最終更新日: 2012/04/22

雑記帳(釣り編-F)


 

 2012/4/14  ふたたび「波止の看板・フェンス」について 

 

まず,この場を借りてご報告を。

釣行レポートの記事の一部を削除しました。

過去のレポートに載せていたある釣り場(波止)の地元の方から,その波止は釣り禁止なので,

うちのレポートを見て釣りに行く人がいたら困るので削除してほしいというメールが届いたため,

その釣り場に関係する記事をまとめて削除したものです。これに関して,「釣り禁止」の看板や

波止のフェンスについて,改めて考えてみたいと思います。

 

誤解のないよう,最初に断っておきます。波止はそもそも釣り人のために作られたものでは

ないので,釣り人側から見れば「釣らせて(釣りをすることを黙認して)もらっている」という

面があります。だから,その波止に何らかの形で関係する人(たとえば近くに住んでいる人)

が釣り人のせいで何らかの迷惑を被っているという事実があるなら,釣り人はそこで釣りを

するべきではありません。私自身,そういう「迷惑」が明らかになればそこでの釣りは控えます。

その判断は,「釣り禁止」の看板のあるなしとは直接の関係はありません。


これに限らず私は,社会生活の中では「ルール」よりも「マナー」の方が大切だと考えて

います。それは,次の2つのことを意味します。


(A)ルール違反ではなくても,マナーに反することはするべきではない。
(B)「ルール違反」であっても,マナーに反しないことは大目に見てよいこともある。


(A)に関しては誰も異論はないでしょうが,問題は(B)です。わかりやすい例を1つ挙げると,

車の制限速度です。多くの車は,たとえば40キロ制限の道路を50キロくらいで走っています。

これは「ルール(法律)違反」ですが,現実問題としてはマナー違反とはみなされず,むしろ

制限速度で走る車の方が嫌がられる(つまりマナー違反とみなされる)傾向さえあります。

警察もおそらくそれに配慮して,その程度の速度オーバーはたいてい見過ごされます。

もう1つ。今度は釣りにまつわる例です。たとえば,私が磯場へ投げ釣りに行きます。

私はぼんやり竿先をながめています。干潮になりました。ふと下の岩場を見ると,ワカメが

生えていました。手土産にワカメでも採って帰るか。私はワカメを手で摘みました。

これは厳密に言えば,少なくとも福山方面では「違法」です。ワカメは漁業者しか採っては

いけないことになっているからです。では,私のその行動は「犯罪」なのでしょうか?

あなたが私なら,あなたは法律を守ることを優先してワカメを採らないでしょうか?

−その答えは人によって違うでしょうが,私の行為を「犯罪だ」と非難する人は,いたと

してもせいぜい100人に1人くらいだろう,というのが私の予想です。つまり私がそこで

ワカメを採る行為は,「ルール違反だがマナー違反ではない」ということです。この行為が

マナー違反ではない理由は,そもそも「職漁者以外はワカメを採ってはいけない」という

ルールは何のためにあるのか?と考えればわかります。海は,基本的に「みんなのもの」です。

しかし,ある種の漁業資源については漁協が都道府県に申請を出し,「職漁者以外は

獲ってはいけない」というお墨付きをもらっています。福山方面の場合,それはワカメや

サザエなどです(カキは対象外)。目的はもちろん,漁業者の権利や生活を守るためです。

釣り人が磯場のワカメをひとつかみ獲ったからといって,(その磯がワカメの漁場でない限り)

漁業者の権利を現実に侵害したことにはなりません。だから(厳密にはルール違反であっても)

マナー違反にはならないはずです。

 

カキの採取規制について

 

逆に,こんなケースはどうでしょう。私がプレジャーボートを持っていたとします。私は釣り場を

探して海へ出ます。漁師さんの船が見えました。一本釣りでタイを釣っています。入れ食いの

ようです。漁師さんの船が帰って行きました。翌日,私は漁師さんが来る前にその場所へ行き,

タイをたくさん釣りました。−これは,(そこが特別な指定海域でない限り)違法ではありません。

しかしマナー的には問題があります。それどころか,漁師さんの生活を脅かすことにもなりかね

ません。その行為に対して「法律には違反しとらんのじゃけ,えかろうが」と私が言ったとしたら,

たぶん多くのヒンシュクを買うでしょう。一般に,法律を含めて「ルール」には,機械用語で言う

「遊び」があります。そのすき間を埋めるものが「マナー」であり,ルールだけでは世の中は

動きません。私たちはルール原理主義者になる必要はないし,実際に日頃そのような行動は

取っていません。ルールを臨機応変に解釈し,社会生活の中でトラブルが起きないよう

「大人の対応」をしているのです。

 

以上が,「ルールよりもマナーの方が大切だ」と私が考える理由の例証です。これは1つの

考え方にすぎないので,これが絶対に正しいと言うつもりはありません。自分はそう思う,と

いうだけのことです。

では「マナー」とは何かと言えば,(ルールがあろうとなかろうと)まわりの人に迷惑を

かけないように行動することです。これを釣りに置き換えて言えば,私はどこで釣る場合

でも,自分にできる範囲で,他人に迷惑をかけないよう心がけています。具体的には,

ゴミを拾うとか,路上駐車しないとか,船の運行の邪魔をしないとか,そんなことです。

そして,他の釣り人が普通に出入りしていて,実際に誰かに迷惑をかけることもないと思える

ような釣り場なら,釣り禁止の看板があっても竿を出します。つまり,ルールよりマナーを優先

しているわけです。そこで釣りをすることを誰かに咎められた場合は,もちろんそこではもう

釣りません。その人に迷惑をかけた(少なくとも不快感を与えた)ことがわかったからです。

日記やレポートも同様であり,今回「迷惑だ」という指摘が来たので,その波止の情報は

削除しました。誰かに迷惑をかけていることがわかれば,「すいませんでした」と謝る以外の

選択肢はありません。ただし,「自分の知らないうちに誰かに迷惑をかけているかもしれない」

という理由で釣りを自粛することはありません。そういうふうに考えると何もできなくなって

しまうからです。たとえば犬を散歩させるルートに犬嫌いの人がいる「かもしれない」という

理由で犬の散歩を自粛したりはしないのと同じです。

 


さて,ここからが本題です。「釣り禁止」の看板,あるいはフェンスについて。

これらはある種の「ルール」ですが,このルールに関して「釈然としない」という思いを

抱いている釣り人は多いはずです。私もその一人です。ここで,その気持ちがどこから

生まれるのかを,分析的に語ってみたいと思います。キーワードは「連帯責任」です。

海は,基本的には「みんなのもの」です。では,波止はどうでしょうか?地元の漁協が費用を

全額負担して設置した波止がもしあるなら,それは漁協の私有財産です。しかし,そんな

波止は現実にはほとんどないでしょう。基本的には,港の整備は税金で行われます。税金は

みんなのお金です。だから税金で作った波止は,みんなの波止だと考えるのが自然でしょう。

ただし,たいていは漁協がその波止の管理者になっているはずです。ここで問題となるのが,

「管理者の権限」です。私はそんな法律論は重要ではないと思っていますが,それを前提と

して言えば,「管理者だから何をやってもいい」ということには必ずしもならないと思います。

波止を管轄する役所に申請を出して許可を得ているのなら法的根拠がありますが,そうで

ない(たとえば漁協が独自の判断でフェンスを設置した)場合は,合法性の解釈が一種の

グレーゾーンになっている可能性があります。


たとえば,あるオフィスが深夜のセキュリティを警備会社に委託したとします。私はそこの

社員です。職場に大事な忘れ物をした私は夜中にオフィスへ行き,警備員に社員証を見せて

入れてもらおうとします。ところが,警備員はこう言いました。「この時間帯は私達が管理者だ。

管理者の権限で,どんな理由があっても誰も中には入れない。社員証は信用しない。

偽造かもしれないからだ。中に誰も入れなければ,事故が起こる可能性は少なくなる。

これが我々の管理方針だ」。そんなケースはまずないでしょうが,管理会社との契約書の

解釈を議論しても意味がありません。「常識的に判断する」のが普通でしょう。


たとえばある釣り人がフェンスを乗り越えて釣りをしたとします。それに対して管理者である

漁協がその釣り人を裁判に訴えても,実質的な被害がなければ勝てないかもしれません。

逆に,釣り人が「漁協の持ち物でもない波止に勝手にフェンスを設置するのは違法だ」と

裁判に訴えた場合は,もしそのフェンスが漁協独自の判断によって設置されたものなら,

ケースバイケースの判断になるかもしれません。私は法律家ではありませんが,素人の

憶測で言えば,釣り禁止の看板やフェンスの法的効力は必ずしも自明のものではない

ような気がします。しかし私たち釣り人の多くは,「フェンスができて釣りができないのは

釈然としない」という気持ちと「でもまあ,フェンスができるのも仕方ないか」という気持ちを

同時に抱いているはずです。この気持ちはどこから来るのでしょうか?

答えはこうです。管理者である漁協の言い分は,たぶんこうです。「釣り人がみんな悪い

わけではないのはわかっている。誰にも迷惑をかけずに釣りを楽しむ分には,われわれも

とやかく言うつもりはない。しかし,一部に悪質な釣り人がおり,彼らの迷惑行為を防止する

ためにはフェンスを作るしかない。結果的に悪質でない釣り人も締め出すことになるが,

それは仕方がない。『いい釣り人は入ってもいいが悪い釣り人は入るな』という区別を

設けることは不可能だからだ。」

このとき,漁協は(自らの権限を越えて)勝手にルールをこしらえた,というケースがある

かもしれません。一種の過剰防衛です。私を深夜にオフィスに入れてくれなかった警備員と

同じです。そのルールの背景には,「一部に悪質な釣り人がいる以上,他の釣り人も

連帯責任を負うべきだ」という前提があります。その前提を,(私を含めて)多くの釣り人は

受け入れることができません。当然です。身内や知人が悪さをしたのならともかく,他人の

迷惑行為の責任まで取らされるのはおかしい,と誰でも思います。これが,我々釣り人の

「釈然としない気持ち」の正体です。一方で我々は,「でもまあ,実際に悪さをする奴が

おるんなら,フェンスができても仕方ないわな」という気持ちも持っています。その気持ちは,

我々一人一人が持っている「マナー」の意識から生まれます。そしてマナーとは,周囲の

状況に応じて変わるものであり,人によって受け止め方も違います。たとえば私は,

自分が波止で釣りをすることで現実的にどんな迷惑がかかるのだろうか?と考えます。

「自分」を「釣り人一般」に置き換えてもかまいません。漁船の備品を盗むような犯罪

そのものの行為を別にすれば,昼間に釣り人がかける迷惑として思い浮かぶのは,

航行する船に向かって投げ釣りのオモリを投げることくらいしか思い当たりません。

その迷惑行為を防止したいなら「投げ釣り禁止」という看板を立てれば済むような気も

します。マナーをもっと広い意味でとらえる人もいると思うので,これは個人的な感想に

すぎません。いずれにせよ,私は「ルールよりもマナーを守る」という行動基準で釣りを

しています。

 


以上の説明を読んで,こんな感想を持つ人がいるかもしれません。

 

「面倒なことを考えんでも,釣り禁止と書いてある場所では釣りをせなんだら済むことじゃろ?」

 

そう思ったあなたに問いましょう。コンビニの前には,たいていゴミ箱が3つ設置されています。

その中に時々,「ビン・カン」「ペットボトル」「紙くず・割り箸など」と3つに区別されたゴミ箱を

見かけることがあります。意図的かどうかは知りませんが,「プラスチック」という言葉が

書かれていません。これを「ルール」だとみなし,「ルールは守るべきだ」という立場に立つ

なら,あなたが今しがた買った弁当をコンビニの駐車場で食べて容器をゴミ箱に捨てようと

したとき,あなたは「ここにはプラスチックを捨てていいとは書いてないから,プラスチックの

容器は家に持ち帰って捨てよう」と考えますか?あるいは,あなたが深夜に人気のない

(もちろん車も通らない)狭い道路の横断歩道の前に立ち,前方の信号が赤だったら,

あなたは青に変わるまで待ちますか?もしあなたがプラスチックの容器をそのコンビニの

ゴミ箱に捨て,深夜の赤信号を守らずに道路を横断するような行動を取ったとしたら,

あなたは自分の行動をどう説明しますか?コンビニのゴミ箱については,表示(ルール)

の方が間違っているのだから守る必要はない?それは「語るに落ちる」というやつです。

この例が物語っているのは,看板などの「ルール(らしきもの)」の中には,いいかげんな

気持ちで(あるいは守られないことを承知で責任逃れとして)作られたと思えるようなものが

少なくないということです。さらに,上で述べたように,どんなルールにも「遊び」があります。

要するにルールというものは万能ではなく,マナーによってすき間を埋めてやらないと

うまく機能しないということです。「釣り禁止」の看板や波止のフェンスをどうとらえるかは,

「ルールを守るか守らないか」という単純なコンプライアンスの問題ではありません。

 

 

最後に,避けては通れない問題を1つ書いておきます。

私自身はどこの波止で釣りをしても「自分はマナーを守っている」と思っていますが,

その結果をHPに出すことによって,その波止の釣り人を増やしているという面は確かに

あると思います。私自身はマナーを守っていても,私のHPを見てそこに行った釣り人の

中には(失礼な想像で申し訳ありませんが)マナーの悪い人もいるかもしれない。その場合,

釣り人としての私ではなく,HP管理人としての私が結果的に地元の人たちに迷惑をかける

という事態が起きるかもしれない。こういう危惧は常に持っています。だから私は,日頃から

たとえ釣り人が増えても周囲から苦情が出にくような場所,あるいは既に大勢の釣り人が

入っている場所で釣りをしています。それでも「二次被害」が出る可能性はありますが,

それを防ぐのは理屈の上では簡単です。場所を明かさないで,「某所でこれだけ釣れた」

という情報を出せばいいのです。しかし,それをしたのではこのHPの存在意義はない,

と私は思っています。最初にHPを立ち上げたときの目的は「かぶせ釣りの喜びを多くの

人と分かち合いたい」「そのために情報交換をしたい」ということであり,実際にこのHPを

見てかぶせ釣りの楽しさを知った,という人も多いと思います。釣り人口が増えればそれに

比例して多かれ少なかれ迷惑行為も増えることになるので,私自身は釣り場環境の保護に

ついて一人の釣り人以上の責任があるとは思っています。その葛藤の中で,HPの日記や

レポートを通じて,地元の皆さんの迷惑にならない範囲内で釣り場の情報を共有することを

目指しています。「迷惑だ」という人が一人でもいればその釣り場の情報は出しませんし,

個人的にもそこで釣りはしないようにしています。これを見ておられる方の中に,私のHPの

記事によって自分や地元の人が迷惑を被っているという方がもしおられたら,お便りを

お寄せください。その場所に関する記事は速やかに削除します。私の理想は,三原の

須波港のような釣り場です。ここはいわゆる年金波止の1つで,地元の人たちが毎日

竿を出しており,私もその人たちとは顔なじみです。遠くから出かけて行ってそこで釣らせて

もらうわけだから,地元の皆さんと良好な関係を作って釣りをするのが一番だと思います。


 

 

以下の記事を追加しました。(2012.4.22)

 

今回の記事に関して,掲示板に情報提供をいただきました。私は憶測で書いてしまいましたので,

不正確な面があったようです。教えていただいた情報によれば,基本的には波止の管理者は

県であり,看板やフェンスも県が(あるいは漁協が県に申請して)設置しているため,法的な

効力はあるとのことです。情報を提供していただいた方にはお礼を申し上げます。

 

なお,看板やフェンスの法的根拠の有無は,この記事に関しては重要なテーマではありません。

もう一度,上の記事のポイントを別の角度から説明してみます。

 

(1)つい最近,こんな新聞記事を読みました。記憶に頼って書いているので多少不正確かも

しれませんが,こんな内容です。山口県のある公務員が,飲酒運転で警察に摘発されたために

懲戒免職を受けました。当人は処分が厳しすぎると訴訟を起こし,地裁はその主張を認めました。

飲酒運転したら懲戒免職になるという規則があることは本人もあらかじめ知っており,誓約書に

署名していたにもかからわず,です。この件に関して感想を求められた場合,大きく次の2つの

立場があると思います。

(A) ルール違反をしたのだから,懲戒免職になるのは当然だ。(裁判所の判断が間違っている)

(B)事故を起こしたわけでもないのだから,たとえ規則で決まっていたとしても,その規則を

     そこまで厳格に適用しなくてもいいのではないか。(裁判所の判断を支持する)

 

(2)大阪で,中学の卒業式に教員が「君が代」を歌っているかどうかを,校長先生が教頭先生らに

チェックさせ,歌っていなかった職員を懲戒処分にした,という事件を覚えている方も多いと思います。

これに関して,次の2つの立場があると思います。

(A)ルールを守らなければ,処分されて当然だ。

(B)そこまで厳しくルールを適用する必要はないのではないか。

 

(3)法務大臣は死刑執行を命じる責任があり,その書類に判をつくのを拒むことはできません。

しかし実際には,「自分が法相の間は死刑は執行しない」と公言する人や,公言はしなくても

実質的に拒否する法相はいます。これに関して,次の2つの立場があると思います。

(A)法を守らせるべき立場にある法相が自ら法に違反するのは間違いだ。

(B)たとえルール違反であっても,法相が死刑執行を認めないという判断があってもよい。

 

おわかりのとおり,これら3つの問題では,AとBの立場は次のように違います。

 

A=「ルールは厳格に適用すべきだ」と考える立場

B=「ルールの適用には融通性があってよい」と考える立場

 

これらに関して私が最も言いたいことは,次の点です。

 

AとBの違いは各人の考え方の違いであり,どちらか一方が正しいとは言えない。

 

少なくとも言えるのは,裁判所や法務大臣でさえ,ルール違反を認めたり,ルールに従わなかったり

することもあるという事実です。

 

もう1つ,別の見地から述べます。

 

(ア)波止にある看板やフェンスによる規制は,すべて忠実に守るべきだ。

(イ)波止にある看板やフェンスによる規制は,すべて守らなくてよい。

(ウ)波止にある看板やフェンスによる規制の中には,守らなくてよいものもある。

 

(ウ)は語弊がありますが,話をわかりやすくするために一応このように表現しておきます。

 

(ア)に対立する考え方は,(イ)ではありません。(ア)と(イ)を対立させると,「100かゼロか」と

いうレベルの低い議論になってしまいます。論理的に考えて,(ア)の反対は(ウ)です。つまり

この議論の本質は,「100か,それとも100未満か」ということです。私の立場は(ウ)です。

 

これを,上の(1)〜(3)の社会問題と関連付けて考えてみます。

Aは「100」を求める思想であり,Bは「100未満」を求める思想です。両者は論理的には

二律背反ですが,実際にはBのような考え方をする人はしばしば「100であってもよいが,

必ずしも100でなくてもいい」という立場を採ることが多いと思います。私もそうです。つまり,

BにはAを認める余地があります。一方,AがBを認めることはまずないでしょう。この違いは

決して小さくない,と私は思っています。要は「他人の意見に対する許容度」の問題です。

Aの立場を採る人はBの立場を指して「非常識だ」と思うかもしれませんが,世の中には

Bのように考える人もたくさんいますし,そちらの方が多いのではないかと思います。

 

(3)で,「法相が死刑を執行しないという(ルール違反の)判断を下すことについて

あなたはどう思いますか?」という問いは,それに答える人の考え方が回答に反映する

面白いテーマだと思います。例を挙げてみましょう。

<反対する立場からの考えられる理由>

・法相が法律を破ったのでは社会の基盤が成り立たない。

・死刑執行の判断をして苦情が来るのを避けようとする卑怯な態度だ。

・死刑に反対なら,法相になることを引き受けるべきではなかった。引き受けた以上は

  責任を果たすべきだ。

<許容[賛成]する立場からの考えうる理由>

・議論が分かれている問題だから,慎重に判断するのは悪いことではない。

・自分は死刑制度に反対だから,法相の判断に賛成だ。

・法相個人が死刑をどうしても認めたくないというのなら,その気持ちはわかる。

 

ちなみに,私がこの問いを投げかけられたとしたら,次のように答えます。

 

「自分が法相なら,死刑執行の書類に判を押す。それは自分の職責の一部であり,自分自身

死刑には消極的賛成の立場だから。しかし,ある法相が公人としての職責よりも個人的信条を

優先して死刑執行を拒否したとしても,それを批判するつもりはない。」

 

要するに,「責任を放棄してまで守りたいものがあるのなら,大目に見よう」というです。

事実としては,私は「法相の違法行為」を追認したことになります。私の考え方は,

世の中のさまざまな考え方のうちの1つに過ぎず,どれかが正しいとは言えません。

 

「100%〜すべきだ」という主張が当てはまるケースは,世の中にほとんどないと思います。

たとえば子どもには「うそをついてはいけない」と教えますが。うそをつくことが常に悪いことか?

と言えば,その答えはノーであることを大人は知っています。殺人は犯罪ですが,人を殺すことは

どんな場合でも許されないかと言えば,その答えもノーです。見方を変えれば,「絶対に〜すべきだ」

というルールは子どもの時に覚えるべきものであり,そのルールには例外もあることを学ぶのが

社会的成長のプロセスだ,と言えるかもしれません。

 

皆さんは,電車の中で携帯電話の電源を切りますか?マナーモードにして電源は切らないのは,

厳密にはいけないことです。もし車内にペースメーカーをつけた人がいた場合,重大な結果を

生むおそれがあります。電源を切らない理由はたいてい,「まあいいか」と思うからです。

この「まあいいかライン」が,人によって違います。多くのドライバーにとって飲酒運転はラインの

外側ですが,スピード違反は内側(=「制限速度を越えてもまあいいか」)です。私たちのラインの

位置を左右するファクターは,主に次の2つです。

 

@他の(多くの)人も同じことをしているか?

Aそれをした結果,リスク(例・罰を受ける,叱られる)がどれくらいあるか?

 

たとえば波止の看板の場合,「ここで釣りをしたら罰金1万円」と書いてあったら,実際に監視員が

見回りに来るかどうかにかかわらず,そこで釣りをする人はほとんどいないでしょう。このように

私たちは,周りの様子をうかがいながら,1つ1つの行動を採るかどうかを決めています。

それがいいいかどうかは別にして,たいていの人はそのように行動します。今回の記事は,

その行動の背景にある心理を言葉で説明してみようと思って書いたものです。

読みようによっては違法行為をあおるような内容という面もありますが,記事の意図をご理解

いただけると幸いです。


 

 

 

 

 

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