日記帳(2016年7月10日)

 

今日は選挙に行ってきた。

結果はマスコミの事前の予想でだいたいわかっているが,選挙速報を見るのは好きだ。

スポーツ中継のような緊迫感がある。候補者本人はそれどころではないだろうが。

ところで今回の選挙結果を見て,いわゆる進歩派というか護憲派というか左翼というか,

そっち系の人々は「このままでは日本はどうなるのだろう」と不安に思うかもしれない。

しかし,オジサンの見立ては違う。

「今回の選挙で与党が参院の3分の2を超える議席を獲得したことは,後で振り返ると

結果オーライだった」と左寄りの人々も考えるようになる可能性が高いような気がする。

その(これを読んでいるあなたの予想とはたぶん違う)筋書きは,以下のとおりだ。

 

今回の選挙結果を受けて,安倍政権はできるだけ早く憲法改正の国民投票の手続きに

入ろうとするだろう。これだけは100%間違いない。安部さんはその目的に自分の人生を

捧げているわけで,しかも今の野党にも与党にも(それこそ安倍さんを暗殺でもしない限り)

安倍さんに逆らえるような勢力はない。また「できるだけ早く」というのは,そうしないと

消費税引き上げ延期やイギリスのEU離脱などの悪影響が経済面でどんどん出てきて,

「憲法改正なんか今はどうでもいいだろう」という雰囲気になりかねないからだ。

 

しかし,安倍さんの背後にいる日本会議にとって,その状況はおそらくあまり歓迎できない

オジサンが日本会議の幹部なら,次のように考えるだろう。

@自分らの望むような憲法改正のチャンスは,そう多くはない(一度きりかもしれない)。

Aそのチャンスを託す人物として,安倍さんは適任だ。

Bしかし残念ながら,今動くのは時期尚早だ。

まず@については,仮に憲法改正の国民投票で自分らの望む結果が出なかった場合,

「じゃあ来年また国民投票やりましょう」というわけにはいかない。少なくとも数年くらいの

時間差は必要だろう。それを考えると,「勝てる確率の高い時期」を狙って国民投票を

実施するのがベストだ。では,どうやったら勝てる確実を上げることができるのか?

その最低条件の1つは,自民党政権が一定の支持率を得ることだろう。

そのためには経済の安定は必須であり,アベノミクスはそういう意図で行われた。

だから日本会議も,Aの「安倍政権下で憲法を改正する」という方向自体に異論はなかろう。

ところが問題はBだ。

残念ながら,今憲法改正の国民投票をやっても,過半数の賛成が得られる可能性は低い

そのことは世論調査が証明している。

オジサンが日本会議の幹部なら,こう考えるだろう。

「もうちょっと待ってくれ。世間一般に対する『洗脳』は,着実に進んでいる。ワシらの力で

遠からぬ将来に過半数の国民を憲法改正賛成の立場に変えることは,無理な話じゃない。

だから国民投票は,その時点で実施するのがベストだ」

 

しかし困ったことに,安倍さんはそんなことは考えない。憲法改正が彼の生きがいだからだ。

だから,「何が何でも今やろう」と思っている。しかも「緊急事態条項の新設」のような小手先の

改正では安倍さんは決して納得せず,憲法の理念を根本的にひっくり返すような改正案を

出させようとするだろう。そして,そういう安倍さんに逆らえる勢力は今のところない。

安倍さんのその思いは日本会議にとって痛し痒しであり,現時点ではむしろありがた迷惑だろう。

しかし早ければ1年以内に,ドラスチックな憲法改正案の国民投票が実施されるだろう

そしてその投票で国民の過半数は「ノー」を選択し,憲法は改正されないだろう

(部分的に改正されたとしても,それは安倍さんの「野望」からはかけ離れた,

ごく小さな規模の改正に終わるだろう)

かくして安倍晋三という一人の狂信者による一連の「憲法改正クーデター」は終わりを告げ,

後には以前と変わらない政治の荒野が広がるだろう。

そして左翼の人々は,「今憲法改正の国民投票が行われてよかった。日本会議の洗脳が

進んだ何年か先だったら,結果は逆だったかもしれない」と胸をなでおろすだろう。

 

― というのが,オジサンの予想する今後のストーリーの概要だ。

 

ついでに,妄想を1つ加えておく。(実現の可能性はまずないが)

衆参両院で憲法改正の発議が可決され,いよいよ国民投票の日程が決まった頃。

政治家ではない一人の人物が口を開いた。

「あくまで私の個人的な意見ですが,戦争は絶対にあってはならないと私は思います。

わが国の憲法は,その思想を尊重するものであってもらいたいものです」

 

その人物とは,誰あろう平成天皇その人だった。

天皇があえてこのような政治的発言をしたのは,日本が積極的に戦争に関わろうとする

方向へ向かっていることに,かつての歴史への反省から強い危機感を持ったからだった。

そして天皇の発言は,護憲派たちの大きな力となった。彼らは,敵である日本会議を

中心とする明治憲法復活主義者たちに向かって言った。

「君たちの思想によれば,天皇が一番偉いんじゃないのか?君らの敬愛する天皇陛下が

(実質的に)憲法9条を守るべきだと言っているのに,君たちはそれを無視するのか?」

さて,君主主義者たちはこの問いかけにどう答えるだろうか。

もう少し現実に引き戻して言えば,今の日本会議の人々をこう問い詰めてもいい。

「君たちは天皇至上主義者だ。では今の天皇は,現行憲法よりも明治憲法の方がいいと

思っているだろうか?何なら君たちの誰かが直接,天皇陛下に聞きに行ってみてはどうだ?

それでもし天皇が『自分は今の日本国憲法がいいと思う』と答えたら,君たちはその考えに

従うべきなんじゃないのか?それとも,そう答えられるのが怖くて尋ねられないか?」

 

これに対して,日本会議の中にはこんな考えを持つ人もいるかもしれない。

大切なのは,天皇制が象徴する国民の結束(つまり「国体」)だ。天皇個人の意思は関係ない

そしてその思想は,映画『日本の一番長い日』でも語られた,終戦直前にクーデターを起こした

若い陸軍将校たちの思想と同じだ。結局,時の天皇という一人の人間は,いつの時代も

自分勝手な原理主義者たちの道具として利用される気の毒な存在にすぎない。

天皇(制)を自分らの都合のいいように利用しようとする発想は,イスラム教の教義を

曲解してテロ活動を行うイスラム国の発想と寸分違わない。

 

※知らない人もいると思うので一応参考までに(元ネタはウィキペディア)。

明治憲法下での天皇の位置づけには,「天皇機関説」と「天皇主権説」という2つの学説の

対立があり,もともとは前者(天皇機関説)が明治憲法解釈の定説とされていた。

天皇主権説だと,天皇個人が国の主権者であって全国民はそれに従わねばならない(つまり

北朝鮮の政治体制と同じだ)。一方天皇機関説では,国の主権は国家にあり,天皇はその

代表としていろんな実務を行う(つまり天皇は国の機関の1つだ),というようなイメージだ。

ところがいつの時代にはバカはいるもので,1935年(昭和10年)に「天皇機関説事件」が

起きた。「天皇を機関車や機関銃にたとえるとはけしからん」という批判が広がったもので,

それ以降は実質的に天皇主権説(つまり天皇=金正恩ということ)が軍部の思想となった。

これは時の政府には都合のいい考え方だろう。実際に国を動かすのは政府の役人だが,

最終責任は天皇に取ってもらえばいいのだから。一方今日の国民主権の社会では,

政府が何をやろうと,その結果生じたことの最終責任は国民自身にある(政府を構成する

のは国民が自ら選んだ政治家だから)。そういう意味で言うと,天皇主権のもとでは国民も,

たとえば「戦争の責任は誰にあるのか」と問うことが難しい。法律的には天皇に責任が

あったとしても,「天皇を批判する」という行為自体がけしからん,とみなされるからだ。

結局のところ天皇主権制とは,国にどんな不幸が起きても誰も責任を問われないという,

為政者にとって(同時に思考を放棄した一部の国民にとっても)この上なく都合のいい

責任回避(あるいは現実逃避)システムだと言っていいだろう。

 

今回の記事の趣旨を確認しておこう。

今回の参院選で与党が「勝った」ことは,結果的によかったと思う。

右であれ左であれ,一人の狂信者に世の中が振り回されるのはよろしくない

彼の「野望」には,近いうちに決着がつく。(おそらく彼の敗北という形で)

その先に何があるのかはわからないが,むしろ混沌が訪れる方がベターだ。

みんなが同じ方を向くときは,たいていロクなことはないのだから。

 

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