日記帳(2013年6月30日)

 

 

このところ仕事が忙しく,全く休みが取れない。

そろそろ夏も近いし,昼間にサビキで小魚を釣って汗をだらだら流して,夜はそれを

フライにしてビールを飲む…という夏の楽しみも,なかなか実現しそうにない。

 

これだけ働いているのに,暮らしはさっぱり楽にならない。

税金やら年金やら保険料やら子どもの仕送りやらで,稼いだ金が全部飛んで行く感じ。

それに関連して,今週の「週刊現代」にちょっとガックリする記事が載っていた。

予想はしていたが,今の年金制度は確実に破綻するという。

支給開始年齢がどんどん引き上げられて,最後には「年金がもらえるのは80歳から」

ということになりかねない。その年齢だと半分くらいの人は死んでいる計算だ。

もともと年金は貯蓄ではないから,いくら払い込んでも1円も戻ってこない可能性もある。

うちは会社なので,個人負担分と会社負担分,つまり普通のサラリーマンの倍の年金や

保険料の掛け金を国に納めているのだ。それで支給がゼロじゃあなあ。

週刊現代の結論は,「まだ財源が残っているうちに,年金の繰上げ支給を適用して

もらった方がいいかも」だそうだ。年金は原則65歳から支給されるが,それより早くから

(61歳だったか?)もらうこともできる(もちろん額は少ない)。60歳過ぎたら考えるか…

 

みたいな,世間的にも明るい話題は特になく,カープの調子も悪いし,中国新聞の論評も

例によってアレだし…ということで,仕事の忙しさに加えてストレスの溜まることが多い。

リラックスできるのは,夕飯で酒を飲むとき(そのあとまた仕事)と,寝る前にパソコンを

30分ほどつついてアニソンを聞いたり麻雀ゲームをしたりするときだけかな。

ちなみにわしらの世代はファミコンやゲーセンというものに縁がなく,パソコンを使った

ゲームはスマホのアプリを含めてほとんどやらない(スマホは持ってないが)。

 

今日は時間もないし,最近のニュースから拾った話題について一言ずつ。

 

・復興庁の幹部がツイッターで暴言を吐いた件は,前回の日記で「配置転換でほとぼりを

さます程度の処分だろう」と予想したが,現実の処分はただの戒告だった。軽すぎるんじゃ

ないか?それとも本人が(この程度のことで左遷するのはもったいないと思わせるほど)

よっぽど有能な人材なのか(役所的には,という但し書きつきで)?

 

・プロ野球の選手会が,コミッショナーに辞任を迫るようなコメントを出した。どうやら

選手会は,コミッショナーの「統一球の変更は知らなかった」という発言を信用していない

ようだ。つまり,コミッショナーの人格を疑っているわけだ。個々の判断の是非なら議論の

余地もあるが,「あんたはうそつきだ」と思われるようでは,もう関係を修復する道はない。

あとはNPBと選手会の事務局が,コミッショナーの面子をできるだけ保つ形でどう幕を

引くかという事務的な折衝のウエイトが高くなるだろう。

 

・同じことは柔道連盟の会長にも言える。本人が「辞めたくない」と考えるのは当然だ。

ここで辞めたら,自分には「管理者失格」という汚点しか残らない。柔道界全体の利益

より,自分の面子を失いたくない(もっと言えば,自分のこれまでの人生を否定されたく

ない)という気持ちの方が強いのだろう。彼をどう説得するかは周囲の人々の腕しだいだ。

 

・きのうの中国新聞に,広島市民球場跡地の利用方法について市議会が市長の提案を

否決したというニュースが乗っていた。新聞では,自民党の会派内での権力闘争という

面が強いと解説してあった。要するに,市議会が市長に「嫌がらせ」をしている構図だ。

こういうニュースに接すると,道州制とか地方分権とかの理念がバカバカしくなってくる。

結局われわれは,究極の二者択一を迫られることになる。それは「国会議員と地方議会の

議員とを比べたとき,あなたはどちらを信用しますか」(より正確に言えば「どちらも信用

できないでしょうが,どちらの方が不信感が少ないですか」)という問いだ。あなたはどっち?

ぼくは,個人差はあるけれど,「国会議員>県会議員>市会議員>町会議員…」のような

イメージを持っている。ピラミッドの下へ行けばいくほど,モラルや責任感が下がっていく。

地方分権が進めば進むほど,少なくとも議会という世界では,自己中心的に振舞う議員の

比率が上がるんじゃないかと危惧している。

 

・福山市では,鞆の町作りの検討が遅れているというニュースがあった。これについては,

基本的に心配していない。時が解決する問題だと思う。湯崎知事もそう思っているだろう。

おおざっぱな印象でしかないが,現在議論が滞っているのは,港の埋め立て・架橋を推進

していた人々が県との話し合いのテーブルに着こうとしないからだろう。その議論はもう

決着がついたのだから,今さらひっくり返すことはできない。言っちゃ悪いが,自分の思った

通りにならなかった結果を受け入れられずに駄々をこねている子どものようだ。

その人たちが「あきらめて」話し合いの応じるまでの冷却期間は必要だろう。

それがいつまでも続くとは思えない。「町づくりの話し合いができないのは誰の責任だ」と

いう声が必ず出てくるはずだから。県は話し合いを持ちかけているのに住民側がそれに

応じなければ,自分で自分の首を締めることにしかならない。そんなことはたぶん,地元の

人もわかっているだろう。それでも話が進まないことの背景にも,「面子」という問題がある。

 

結局,野球のコミッショナーも,柔道連盟の会長も,市民球場跡地の問題も,鞆の浦の問題も,

「みんなのためにどうするのがベストか」という大義を頭では理解していても,個人のプライドや

こだわりが冷静な判断の邪魔をするという構図があるように思う。(もちろん全員にではない)

しかし,それを一概に非難するつもりはない。それは人間の本性の一部だろう。

 

話が飛躍するかもしれないが,結局これらの問題は「他人を信じられるか」という問いに帰着する。

自分の考え方に反対する人たちも,自分と同じように一生懸命に知恵を絞って考えて発言したり

行動したりしている。そのことをリスペクトできるかできないかが,その人の身の振り方を決める。

たとえば「湯崎知事の決定は間違っている。それは彼が愚かだからだ」という物の見方をする人,

あるいは「カープが弱いのは,監督や選手やチーム関係者にやる気がないからだ」というような

人格否定的な物の見方をする人が,10人の中に1〜2人混じっているのは仕方がない。

そういう人たちが「独走」しないよう,まわりがフォローしてあげればいいのだ。

 

 

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