日記帳(2014年3月15日)

 

 

夜中の地震,皆さんのところはどうでしたか?

深度4でも備後地方ではめったにないので,家がめげるんじゃないかと恐ろしかったです。

まさか南海トラフ?とも思うたし。すぐテレビをつけて津波の心配がないとわかったので

安心してまた寝ましたが。まじめに防災グッズを買わにゃいけんと思いました。

 

で,3月11日は福島の事故から3年目ということで,テレビでいろいろ特番をやっていた。

それらを見ながら思ったことを少し。今現在,あなたは被災者のために何かやってますか,

と問われると何もやっていないので大きなことは言えないが,復興支援として何をすべき

かを「官」と「民」の両面から考えてみた。

 

まず「官」について。テレビを見ながら復興対策として一番有効な方法はこれかなと思った

のは,国の予算から被災地へ回す財源の使い道の決定権を各自治体に預けることだ。

一般論として言えば,予算の決定権を地方に回すこと自体はリスクの方が大きいと思う。

県議会や市議会を見ればわかるとおり,地方の予算配分は利権の取り合いだろう。

住民のためというより議員の息のかかった業者をもうけさせるという目的の方が色濃く映る。

だから,手続き上は議会の議決を経るにしても,実質的には行政サイドで予算の使い道を

決めることができるようなシステムを特例として作ってはどうかと思う。要するに,県会議員や

市会議員は信用できないから,県庁や市役所の行政マンたちに権限を移すということだ。

じゃあ地方の行政マンたちは信用できるのか?と言えば,こう答えよう。かつて当事者だった

自分の目から見ても,地方自治体の職員は総じてマジメな人が多い。国の上級職の官僚は

肉食系のイメージがあるが,県庁や市役所の職員は草食系の人が多いように見える。

まして被災地で復旧の最前線に立って仕事をしている行政マンたちが,個人的な利益の

ために予算を私物化するとは思えない(地方議会の議員が信用できないのは本人の

性格の問題ではなく,政治には金がかかるものだという環境によるところが大きい)。

NHKの特集番組で,大津波に備えて巨大な防波堤を作る計画を途中でストップさせて

浮いた予算を別の事業に回そうとした町が取り上げられていた。そういう小回りのきく

有益な判断をする権限を,被災地の現場で働く人たちに与えてあげてほしい。

 

次に「民」について。チャリティーコンサートも悪くはないんだが,スマップやAKBのメンバー

たちには,ぜひとも復興途上の現地へ飛んで,地場産業の復活に一役買ってもらいたい。

報道によれば,被災者の間では離婚が増えており,その理由の中にはこんなケースも

あるという。ダンナは被災地に残って仕事をしているが女房子どもは別の土地に避難して

暮らしている。ダンナは「もう安全だから帰って来い」と言うが,ヨメは放射能汚染を恐れて

帰郷せず,それがもとで夫婦の間に亀裂が入っている…

当事者でさえその調子だから,一般消費者の間に風評が広がるのは当然だ。

風評は理屈ではなくイメージであって,数字で安全性を保証しても意味はない。

よかれあしかれ,理屈でなく感情で行動するのは人間の本性なのだから,それを逆手に

取って風評を払拭することもできそうな気がする。たとえばスマップやAKB48クラスの

有名人が福島の産品をおいしそうに食べる映像をテレビで流せば,自分も食べてみようと

感じる人が大勢出るだろう。被災地が今必要としているのは,募金活動のような一時的な

カンフル剤ではなく,今後の展望を明るくするような社会基盤の整備だ。特にテレビは,

現状報告や問題提起だけでなく被災地の産業活動の活性化に貢献してほしいと思うし,

それは無理な注文ではないはずだ。

 

 

話は変わって,浦和レッズサポーターの「Japanese Only」という横断幕の事件について。

これについては,マクロの視点からの感想とミクロの視点からの感想が思い浮かぶ。

マクロの視点とは社会的な見方であり,ミクロの視点とは個人の生き方という見方だ。

マクロ的には横断幕は人種差別であり,クラブ側の対応は当然だ(手ぬるいという人も

いるだろうが)。一方ミクロ的には,横断幕を出したサポーターたちは特別な人間ではない。

彼らが本当に出したかったのは「日本人オンリー」というよりも「常連さんオンリー」という

表示だろう。ゴール裏は彼らにとって「聖地」だから,よそ物に荒らされたくないのだそうだ。

これに類することは,釣り場でも,ネットの掲示板でも,あるいは小学校の教室でも起こる。

親しい仲間だけの小さなコミュニティーでぬくぬくと生きていきたい。

よく知らない人とは付き合いたくないし,できれば目の前から消えて欲しい。

こういうメンタリティーを少なくとも心の中に持っている人は,たぶん相当いるだろう。

その思いをストレートに表に出せば,今回の事件やいじめ事件となって現れる。

 

前にも書いたことを繰り返すが,差別とは,あるいはいじめとは,心の問題ではない。

それらは社会的権利の問題だ。心の中で「外国人は嫌いだ」と思うのは本人の勝手だ。

しかしその思いが他人の社会的権利の侵害につながるとき,それは反社会的行為となる。

横断幕を出した浦和サポーターの「心」を否定するつもりはない。

心は人間が生きている証であり,誰がどんな心を持とうがそれは本人の自由だ。

しかし社会の中で生きている以上,人は自分の言動を社会に適応させねばならない。

要するに,社会人なら思ったことを何でも口に出したり行動に移したりしてはいけないと

いうことだ。当たり前だね。

 

 

また話は変わって。プロ野球はもうすぐ開幕だが,今年のカープには期待している。

野村監督の就任以来,開幕前の準備がここまで整っている年は初めてだろう。

去年までは開幕してしばらくは新外国人のお試し期間で,それがうまくいかず途中で

また別の外国人選手を探し回っていた。要するに,戦う準備ができていなかった。

今年は外国人選手の力量が去年の成績である程度わかっているので,選手起用に

制約がない。また,野村監督の采配にも不安要素がない。誰が見てもおかしいだろう,

というような場面は去年1つもなかった。立派な管理者になったと思う。

 

一方,プロ野球関係で最近1つ,引っ掛かるニュースがあった。

横浜の中畑監督が,去年の勝ち頭で今年からコーチ兼任の三浦大輔投手に対して

「ローテの6番目に自分が入るか井納(2年目)を入れるかを自分で決めろ」と指示した

という。報道によれば監督は三浦にコーチとしてチームにとってどちらがいいかを

大局的に判断することを求め,もし井納を選べば三浦自身は2軍行きだという。

 

これは,管理者としてダメだろう。少なくとも自分が選手なら,こんな上司の下では

働きたくない。マネージャーの仕事は部下の「やる気」を引き出すことであり,三浦は

コーチ兼任とはいえ選手として契約している。三浦が中畑監督のこの指示をどう思うか

想像してみればいい。公には口にしないかもしれないが,「これは脅迫だ」と思うんじゃ

なかろうか。以下,三浦投手の立場に立ってシミュレーションしてみた。

 

チームのことを考えると,勝てる可能性が高い方が1軍に入るべきだ。

オレの方が勝てる可能性は高い,と自分では思う。

しかし,オレだっていつも好投できるわけじゃない。

たとえば最初の試合で打たれてチームが負けたら,監督はどうコメントするだろうか。

「三浦自身が自分を選んだのだから,チームが負けたのは彼の責任だ。監督である

自分の責任ではない」とでも言うのだろうか。

逆にオレが好投してチームが勝っても,自分を選んだオレの判断がほめてもらえる

わけじゃない。ということは,オレが一方的に損じゃね?

失敗すれば叩かれるし,成功してもほめられない。

そもそも,そういう判断をするのが監督の仕事なんじゃないの?

 

今後の展開がどうなるかはわからないが,この記事を読んで直感的に思ったことは以上だ。

 

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