日記帳(2016年7月24日)

 

まだ体の体温調節機能がうまくいってないようで,咳や鼻水が出る。

仕事も忙しいので,週末もほぼ室内にこもっている。

下の娘が今話題のポケモンGOをダウンロードしたので画面を見せてもらった。

近所の家の敷地内にもターゲットがいるという設定になっている。

そりゃあ犯罪も起きるわな。

スリルを高めるために意図的にそういう設定にしているのなら配信する側が悪質だと

思うし,技術的な限界でランダムに配置せざるをえないのなら早く解決してほしい。

たとえば川の中にモンスターがいるという設定を子どもが見て,川へ入っておぼれて

死んだ,というような事故が起きたら,任天堂は損害賠償を請求されるんじゃなかろうか。

大人も,息抜きにゲームをするのが悪いとは言わんが,まあ1日に30分〜1時間くらいに

しておくのが賢明じゃないの?大きなお世話だろうが。上の娘に聞いた話では,高速の

サービスエリアでスマホを持ってうろうろしているサラリーマンが大勢いるという。

車の中でも操作できるそうで,高速で車を運転しながらスマホでポケモンを探している

人もいるらしい。何というか,ビジネスモデルとして間違ってるんじゃないだろうか。

 

選挙が終わって週刊誌を見ると,「そもそも民主主義は正しいのか?」という趣旨の

記事が散見される。平たく言えば「バカには選挙権を与えない方がいい」という主張だ。

それには賛否があるだろうが,次回の選挙でこんなことを試してはどうだろう。

(先日出たクイズ本にも似たようなことを書いた)

「選挙当日に投票ハガキを投票所に出す際,有権者は投票用紙5千円

どちらかを選ぶことができる」

つまり「投票したくない人には5千円あげます」というシステムだ。

目的は「積極的に投票したい(政治に対して自分の権利を行使したい)」と考えている人,

言い換えれば民主主義を大切だと思っている人が世の中にどの程度いるかを確かめることだ。

行くだけで5千円もらえるのなら,投票所に足を運ぶ人は増えるだろう。

しかし5千円を受け取ったら,その人は「民主主義は自分にとってどうでもよい」という

意思表示をしたことになる。もし過半数の人が5千円の方を選んだら,それこそ「民主的に」

現在の普通選挙のシステムを廃止するという選択もありじゃなかろうか。

その場合はこんな感じになる。5千円を受け取った人には,次回の国政選挙の際には

投票ハガキが発送されない。その選挙では気が変わって投票したいというなら,選挙の

当日に投票所へ行って(前回もらった)5千円を払えば,投票用紙と引き換えてもらえる。

このシステムの方が,現在の選挙制度よりもある意味で「公平」だと思う。

今回の選挙結果を受けて,多くのマスコミは「国民は安倍政権に(憲法改正を含む

さまざまな問題の取り扱いを)白紙委任したわけではない」という趣旨のコメントをした。

その言い方は正しくないと思う。マスコミの言う「国民」とはいったい誰のことなのか?

投票率は5割ちょっとだったから,少なくとも4割くらいの有権者は「行こうと思えば選挙に

行けたのに,行かなかった」ことになる(体が不自由だなどの理由で行きたくても選挙に

行けなかった人も1割程度はいたと想定している)。

その4割の人々は,「選挙に勝った側に白紙委任する」という意思表示をしたことになる。

「自分は参加しないから適当に決めてくれ。決まったことには従うから」ということだ。

そういう4割の有権者は「国民」ではない,と,マスコミは言いたいのだろうか?

異論はあるだろうが,選挙に行かないことも1つの意思表示だと思う。

投票率が低いと嘆く必要はない。投票に行かない人も,行かないことで政治に参加して

いると考えればいいのだ。もしそうであるなら,たとえば投票率が4割なら,残りの

6割の人は「白紙委任」を選んだことになる。つまりそっちの方が多数派だ。その場合,

有権者は多数決によって白紙委任を選択したと判断するのが本当の「民主」主義だろう。

白紙委任ということは,次のどちらでもいいということだ。

@投票に行った4割の有権者が決めたことに自分は従う。

A有権者以外の誰か(たとえば1人の政治家)が決めたことでも自分は従う。

@の立場から言えば,今の選挙制度を残してもかまわない。

一方Aの立場から言えば,そもそも選挙なんかしなくていい。

「誰の言うことにでも従いますよ」という人が6割いたとすれば,そっちが多数派だ。

「白紙委任派の方が数が多いんだから,4割の連中のためにわざわざ選挙をする必要はない。

選挙には費用がかかる。その費用は税金から出るのだから,税金の無駄遣いだ」と主張する

人だっているかもしれないし,それは正論だと言えば言える。

 

結論。

投票率が低いということは,「誰かが好きに決めてくれていい」と考える人の方が多いと

いうことだから,そもそも選挙を実施すること自体が無意味ではないだろうか。

そして,そうした「白紙委任主義者」が多数派であるなら,彼らの立場を最大限に

尊重するのが本当の「民主」主義ではないだろうか。その結果「民主主義が民主的に

放棄される」というパラドックスが生じても,それは仕方ないんじゃないだろうか。

 

「おもちゃを大切にしない子には,もうおもちゃは買ってあげませんよ。」

「民主主義を大切にしない国民には,もう民主主義はいらない…よね?」

― 同じことだよ。

オジサンは選挙権も民主主義も大切だと思っているから選挙には行くけれど,たとえば

国民の多くが「民主制でも君主制でもどっちでもいいよ」と言うのなら,国として君主制を

選ぶという道も否定はしないよ。それが民主主義というものだから。

 

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