日記帳(2014年2月2日)

 

 

2月下旬までは仕事が忙しく,休日もたいていパソコンに向かっている。

平日は母親の介護があって仕事の時間が十分取れないので,ショートステイに

預かってもらう週末が一番はかどる。

 

2月中旬から3週間ほどまとめてショートステイに預かってもらうことになっている。

入れてもらうのが大変だった。ケアマネージャーさんには前から頼んであったが,

知人の話だと自分で直接交渉する方が早いとのこと。それで去年の夏に1か月ほど

入れてもらった施設へ相談に行き,どうにか3週間入れてもらえることになった。

実際は家で面倒を見るのはもう限界なのでずっと預かっていてほしいが,向こうも

予約が満杯で難しい。うちの場合はまだヘルパーさんやデイサービスを組み合わせて

ぎりぎり何とかやっているが,認知症で徘徊するような年寄りを抱えた家族は

介護施設が満杯で断られたらどうやって家で面倒を見るのかと思う。

先週の週刊現代に「入居時に一時金として1千万円以上払うよう求める施設は

だいたい快適な生活が送れる」「認可施設に入れない人のための無認可の施設も

たくさんあるが,そういう所は何をされるかわからない」というようなことが書いて

あったが,どっちもご遠慮したい(前者は無理)。

前にも書いたが,介護施設にもうちょっと補助金を出せば,地元の雇用にも役立つし

みんなが丸く収まると思うがなあ…

 

それと少し関連して,児童養護施設を舞台にしたあるテレビドラマの描写が過激すぎて

視聴者から抗議が殺到したという話。放送中止にすべきかというアンケートもあった。

実際にドラマを見てはいないが個人的な意見を言うと,放送を中止すべきだと思う

理由は,放送を続けることのメリットよりも,放送を中止することのメリットの方が大きい

と思うからだ。両者のメリットをどう見積もるかは,当然人によって判断が違うだろう。

わたくしはこう考える。放送を続けることのメリットは,言うまでもなくテレビ局側の都合だ。

一方,実際に児童擁護施設の子どもたちたちの一部が,このドラマに影響された他の

子どもたちにいじめの対象にされたり,自分自身がこのドラマを見て精神的に大きな

ショックを受けているという。つまりこのドラマは,実害を生んでいるわけだ。放送中止には,

それらを緩和するというメリットがある。実害の程度をどう見積もるかは意見が分かれる

だろうが,たとえ少数であっても,罪のない子どもが苦しんでいるという事実は放置できない。

これに対して,「このドラマを中止したときのデメリットは小さくない」と反論する人もいる

だろう。理由は,ここでもまた「表現の自由が奪われるおそれがある」というものだ。

ネガティブな内容の創作活動を自主規制すると,クリエーターが萎縮するというわけだ。

ここでの対立の図式は,「子どもの人権 VS 表現の自由」ということになる。

前にも書いた,未成年の犯罪者の顔写真を載せようとする週刊誌と同じ構図と言っていい。

「○○ VS 表現の自由」というケースで,マスコミ関係者は○○にどんな言葉が入ろうが

(条件反射的に)必ず表現の自由の方を優先させる傾向があるように思われる。

このドラマを中止しないという判断をすることは,大人の都合を子どもに押し付けるという

ことだ。その点を制作者側はよく考えてもらいたい。

 

話は変わって。東京都知事選は,たぶん桝添さんが勝つだろう。

理由は,安倍政権の誕生以降,有権者が「学習」したと思うからだ。

何を学習したのかと言えば,「結局この国はこういう国なのだ」ということだ。

それはつまり,自転車のように走り続けていないと倒れてしまうという,よく言えば志が

高い,悪く言えば欲が深い国民性をこれからも持ち続けていくしかないという事実だ。

「東京都知事が反対してもそれで原発がなくなるわけじゃない」という諦めもあるかも

しれないが,「原発はなくす方がいいとは思うけれど,(もはや)今の自分にとっては

その問題はどうでもいい」というのが,多くの都民の気分じゃなかろうか。

原発が大きな争点にならないのなら,細川さんに勝ち目はない。

前にも書いたかな?いわゆる格差社会の問題にしてもそうだ。世の中に一握りの勝ち組と

大多数の負け組とがいるのなら,選挙で「私たちは負け組の味方です」と主張する政党に

負け組のみんなが投票すればその政党が勝つはずなのに,現実はそうならない。

「自分は違う」と一人一人がいくら言ったところで,日本人全体は結局そういう国民

なんだと思う。

 

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