒免職になる可能性が一番高いが,おそらく「配置転換」にとどまるだろう。

役所というのは既得権を守ろうとする本能があり,その延長で身内にはとことん甘い。

少々の不祥事を起こしても,他の全員が本人をかばうために動いてくれる。それはたぶん,

自分も同じことをしたときに周囲が同じように守ってくれるという安心感が,組織を安定

させるためには必要だという意識がどこかで働いているからだろう。配置転換では収まり

そうにないと組織が判断したら,「依願退職→天下り」という道をたどることになる。

本人はこれから先の出世の道は閉ざされるが,仕事にも生活にも困らない。逆に言えば,

心のどこかにそういう(自分は何をやっても負け組みに転落することはないという)「保険」が

あるから,ツイッターで暴言を吐くこともできるのかもしれない。

 

本人はたぶん今回の件を「大したことをしてはいないのに大騒ぎになったのは意外だ」と

思っているだろう。小さな世界の中だけで生きていると,外の世界の人々への想像が

及ばなくなる。ツイッターで地方議会の人々を「知性がない」と評していたのが典型だ。

辞書的な意味では,彼の言ったことは間違っていなかったのかもしれない。

彼の過ちは,「世の中では知性が一番大切だ」という思い込みにある。

それは彼の,あるいは彼が住んでいる狭い世界の中での常識にすぎない。

彼の言う「知性」がなくても,尊敬すべき人はたくさんいる。

彼の場合は,「知性はあっても人徳がない」ということだ。

「人徳のない知性は知性ではない」という意見もあるだろうが,それは言葉の定義の問題だ。

受験生の頃から「頭のよさ」で勝負してきた人間は,往々にして人間の価値を「頭のよさ」で

判断してしまう。それに加えて新卒で入った組織の論理にずっと染まってきたわけだから,

結果的に彼の「世間」が狭くなったとしても一概には責められない。責められるべきは,

そういう人間を幹部に登用した組織の体質であり,幹部があれなら部下もみんなああいう

ふうに物を考える連中なんだろうという推測は,たぶん間違ってはいないだろう。

 

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