日記帳(2015年2月15日)

 

最近の話題からいくつか。

その1。イスラム国の機関紙が,人質2人を殺害したのは「日本に恥をかかせるため」

だという声明を出した。しかし,これは本当の理由ではないだろう。本当の理由が何かは

わからないが,日本に恥をかかせることが目的ならもっと効果的は方法はいくらでもあった。

安倍総理がイスラム国対策の資金を出すと言ったことで日本をターゲットにした,と彼らは

主張するが,恥をかかせるのが目的なら日本にたとえばこう通告すればよかっただろう。

「安倍総理が土下座して『お願いします,人質を返してください』と言え。そしてその動画を

ユーチューブに出せ。そうすれば人質2人は解放してやる」

こう要求されたら,安倍総理は土下座せざるを得ない。断って人質が殺されたら,自分の

責任になるからだ。そしてイスラム国は,ユーチューブで土下座の動画を確認した後で,

人質を殺せばいい。この方法なら,彼らが憎む安倍総理と日本に決定的な「恥」をかかせる

ことができただろう。ちょっと考えれば誰でも思いつくことだが,彼らはそうしなかった。

理由がどこにあるのかはわからない。そこまでやったら気の毒だ,と思ったのかもしれないし,

人質を殺すことが最初から決まっていて,恥うんぬんは後付けの理由だったかもしれない。

向こうも人間だから,いろいろ考えたんだろうな,とは思う。

 

その2。同じくイスラム国関連のニュースで,ある日本人フリーカメラマンがシリアへ行こうと

して,外務省にパスポートを取り上げられるという事件があった。訴訟も考えているという。

理由はもちろん「報道の自由の侵害」だ。マスコミには彼を支持する声もある。

外務省の求めに応じてパスポートを返却した理由として,彼は「外務省の求めを断ったら,

警察に逮捕されるおそれがあった。自分が逮捕されたら,知人(たぶん渡航のあっせんを

してくれた人だろう)に迷惑がかかるから」と述べたそうだ。

しかしこのカメラマンの行動と言動,および彼を支持するマスコミには,全く共感できない。

今シリアへ行けば,イスラム国に拉致される可能性は当然高い。もしそうなったら,自分が

どれだけ多くの人に迷惑をかけることになるのかを,このカメラマン氏は最初に想像すべきだ。

つまり「自分が迷惑をかける(であろう)相手」の選び方を間違っている。

それでも行きたいと言うなら,「もし人質になったら,自分で自分の命を絶つ」と表明すべきだ

(理由はもちろん,多くの関係者に迷惑をかけないためだ)。「もし自分が人質になっても,

助けてくれなくていい」というメッセージを残して行く,というのじゃダメだ。たとえ患者自身が

望んでも安楽死が認められないのと同じで,いくら人質本人が「助けていらない」と言った

ところで,日本政府が彼を見殺しにしたら世間やマスコミが許さない。

後藤さんが危険地域へ行ったときはまだ「報道の自由」という理由に説得力があった。

しかし現実に拉致されるという危険性が明らかになっている現状では,それを承知でシリアへ

行きたいのなら「自己責任」の覚悟をもっと強く持っておかないとダメだと思う。

 

その3。これもイスラム関連で,日本のある出版社が,襲撃されたフランスの出版社の雑誌に

掲載されていたイスラム風刺画を扱った本を出版した。店頭には一切並んでいないという。

そりゃそうだろう。書店のオーナーなら誰でも,店やお客がイスラム過激派に襲われるのは怖い。

じゃあ,この本を出版したこと自体はどうなんだ?という話になると,これは判断が難しい。

日本在住のイスラム教徒に不快感を与えるという面から言えば,出版すべきではない。

ただ,出版社側には「問題提起」という明確な意図があり(この出版社は暴露本を多く出している),

この件に関してはその考えにも一理あるように思う。たとえば広島の原爆資料館には被爆の

悲惨な状況を物語る写真などが展示されているが,被爆者の中には「思い出したくない記憶が

蘇るから,生々しい資料は出さないでほしい」と思う人がいるかもしれない。では,そういう人が

不快感を覚えるからという理由で,被爆の実態を示す資料の展示を自粛するのが正しいのか?

と問うなら,多くの人はノーと答えるだろう。そこには「人を不快にするようなものを公開するのは

一般的にはよくないが,それが持つ社会的意義の方が大きいときは公開が許容される」という

バランスの判断がある。両者を比べたときの線引きの違いが,意見の相違を生むのだと思う。

今回の本に関して言えば,最初からネット販売に限定して,サンプル画像は出さないという

あたりで妥協点を探ってもよかったかもしれない。出版社側の意図した「風刺かヘイトか」という

問題提起には一定の社会的意義があると思うので,露悪趣味と批判するつもりはない。

 

その4。サッカー日本代表のアギーレ監督の解任について,「サッカー協会の指導部が誰も

責任を取らないのは,身内に甘い体質の現われだ」という趣旨の論評がマスコミに多く見られる。

こういうのを「批判病」と言うのだ。

彼らは「監督を選ぶ際の身辺調査が甘かった」と主張する。しかし,現役の監督を引っ張ってきて

いるのだから,まさかその人物が犯罪者(もちろんまだ確定はしていない)だとは思わない。

八百長疑惑を事前につかんでいなかったのが悪いというなら,その責任は日本のサッカー協会

ではなくて,アギーレ氏が日本代表監督就任前に監督をしていたスペインのチームにあるはずだ。

こういう報道を見るといつも不快に思う。小保方さんのときもそうだった。結果的に再現実験は

失敗したが,少なくともその結果が出るまではSTAP細胞が存在している可能性もあった。

しかしマスコミは,再現実験開始のだいぶ前から小保方さんを犯罪者扱いしていた。

ついでに思い出すのは,だいぶ前の報道だが,こんなのがあった(記憶に頼って書く)。

東京都かどこかで,高校生に「脱法ドラッグ」(当時はこう呼んでいた。)の服用をどう思うかと

いうアンケートを取ったら,「本人の選択に任せればいい」と答えた者がかなり(2割くらい

だったかな)いた,という。

この結果を新聞は「若者の規範意識の低下の表れ」と論評をしていた。とんでもない発想だ。

脱法ドラッグとは,簡単に言えば「違法ではないが危険な薬」だ。他人がそれを買ったり飲んだり

することをどう思うか?と問われたら,あなたはどう答えるだろうか?

少数派の高校生たちが選択した「本人の判断に任せる」というのが,「正しい」答えではないのか?

彼らには「違法ではないがその薬は飲むな,と他人に強制していいのか?」という問題意識がある。

これに対して「強制していい」と考える人は,疑わしきは罰せよと主張しているのと同じだ。

これがどれほど危険な思想であるかは,説明するまでもないだろう。

嫌中・嫌韓の風潮も,この思想の延長線上にあると言っていい。

再現実験の結果が出てもいないのに小保方さんを犯罪者扱いしたマスコミもしかり。

後から出てきた八百長疑惑を理由にサッカー協会の体質を批判する人々もしかりだ。

あなたたちは「報道の自由」「言論の自由」という言葉をよく使うが,それを口実にして多くの人々の

人権を侵害している現実をどれだけ自覚しているのか?と問いたい。

 

 

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