最終更新日: 2001/01/28

雑記帳 (わが街・松永編-A)


 

● 2000/10/12(木) 松永湾・今昔(その3)

 ぼくらが子どもの頃,秋祭りの頃になると,海で「網立て」という行事が行われていた。松永湾には藤井川・本郷川・羽原川の土砂が堆積した広大な干潟があって,藤井川と本郷川の合流点あたりの干潟が子供の頃の我々の遊び場になっていた。その日は秋の大潮の日曜日で,既に何日か前から準備ができている。河口の両岸から等間隔で長い竹の棒を干潟に立て,刺し網が取り付けられている(このときはまだ地べたにはわせてある)。昼ごろの満潮が近づき,潮に乗った魚が河口の上流まで上っていったところで,刺し網を引き上げ,河口に網のカーテンを作る。すると,潮に乗って海へ下ってくる魚がすべてその網に引っ掛かることになる。ただし潮が引くとほとんど水がなくなるので,その前に網の周辺に小船を出して,網の近くに集まっている魚を獲る。手網ですくう人もいれば,ハダカで海に入ってモリで突いたり手づかみにしたりする人もいた。

 ただしこの行事は当時毎年行われていたわけではなく,はっきり覚えているのは1回しかない。確か小学校高学年の頃だったと思う。網のずっと手前からずらっと車や自転車が止まっていて,網の周囲はオジサンやオバサンで一杯だった。ようやく近づいて見ると,岸には大きな魚が無造作に山積みになっていたり,タライや網にあふれるほど魚を入れた人が大勢いた。魚種はあまり覚えていない。ボラ・チヌ・スズキ・マゴチなんかじゃなかったかと思う。網にはたくさんの魚が首を突っ込んで引っ掛かっていたが,その中にキラキラ光る白っぽい魚がいた。それが,生まれて初めて見るシロギスだった。今でこそこの付近の干潟はほとんど泥底だが,当時はまだきれいな砂の部分もあったので,シロギスが湾奥まで入って来ていたのだろう。

 うちの親父の話によれば,昔(昭和20年代)はこの行事が毎年行われていたらしい。その日はみんな仕事を休んで海へ行ったそうだ。ただし魚は勝手に取っていいわけではなく,漁協の鑑札を買う必要がある。親父の話だと,何もしないで網の外側に船をつけて待っていればいい。下げ潮に乗って海へ帰ろうとする大きなボラが,障害物である網の上をトビウオのように飛び越えてくる。そいつが船の中へ入ってくるのだ,と。ウソのような話だが,ボラが川を走る小船を追いかけてその中へ飛び込んだ場面は実際に見たことがあるので,本当かもしれない。ともあれ,今年も干潟に竹の棒が立っているので,もしかしたら網立てがあるのかもしれない。今度の日曜日は町内の祭りがあるが,時間を見て海へのぞきに行ってみようと思う。 


 

● 2000/9/28(木) 散歩のコースのこと(その2)

  散歩で歩くコースはだいたい決まっているが,気候がよくなってくると自転車をこいで散歩代わりにすることもある。そのときは,だいたい水辺を通るコースを選ぶ。そうなると川か海ということになり,最近川はやたら工事をしているので,海の方へ自転車をこいで行くことが多い。仕事場を出て西へ向い,小学校の前を過ぎ,クリーク(水路)にかかる小橋を渡り,本郷川の土手へ出る。橋を渡って南へ行くと,鉄橋が見える。このあたりは小学校の近くで,昔よく魚を獲って遊んだ。幸い河川改修がまだ進んでおらず,本郷川で昔の面影を残しているのはこのあたりだけになった。あと何年もしないうちに,ここも無意味な護岸工事が行われて殺風景な風景になるだろう。

  鉄橋の北側の道をさらに西に進んで,隣の藤井川の土手へ出る。この川は全体的には本郷川よりきれいな川だけれど,河口付近は数年前の工事でコンクリート護岸に代わった。護岸の上からブラックバス狙いらしい若い連中がルアーを投げているのをよく見かけるが,釣り上げているところを見たことはない。ただ,鉄橋の下をくぐって南側へ出ると,昔とほとんど変わらない景色が広がる。コンクリート製の堰の下は多少深くなっていて,ハゼを釣るオジサンが連日一人や二人は竿を出している。今は野鳥の活動が盛んなシーズンで,仕事場のすぐ近くのクリークでも,潮が引くと大きな白い水鳥がエサを探して歩き回っている。藤井川や本郷川の河口付近には,渡り鳥だけでなく近くに巣を持つ鳥がたくさん飛んでいるが,これからはその数も減るだろう。鳥の巣作りに適した近くの荒地が,今どんどん開発されているからだ。以前畑や原野だった場所のあちこちで,ブルドーザーが土を持って整地している。1〜2年のうちにこのあたりも全部宅地になるかもしれない。

¶  藤井川の左土手を海沿いに下って,本郷川との合流点の干潟が広がる先端部分まで出る。道なりに左折して,今度は本郷川の土手を上流に向けて戻って行く。行程およそ30分ほど。昼間は海風が正面から吹いて気持ちがいい。松永湾の干潟は広島県内でも一,ニを争うほど広く,このあたりはその最奥部に当たる。バードウォッチャーの姿もよく見かける。昔のように潮干狩りをする人はほとんどいなくなったが(アサリが以前のように採れないので),今のところ極端に環境が悪化したようには見えない。ただ,護岸工事で川の生き物が減ったり,原野の開発で野鳥の住処が奪われたりしているのを見るのは辛い。せめて自分が死ぬまで,この干潟が残っていてくれたらなあ・・・と思う。年を取ったらここで毎日ハゼを釣って暮らすかもしれないのだから。


 

 

● 2000/9/11(月) ゲタリンピックのこと

¶ゲタリンピックとは,「ゲタのオリンピック」のこと(センス悪い・・・?)。ここ福山市・松永地区は昔からゲタの生産で知られ,町おこしの一環として7〜8年前からこのイベント(お祭り)を行っている。きのうはそのボランティアに強制的に駆り出されて半日をつぶし,おかげで満足に釣りにも行けなかった。それにしても,ここのところ天気が悪かったのに(今日も朝から雨),きのうに限って夏のような暑い日だったのにはちょっと参った。

¶知らない人のために一応紹介しておくと,松永駅周辺にイベント会場や露天が並び,一日で7〜8万人が訪れるという。祭りが始まる10時ごろに来賓が紹介されたが,福山市長・県議会議員・商工会議所会頭ほか30人ほどが,見るからに暑苦しそうな背広姿でステージに座っていた。メイン・イベントは「巨大ゲタさばり」。「さばる」とは広島弁で「引っ張る」という意味で,1つが1.3トンある鉄のゲタを1足,綱引きのようにして大勢で引っ張り,所定時間内に一番遠くまで動かせたチームが賞金10万円を獲得する,というゲーム。右の写真がそのゲタ。右側に立っているお巡りさんの背丈より大きい。

¶そのほかゲタ将棋(左の写真。ゲタの形のコマを使う)やゲタを使った障害物競走のようなもの,ステージでの音楽演奏やDJなど。露天はかなりたくさん出ていて,夏祭りの夜店より店のグレードがちょっと高い感じ。子供だけでなく大人も来るので,食べ物のほか衣類・靴・小物などいろんなものを売っている。ところでボランティアで何をやったかと言うと,「ゴミ袋配り」。来場者にビニールのゴミ袋を配って,ゴミは各自持ち帰ってもらうという。しかし,福山や尾道方面から電車で来る人が多いので,どれだけ効果があったかは疑問。駅のゴミ箱が満杯になるんじゃないかと心配になった。それに,まあボランティアの多いこと。ボランティアには専用のTシャツが無料で配られているのですぐにわかる。子供から大人まで,ゴミ拾いのボランティアがうじゃうじゃいる。そのせいか,散乱したゴミはほとんど見当たらない。何でも,地元の関心を高めるためにボランティアとして強制参加させているのだとか。確かに,地元の人間にとっては特に目新しいもんがあるわけじゃないし,ほっとくと参加率が下がって「町おこし」にならないのだろう。

¶しかし,晴天に感謝したいことが1つだけあった。それは,生ビールが美味いということだ。昼になるとあちこちの露天を回り,何を食べようかと物色する。焼き鳥と天ぷら(当地ではいわゆる薩摩あげのことをこう呼ぶ)とどっちにしようかと悩んだ末,とりあえず焼き鳥1本つき生ビール400円,というのを買う。下の娘と一緒に狭いイスに座って,ビールを一気に飲む。プラスチックのコップなのが今イチではあるが,強烈な日差しに汗ダラダラの体に,よく冷えたビールがしみわたる。はっきり言って,イベントの中身なんかに関心はない。右が記念写真(ビールの)。前面にビール,背景に道行く人の脚。まさにこれが,わたくしにとっての「お祭り」の心象風景であります(こんなんばっかり)。あとヤキソバ1ぱいとコロッケやタコ天をちょっとずつ食べ,地元産品の露天で売っていた「いぎす豆腐」(いぎすという海草を固めて作った豆腐)を買う。焼き鳥の店の前に座っていたら,中学の同級生に声をかけられた。言われるまで気づかなかったが,ボランティア(友達のつて)で,すぐ目の前の露天で焼き鳥を焼かされているそうだ。こっちはゴミ袋配りとか言いながらビールを飲んでるので,ちょっと申し訳ない気分になる。

¶そんなわけでゲタリンピックは終わったが,今月はまだ町民運動会があり,来月は秋祭りがある。これから釣りにいい季節になるので,どうせなら週末はいつも雨でもかまわない。雨なら運動会や祭りは中止になるが,釣りには行けるから。


 

● 2000/9/9(土) 散歩のコースのこと 

¶ほとんど一日中室内で仕事をしているので,運動不足とストレス解消のために午後30分ほど散歩をする。歩くコースはだいたい決まっている。夏は日傘をさして,冬はマスクをして歩く。ほとんど怪しいオジサンである。自分では会った覚えもないのに,「こないだ日傘を指して歩いておられましたね」とか知り合いに言われると恥ずかしい。小学生の通学路も通るので,「へンなかっこうで歩いちゃダメ」と娘らには言われているが,今の時期はTシャツにサンダル履きである。以前は時々水泳をしていたが,腰が丈夫でない人は水泳はするな(体をひねる運動は腰に悪い)と整体の先生に言われたことがあって,今はもっぱらウォーキングしかしていない。

 

¶下駄作りが盛んだった当時の名残で,松永は材木を運ぶクリーク(水路)が町のあちこちに入り込んでいる。仕事場のすぐそばにもある。このクリーク沿いに松永小学校の前を通り過ぎ,西へ向かって歩く。クリークには潮が入ってくるので,大潮の満潮のときは道端から50cmくらい下まで海水が上ってくる。もちろんきれいな水とは言えないが,数年前までこのクリークでよく投網を打っているじいちゃんがいた。仕事場のすぐ近くの街中で,網にはボラやハゼやチヌの仔がたくさん入っていた。今はクリークが埋め立てられつつあるので,あのじいちゃんの姿も見なくなった。

 

¶10分ほど歩くと,クリークの合流点がある。小さな橋を渡って左へ曲がり,南へ向かって5分ほど歩くと,松永湾最奥部の貯木場が見える海沿いの道路に出る。その途中のクリークは高潮時は海に注ぐ川のようになり,秋になるとこの水路で釣りをするじいちゃんたちが何人かいる。川土手の木陰に腰を下ろし,潮に乗って川を上ってくるハゼを延べ竿で狙う(左の写真は干潮近くのもので,潮が満ちてくると足元1mくらいまで水が上がってくる)。エサはたぶん裏の畑で掘ったミミズか何かだろう。けっこう大きなのも釣れている。定年で退職したら,あんな暮らしがしたい…と思いながら脇を通り過ぎて,海沿いの大きな道路へ出る。ここからイズミ(ショッピングセンター)まで5〜10分ほど,海を眺めながら歩く。目の前の海は干潮時には干潟になって,泥の上に材木が並んだような光景になる。ここも一時埋め立ての話が出たらしいが,漁業補償の関係で今のところその話は凍結になっているらしい。

 

¶軽トラや自動車教習所の車などがよく通るので,あまり静かな散歩道というわけでもないが,ウォーキングが体にいいことは間違いないらしい。15分くらい歩くと,だんだん姿勢がよくなって肩や腰の凝りが取れていくような感じが自分でもわかる。もっとも30分程度の散歩では運動量はあまり多くないので心臓が怠け者になり,最近血圧がますます低くなってきた。今は上が90,下が60くらい。体温も低いし脈拍も弱い。だんだん爬虫類みたいになってきたような気がして,そのうち心臓が止まるんじゃないかとさえ思う。最近一番心臓に負担をかけている運動は,毎週日曜日のエサ堀りである(苦笑)。あ,でも,血圧が低いのは青魚をしょっちゅう食べているせいかも…。  

 

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