日記帳(2014年5月18日)

 

 

今日の日曜日は法事があって,今は午後2時半ごろ。ラジオで野球を聞きながらくつろいでいる。

日記帳もずいぶん更新してなかったので,最近のニュースなどについて一言。

 

まずSTAP細胞の話。報道をずっと見聞きしていて,どうも論点が本質から外れているんじゃないかと

ずっと思っていた。小保方さんという研究者が,論文に写真を切り貼りしたのが不正だとかどうとか。

そんな事は,どうでもいいんじゃないの?一番大切なのは,STAP細胞があるかどうかでしょ?

それを確認する方法は,実に簡単だ。小保方さんが「いくらでも作れる」と言っているんだから,

本人に再度,作らせてみればいいじゃないか。そのためには実験設備が必要だろうから,

理研は実験のリーダーとして彼女を指名し,衆人環視のもとで再現実験をやればいい。

それでSTAP細胞が完成したら論文の疑惑など瑣末な問題にすぎないことになるし,

逆に完成しなかったら小保方さんをウソつき呼ばわりしたってかまわない。

たったそれだけのことなのに,お互いの主張が本質を外れたところで堂堂巡りしているような

印象を受けて仕方がない。小保方さんも小保方さんだ。もう理研にはどのみちあなたの居場所は

ないんだから,外国の研究所へでも移籍してSTAP細胞を再現して,日本の偉い学者やマスコミを

見返してやれよ,と言ってあげたい。

 

その2。集団的自衛権の話。これも,議論が本質から外れている印象が強い。

そもそも,安倍総理はなぜこの問題にこんなにこだわるのか?

識者や有名人の中には,「総理は日本を『戦争ができる国』にしたがっている」と言う人もいる。

もしそうだとしたら,総理の意図はどこにあるのか?そこにスポットライトを当てないと,議論に

ならないと思う。この問いに関する答えは,マスコミの報道やこれまでの安倍さんの言動から

考えて,かなり明らかに推測できる。新聞に書かれているとおり,キーワードは「情念」だろう。

安倍さんの情念は,おじいちゃん(岸信介元総理)の果たしえなかった夢を実現したいという,

いわば親孝行の気持ちから発している。その夢とは,日本があらゆる面でアメリカと対等の

関係になることだ。今はアメリカの軍事力の傘の下で平和を保っていることの代償に,

経済その他の面で日本は半分アメリカの属国になっている(と安倍さんは思っている)。

その関係を清算するには,最終的には「自分の国は自分で守る。だからアメリカの軍事力に

助けてもらわなくて結構だ」という路線を,安倍さんを含む自民党タカ派の人々は志向している。

集団的自衛権の論議は本質的には,「その自主防衛路線をあなたはどう思いますか」という

問いを私たちに突きつけている。そこを論じないで,瑣末な技術論や安倍さんとは逆の

「戦争反対」という情念の世界にどっぷり浸かった負け犬の遠吠えのような主張をしても,

それはただの現実逃避だ。

じゃあ,お前は安倍総理の自主防衛路線をどう思うのか?と問われるなら,反対だと答えよう。

理由は,メリットよりデメリットの方が大きすぎると思うからだ。現状にも確かに大きなデメリットは

ある。日本は安保条約と引き換えにアメリカに半分隷属しているという見方は,たぶん正しい。

しかし,最終的に安保条約を破棄して日本も軍隊を持つようになったらそれでいいかと言えば,

それはやっぱりいかんだろう。その理由は,理屈ではいくらでも説明できるが,つまるところ

われわれの世代は,戦後の反戦教育(ぶっちゃけて言えば旧社会党的な左翼寄りの思想)を

浴びて育っており,多くの人は思春期に身につけたその思想に束縛されているからだと思う。

それは別に悪いことじゃない。安倍さんがおじいちゃんの思想に染まっているのと全く同じだ。

要するに,誰の思想もある意味で「偏向」しているわけで,それを責め合っても仕方がない。

安倍さんの思想や政治手法に強い反感を持つ人は,次の選挙で自民党に投票しなければいい。

それだけの話だ。

 

その3。認知症で徘徊してJRの電車を止めたおじいちゃんの妻に損害賠償を命じた裁判の件。

この判決が正当か不当かと問われるなら,なかなか答えづらい。庶民感情的にはトンデモ判決の

ように思われるだろうが,現に生じた損害に対して誰も責任を取らなくていいということになると,

それもどうなんだろうか。裁判官としては,それだと法秩序が乱れるとおそらく考えたのだろう。

これとは逆に,広島で自動車事故を起こして2人を死なせた容疑者が心身喪失の状態だったと

いう理由で不起訴になったというニュースがあった。このケースでは,本人を監督する立場に

ある人が誰もいないなら,遺族は誰にも責任を問えず泣き寝入りになる。

こうしたギャップを埋めるための1つの方策は,保険の新設だろう。たとえば「徘徊保険」を作る。

家族に認知症の人がいる場合,徘徊保険に入っておけば,今回のようなケースで保険がおりる。

一方,心身喪失の状態が起こり得るような人が自分で「心身喪失保険」に入るとは思えないので,

こちらの方は公的なセーフティーネット,たとえば労災のイメージで「通り魔被害手当」のような

ものを作っておく必要があるだろう。マクロ的にはそういうふうに思うが,ミクロ的にはもちろん

判決を受けたおばあちゃんが気の毒だ。たとえ金銭的に余裕があったとしても,認知症の夫を

入れてくれる病院や施設が満杯なら,自分ではどうすることもできない。それはつまり社会的

インフラの不備という問題であって,訴えられるべきは身内ではなく政治や行政の側かもしれない。

 

その4。韓国の旅客船の転覆事故の件。この件を通じて,ある種の「学習」をした人もいるだろう。

それは,「緊急時には自分の判断で行動しなくてはいけない」ということだ。船内放送は「動くな」と

命じたが,それを忠実に守って死んだんじゃ意味がない。ニュース映像を見ると,船が沈むまで

かなりの時間があったので,その間に船外へ脱出しようと思えばできた人もいたように思う。

これは災害避難だけの話ではない。たとえば年金だ。無収入の学生にも「国民年金の掛け金を

納めなさい」と国は督促してくるが,年金制度を国がいつまでも維持してくれるという保証はない。

まじめに年金を納めたけれど自分が高齢者になったときには年金制度が崩壊して無収入となり

餓死するのと,年金を納めないという違法行為を働いてその分を貯金して餓死を免れるのと

どっちがいいか?という判断を,もしかしたら今のわれわれは迫られているのかもしれない。

原発だって同じことだ。福島の事故が起きた今,仮に日本のある土地に原発が新設されたなら,

それはその土地の人々が「原発事故のリスク」よりも「目の前の経済効果」を優先するという

判断を下したからにほかならない。だから仮にその土地で将来原発事故が起きたとしても,

その土地の人々は国を責めることはできない。国を信用したあなたたちが愚かだったのだ,と

いうことになる。それを承知で原発を誘致するのなら,それはその土地の人たちの自由だ

(補助金の恩恵を受けず事故のリスクだけを引き受けることになる近隣の地区には迷惑だが)。

これと同様の難しい選択を,われわれは日々迫られている。

要するに,自分の身は自分で守れ,ということですね。

 

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