日記帳(2015年9月19日)

 

今までもあれこれ書いたが,安保法案が可決されたことを受けて最後のコメントを。

 

世間の評価は,安保法制に賛成が2割,反対が6割,「よくわからない」が2割くらいだった。

分類するなら自分は反対派だが,賛成派がどんなふうに思っているのか興味があった。

テレビの街頭インタビューでは,賛成派のある若者が「同盟国が攻撃されても知らん振りと

いうわけにはいかないと思うので」と答えていた。同じく賛成派の外交専門家は「この法制に

よって,海外で危険にさらされている日本人を自衛隊が救援できるようになる」と言った。

平和維持活動に積極的にかかわることで世界平和に貢献できる,という意見もあった。

反対派の声もいろいろと聞いた。全体的な感想としては,みんな自分の思考が及ぶ範囲で

それなりに一生懸命考えて結論を出しているんだな,と思った。

だから,誰の言うことが正しいとか間違っているとかは思わない。

 

ただ,今回の政府の一連の動きを「民主主義の否定」ととらえるのは間違いだと思う

この点では,橋下大阪市長の指摘に合理性がある

http://www.sankei.com/west/news/150906/wst1509060020-n1.html

上の記事はいずれ消えるだろうから,ここに採録しておく。

「今やっている反対運動やメディアの報道は、本当は選挙前にやるべきだ。朝日新聞を中心に

選挙を軽視する連中に限ってあとから大騒ぎする」。大阪維新の会代表の橋下徹大阪市長は

5日夜から6日朝にかけてのツイッターで、国会審議中の安全保障関連法案に関し、昨年末の

衆院選の時こそ反対運動≠すべきだったとして、政府案反対論のメディアやデモのあり方を

批判した。

(中略)

 ツイッターの書き込みによると、橋下氏の論理は「安倍首相は集団的自衛権の行使を認める

ことは選挙の時に言っていた。反対運動はここでやるべきで、場合によっては自民公明の

議席数が減って、今の安保法制を止めることができたかもしれない」という点だ。

 安保関連法案が成立するかどうかの瀬戸際になってからの反対運動の盛り上がりに

「なぜ昨年年末の総選挙の時にやらなかったんだ?」とし、「朝日新聞の大好きな日本国憲法の

前文にはこうある。『日本国民は選挙で正当に選ばれた国会の代表者を通じて行動する…』」と

皮肉も交えつつ、「民主主義の制度において国を動かすのは選挙しかない」と指摘。

「何もしないことで中立性を確保する。日本のメディアこそ一番の事なかれ主義だ」と、

選挙報道のあり方を批判した。

8月31日に「デモで国家の意思が決定されるのは絶対にダメ」「たったあれだけの人数で

国家の意思が決まるなんて民主主義の否定」などと書き込み、議論を呼んだデモについても言及した。

 大阪都構想を目指して「一から政党を作って議会での過半数を獲る努力をしてきた」と

振り返りつつ、「散々説明不足だと言われ続けてきた」。その上で「デモくらいで世の中を

動かすことができるなら、僕の今までの労力はなんだったんだ? 世の中そんなに甘くない」と、

デモ批判の書き込みは実体験からの思いだったと吐露した。

 そして、こう強調した。「勝負どころは次の選挙だ。政府案がおかしければ、国民は自民党

公明党の議員を落とさなければならない。それこそ国民主権の下での国民の責任」

「今回は政府案を成立させてその是非を次の選挙で決めることが日本の民主主義と報道を

鍛えることになるだろう」

 次の国政選挙に強い関心を持っていることを示したもので、安保法案反対デモを繰り広げて

いる人たちへのエール≠ノつなげた。

 「デモで反対している人達。選挙で頑張れ。場合によっては自ら政党を作れ」「安保法制反対!

だけでは全く不十分」「デモの人数にこだわっている人達。選挙で国会議員を当選させるのは

楽じゃない。一度、皆さんの人数で同じ考えの国会議員を何人当選させることができるか挑戦してほしい」

いやあ。素晴らしい。橋下氏本人は好きじゃないが,この意見には全面的に賛成する。

デモで政治が動くようなことが万一起こったら,それこそが「民主主義の否定」だ。

端的に言ってしまえば,デモとはする側から言えばマスターベーション,される側から言えば「ガス抜き」だ。

ぼくはたとえ東京に住んでいたとしても,デモに参加しなかっただろう。お手軽な自己満足を味わいたい

人たちは,デモでも署名でも勝手にやればいい。「じゃあお前は,法案に反対なのに何もしないのか?」

と問われれば,そんなことはない。自分のやるべきことはやった。

以下の記事は,去年の衆議院選挙の日(12月14日)に書いた日記帳の記事の再掲だ(一部カット)。

 

今日は選挙に行ってきた。

いつものことだが,選挙の結果には関心はない。多数決に従うだけだ。(ただし速報を見るのは好きです)

自分以外の有権者も,それなりに物を考えてそれぞれの候補者に投票しているわけだから。

また,選挙のたびに投票率が低いことを嘆く人もいるが,棄権が悪いことだとは少しも思わない。

棄権は(自覚があろうとなかろうと)「誰が当選してもその結果には従う」という立派な意志表示なのだから。

ちなみに現在のわたくしはいわゆるノンポリで,選挙のたびに是々非々で投票先を決めている。

今回は「とりあえず自民党には投票するのをやめておこう」と思った。

安倍さんの目論見は,まず経済政策で実績を上げて自民党が絶対多数を獲得し,憲法改正に有利な状況を

作り出すということじゃなかろうか。その場合の「実績」とは,わかりやすい数字でなければならない。

たとえば株価のアップとか。そのためにはどんな手段でも使う。おおざっぱに言えば,金をどんどん印刷して

市場に出せば景気はよくなる。当然それには副作用もあるが,そんなこたあ知ったこっちゃない。

だって,景気をよくすることは目的ではなくて,憲法改正という目的を果たすための手段にすぎないのだから。

一時的に自民党の支持率が上がりさえすれば,自分の目的は達成できる。経済なんかどうでもいい。

− こういう筋書きを想像してしまって,その「陰謀」にまんまと乗せられるのがシャクだ,という思いが先に

立ってしまうわけだ。

 

ぼくは安倍さんという人物を,おじいちゃんに洗脳された一種の宗教家だととらえた。

宗教家が大きな権力を持てば,自分の個人的な思想を実現するためには何でもやるだろう。

たとえその思想が,世間の多くの人の考えとは食い違っていたとしても。

果たして結果はそのとおりになった。おそらくデモに参加した人たちの多くも,こう思っていただろう。

「安保法案の内容にも反対だが(あるいは法案の内容は二の次であって),日本という国が安倍という

一人の『独裁者』によって動かされている状況が気持ち悪い」

しかし,まさに橋下氏が指摘したとおり,その状況は天から降って来たものではなく「自業自得」だ。

安倍総理をリーダーとする自民党が絶対多数を握れば,こうなることは目に見えていた。

デモに参加した人たちに尋ねてみたい。「あなたは去年の衆議院選挙に行きましたか?」

「もし行ったのなら,どこの党の候補者に投票しましたか?」と。

その答えが「選挙に行かなかった」または「自民党に投票した」だったら,その人がデモに参加した

行為は,幼児が「あれがほしい」と買ってもらったオモチャを「やっぱりこれいらない。あっちがいい」

と駄々をこねているのと何ら変わりはない。民主主義を破壊しているのは君たちの方だよ。

 

自分は安保法案には反対だ。しかし法案は可決されてしまった。

この状況に直面したとき,反対派の多くの人々の感想や対応はおよそ2つに分かれるだろう。

希望を捨てないか,絶望するかだ。絶望する人は政治に無関心になるかもしれない。

ぼくは,どちらでもない。社会問題を考えることは「自分はそれにどう対応するか」を考えることで

あり,つまるところすべての問題は自分個人の受け止め方の問題だと思うからだ。

ぼくは安保法制には(デメリットの方が多いから)賛成ではないけれど,その考えは先の選挙で

投じた1票によって表明した。一人の国民として自分にできることをやったのだから,悔いはない。

仕事でもプライベートでも同じだ。自分の意に沿わないことは,日々の暮らしの中にいくらでもある。

愚痴をこぼしたって事態が好転するわけじゃない。だから,「今自分にできること」をやるしかない

自分の悩みに真剣に立ち向かう経験を積み重ねてきた人なら,この気持ちがわかるはずだ。

そういう目から見ると,デモで政治を動かそうという発想は,一種の現実逃避じゃないかと思って

しまうんだよね,オジサンは。 

 

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