日記帳(2014年1月19日)

 

 

今は19日(日曜日)の午前7時半ごろ。

最近は平日の朝に7時ごろ実家へ介護に行くので規則正しく起きている。

今日はおばあちゃんはショートステイに預けてあるので,きのうから寒いし,

家でゆっくり都道府県対抗男子駅伝でも見たかったところだが,10時過ぎの

新幹線で東京へ出張するためテレビでは見られない。今日も寒波が来ている

らしいので選手は大変だろう。きのうからセンター試験も始まった。例年この

時期は雪が降りやすいので,受験生も大変だ。

 

映画「永遠の0」を見て,安倍総理の靖国参拝について考えた。

というか,安倍さんのあの行動を見て世間の人が持つ感想について考えた。

個人的な感想をまとめると,次のような感じになる。

 

@理屈で考えるなら,あの行動はよくなかったと思う。

A心情的には,共感できる部分はある。

Bただし,もし自分が参拝するなら,心情的な動機はたぶん安倍さんとは違う。

 

まず@から。メディアでよく見られる批判は,安倍さんの行動が「日本の国益に

とってマイナスだ」というものだ。これは,少なくとも短期的に見れば正しい。

アメリカからもダメ出しされたし。ただし「長期的にはむしろプラスだ」と考える

人も当然いるだろう。原発と同じだ。原発を廃止するかどうかの議論の中での

対立の図式は,「長期的には廃止すべきだ」VS「短期的には必要だ」のように

単純化できる。だから,どちらがいいとも悪いとも言えない。個人的には,原発に

ついては長期的な展望から廃止すべきだと思うが,靖国については短期的な

損得勘定の観点から「安倍さんは参拝すべきではなかった」と思う。

 

次にAの視点で言うと,保守派の代表格の一人である安倍さんはおそらく,

「お国を守って死んでいった英霊に敬意を表するのは当然だ」と思っているだろう。

その心情が悪いとは思わない。話が飛ぶかもしれないが,猪瀬前都知事の辞職

についても,@の視点から言えば当然本人は責められるべきだが,Aの視点で

言うと「共感」できる部分はある。つまり,許してあげてもいい。

 

心情的な観点からは,「悪意があったかどうか」が重要だと思う。

本人なりに真剣に考えてとった行動に対しては,たとえ結果が悪くても,また

法律的には問題があったとしても,あまり責める気にならない。

猪瀬さんの場合,本人が語ったように「政治の素人」だったために選挙にどの

くらいの金が必要なのかわからず,念のため予備のお金を調達しようとした

(その方法はその筋のベテランから指南された)といったところだろう。

本人は「政治の世界でみんながやっていることを自分もやっただけだ」と言いたい

だろうが,建前上それはできない。少なくとも個人的な金儲けのためにやったの

ではないだろうから,そこは許してあげたい。

というか,安倍さんの靖国参拝にせよ,猪瀬さんの収賄疑惑にせよ,本人は

自分なりに真剣にやったことなわけで,それを頭から否定してしまうのは,

大げさに言うと,人が生きるということ(あるいは生き物の命)に対する一種の

冒とくではないかと思うわけだ。

 

最後にBだが,これが映画の話とつながる。映画「永遠の0」で,主人公はこんな

セリフを吐く。「自分一人が死んでも戦局に大きな影響はないが,家族の人生は

大きく狂ってしまう。だから自分は生きて帰りたい」−あの時代にこういう考え方が

できる人が実際にいたのかどうかはわからない。しかし今の自分があの主人公の

立場だったら,同じことを思うだろう。だから映画には共感できる。そして,もし

自分が靖国神社に参拝するとしたら,その動機は「英霊を敬う」ということではなく,

自分の意志に反して戦争に刈り出されて犠牲になった民間人たちに哀悼の意を

捧げる」ということになるだろう。

 

さて,ここで問題が1つ。そもそも「お墓参り」は,何のために行うのだろう。

葬式にはある程度故人の意志が反映されるが,故人が生前に自分の墓参りを

どうこうするよう遺族に伝えることはあまりない。つまり墓参とは,故人に対する

自分の気持ちの投影,あるいは「死」というものを自分の中で整理するために行う

一種の儀式にほかならない。だから靖国であれ家族の墓であれ,そこにお参り

する人がたとえ「自分は故人に思いを馳せている」と思ったとしても,本人の

気持ちは本質的には故人ではなく自分自身に向かっていることになる。

 

毎週新聞に掲載される一般書のベストセラーのリストを見ると,上位10冊の大半が

「生き方」に関する本であることが多い。それだけ人は,いつでも実存的な悩み

向き合って暮らしている。そういう悩みと一切無縁な幸せな人がほとんどいない

からこそ,こういう本が売れるのだろう。

 

上に書いたことと矛盾するかもしれないが,たとえ東京に住んでいても,自分は

靖国神社には行かないだろう。理由は,墓参りというものに興味がないからだ。

自分の親は既に墓所が決まっているし,親の墓には時々お参りするだろうが,

周囲の社会習慣に合わせるためでしかない。「わしが死んだら,墓をどうするか

も含めて,おまえらが勝手に決めてええで」と子どもらには言ってある。

 

今は死んだとき身寄りが誰もいない人も多いので,お寺はいろんなケースに

対応してくれる。少しの永代供養料を払って,共同墓地のようなところへ名前も

つけずに故人の遺骨を放り込んでもらい,後はノータッチという遺族も少なくない。

あくまで個人的な思想だが,死んだ人間が生きている人間を制約するのは

ナンセンスだと思う。生き物は死んだら土に還るだけだ。

うちの家族には,死んだ自分のことなど忘れて各自の人生を生きてほしい。

それも本質的には「家族にどうこうしてほしい」というよりも,自分の生き方の

問題だ。たった一度の短い人生を,自分のために使わずにどうするんだ?

と私は思いますが,皆さんはどうですか?

 

 

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