日記帳(2016年5月29日)

 

今日は釣りの最中に腰痛の発作が起きて,フトンに横になるかイスに座るかしかできない。

この体調では仕事がらみのこともできそうにないので,夕飯まで日記を書いて時間をつぶす。

今回のお題は,オバマ大統領の広島訪問について。

ただし,このイベントそのものには特にコメントすることはない。

いいか悪いかと問われれば,演説も含めて「よかった」と素朴に思う。

これから書くことの中心は,(前から何度も書いているが)中国新聞への批判だ。

オバマ氏が広島に来ると決まって以来,中国新聞社は「謝罪要求キャンペーン」のような

記事を出し続けた。これをまず批判したい。

彼らが使ったキーワードは,「まどうてくれ」という広島弁だ。

この言葉は「弁償してくれ」「元に戻してくれ」のような意味で,中国新聞の論調によれば

これが被爆者の思いであり,だからオバマ氏は原爆投下を誤りだっと認めて謝罪すべきだ,

と中国新聞社は主張した。

一方,オバマ氏の広島訪問の数日前に,被爆者を対象としたあるアンケートの結果が載った。

調査の主催者は(中立的な立場の)共同通信社だ。

結果はこうだった。「あなたはオバマ氏に謝罪を求めますか」という質問に対して,「求める」と

答えた被爆者は約15%であり,「求めない」と答えた被爆者の割合は78%に達した

もちろん「謝罪を求めない」という回答の背景にはさまざまな思いがあるだろうから,

「被爆者の78%が原爆投下を許した」と解釈することはできない。

しかし少なくとも,「まどうてくれ」が被爆者の総意ではないことは,この調査から明らかだ。

要するに中国新聞社の謝罪要求キャンペーンは,自分勝手な思い込みに基づいて,人々の

憎悪をかき立てようとする悪質なアジテーションだった(辛らつな言い方をするなら,ツイッターを

炎上させるのを好む連中の精神構造と同じだ)と言うこともできる。

こんなにキツい言葉を使う理由は,前にも言ったが,ぼくは「マクロ病」の人たちが嫌いだからだ。

「オバマ大統領は謝罪すべきだ」という発想に,ぼくはマクロ病(=個人の内面に目を向けず,

ある人の発言や行動を社会的意味の面だけから見ようとする考え方)の影を見る。

謝罪を要求する理由を想像することは簡単だ。彼らはオバマという人を,一人の人間ではなく,

アメリカ大統領という社会的な「記号」としてとらえているからだ。彼らは個人としてのオバマ氏に

謝罪してほしいわけじゃない。大統領としてのオバマ氏(が象徴するアメリカという国)に謝罪

してほしいのだ。つまり,オバマ氏個人の思いは彼らの眼中にはなく,大統領でありさえすれば

誰でもいいわけだ。

ここまでを読んで「それは違うんじゃないか?」と思った人もいるだろう。

「オバマさんが原爆投下の悲惨な結果を自分の目で見れば,一人の人間の心情として謝罪の

言葉が出てきてもおかしくないはずだ」と思う人もいるだろう。これは一種のミクロ的発想だ。

しかしその発想は,人間というものに対する底の浅い,自己中心的な見方でしかない。

※そういう人は,たとえば凶悪犯に肉親を殺された人がわんわん泣いて「犯人を死刑にして

ほしい」と訴えたら,「この涙を見れば死刑制度の存続に誰もが賛成するはずだ」と言いかねない。

 

オバマ氏の気持ちに寄り添って考えるとき,ぼくが彼だったら絶対に「謝罪」なんかしない。

アメリカ国内の世論とか,政治的影響とかのマクロ的な理由は全く関係ない。

「謝罪することは自分のアイデンティティーの喪失だ」と,ぼくなら思うだろう。

以下,オバマ氏になったつもりで語ってみよう。

 

私は政治家であり,アメリカという国をよりよくして国民を幸福にするのが私の仕事だ。

今日のアメリカを築き上げる上で,多くの先輩政治家たちの努力があった。

原爆投下の判断を下したのは,当時のトルーマン大統領だ。

もし私が「原爆投下は誤りだった」と認めたら,それはトルーマン大統領の判断が間違いだった

と公言するのと同じだ。私は人間として,また職業人として,そんな真似は絶対にできない。

当時私は生まれていなかったから,「トルーマン大統領の原爆投下の判断は正しかったと

思うか?」と問われれば,「私にはわからない」というのが最も正直な答えだ。

ただ少なくとも,トルーマン氏は私利私欲で原爆投下の判断をしたわけではないはずだ。

彼は大統領として,わが国と国民にとってその時点では原爆投下が最善だと考えたに違いない。

今日アメリカが世界で最も影響力の強い国になっていることから考えても,少なくともアメリカに

とってその判断は,間違いだったとは思わない。

私はアメリカ大統領であり,アメリカという国に尽くすことが私の人生の意味だ。

政治家に限らず,結果が悪ければ自分の判断や行動を批判されるのは仕方がない。

自分が批判されるのは一向にかまわないが,先人の政治家がわが国のことを考えて,政治の

プロとして判断したことを後輩の自分が否定するのは,人の道に反するだけでなく,政治家と

いう職業に対する冒涜でもあると私は思う。

 

万人に共感してもらおうとは思わない。ミクロ病と言われてもかまわない。自分はこう思う,というだけだ。

もう少し一般向けにわかりやすい理由を挙げるなら,そもそも広島に原爆が落ちたのは,日本が

アメリカと戦争を始めたからだ。だったら原爆投下の責任の一端は,戦争を始めた日本政府にも

あるんじゃないのか?当時,トルーマン大統領に相当する日本の最高責任者は,昭和天皇だ。

だから,もしも被爆者たちが「トルーマンの後継者であるオバマ」に謝罪を要求する権利があるのだと

したら,同じように「昭和天皇の後継者である平成天皇」にも原爆が落ちたことに対する謝罪を

求める権利があるということにならないだろうか?

しかし,そんな理屈に賛同する人は日本中探してもまず皆無だろう。

さらにもう一つ。今上天皇は太平洋戦争で激戦地となった海外へ「慰霊の旅」によく出かけておられる。

日米の戦争の巻き添えになって亡くなった現地の人々も大勢いるはずだ。その人たちの子孫は,

今の日本の天皇に向かって「我々の土地を戦争に巻き込んだのは,あなたの親の責任だ。だから

あなたは私たちに謝罪しろ」と要求するだろうか。そんな話は聞いたことがない。

そういう「謝罪」の要求が起こらない理由は,大きく言って2つあると思う。

1つは,「昔の人がやったことの責任を今の人に取らせるのは酷だ」という思いだ。

オバマ氏に謝罪を求めないと答えた被爆者の中にも,そう考えた人は大勢いただろう。

もう1つは,人間は不幸を忘れなければ生きていけないということだ。

たとえば小さな子どもを病気で亡くした親は,そのときの辛さを一生引きずるわけじゃない。

心の中の悲しみは,時とともに日常に埋もれて相対的に小さくなる。被爆者だって同じだと思う。

「まどうてくれ」という強い憎しみの感情をずっと心に抱いたままで生きていくのは,中国新聞社の

記者連中が考えるよりもはるかに大変なことだ。それよりも,被爆という大きな不幸を少しでも

「忘れる」方向に,普通の人の心は傾いていくんじゃないだろうか。そういう意味から言っても,

「オバマ謝罪要求キャンペーン」は多くの被爆者の心情に寄り添っていないとぼくは思う。

 

話のついでにもう1つ。中国新聞社はことあるごとに「核兵器廃絶」と言うが,

今日の反核運動は根本的に方向性が間違っているとぼくは思う。

確かに核兵器を保有していない国々の間では,核兵器廃絶の機運が近年高まっている。

しかし彼らのロジックは,(当人たちが意識していようといまいと)「核兵器は禁止すべきだ」

「しかし通常兵器は使ってよい」という前提に立っている。

日本の反核運動は,このロジックに乗っかってはいけないのじゃないだろうか。

核兵器廃絶論者の皆さん。よく考えてほしい。

「核兵器は大量虐殺をもたらし,生き残った人々も大きな被害を受ける非人道的兵器だ。

だから撤廃すべきだ」とあなたたちは主張する。では聞くが,あなたたちは「核兵器以外の

兵器だったら使ってもいい」と思っているのか?およそ兵器というものに,人道的も

非人道的もない。(原爆のように)数十万人を一度に殺す兵器であれ,(短銃のように)

1人を殺す兵器であれ,それによって死ぬ人にとっては何の違いもない。

「核兵器反対」と大きな声で言えば言うほど,あなたたちは「でも一般兵器ならOKだよ。

だってワシらは核兵器にしか関心がないから」というメッセージを発していることになるのだ。

ぼくは思う。あなたたちが主張すべきは「核兵器反対」ではない。「すべての兵器への反対」

すなわち「戦争反対」だ。世界から戦争がなくなれば,結果として核兵器もなくなる。

「戦争そのものをなくすのは難しいから,せめて核兵器だけはなくそう」だって?

人間から「戦争をする心」が消えない限り,たとえ核兵器がなくなっても別の強力で

非人道的な兵器が生まれるだけだろう(たとえばドローンを使ったロボット兵器とか)。

それでは,被爆者たちの「願い」はいつまでたっても叶わないのではないか?

共同通信社のアンケート結果をもう一度見てみろよ。被爆者の「まどうてくれ」という言葉は

核兵器(を落としたアメリカ)に向かっていると君たちは思っているかもしれないが,本当は

その言葉は戦争(を起こす人々)全般を指弾しようとしているのではないのかい?

もしそうだとするなら,今日の核兵器廃絶運動は,問題の本質を避けて自分たちの

見たいものしか見ようとしない,ある種の現実逃避なんじゃないのか?

とオジサンは思うのだよ。

 

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