日記帳(2014年7月13日)

 

 

今日の日曜日は朝から大雨で,雨が上がってから昼前に向島・干汐で1時間半ほど

釣りをしたが丸ボーズ。小イワシが寄ってなく,ダンゴでチヌも狙ったが当たりなし。

来週あたりから暑くなるし,釣りは当分お休みかと。

 

最近のニュースから1つ。兵庫県の号泣議員のことだ。

この人に対してはいろんな角度から批判ができるだろうし,割り切って言えば犯罪者で

あることもたぶん確かだろう。

 

だが,しかし。号泣会見以降の報道を見ながらわたくしが思ったことは,ただ1つ。

 

しばらくそっとしといてやれよ。

 

ということだ。やったことの責任は取らなければいけないが,あんまり追い詰めるのは

かわいそうだ。本人が思いつめて自殺でもしたら,マスコミも寝覚めが悪いだろ?

 

この人はまだ47歳だ。これから先の人生はたっぷりある。

本人のまわりの誰かが,この県議に救いの手を差し伸べてやってほしい。

「たとえ刑務所に入っても,出て来てからやり直したらいい」と助言してあげてほしい。

県会議員をクビになった人間にできる仕事を探すのはたぶん簡単じゃないだろうが,

本人が高望みさえしなければ,NPOの職員とか道はあるはずだ。

今の本人は,たぶん「どうやったら犯罪者の烙印を押されずに済むか」ということと,

「この先自分はどうやって生きていけばいいのか」という不安で一杯のはずだ。

そういう,ある意味で生きるか死ぬかの瀬戸際に追い詰められている1人の人間を

からかったりいじめたりするようなことは,メディアも視聴者も慎むべきだ。

ブラジルへ観戦に行った日本のサッカーファンは,品性のある行動で世界中から

一目置かれた。日本人のそういう徳性は,大事にする方がいいと思う。強い者を

からかうのは全く問題ないが,今の「号泣くん」はもはや弱者だ。弱いものいじめは

やめようじゃないか,みんな。彼の罪の償いは,法的な裁きに任せればいい。

税金のピンハネはもちろん悪いことだけれど,人を殺したわけじゃない。

まだ先がある1人の人間の人生を,暖かい目で見てやろうよ。

 

話題をもう1つ。東京都議会の「セクハラやじ」の件だ。

翌日の中国新聞に,やくみつるのコメントが載っていた。この人の言うことにはふだんは

あまり共感できないのだが,この日のコメントに対しては「そのとおり」と思った。

やく氏の感想をざっくり言うと,こんな感じになる。

 

「やじを飛ばした議員は,今までの習慣の延長で,軽い気持ちで言ったのだろう。

しかし今回の件をきっかけにして,こういうやじはなくす方向に向かわなければならない」

 

翻訳して言えば,「今回の件は許してやるよ。でも次からは許さないからな」ということだろう。

もちろん今回も,やじを飛ばされた女性都議が心に傷を受けたのは確かだ。

ただ,今までにもおそらく似たようなことが繰り返されていたのだろうし,今回の件を通じて

「セクハラやじはいけない」というモラルが一般に認知されたことで,よしとすべきだろう。

犠牲は払ったが事態が改善する方向に進んだのなら,トータルでは結果オーライだ。

いつまでも犯人探しのようなことをする必要はないと思う。

また,やじを飛ばした都議の人格を攻撃するような姿勢には賛成しない。

「悪気はなかったのに,結果的に人を傷つけてしまった」という経験をしたことのない人は,

たぶん一人もいないだろう。「私は傷ついた」と相手に言われて初めて気づくことは,日常の

生活の中でもよく起こる。相手に致命的な傷を負わせてしまったら「悪気はなかった」では

済まないが,今回の件は言われた女性都議の方もまあ「許せる範囲」だっただろうと思う。

この問題も,メディアの取り上げ方しだいでは一般市民に必要以上の「怒り」を生じさせ,

結果的にキレやすい国民を大量生産することにもつながりかねない。それがネット右翼の

ような現象の温床になっている面もないとは言えない。

 

一人一人の人間を見れば,根っからの悪人は世の中にそうそういるわけじゃない。

同じ過ちを繰り返す人はアウトだが,致命的な実害を生じさせない多少のミスや怠慢,

あるいはウソでさえ,一度目は(あくまで心情的には)許してやっていいんじゃないかな。

 

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