日記帳(2013年12月14日)

 

 

日記帳の更新も今年はこれが最後かと思いますが…

 

1年を振り返って考えると,例年にも増して,人が生きる意味について考えさせられた。

 

一番大きい理由は,母の病気だ。まもなく83歳になる母は難病のパーキンソン病を

患っていて,今のところ介護度は4だが実質的にはほぼ寝たきり状態にある。

頭の方は多少は認知症ぎみのところもあるが,まだそれほどボケてはいない。

体の方はもともと動かなかったのに加えて11月に10日ほど入院したのが影響して,

今は自力で食事をするのも難しい。88歳で障害者の父には介護は難しいので,最近は

平日には2〜3時間実家へ行って母の介護をしている。たとえばきのうの金曜日は,

朝の7時ごろ自転車で実家へ行き,1時間ほどかけて母に朝食をとらせ,着替えたり

薬を飲ませたりの世話。昼食はヘルパーさんが来てくれるが,午後3時に薬を飲ませる

必要があるのでまた自転車で実家へ行き,30分ほど介護。夜も6時〜7時半くらいの間,

夕食の世話や片付けなどをして,夜用のおむつに替える。帰宅してから風呂に入り,

夕飯の支度。8時半ごろから食事。ヨメと上の娘は9時〜9時半ごろ仕事から戻ってくる。

夕食後は軽く仕事をして11時ごろ就寝。今日の土曜日も朝はきのうと同じ。10時ごろ

ショートステイ(お泊り)が迎えに来るので,土曜の午後と日曜は介護なし。ただし,

平日に仕事の時間が削られているので,その分は土・日に挽回しておく必要がある。

よって週末も基本的に仕事。介護の方は全然苦痛に感じないが,仕事の時間を確保する

のに苦労する。今はまだそれほど多忙でもないが,年が開けたらスケジュールがきつい。

 

状況を考えると,永住型の介護施設に入所させるのが一番簡単なのはわかっているが,

自宅で暮らしたいと思っている親を施設に放り込むのはいかにも気の毒すぎる。

たまたま自分は時間の融通がつけやすい仕事をしていて職場と実家が近いので,多少の

無理をすれば介護ができるが,やむをえず高齢の親を施設に入れている人も大勢いるだろう。

それも今の時代は手厚い医療費や介護保険が出るが,われわれが後期高齢者に当たる

年齢になったときにはどうなっているかわからない。ちなみに11月に母が入院して検査や

手術を受けたときの治療代・入院費は,計算書には約100万円と書かれており,実際に

払った額はたったの1,600円だった。その差額は全部税金から出ているわけだから,

年寄りが増えるほど国の財政が厳しくなるのも当然だ。しかし年寄りに死ねとは言えない。

自分が80歳を越えた頃にどんな老後を送っているかは想像もできないが,できれば家族に

あんまり迷惑をかけずに暮らしておられたらいいと思う。

 

今年見たアニメで言うと,「風立ちぬ」も「かぐや姫の物語」も,あるいは「しわ」も,人は何の

ために生きるのか?という実存的なテーマを抱えた作品だった。自分が年をとったせいも

あるだろうが,人生の限られた時間を大切に使いたいという気持ちが最近特に強くなった。

で,今は,できたての(自分で作った)おかずを食べ,お湯割りの薄い焼酎をちびちび飲み

ながら,新聞を読みつつ1時間くらいかけて夕飯をいただくのを楽しみとして,日々頑張っている。

そういう小さな幸福の積み重ねの中に人生の意味を見つけることって,大切だと思うわけよ。

 

 

今年最後の硬い話を1つ。

特定秘密保護法について。というか,この法案に対するマスコミの姿勢について。

「国民の知る権利を守れ」という論調には,最初から違和感があった。

この法律が成立しても,庶民の生活にはたぶん何の影響もないだろう。

一方,メディアの言う「知る権利」という大義名分のために不幸になった人は山ほどいる。

たとえば未成年者が犯罪を犯したとき,一部の週刊誌などは犯人の顔写真を出そうとする。

その理由付けとして「知る権利」という言葉が使われる。実態は権利とか自由とかの話では

なく下劣な露悪趣味であり,特定の対象をスケープゴートとして貶めることによって日頃の

ストレスを晴らしたいという一部の人々の歪んだ心性を増幅するという意味しか持っていない。

国民の「知る権利」は大切かもしれないが,メディアの言う「知る権利」はもっと制約した方が

いいのじゃないか,とさえ思う。

 

しかし,何しろ今回の法案に対しては全メディアが文字通りスクラムを組んで反対しており,

そっちの方がよほどファシズム的じゃないか,という思いさえ抱いた。国防上の秘密を

守る法律が必要か?という点についてはもっと多様な意見が出てもいいはずなのに,

聞こえてくるのは反対の声ばかりで,その結果世論調査で「反対する人が8割に上った」と

言われても,それはメディアによる国民の「洗脳」がそれだけ成功したことの証拠でしかない。

逆に言えば,国家による洗脳もそれと同程度に成功しそうだという怖い真実を逆説的に

あぶり出してしまったような気がする。

 

そういう,「マスコミの方が狂ってるんじゃないの?」という意見を言う人がどこかにいないだ

ろうかと探していたら,1つ見つけた。「週刊新潮」の12月12日号に載った,ヤン・デンマン氏の

「東京情報」というコラムに,次のようなことが書かれている。(長い記事の一部を抜粋)

 

私個人としては,この法案を大歓迎はしないが,全面的に反対もしない。秘密情報を

保護する必要性を考えれば7割賛成,残りの3割は運用の仕方を慎重にすべきだと

いうところで,修正・反対派の意見にも傾聴すべき点があると思っている。

取材や報道の自由に関しては,過敏になって当然だが,それにしても被害者意識が

強すぎるようだ。法案の範囲は「防衛」「外交」「スパイ活動などの特定有害活動」

「テロ防止」の目的に限定されている。要するに,常識的な規約を整備したものに

すぎない。

 

(中略)

 

ラッセル君が同意する。

「法案により日本が戦前に戻るなんて,どこの国も思っていませんよ。それなのに

自分たちで『軍国主義の再来』『治安維持法の復活』『政府による人権侵害』などと

すり切れたレコードのように繰り返している。そちらのほうがよほど法案の『拡大解釈』

ですよ。」

 

非常に腑に落ちる意見だ。マスコミは当初は「自分たちの取材が制約されては困る」

という論調だったが,それでは国民の支持が得られないと思ってか,途中から「市民の

権利が制限される」というような強引な理屈を持ち出してきた。自分らの主張を通す

ためなら「何でもあり」だ。石破さんじゃないが,本質はテロリストと変わらない。

そして,上の記事にあるようなまともな意見が外国の特派員の口からしか出てこない

点に,日本民族が抱える潜在的な問題点が反映しているように思われる。

それは「洗脳されやすい」あるいは「大政翼賛的になりやすい」という精神性であり,

反体制で結束したメディアはそれ自体が一種の「体制」になってしまうという矛盾に

メディアの中にいる人々はもっと気づいてほしいものだ。

 

 

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