最終更新日: 2001/03/16

雑記帳(釣り編-A)


 

● 2001/3/16(金) マサさんからのお便り

--- 倉敷のマサさんからいただいたお便りを掲載しています。---

「倉敷のマサです。  毎回、ご丁寧なお答え、ありがとうございます。
それにしてもかぶせ釣り、奥が深いですね。こんなシンプルな釣りなのに、というよりも、そうだからこそでしょうね。
私の好きなハゼ釣りに似ています。子どものころ、父の自転車の背にごんぼう竿を持って期待を膨らませていたあの日を思い出します。あのころは、100匹以上釣って帰っていましたね。

秋には、高梁川の河口の大きな石が転がっているところで(護岸工事のため、ほとんどなくなった・・・)5メーターののべ竿で足下を釣ります。2〜3時間しか入れません。20匹から30匹といったところでしょうか。もちろん、干潮前後です。ほんの足下、水深20センチほどのところで、大きくて21センチくらいのハゼが釣れます。手のひらくらいのチヌや、30センチ弱のセイゴも時々外道で釣れます。
周りの人は、ほとんどが投げ釣りで、たまに大きい(20センチ前後)のハゼが釣れます。釣果にすれば、かなりの格差が出ます。中には私のまねをしてごつい投げ竿で足下を釣る人もいます。「釣れた!」と、大きなハゼを手に私に笑いかける人もいました。私の家の近所で、のべ竿でハゼを釣る人はあまりいません。
ちなみに、釣ったハゼは、焼き干しにして正月の雑煮のだしにしています。小さいのは最近は逃がします。(唐揚げがうまいのは、百も承知のことです)大阪の阪急十三駅の立ち食いうどんのうまさは、関西人の知るところです。「淀川のハゼだし」。まことしやかに噂されたそのうまさは、雑煮にも活かされました。ちなみに、日本の渚百選に選ばれた岡山県の沙美海岸やその隣の南浦海岸の近くで育った人は、やはりハゼの焼き干しのだしで雑煮を食べていたそうです。(私は福山出身で、知りませんでしたが)本当にうまいですよ。うちでは、ハゼのだし以外では、雑煮は食べません。
しかし本当は、ハゼ釣りよりも、もっと似た釣りがあります。道糸の先にハリスはつけません。針もつけません。道糸に餌を直接結びつけます。ザリガニ釣りです。これほどシンプルな釣りはないのではないでしょうか。もちろん、ハゼ釣りやザリガニ釣りは、誰でも釣れます。かぶせ釣りはそうそう釣らしてはもらえません。シンプルであるが故に、考えなければならない問題は他の釣りに比べて山ほどあるのではないかと思います。釣れない私が言うのも何ですが、だからこそおもしろく、
奥が深いのではないかと思います。
次の休み、行きたいのはやまやまですが、ちょっと無理かもしれません。その次の休みあたりは行けるのではないかと思っています。ありがとうございました。また、教えてください。」

--- ありがとうございます,マサさん。私も子供の頃,ハゼを軒下に吊るして乾かしている家が近所にありました。来年の正月には試してみようと思います。--- (まるさ)


 

● 2001/3/4(日) 釣り師の春

  今日は天気予報が最悪のため,釣りは休み。平日と同じように朝8時に仕事場へ行き,11時ごろまで仕事。そのあと車で田島へ海草を採りに行く。今日は干潮が12時ごろの長潮で,干潮の潮位は150cmほど。あまり潮が引かないので,条件はよくない。途中のコンビニで弁当を買って,田島北岸のゴロタ浜へ降りる。予想した通り海はシケていて,突風に近い風が吹いている。浜を歩きながら,波に打ち寄せられた海草を探す。潮位が高いのでワカメは無理。15分ほどで,5種類の海草を採取した。写真右上から時計回りに,ヒジキ・オゴ・チャシオグサ・スジアオノリ・マフノリ。ヒジキとスジアオノリは干して食べてみようと思う。あとは今晩のオカズにする。

車に戻って弁当を食べる。そのまま帰ってもよかったが,何となくもったいない。釣り師の性で,自分が釣りをしないのならせめて他人が釣りをしているところを見て回ることにした。内海大橋からここに来るまでには誰も釣りをしていなかった。車を西へ走らせる。天神波止―誰もいない。田島の大波止―チヌのふかせ釣りの人が2人。むつみ橋を渡る。坊地桟橋付近―誰もいない。横島の大波止―いない。地蔵鼻へ行くまでに,投げ釣りの人が3人。うち1人は車に入って竿を見ている様子。今日は西風なので,坊地瀬戸一帯は多少波も穏やかになっている。横山海岸の方へ行こうとしたが,ものすごい風が吹いていて波しぶきが車に当たるので,途中で引き返した。突風の中で無謀な釣りをしているビョーキの釣り人を,車の中からのんびり見物したかったのに・・・(笑)。

帰ってすぐに海草をゆで,ヒジキとスジアオノリは干し網に入れてベランダに吊るす。今日の風ならすぐ乾くだろう。そのあと仕事場に戻り,コーヒーを飲みながら資料の整理をしたりする。風さえなかったら,今日はいい釣り日和だったろうに。釣りに行けないので,昔の「釣り日記」をめくってみる。昔は,2〜3月ごろどこへ釣りに行っていたろうか・・・

これは日記には書いていないが,一番最初に思い出す出来事がある。小学生の頃のこと。ちょうど今ごろの時期だったと思うが,学校の前を流れる本郷川のほとりに住む友達の家に遊びに行った。川にかかる小さな橋の上から2〜3mほど下の川面をのぞき込むと,草の茂ったよどみの中に,20cmくらいのフナがぼんやり漂っている。そのフナを釣ってやろうと,友達と二人で竹竿にテグスを結んだ簡単な仕掛けを作り,川土手で掘ったミミズをつけてそのフナの鼻先にたらした。ところが,フナはそのミミズに見向きもしない。口の前までエサを持って行ってやっても,迷惑そうにのそのそ向きを変えるばかりで,結局食ってはくれなかった。それを見て,フナも冬眠(?)中はエサを食わないものだと初めて知った。そう言えば,当時は海釣りと言えば家の近くの松永湾でのハゼ釣りしかやらなかったが,秋にあれほど釣れたハゼが春には全然釣れないのも不思議だった。子供の頃から釣りが好きではあったが,春は釣りよりツクシ採りのシーズンでしかなかった。

10代後半から20代前半の頃は投げ釣り専門で,ほとんど横島へ通っていた。2〜3月には大した釣果は上がっていないが,今よりはずっとマシだった。当時は,投げ釣りに行けば必ずカレイが釣れていた。たとえば1982年の記録では,2月14日にカレイ7枚。翌週の21日は8枚。3月7日に4枚。14日に5枚。場所はすべて横山海岸(今の海水浴場)。ほとんど20cm級だが,2月14日の最大サイズは32cm,とある。1983年は大浜海岸(今のドルフィンビーチの西)で,3月21日にカレイ6枚,4月2日にも6枚。それが今では,冬場どころか秋のベストシーズンでも,カレイの型を見られるかどうか,という状況になっている。そんなわけで,『春の釣り』と言えば真っ先にカレイが頭に浮かぶ。次に思い出すのは,クジメである。昔はアイナメとクジメの区別がつかずに,「アイナメはあんまり美味くない魚だな」と思っていた(実はそれがクジメだった)。クジメは,とにかく春になるとよく釣れた。3〜4月にかけて,投げ釣りでも磯場のブラクリ釣りでも面白いように15〜20cmの赤茶色のやつが掛かった。たぶん今でもそうだろう。半日で20〜30尾くらい。ところが,これが美味くない。唐揚げにしても,どうも磯臭くてたくさん食えない。しかし他に釣れるものがないので,クジメでも喜んで持って帰っていた。

その後波止釣りを始めるようになると,横島の釜戸(タンク)波止へ通うようになった。チヌは5月以降がシーズン,とこの頃は思っていたので,チヌは無視。本命はハゲ(ウマヅラハギ)。それに根魚(メバル・カサゴ・アイナメ)。運がよければ良型のサヨリ。この頃の釣り方は,オキアミのパックを1つとアミレンガを2つくらい持参。ハゲは傘を広げたような大きな掛けバリで,根魚は胴突き仕掛けで狙う。サシエはオキアミ1本。3月からポツポツ釣れ始めて,5月の連休頃がピークになる。3月でも,いい時で良型のハゲ数枚,カサゴも20cm級混じりで10尾くらい上がっていた。メバルは昼間の釣りなのでせいぜい15cmくらい。ウミタナゴは20cmオーバーの良型が時々釣れた。今の釜戸波止では,とうていこんな釣果は望めない。

海水温は陸地の気温の変化より1〜2か月遅れるので,3月は海の中では真冬に当たる,と聞いたことがある。近場では昔ほど魚は釣れなくなったが,釣り師なら年中魚を追いかけていたいもの。かぶせ釣りを始めて以来,冬でも早春でも釣果が期待できるようになったのは嬉しい。それに,春は浜で海草や貝が採れる楽しみもある。4月になればかぶせ釣りも1年で一番いいシーズンに入る。プロ野球も開幕するし・・・というようなことを考えているうちに,釣りに行かない日曜日があっと言う間に暮れるのだった。


 

● 2000/9/1(金) 東京釣り日記(その2) 

1989年春から東京暮らしを始めて2年が過ぎたと言うのに,まともなチヌが釣れない。1991年最初の釣行は,4月11日。内房線・金谷のフェリー港へ行った。雑誌などの情報を見ても,金谷付近はクロダイの有名ポイントが多数ある。ただし電車と徒歩で行ける場所は限られている。自宅を6時前に出て,電車で浜金谷の駅に着いたのが8時40分頃。フェリー発着場の左手のテトラの上を歩いて,先端のケーソンに出る。釣り座はかなり広いが,岩礁の際によさそうなポイントがあるので,ダンゴのウキ釣りで狙うことにした。しかし実際にダンゴを投入してみると,全然底が取れない。どうやら底の根がきついらしい。しかも藻が密生しているらしく,根掛かりの続出。こういうポイントでダンゴ釣りをする奴もバカだが,その釣り方しか知らないので仕方がない。あまり根掛かりが多いので,ダンゴが落下途中で割れるよう柔らかく握り,底から2030cm上層を釣ることにした。釣り始めて1時間ほど経って(潮は満ち3分くらい),初めてウキに当たりが出て,32cmのチヌが釣れた。居着きらしく真っ黒だった。近くの釣り人が「やりましたねー」と声を掛けてくれたので,さも常連のような顔で「やっと釣れましたよ」などと答える。その後15cm級のタナゴの入れ食いとなったので,タナを浅くして小バリで遊んでいたら,突然ギューンと竿を持っていかれそうになる。ハリス切れでバラしたが,たぶんグレだったろう。この日の釣果は,チヌ(32cm)1尾・マダコ(中型)1ぱい・タナゴ約10尾。

  4月29日。祝日で釣り人が多いので,シロギスが好調という「週間釣りニュース」の記事を読んで,館山の手前の富浦貸しボートのキス釣りをすることにした。駅から15分くらい歩くと広い砂浜が開けて,貸しボート屋が並んでいる。釣り客は思ったより少ない。ボートを借りて,200mくらい沖へ出る。アンカーなしの流し釣り。すぐに22cmのキスが釣れて,調子いいかなと思う間もなく,空模様が怪しくなってくる。あっと言う間に黒雲が広がって,風も強くなった。一時的なものかな,と思いながら釣りを続けたが,風雨はますます激しく,ほとんど暴風雨という感じになってきた。すでに船中は海水でびしょびしょで,これはヤバい,と強風の中を必死にボートを漕いで,岸まで帰り着く。途中,マジで命の危険を感じた。結局高い金を払って,釣りをしたのは正味30分ほどだった。こんな天気になるとわかってりゃボートなんか貸すなよ,と言いたいところだが,自然のことなので仕方がない。このままでは悔しいので,6月6日に再度チャレンジ。中型中心だが,3時間でキスを41尾釣って借りを返した。この日は北ケイセンにも行ってみたが,良型のタナゴ1尾のみ。

  翌週の6月13日,チヌ狙いで館山築港堤防へ。干潮が11時ごろで,あまり期待できないかとも思ったが,結果はチヌ(2824cm)2尾,メジナ(手の平級)2尾,ボラ(40cm)1尾。干潮からの満ち上がりが時合いだった。関東地方でこのHPを見ておられる方に情報提供しておくと,ポイントは波止外側の先端付近に入れてあるテトラの右端(つまり,テトラ地帯の始まる付近。ここは比較的根掛かりが少なく,ダンゴ釣りが可能)

  その次の釣行は,7月11日。場所は同じく館山築港堤防。館山には自衛隊堤防という有名な釣り場もあるが,徒歩だとちょっと遠いのでパス。この日はメジナ(グレ)が入れ食いで,1824cm22尾釣れた。ダンゴで底を釣っているのに,ダンゴが割れてサシエが出ると,メジナがすぐ食いついてくる。たくさん釣れたのはいいが,駅まで歩いて20分以上かかるのでクーラーが重い。マンションに持ち帰り,4尾ずつトレイに入れて近所に配る。夏のメジナはまずいと言うが,そんなことはない。釣り場で絞めて持ち帰り,塩焼きにして食べる。身が厚くてチヌより美味だと思う。

  夏場は帰省したりしていたので東京での釣りはお休み(もちろん帰省すれば福山・尾道方面で釣り三昧)。秋になって,9月12日にまた館山へ。またしてもメジナの入れ食い。小型は放流して,1823cm23尾。近所に配る分を計算して持ち帰る。この頃は浦安付近でもサヨリや小アジがよく釣れるので,毎週どこかで釣りをしていた。1991年最後の釣行は,年末の休みが取れた1230日の御宿(外房)岩和田港。こんな季節に釣りをしている人はほとんどなく,何も釣れなかった。防波堤の外向きでダンゴ釣りをしたら根掛かりの連続で,内側は釣りやすいが魚の気配なし。房総半島にある(徒歩で釣行可能な)めぼしい釣り場は全部回りたかったが,鵜原の松部港などいくつか行けなかった所があったのは残念。新木場付近など東京湾内にも釣れそうな所はあったが,都会の近くで釣りをする気にはなれなかった。

  明けて1992年。この年の4月に,仕事の関係で生まれ育った松永に帰って来た。東京で釣りをするのも最後と,2月16日と3月1日に館山へ釣行した。2月16日はクジメ1尾のみ。3月1日はチヌ(30cm)1尾・ボラ(50cm)1尾。館山駅で帰りの電車に乗り,もう二度と訪れることもない,お世話になった釣り場の方へ向かって手を合わせた。さよなら館山。そして,さよなら東京。


 

● 2000/8/26(土) 東京釣り日記(その1)

  最近このHPにも東京からのお客様がちょくちょくあるので,今日は東京時代の釣りのお話を・・・。1989年春から1992年春までのまる3年間,仕事の関係で千葉県市川市に住んでいた。もう10年近く前になる。勤務場所は神保町で,住処を決めるに当たって「房総半島と三浦半島のどちらがいいか?」とさんざん悩んだ。もちろん釣り場としてである。で結局,浦安の向こうの東西線行徳駅近くの賃貸マンションを借りた。後で考えるとちょっと失敗だったが・・・。当時は上の娘がまだ赤ん坊で,女房は育児やら次女の出産やらで度々広島の実家へ帰っており,半分単身赴任のような生活だった。

  マンションは東京湾岸道路の近くにあり,窓を開けると目の前に宮内庁管轄の鴨打ち場の湿地帯が見えた。その向こうは海(と言っても東京湾最奥部)で,自転車を10分くらいこぐと行徳から浦安付近の海へ出られた。この付近でも何度か釣りをしたことがあるが,海がかなり汚れているのでハゼやスズキなど居着きの魚はちょっと食べる気がしなかった。浦安の埋立地には広い護岸があり,秋にはサヨリや小アジなどの回遊魚がよく釣れたので,これは持ち帰って食べた。 (左の写真は浦安埋立地)

  さて,せっかく千葉に住んだからには,房総半島で釣りがしたい。ただ,東京へは車を持って行っていなかったので,電車と徒歩で行ける釣り場に限られる。釣り情報誌を見て,1989年10月8日(日),最初に選んだ釣り場は外房線の大原港だった。自転車で京葉線の市川塩浜駅まで行き,鈍行と急行を乗り継いで2時間ほど。当時はまだかぶせ釣りを始めていなかったので,一番得意なダンゴのチヌ釣りを東京でもやってみるつもりだった。この頃の関東地方ではまだダンゴ釣りが普及しておらず,その後関東のダンゴ釣りの第一人者と言われる小池某氏が時々雑誌に出てくる程度だった。大原港に着いてみて驚いたのは,とにかく波が高いこと。防波堤(瀬戸内海ではこういう言い方はしない。「波を防ぐ」必要がないから)は3mくらいあろうかという高いもので,港の外側にはびっしりテトラが入れてある。それでも波は防波堤を越えて,内側がばしゃばしゃ波をかぶっている。台風が来ていたわけでもないのに,そういうことはちょくちょくあるらしい。とても先端の方へは行けそうになく,内側の船揚げ場付近でダンゴ釣りをしてみたが,ほとんど当たりがなかった。かろうじて青イソメのぶっこみ釣りに手の平級のチヌが1枚釣れたのみ。その秋はもう1回この大原港へ行った,そのときの釣果はアイナメ(20cm級)2尾・ウシノシタ(27cm)1尾・タカノハダイ(19cm)1尾・メバル(10cm級)3尾・イシガニ(中型)4匹。全部青イソメにヒット。タカノハダイはこのとき初めて釣ったが,「これが釣れるとときはダメ」と言われる磯釣りの嫌われ者,とものの本には書いてある。それで,以後この港へ行くのはやめた。

  1989年は,その後12月6日に大原の先の勝浦港へ行ったきり。ここは海は非常にきれいだったが魚の気配はなく,何も釣れないので湾内に群れていたサヨリを釣って帰った。ただ,サシアミでウキ釣りをすると,見たこともないようなきれいな魚(全部幼魚)がいろいろ釣れたので,あのあたりに住んで水槽で魚を飼ったらさぞかし面白いだろうと思う。明けて1990年。外房から内房にターゲットを変更。正月にまる一日かけて内房線の各駅で降り,歩いて釣り場の調査をしておいた。まず,当時の釣り雑誌で,内房一のダンゴのチヌ釣り場との評のあった保田の吉浜埋立地へ行ってみた(4月15日)。釣り人は大勢いたがほとんど魚が釣れている気配はなく,ダンゴ釣りは断念。結局投げ釣りでキスを数尾釣って帰った。

  次に房総半島へ釣りに行ったのは,もう秋に入った10月2日。場所は館山築港堤防。結局その後,ここへ一番多く通うことになった。ただ難点は,遠いこと。館山は房総半島の先端付近にあり,自宅から鈍行で千葉まで行って急行に乗り換え,館山の駅を降りて徒歩で釣り場まで行くのにほぼ3時間。朝6時前に家を出て夕方6時ころ帰宅しても,移動に半分の時間を費やすことになる。しかも電車賃やらエサ代やらで1回の釣行に6,000円くらいかかるため,月に1回くらいしか行けない。このとき初めて,やっぱり三浦半島の近くに住んどきゃよかったな,と思った。ともあれ,初めての館山築港堤防。ここではまずます魚が釣れた。オキアミとネリックス(こっちで言う生ミックのようなネリエ)を使ったダンゴのウキ釣りで,釣果はメジナ[グレ](20cm級)6・チヌ(手の平級)1のほか,メゴチ・ウマヅラハギ・キスなどが少々。ボラも多いが,魚影が濃そうなので気に入った。11月9日にも行き,このときはメジナ(23〜18cm)3尾・シマイサキ(23cm)1尾・カワハギ(15cm)1・ボラ(30cm級)2,という釣果だった。まだまともなチヌは釣れない。そうこうするうち,1990年も暮れるのだった。(以下次回)

 

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