日記帳(2017年10月29日)

 

このところ週末は雨続きで,いい時期なのに釣りには行けない。

カキは調達して海にキープしてあるので,雨がやんだらいつでも出かけられるが,土曜日の朝から日曜日までずっと雨ではどうにもならん。

しかし金曜日までは好天だった。

今週は,誕生祝いだということで家族と尾道の魚信という料亭でランチを食べた。

初めて行ったが,部屋が尾道水道に面している。ここなら確実に部屋から釣りができるし,まともな魚が釣れるだろう。

実際に泊り客の中には部屋から釣りをする人もいるそうだ。

ランチは4千円のコースで,付き出し(胡麻豆腐)・タイの刺身・メバルの煮付け・スズキの塩焼き・天ぷら・吸い物・ご飯が出た。

平日の昼間なので酒を飲めないのが残念だったが,料理はまずまずだった。部屋のロケーションを考慮すれば妥当な値段か。

タイの薄造りはポン酢で食べる                                  煮付けのメバルは20cmちょっとのサイズ

タイは美味かったが,煮付けのメバルはその日の朝に魚市場で仕入れたものではなさそうな感じだった。

刺身以外は,鮮度の関係で,自分で釣ったのを調理する方がおいしいことも多い。

しかし刺身は,同じ魚を使ってもやっぱりプロが作ったものの方がおいしく感じられる。


 

カープ衆議院選挙の結果に関する報道やコメントを新聞などで読んで,同じ感想を持った。

 

おまえら,欲が深すぎ!

 

まずカープだが,一部ファンが「大本営」と呼ぶ中国新聞のコラムには,「監督の采配の差」的なことが書いてあった。

しかし個人的な感想を言えば,ラミレス監督の選手起用の方がよほど問題だった。

大博打がはまっただけのことで,ああいう作戦は「負けてもともと」の挑戦者にしかできない。

受けて立つ側のカープは普段通りの野球をすればよく,実際にそうした。結果が出なかったのはたまたまだ。

分岐点は,(アドバンテージの1勝を加えて)2勝2敗で迎えた第4戦だった。

この試合,カープは無死満塁のチャンスを逃して1点差で負けたが,DeNAは今永をリリーフで使った。次の試合の先発は石田だった。

カープがこの2試合のうちどちらか1つを勝って3勝3敗で最終戦を迎えていたら,DeNAにはもう先発できる投手は残っていなかった。

そうなればカープが勝って4勝3敗で決着がつく可能性が高かった。

緒方監督は去年日本シリーズでジャクソンを6連投させて負けた反省をふまえて,今年は長期的視野に立った継投をした。あれでよかったと思う。

今回の主な敗因は打てなかったことだ。最終戦でも,シーズン中の防御率が6点台の三嶋に抑えられるとは誰も想像できなかっただろう。

ただ,ここで書きたいのは別にあって,中国新聞では社説の欄にも「CSの制度は今のままでいいのか」という意見が載っていた。

「2位に10ゲーム以上の差をつけて優勝したチームには,現行の1勝ではなく2勝のアドバンテージが与えられるべきだ」というのだ。

こういう態度を,英語では sour grapes (由来はイソップ童話)とか bad loser とか言う。要するに,欲が深い。

CSの制度設計をどうするかについては,いろんな意見があっていい。

しかしCSで負けた側が「制度が悪い」という主張をするのは,「監督の采配の差で負けた」と言うのと同じくらい見苦しい後出しジャンケンだ。

負けたのは選手の実力が足りなかった(あるいは今回の勝負では相手の力がこちらの力を上回った)からであり,その現実を直視すべきだ。

問題は監督の采配やCSの制度設計ではない。それぞれのファンが,ひいきチームが負けたことをどう受け止めるかという心の問題なのだ。

 

そして,衆議院選挙。

傍観者的に言えば,今回の選挙は面白かった。

個人的な感想だが,議員たちを「政治家」と呼ぶのはあまり適切なネーミングではないように思う。

彼らの職業は「政治家」というよりも「選挙屋」だ。選挙に勝つことが彼らの仕事のほとんどすべてだと言っていいかもしれない。

だから当然,個人レベルであれ政党レベルであれ,選挙という戦争に勝利するためにベストを尽くそうとする。

民進党の前原前代表が「希望の党」に合流しようとした判断は,間違っていなかったと思う。

民進党があのままで選挙に臨んでも,大敗することは確実だった。

前原氏にとっては安倍政権の打倒(あるいは権力低下)が最優先であり,結党直後で候補者が足りない希望の党に

プロの選挙屋(民進党の議員)と政党資金を送り込むことは双方にとってメリットがあった。

そして小池氏も,民進党から合流した議員の一部を「排除」することに合理性はあった。彼女の判断も間違ってはいない。

民進党からの合流組を丸ごと受け入れれば,それこそ「選挙目当ての野合」という批判を浴びてしまう。

結果的に立憲民主党ができたために野党が分裂して,それが自民党大勝の大きな要因になったが,仕方のないことだ。

選挙屋たちは皆,選挙という戦場を生き抜くためにベストを尽くした。その結果としての勝ち負けは,野球の試合の勝敗と同じだ。

(小池氏の「排除」という言葉が大きな敗因だと分析する向きが多いが,安倍総理の方がはるかに多くの失言をしている。

それでも小池さんだけが批判されるのは,男女の社会的格差の問題と言えるかもしれない)

 

ここで問題にしたいのは,その選挙結果に対するマスコミの反応だ。

「国民は安倍政権を全面的に認めたわけではない」という調子の論調が多すぎる。本当にそうだろうか。

「国民は全体として,安倍政権に白紙委任状を出した」と総括すべきじゃないだろうか。

価値判断の話をしたいわけじゃない。そもそも民主主義とは何か,ということだ。

多数決はベストの意志決定方式ではないかもしれない。小選挙区制はベストの選挙制度ではないかもしれない。野球のCSと同じだ。

しかし現状では我々はそういうルールを採用しているのだから,多数決の結果が出た後で「多数決がすべてではない」と主張するのはアンフェアだ。

ジャンケンに負けた方が「今のは無し。もう1回やろう」と言っているような子どもっぽさを感じる。要するに欲が深い。

「野党全体の得票数をカウントすれば自民党の票数より多い。だから野党の意見を無視するな」という主張も無意味だ。

「シーズンで勝ったのだからCSはやらなくてもいい」と,負けた側が後から言い出すようなものだ。

理由はどうであれ,選挙に行った多くの国民は自分の意思で自民党に投票したのだ。

選挙に行かなかった人は,本人の自覚があろうとなかろうと,「みんなで適当に決めてくれれば自分はその決定に従う」という意思表示をしたのだ。

今回の投票率は53.6%だから,4割以上の人は国の政治に対して「白紙委任状」を出したことになる。

そういう各人の判断の積み重ねの結果として与党が圧勝したわけだから,その結果は最大限に尊重されるべきだ。

愚民にも意思はあり,それを主張する権利(および主張しない自由)がある。そして愚民の意思でさえ尊重するのが民主主義の本質だ。

ポピュリズムを批判する人々は,少数の(自称)賢者による貴族政治,あるいは君主主義を理想と考えているのか?

それならそれでいい。しかし現在の日本社会は民主主義というイデオロギーを基盤にしているのだから,それを前提に話すべきだ。

安倍総理がかつて「民主主義の本質は多数決だ」という趣旨の発言をしたとき,「そうではない。民主主義の本質は少数意見の尊重だ」という批判が多く聞かれた。

しかし「少数意見を無視するな」という耳障りのいい主張は,じゃあ具体的にどうするのか?という疑問に答えていない。

たとえば1票の格差。都会に人口が集中した結果,前の参院選では「島根県+鳥取県」の合区ができた。これも多数決原理の1つだ。

このケースでは「2県につき1人(合区あり)」「1県につき1人(合区なし)」のどちらかの選択肢しかない。

「議員が2県に1人では地方の声が国政に反映しにくくなる」という少数意見を尊重せよ,と口では言えるが,具体的にはどうしようもない。

 

「自民党は,選挙に勝ったからといって何をやってもいいわけじゃない」というのは,わがままな主張だ。

各人の欲望や利害を調整して,「みんな,このあたりで我慢しようね」というソフト(禁欲的)な解決策を示すのが,多数決というシステムの本質だ。

だから多数決で決まったことにケチをつけるのは,「いや,それでもオレ様は満足できない」と個人的欲望に執着するようなものだ。

今回の選挙結果に関して言うべきことは,1つしかない。この先自民党が好き勝手なことをやって国民に何かしらの迷惑が及ぶような事態が

万一起きたとしても,その責任は国民全体が負うことになるということだ。自分たちが多数決で選んだ政権なのだから。

たとえば「経済のことを考えると自民党がいいかな。でも原発の推進や憲法改正はいやだ」とか言うのは,欲が深すぎる。

少なくとも自民党に投票した人は,原発や憲法のような(自分にとって優先順位の低い)問題については「好きなようにやってくれ」と言うべきだ。

その結果に対しては,好むと好まざるとにかかわらず,自民党を勝たせた自分自身が責任を取ることになるのだから。

それがいやな人は,不景気になって自分が失業するリスクが高まるのを覚悟の上で,野党に投票すればよかったのだ。

民主主義とか選挙というものは,そういう各人の覚悟の上に成り立っている。そんな難しいことは考えたくないという人は,投票に行かなくていい。

そして他の誰かが決めたことに従って,世の中が悪いと愚痴をこぼしながら(あるいは世の中とはそういうものだと達観して)暮らすのも1つの生き方だろう。

 

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