日記帳(2014年8月10日)

 

 

この1か月ほど仕事が多忙を極めていて,仕事以外でもいろんなことがあった。

 

 

まず,仕事のエアコンが故障した。設定温度は下げても冷気が弱くて汗がだらだら出る。

仕事にならんので電機屋さんに来てもらったが修理不能ということで,結局買い換えた。

15年くらい使った古いエアコンなので仕方ないが。

 

続いて自宅のパソコンが不調になり,これも結局買い換えた。

Windows7を入れたら動きはよくなったが,驚いたことが1つあった。

今まではこのHP作成ソフト(FrontPage)で作ったページがそのままの形でブラウザに

表示されていると思っていたが,Windows7の,つまりは最新の Internet Explorer で表示すると

行間隔がメチャクチャになっている。トップページのJavaを使った画像も出てこない。

ということは,もしかしてうちのHPを見ておられる多くの皆さんのブラウザ上には,書式が

崩れた文面が表示されてます?しかし,FrontPageでは直し方がわからない。

さらに,セブンの使い方に慣れたら仕事場の年代物のパソコン(Windows ME)も買い替える

つもりだったが,何とセブンだと FrontPage が動かないという。FrontPage以外のソフトで

HPを作る自信はないので,今のままMEを使い続けるしかない。

 

さらに身内が立て続けに2人入院したり,なんやかんやいろんなことがあって釣りに行くような

時間は全くなし。今日の日曜日はようやく細々した仕事が昼すぎに一段落したので,これを

書いたら「ゴジラ」でも見に行こうかと思っている。今日は台風が過ぎた後で風が強く,釣りは

無理っぽいし。

 

 

ここ1か月の間にもいろんなニュースがあったが,まずは理研の幹部・笹井教授の自殺のこと。

これに限ったことじゃないが,まわりの人が危険信号をキャッチしてやれんかったんか?と思う。

本人は前から辞意を漏らしていた,と報道されている。懲戒処分の結果が出るまで辞任が

難しいのなら,2〜3か月くらい休職させてあげるくらいのことはしてもよかっただろう。

それとは直接関係ないが,小保方さんをトイレまで追いかけたというNHKの取材もひどかった。

しかも弁護士の話では,NHKはこの件を一切報道しなかったという。こんなんじゃ中国を笑えない。

 

 

長崎の女子中学生の殺人事件も衝撃的だった。最初は仲のよかった母親が病死して,父親が

連れて来た再婚相手とうまくいかなくて精神的に不安定になったという構図かと思ったが違った。

週刊誌の報道では,亡くなった実母さえ殺そうと思ったそうだ。父親も継母も,本人を何とか

したいと思ってあちこちの医療機関などに相談していたという。結局,亡くなった被害者には

気の毒と言うしかないが,誰が責任を取るべきかという話になるとなかなか難しい。

家族は認知症で徘徊した老人が起こした事故の責任をどこまで追うべきかという話題もあった。

タイで代理出産を頼んだオーストラリア人夫婦が,ダウン症にかかった子を引き取らなかったという

話題もあった。どれもこれも,割り切った答えが出しにくい難しい問題ばかりだ。こういう問題に対して

ワンフレーズの短絡的な答えに飛びついてはいけないし,かといって考えるのを放棄してもいけない。

朝日新聞が,過去の従軍慰安婦関連の報道の一部を撤回する発表をしたという。

この発表自体は,いいことだと思う。間違った報道をしたことを反省するのはもちろん大切だが,

間違いを間違いと認めるのはなかなか勇気がいる。何らかの政治的思惑があったにせよ,

前に書いた号泣県議も「ごめんなさい」と素直に謝っておけば,あんな大騒ぎにはならなかっただろう。

 

 

今年も原爆記念日が来て,当日の中国新聞には例年と基本的に同じ内容の社説が載った。

当事者の立場になって考えれば仕方がない面もあろうが,この種の記事を読むといつも「卑怯だ」と

いう感想を持たざるを得ない。「核廃絶を訴えながら,アメリカの核の傘に守られているのは矛盾して

いる」−それは確かにその通り。しかし中国新聞は,この先を絶対に書かない。論理的に言って,

その矛盾を解決するには3つの道がある。

 

(A)アメリカに核を放棄させる。

(B)アメリカの傘に守られている現状をふまえ,核廃絶の訴えを取り下げる。

(C)核廃絶の主張を貫くために,アメリカの核の傘から抜け出る。

 

中国新聞がこれらの選択肢を示さないのは,どれも実現不可能と考えているからだ。

(A)は内政干渉。(B)は論外。(C)の先には「安保条約破棄→自主防衛路線(徴兵制を含む)

または非武装中立」という究極の選択が待っている。そんな二者択一を読者に突きつける勇気が

ないから,彼らはきれいごとで済むレベルまでしか話を掘り下げない。それはちょうど,「福島で

大事故があったのだから原発反対」とか「過疎化する地方を守るために予算を重点的に」とかの,

一方の都合だけを見てマイナス面から目をそむける思考停止の主張と同じだ。

あるいは,「難しいことはほかの誰かが考えてくれるだろう。自分たちは,言いたいことだけを

気持ちよく主張していたい」という自己満足に浸って社会に対する責任感を欠いた態度とも言える。

ただ,「現に生きている被爆者を裏切るようなまねはできない」という中国新聞の事情も理解はできる。

ここにもまた,簡単には解決のできない問題が横たわっている。

 

 

全然話は変わるが,つい最近「中学の数学教科書を英訳してほしい」という仕事の依頼を受けた。

中学の数学なんかもう覚えていないので,そもそも日本語が理解できませんと最初は断ったが,

「英語も数学もできる人」がおいそれと見つかるはずもなく,ほかに頼める人がいないので…と

言われると,フリーライターとしてはむげに断るわけにはいかない。これでますます忙しくなった。

世の中,難しい話ばっかりだ。

 

 

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