日記帳(2016年12月18日)

 

年末はあれこれ忙しく,今日は釣りはなし。

天気がいいので朝から仕事場の大掃除をして,パソコンで年賀状を作った。

夜は高校の同級生との忘年会が入っている。 

今年を振り返って,記憶に残ったことをあれこれと。

 

◆トランプ現象

記憶に残ったことの第1位は,アメリカでトランプ大統領が生まれたことだ。

選挙前は,この人が勝つことは絶対にないと予想していた。

理由は単純で,「女性有権者の票がほとんど入らないだろう」と思ったからだ。

自分が女なら,あんな男に投票することは絶対にない。生理的に受け付けないから。

ところがだ。選挙後の分析によると,投票した女性の4割ほどはトランプ氏に入れたという。

けだしアメリカの女は怖いと言うべきか,それとも女は怖いと言うべきか。

トランプ氏勝利の結果の主要因の1つとして,「クリントンに入れたくない」という心理が

多くの人に働いたという分析があるが,それはどうだろうか。

もしそれが事実なら,民主党の予備選挙でサンダース氏が勝ってもよかったはずだ。

個人的には,自分がアメリカ国民なら絶対サンダースさんに入れたんだが。

人品(じんぴん)という言葉は最近あまり使われないようだが,トランプ氏とサンダーズ氏を

比べたら,主張の中身以前に人間としての品性に歴然とした差があると思うのだが。

しかし新聞にある識者が書いていた説によれば,アメリカ人でも大卒以上の学歴を持つ人は

圧倒的にクリントン氏(やサンダーズ氏)を支持したそうで,対照的に高卒以下の学歴の人は

トランプ氏を支持する率が非常に高かったそうだ。たとえそうであったとしても,国民全体が

民主的な手続きでトランプ大統領を選んだという事実は尊重しなければならないだろう。

ちなみにトランプ的な物言いをする人たちは日本にもいる(特にネットの世界には多い)が,

彼らをどう思うか?と問われたらこう答えよう。

過激な発言が本人の信念に基づいている(心の底から正しいと思っている)のなら,

特定の個人や団体を誹謗するものでない限り何も問題はない。

しかし世間の関心を得るためのいわば「炎上商法」の意図を持って発言しているのなら,

発言者の品性を疑わざるを得ない。

トランプ氏は当然後者だ。だから嫌いだ。

 

◆TPP

トランプ大統領によってTPPの構想はアウトになったが,いろいろと考えさせられることが多かった。

経済のことはよく知らないので素人考えで言うなら,日本のビジネスモデルは,言い方は悪いが

「搾取」する相手がいなければ成り立たないように見える。

たとえば日本企業が東南アジアに進出して工場を作れば現地の雇用は増え,経済は潤うだろう。

しかしもっと大きな目で見れば,そのようにしてどこの国も日本と同じくらい豊かになったら,

今の日本の経済成長モデルは成り立たなくなる。今まで下請けの仕事を発注していた現地の

経済が豊かになれば人件費が上がってしまい,下請けに出す意味がなくなるからだ。

現に中国はそうなりつつあり,多くの企業がもっと「貧しい」カンボジアとかミャンマーとかへの

進出を考えている。これが搾取のサイクルでなくて何だと言うのだろう。

もっとも身近な例で言えば,コンビニや居酒屋の店員がそのうち全員外国人になるんじゃ

ないかいう現状を見ると,日本の社会全体が労働力のダンピングを通じて自国民と外国人

労働者の両方を搾取しているようにも思える。

そう考えると,世界中の各国がかつての日本と同じような高度成長の時期を経て豊かになり,

技術力も日本に追いつくようになれば,昔われわれが社会科の教科書で習った「加工貿易」と

いう日本経済を支えるシステムは機能しなくなり,経済成長は望めないが自国内だけで経済を

回しながら身の丈に合った暮らしができるようになるかしれない。…無理だな。

 

◆日本会議

フリーメーソンが世の中のすべてを動かしていると聞いても,以前なら「バカじゃないの?」と

思っていたが,今はそういう陰謀史観を一概に否定できなくなってしまった。

それというのも『日本会議の研究』を読んだからだ。

何十万部も売れたので読んだ人も多いと思うが,自民党右派の思想的バックボーンであり

政治的圧力団体としても隠然たる力を持つ(とこの本の中で説明されている)日本会議という

一種の狂信的国粋主義団体が,簡単に言えば安倍政権を裏で操っているというのだ。

これを読んでしまったら,選択的夫婦別姓制が最高裁で否決された件も,サラリーマンの妻の

扶養控除の全廃が見送られた件も,果ては天皇の生前退位に反対する有識者会議の面も,

およそ民主主義的価値観を否定するすべての判断の背後には日本会議の存在があると

言われても,今なら信じてしまいそうだ。

 

◆天皇の生前退位

産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)が(9月)17、18両日に実施した合同世論調査

によると、天皇陛下が天皇の位を生前に皇太子さまに譲られる「生前退位」について、

「今後のすべての天皇が生前退位できるようにすべきだ」と答えた人が73・3%、

「今の陛下に限り、生前退位できるようにすべきだ」が21・5%で、

合わせて生前退位を認める人が9割以上に達した。

「生前退位を認めるべきではない」は3・8%だった。(ネットのニュースから)

妥当な結果だと思う。主催者が産経新聞社だから,(この件に関しては)数字の捏造はないだろう。

朝日新聞社が行った世論調査の結果もほぼ同じだった。

一方,「有識者会議」の議論はこれとはかなり違っていた。以下はNHKのサイトの記事の抜粋だ。

招かれた16人のうち、天皇の退位に8人が賛成、5人が反対の考えを明確に示したほか、

残る3人は国民の意志や国会の議決など条件付きで退位を容認する姿勢を示しながらも、

退位できる制度を設けることに慎重な考えを示しました。

また、退位を認める場合の法整備の在り方についても賛否が分かれました。 

政府内で有力視されている、今の天皇陛下に限って退位を認める特別法の制定について、

退位に賛成した8人のうち、5人が理解を示す一方、2人は皇室典範を改正して恒久的な制度と

するよう求めたほか、残る1人は特別法で恒久的な制度を設けるよう主張しました。 

これに対して、退位に反対や慎重な考えを示した8人のうち、法整備の在り方に言及した6人は

いずれも、「世間の同情に乗じ、特例法で対応することは憲法違反にかなり近い」などと、

特別法の制定に反対しました。

要約すると次のようになる。

・天皇の生前退位を認めることに賛成 → 国民の9割以上,有識者の半分(16人中8人)

・生前退位の制度を恒久化すべきだ → 国民の7割強,有識者の2割弱(16人中3人)

この結果に対して有識者の立場からコメントすれば,こうなる。

「国民の多くは生前退位(の恒久化)に賛成しているが,それは彼らが無知だからだ」

(有識(=知識[良識]がある)者である我々から見れば,多くの国民は無知で愚かな考えを持っている)

一方,国民の立場からは次のように言える。

「大多数の国民の感覚とずれている人たちは,『有識者』の名に値するのか?」

この意見の対立は,ある意味で民主主義の根幹にかかわっている。

・民主主義的発想=9割を超える国民が賛成しているのだから,生前退位を認めるべきだ。

・君主主義的発想=有識者(エリート)の方が正しい。多くの愚かな国民はその判断に従えばよい。

日記帳や雑記帳で何度も語っているが,君主主義は民主主義よりも「宗教性」が強い。

君主が絶対的に正しいのなら(つまり宗教で言う神なら),無条件にそれに従えば幸福になれるだろう。

しかし残念ながら,すべての君主は愚かなこともある。人間だから。

民主主義はそれを克服するために生まれた。大衆だって当然愚かなこともある。

しかし「愚かな1人の判断」と「愚かなみんなの判断」のどちらに従いたいか?というのが

両者のどちらを支持するかの分かれ道になる。オジサンは断然後者だな。

韓国で愚かな大統領への若年層の支持率が0%という恐ろしい数字になったことからもわかるだろう。

 

◆ベストセラー

今年のベストセラーのランキング(日販調べ)は次のようになっている。

http://www.nippan.co.jp/ranking/annual/

1 天才(石原慎太郎)
2 おやすみ、ロジャー 魔法のぐっすり絵本(カール=ヨハン・エリーン 三橋美穂監訳) 
3 ハリー・ポッターと呪いの子 第一部・第二部 特別リハーサル版(J.K.ローリング ジョン・ティファニーほか)
4 君の膵臓をたべたい(住野よる)
5 嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え(岸見一郎 古賀史健)
6 どんなに体がかたい人でもベターッと開脚できるようになるすごい方法(Eiko)
7 羊と鋼の森(宮下奈都)
8 コンビニ人間(村田沙耶香)
9 正義の法(大川隆法)
10 新・人間革命(28)(池田大作)
11 つくおき 週末まとめて作り置きレシピ(nozomi)
12 火花(又吉直樹)
13 超一流の雑談力(安田正)
14 言ってはいけない(橘玲)
15 結局、「すぐやる人」がすべてを手に入れる(藤由達藏)
16 幸せになる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え(2)(岸見一郎 古賀史健)
17 置かれた場所で咲きなさい(渡辺和子)
18 幸福の花束(創価学会)
19 また、同じ夢を見ていた(住野よる)
20 コーヒーが冷めないうちに(川口俊和)

毎年似たような結果だが,よく売れる本はおおむね次の4つのうちのどれかに該当する。

@小説  A自己啓発  Bハウツーもの  C著者が有名人(宗教家を含む)

@とCが売れるのは理解できる。しかしAとB(の一部)はどうなんだろうか。

上のランキングの15番とか17番とかは,読まなくても中身が想像できそうだ。

たとえば自己啓発の本には「他人の評価を気にしすぎてはいけない」とよく書いてある。

これは要するに,「自分の頭で物を考えなさい」ということだ。

そういう観点から言えば,自己啓発本を読もうとすること自体がアウトなんじゃないの?

あるいは,アルコール依存症の人に「お酒はやめましょう」と言っているようなものだ。

そんなことは本人も分かっているのだ。しかしそれができない。

自己啓発本を好んで読む人は,自分の欠点を指摘されることで安心感を得るのだろうか?

その本に「こうすべきだ」と書いてあるのを読んで納得して,実際にはやらないのに

その指示に従ったような気分になるのだろうか?だからオマエはだめなんだよ!(笑)

そしてB。たとえばリストの6番目にある『開脚』の本だ。

アマゾンには219件の書評があり,5段階の5(最高点)をつけた人が53人(28%)。

一方,1(最低点)をつけた人が90人(42%)いる。

つまり,この本を買った人のうち4割強は「最低だった」と評価したわけだ。

そんな本を1,400円も出して買うなんて,みんな金持ちだね。

買う前にちょっと調べれば,本のおよその中身なんかわかるだろうに。

週刊新潮の最後のページの「週刊鳥頭ニュース」で佐藤優とコンビを組んでいる

西原理恵子が,名言を吐いていた。これが今年一番心に残った言葉かな。

本を売るためには,本を作っちゃイケナイ。

本のフリした内容の全くない

楽チンに得した気になる

紙の何かを作らないと

もちろんサイバラ女史は,皮肉でこう言っているのだ。

この私でさえ(本人はそんなことは言ってないが),そんなアコギなことはしないよ,と。

ちなみに前述の『日本会議の研究』に対してアマゾンでは255件のコメントがあり,

146人(57%)が5の評価をつけている。しかし,意外にも(あるいは予想通りと言うべきか)

1をつけている人も35人(14%)いる。5の方には「よかった理由」がたくさん書いてあるが,

1の方はほとんど「お金のむだ」とか「反日サヨク」とかいう短絡的な短いコメントしかない。

この1をつけた人の14%という数字は,ネットで掲示板を荒らす人たちの比率に近いの

かもしれない。

ちなみに上の20冊のうち,自分で読んだのは14番の『言ってはいけない』だけだ。

これはまあ賛否があるだろうなと予想したが,ネットでも評価が割れていた。

多くの人が書いているように,著者は「エビデンス」という言葉を客観的な証拠であるかの

ように書いているが,肝心の引用元の文献がトンデモ本であっては意味がないだろう。

 

◆流行語大賞

今年の「新語・流行語大賞」は「神ってる」だそうだが,どうなんだろう。

週刊文春のコラム「言葉尻とらえ隊」の筆者が「新流さん」(この賞を決める人たち)の

プロファイルを推測して,50代の野球好きのオヤジだろうと書いていたが,そんな気がする。

若者に流行している言葉は「神ってる」に限らず山ほどあるし,普通の大人は野球ファンで

ない限りこんな言葉は知らないだろう。

ネットで去年まで選考委員だった鳥越俊太郎氏が語っているが,「表彰式に出席できない

人には大賞を与えない」という決まりがあるらしく,去年もラグビーの五郎丸選手が当日

都合がつかずに出席できないために,苦し紛れで「トリプルスリー」に決めたという。

今年のトップ10を見ても,「トランプ現象」「マイナス金利」「ポケモンGO」「PPAP」などは

単なる固有名詞や説明であって,「流行語」のカテゴリーには入らないだろう。

「神ってる」も,仕方なく決めたという感が強い。そこは当然主催者の都合優先であって,

人気投票でこの言葉がトップになったわけじゃない。

レコード大賞でも裏金が動いたという話が週刊誌を賑わしたが,結局何かの賞を決める

プロセスはどれも似たようなもんだろう。

ちなみに,オジサンが選ぶ今年の流行語大賞は「不謹慎狩り」だ。

◆君の名は。

今年見た映画で一番面白かったのは『シン・ゴジラ』だ。

一方,その倍くらいの興行収入を上げた『君の名は。』は,どうなんだろう。

週刊誌などのメディアには,ふだん怪獣映画なんか見そうにないコラムニストや文化人の

多くが,『シン・ゴジラ』を見た感想を書いている。おおむね『面白かった』という感想だ。

一方『君の名は。』の方は,ほとんどの人が「一応見に行きました」という醒めた感想しか

寄せていない。またこの映画がヒットした理由を社会学的に考察した記事はよく見るが,

映画そのものの作品としての価値を論じたものは(マニア向け媒体以外は)ほとんどない。

ネットにはこの映画がヒットした理由がいろいろと分析されている。

挿入歌を歌ったラッド(RADWIMPS)のファンが映画の公開前からSNSを盛り上げたとか,

話が難しすぎて2回(以上)見た人が多かったとか。

しかし中国やアメリカでも人気になっているらしいから,何か普遍的な魅力があるんだろう。

しかし,アニメにはちょっとうるさいオジサンにも,その魅力というのが理解できない。

男と女が入れ替わったり,過去に戻って未来を書き換えたりする話は,昔から山ほどある。

『転校生』とか『時かけ』とか『STEIN’S GATE』とか『僕だけがいない街』とか。

あまつさえ絵づらがジブリ系で,実質的な主人公は少女だ。

世間の人がどれほど意識しているかは知らないが,日本のアニメ(特に劇場アニメ)では

少女が主人公であること」がほぼデフォルトになっている。

秋葉原を世界のアニメの聖地にした大きな理由がそれだ。要するにジャパニメーションの

主要部分は,割り切って言ってしまえばマイルドなチャイルドポルノなのだ。

『君の名は。』の場合,女の体を持った男の子が自分の胸をもむ(世界基準で言えばNGの)

シーンがやたら出てくる。

当然それも制作者の計算のうちであって,「おまえら,こういうのが好きなんだろ」という

あざとい商売根性が目に余る。思えば,2年前にアメリカで『君の名は。』と同じ映画賞を

取った高畑勲監督の『かぐや姫の物語』もそうだった。映画館で最初の15分ほど見ただけで,

外国の映画賞狙いの演出が見え見えなのに閉口したものだ。

ひとりのアニメファンとして断言するけれど,『君の名は。』は決して質の高い作品ではない。

しかし作品の質と「面白さ」や人気が必ずしも一致しないのは,アニメだけの話じゃない。

音楽や絵画や小説でも同じだ。「売れた者が勝ち」というのなら,それはそれでいいだろう。

『君の名は。』は監督が書いた原作の小説も百万部以上売れたという。

これもちょっと信じがたい。「小説を読んで,映画化された作品も見る」というのはわかる。

しかし「アニメ映画を見て,そのあと原作小説を読む」という人たちはある意味ですごい。

筋はアニメを見てもう知っているのだから,あとは文章を読む楽しみしか残っていない。

そういう人たちは本当に活字が好きなんだろうし,それが百万人以上もいるのが驚きだ。

なお,オジサンが選ぶ今年の劇場アニメのベストワンは『この世界の片隅に』だ。

これも主人公の「少女性」を売り物にしている点では,日本の劇場アニメのセオリーに沿っている。

ただ,偏見かもしれないが,『君の名は。』よりも制作者たちの「個性的な作品を作りたい」と

いう志の高さを感じた。原作の漫画もいい作品だが,アニメにはアニメのよさがあった。

ちなみにテレビの深夜アニメで印象に残ったのは,総合的な作品の質では『おそ松さん』,

映像の魅力では『亜人』『モブサイコ100』,エンタメ性では『文豪ストレイドッグズ』といったところ。

◆カープ

今年は東京の仕事関係の人たちからも「カープ,頑張ってますね」とよく言われた。

日本シリーズで負けたのは監督の差だとかいう人もいるが,そんなことはないと思う。

日本シリーズのカープの戦い方や選手起用は,あれでよかった。シーズン通りにやったのだから。

シーズンとは違うことをやってそれで負けていたら,批判はもっと大きかっただろう。

中国新聞の社会面で黒田投手関連の連載が続いているが,これを読むと彼の偉さがよくわかる。

「男気」という言葉は使われすぎて手垢がついた感もあるが,黒田の行動原理の軸にあるのは

「他者への思いやり」のようだ。要するにトランプの正反対だと思えばいい。人気が出るのも当然だ。

新井はマスコット的なキャラクターなので,チーム内で黒田の代わりはできないだろう。

来年の戦力は今年と変わらないはずなので,投手陣のまとめ役を誰がやるのか?という興味はある。

ちなみに期待している選手は,カープでは(新人を除けば)西川・野間・塹江・中村佑。

他球団ではヤクルトの広岡とオリックスの吉田正が気になっている。

 

◆還暦

先日東京に出張したとき,ショックなことがあった。

その日は新宿で飲み,11時ごろの中央線に乗って宿へ向かっていたのだが。

車内はそこそこ混んでいて,吊り革につかまって立っていたら,目の前に座っていた

大人しそうな大学生くらいの青年が「どうぞ」と席を譲ってくれたのだ。

えっ?いやいや,ええよ…と一度は断ったが,ここで座らないと彼の立場がないので,

遠慮しながら座らせてもらった。

しかし。自分も電車の中で席を譲られるようになったかと思うと。そりゃあショックでしょう。

ついでにもう1つ。福山には映画館が3つある(コロナ・駅前・神辺)が,最近は神辺の

エーガル8へ行くことが多い。ここだけ機械で切符を買うシステムなので。

窓口でおっさんが一人でアニメの切符とか買うのはちょっと恥ずかしいから。

で,機械で切符を買おうとすると,画面に「60歳以上ですか?」というメッセージが出る。

イエスを押す。大人1,800円の切符が1,100円で買える。

ただし「入場口で(身分証明書などで)年齢を確認します」というメッセージが出る。

それで免許証をポケットに入れて,入場口で割引切符を見せる。

すると,すんなり通してくれる。

なんか悔しい。年齢確認せーや。失礼じゃろーが。みたいな。年寄りはめんどくさいね。

 

◆仕事

時間がほしい。

自分だけ世間の人とは時間の流れ方が違うんじゃないか?と時々思う。

実際には自分よりはるかに忙しい人もたくさんいるだろうが,とにかく忙しい。

毎週釣りに行けるんだからいいじゃないか,と言うなかれ。

日曜日の標準的な過ごし方は,こんな感じだ。

10時半ごろまで釣り→釣れた魚を持ち帰って刺身とか煮付けとか塩焼きとかにする

→昼ごろ実家へ持って行き,おじいちゃん(91歳)の昼食をセットする→昼食→

午後は基本的に仕事→買い物→帰宅して風呂に入り,買ってきた惣菜(プラス自分で

ちゃちゃっと作った肴)で酒を飲む

天気が悪かったりして釣りに行けないときは,

午前中は仕事→昼ごろ実家へ→昼食→街へ出て映画を1本見るか,釣具店・本屋で

時間をつぶす→買い物→以下同じ

さらに忙しいときは,

朝から午後まで仕事 → 夕方近くの海で30分〜1時間ほど釣り(タコとかイカとか狙う)→

買い物→以下同じ

体が普通に動く間は,こういう生活スタイルが当分変わりそうにない。 

来年は大きな仕事が1本あって,これにかなりのエネルギーを使おうと思っている。

今までのキャリアの集大成のような仕事なので,力が入っている。

ま,釣りには行くが。

 

◆おまけ

今日(12月18日)の中国新聞の一面に,「7年前に起きた島根県立大の女子大生殺害事件の

犯人と思われる男が事件の直後に自殺していたことがわかった」という内容の記事が載った。

男が生前使っていた電子機器から殺害の証拠となりそうな画像が出てきたのだそうだ。

この件に関して,中国新聞一面下段のコラム「天風録」は次のように書いていた。

http://www.chugoku-np.co.jp/column/article/article.php?comment_id=305703&comment_sub_id=0&category_id=143

 

もう7年前になる。本誌連載「里山 いのちの譜」で芸北を取材中の編集者正本真理子さんは,

物々しい捜索隊に驚く。父親の山小屋もある臥龍山の空気が一変していたのだ。

島根県立大の平岡都さんが,頂上付近で変わり果てた姿で見つかった。

正本さんは山の伝承を題材に考えていたが,いたたまれなくなり,一呼吸置いて麓のカキツバタを連載に書く。

衣にすりし昔の里か燕子花(かきつばた)=牧野富太郎。かの植物学者が戦前,この地の野生群落を見て喜び,

花の汁でワイシャツを紫に染めた逸話を引きつつ。

水辺や湿原に育ち,根茎は泥中をはう。和の情緒あふれるカキツバタの立ち姿は,野にあっても映えるのだろう。

平岡さんもあるいは,そんなたたずまいの大人の女性になっていたかもしれぬ。

生前「海外で動物愛護の仕事をしたい」と語っていた。

事故死した30代の男が関与していたという疑いが強いという報道に,あらためて有縁の人たちはやりきれなさを感じたに違いない。

男は交友関係もないという彼女をなぜ,どこで…。

「解決」まで7年も要したのはどうしてなのか。

山川草木が真実を知るなら人は尋ねるすべを持ちたいが,まずは捜査の詳細に固唾(かたず)をのむ。

 

上の文章中の1文に強い義憤を感じた私は,書かずにはおられないという気持ちで以下の文を書く。

(ツイッターやフェイスブックはこういう情報を発信するには向かない)

問題の文は,最後から2番目の文だ。

「解決」まで7年も要したのはどうしてなのか。

被害者の遺族がこれを言うのは許される。しかし新聞記者のコメントとしては不見識の極みだ。

(上の文章ではこれが被害者の言葉を引用した文のようにも読めるが,それは問題の本質ではない)

この事件に「解決」の見通しが開けたのは,長年にわたる現場警察官たちの地道な努力の賜物だ。

そんなことは素人の想像だけでも十分にわかる。

上の青字の文面には,明らかに捜査当局を批判するニュアンスが感じられる。

事件解決に尽力し成果を出した警察関係者がこれを読んだら,どんな気持ちになるだろうか。

文章全体から推察するに,このコラムの執筆者は文章全体を「文学調」に仕上げたいという点に

のみ関心を持ち,読み手がどう感じるかを軽視しているのだと思う。要するに自己中心的だ。

浮世離れしていると言ってもいい。たとえば「天風録」には,「私たちは経済成長至上主義を見直し,

本当の幸せとは何かを考えるべきではないか」という論調の文面がしばしば見られる。

そんなことが言えるのは,あなたのようにお金の心配をする必要がない恵まれた人だけだ。

本当に庶民目線の執筆者なら,たとえば「苦しい生活と引き換えに生きがいを追求することは

誰にでもできることではない。それを実践している一部の人たちには敬意を表する」というような

書き方をするかもしれない。どこが違うかと言うと,主語が「私たち」なのか「私」「彼(彼女)」かだ。

コラム執筆者であるあなたと,読者である私とは生活環境も思想も違う別の人間なのだから,

「私たちは〜すべきだ」のような安易で無神経な括り方はやめてもらいたいのだ。

 

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