最終更新日: 2013/5/19

雑記帳 (社会問題編-L)


 

 

 

◆ 2013/5/19(日) 橋下大阪市長の「従軍慰安婦」発言について

 

 

最近物議を醸したこの発言を,断片的に論評するのはたやすい。

直感的に思ったことを言え,というなら,誰でも何らかのコメントをするだろう。

そういうツィッター的な感想ではなく,この問題についてきちんと考えてみたいと思う。

 

ここで語ろうとしているテーマを最初に言っておく。

それは「重要なのは結論ではなく,思考のプロセスだ」という点にある。

 

まず,思考の前提となる情報を最初に正確に確認しておきたい。

以下に2つの新聞記事を引用しておく。

 

【記事A】 5月14日(火)中国新聞より

 

日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長の旧日本軍の従軍慰安婦問題に

関する発言は次のとおり。

 

【午前】あれだけ銃弾が飛び交う中,精神的に高ぶっている猛者集団に

休息を与えようとすると,慰安婦制度が必要なのは誰だって分かる。
  なぜ,日本の従軍慰安婦制度だけが取り上げられるのか。当時は

世界各国が持っていた。ベトナム戦争でも朝鮮戦争でも制度としてあった。
 韓国とかいろんなところが宣伝し,「日本はレイプ国家だ」とみられている。
ただ,暴行,脅迫をして拉致した事実は裏付けられていない。

 戦争の悲劇の結果なので,慰安婦になってしまった方には,心情を

理解して優しく配慮していくことが必要だ。


【午後】軍を維持し,規律を保つために,当時は必要だった。国を挙げて

暴行,脅迫,拉致をした証拠が出てくれば反省しなければいけないが

(2007年に第1次安倍政権が)証拠はないと閣議決定している。
 慰安婦制度は,今は認められないが,風俗業は必要だと思う。だから

(大型連休初めに)沖絶に行った時(米軍の)司令官に会い「もっと

風俗業を活用してほしい」と言った。
 そしたら司令官は凍り付いたような苦笑いになって「米軍では禁止だ」

と言った。「そういう建前みたいなことを言っているからおかしくなる」と

伝えた。「そうしないと海兵隊の猛者の性的エネルギーをコントロール

できない」とも伝えた。建前論だと人間社会は回らない。
 元慰安婦の方が大阪市役所に来るときに,暴行,脅迫,拉致された

のかお聞かせ願いたい。(強制連行が)あるという話になれば,それを

否定している人も文句を言わなくなる。

 

 

【記事B】 5月16日(木)デイリースポーツより

 

  日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長(43)が15日,大阪市役所で

昼夜2度の会見を開き,旧日本軍の従軍慰安婦などに関する自身の

発言が国内外で問題となっていることに「大反撃を食らうことなど百も

承知」と主張した。

「今,慰安婦が必要なんて一言も言ってない」「米国防総省は誤解している」

など計110分間にわたって反論。今後も世界を相手に闘うのかとの質問に

「このことは言い続けます」と対決姿勢を崩さなかった。

 

 米国,韓国,中国など海外からも批判殺到の橋下発言。波紋が一気に

世界に広がったが,これに橋下氏は慌てるどころか「そらそうです,ここ

まで踏み込めばこうなる」と平然と構えた。
  計110分にわたる会見で,痛恨の表情をみせたのは「英語が話せない

のが致命的。ツイッターに英語で書いて説明できない」と語った場面だけ

だった。

  旧日本軍の従軍慰安婦に関する発言に関しては「僕は慰安婦制度を

容認はしていない。許されない行為が,現在と人権意識が違う戦時下

では歴史的事実としてあったと言っている」と強調。 「戦争の悲劇として,

戦時下では世界各国が同じようなことをやっていた。日本だけが特珠
な性奴隷を持っていたと不当に侮べつされるのは我慢ならない」と主張し,

来月に予定する米国訪問で「聞かれたら,日本も悪いが欧米も反省すペき

だと伝えたい」と述べた。

  一方,橋下市が沖縄米軍に米兵の性犯罪抑止のため風俗業の活用を

”提案”したことに,米国防総省は違法な売春を受け入れられない旨の

反論をしている。これに橋下氏は「合法的な風俗の話をしている。建て前

でなく真剣に(犯罪抑止の)議論をしてくれという一案で言った」と説明した。

  外国人記者から,東京の日本外国特派員協会での会見を求められると

「特派員協会は東京まで出て来いの一点張りだ。何で呼びつけるのか。

欧米の日本に対するスタンスとして納得がいかない。大阪まで来れば,

毎日,オープンで会見をやっている」と受けて立つ姿勢を示した。

  維新幹事長の松井一郎大阪府知事は,参院選への影響を「不利に

なっている」と認めたが,橋下氏は「選挙だけを考えていたら政治家なんて

できない」と言い切った。

 

この2つの記事をベースに,橋下氏が言いたかったことを推測してまとめると,

次のようになる。

 

(1)慰安婦制度が多くの国に存在したのは歴史的事実だ。

(2)それなのに日本だけが非難されるのは不公平だ。

(3)現代において慰安婦制度が必要だとは思わない。

(4)しかし軍隊を管理する上で,合法的な風俗業を利用しても

   よいのではないか(売春は含まない)。

 

以下,これらの1つ1つについて,まずは理屈で考えてみたい。

 

(1)慰安婦制度が多くの国に存在したのは歴史的事実だ。

 

この主張については「事実に合っているか?」という点だけが問題になる。

維新の会の石原慎太郎共同代表は,慰安婦制度的なものは歴史上普遍的に

存在したのであり,事実の説明として橋下氏の発言は間違っていない,という

趣旨のコメントを出している。ぼくは歴史の専門家ではないから事実は知らない。

しかし歴史学上の定説と照らし合わせれば,橋下発言の内容が事実に合って

いるかどうかは検証できるだろう。もし橋下発言が歴史的事実に沿っていると

したら,この主張について橋下発言を批判することはできない。

 

(2)それなのに日本だけが非難されるのは不公平だ。

 

橋下氏のこの主張については,人によって是非の判断が分かれるだろう。

「みんなが悪い事をしている[していた]からといって,自分も同じことをしてもよい

ということにはならない」と考える人が多数派かもしれないが,違う考え方もできる。

たとえば,今までにもたびたび書いていることだが,車の制限速度と通じるものが

あるからだ。自分も含めて,ドライバーの大半は制限速度を守らない(ことがある)。

「なぜ道路交通法を守らないのか?」と問われたら,多くの人は「みんなも守って

いないからだ(だから自分だけが責められるのはおかしい)」と答えるだろう。

橋下氏の主張の本質はこれと同じだ。「それは悪いことだ」と建前では言うけれど,

実はその本人が同じ悪いことを実際にしているというケースはよくある。このとき,

「たとえそうであっても,人前では『悪いことは悪い』と言うのがマナー(あるいは

モラル)だ」と考える人も多いだろう。「いや,それは二枚舌であり,不誠実だ」と

思う人もいる。そこは人それぞれの感覚の違いの問題だ。

 

(3)現代において慰安婦制度が必要だとは思わない。

 

橋下氏のこの主張の根拠は,おそらく次のようなものだろう。

 

かつての世界では,(女性の人権に対する意識が低かったなどの理由から)

慰安婦あるいは売春が公的な制度として存在していた(日本にも公娼制度,

いわゆる赤線があった)。しかし今日では日本を含む大半の国で,売春は

非合法とされている。この状況を考慮すると,かつて許容されていた慰安婦

制度は今日では社会通念上許されないと考えるのが妥当である。

 

この考え方も,どこも間違っているとは思わない。

 

(4)しかし軍隊を管理する上で,合法的な風俗業を利用しても

   よいのではないか(売春は含まない)。

 

「合法的な風俗業を利用してはどうか」という発言自体には,何の問題もない。

1つのアイデアを示しているだけであり,犯罪を勧めているわけではない。

橋下氏が言う「米国防省は誤解している」というのはその点だろう。

 

以上のように橋下氏の主張自体には,取り立てて非難すべき点はない。

(見解が分かれそうなのは(2)だけであり,(2)でも橋下発言をセーフだと

考える人は大勢いるだろう)

 

 

しかし。重要なのはここから先だ。

 

合理的に考えれば無茶苦茶なことを言っているわけでもないのに,なぜ

橋下発言はこれだけの批判を浴びているのか。その理由を考えるのが,

今回書こうとしていることのポイントだ。

 

ここからは,橋下発言を非難する人たちの立場に立って,彼らにとって

何が問題なのかを分析的に考えてみたい。思い浮かぶいくつかの視点を

(重要度の高い順ではなく思いついた順に)列挙すると,次のようになる。

 

@「風俗業を認めてよいか」という視点

 

橋下氏は「合法的な風俗業」を肯定的にとらえているが,法律論とは無関係に

そもそも風俗業という商売自体がけしからん,と考える人はかなりいるだろう。

じゃあ誰が悪いのか?という話になると,それは人によって意見が違うだろう。

風俗を利用する男が悪い(女性の人権を軽視している)と言う人もいるだろうし,

風俗嬢になる女が悪いと言う人もいるかもしれない。あるいは風俗業を野放しに

している国や役所が悪いと考える人もいるだろう。

この視点の本質は,「どこで線を引くべきか」の判断が人によって違う点にある。

風俗,ヌード写真,競馬,パチンコ,宝くじ,ドラッグ,タバコ,酒,貸金業 … 

これらは当局によってさまざまな規制がかけられているが,その規制の内容は

そのときどきの社会情勢によって変化する。その背景には,個人の価値観の

変化がある。飲酒運転が激減したのがいい例だ。ただし今後社会全体の

モラルが高まったとしても,風俗業が廃れることはまずないだろう。それは

歴史が証明している。

 

A「橋下氏個人の品性を疑う」という視点

 

「大阪市長という立場を考えると,品のない発言は慎むべきだ」という嫌悪感を

橋下発言に対して持った人も大勢いるだろう。これは感じ方の違いであって,

そもそも大阪市長ともあろうものが「風俗」とか品のない言葉を使うこと自体が

けしからん,と思う人も少なからずいるはずだ。そこには,橋下発言の内容を

合理的に考えてみようという発想はない。そして我々は,個人差はあるだろうが,

このように理屈より感情で物事を判断することの方が多いものだ。

 

B「日本の国益を損ねる」という視点

 

「橋下氏が仮に間違ったことを言っていないとしても,これだけ外国から批判を

受けたら日本人がみんな同類だと思われる」という点で橋下氏を非難する人も

いるだろう。その背景として,今回の件に限らず,情報は遠くへ伝わっていくに

つれて伝言ゲームのように不正確になっていくという宿命がある。それを考えると,

誤解されることを想定して発言しなかったのが橋下氏のミステイクだという批判も

できるだろう。こうした「結果論」にさらされるのは,政治家も野球の監督も同じだ。

 

C「女性の人権」という視点

 

女性はたぶんこの視点を重視するだろう。橋下発言は端的に言えば「今は

悪いこと(女性の人権の軽視)でも,昔は悪くなかった」ということだ。しかし,

今日女性の人権を守ろうとする人々が「その主張に何の意味があるのか?」

と疑問を持つのは当然だ。彼らにとってより大切なのは「今」であり,橋下氏に

とって(今回の発言で)より大切なのは「過去」なのだから,両者の意見が

食い違うのは当たり前だと言える。橋下氏が発言の順序を逆にして,

「昔は悪くなかったことでも,今は悪い」と言えば何の問題も起きなかっただろう。

 

D「戦争責任」という視点

 

上のこととも関連するが,ここに引っ掛かりを覚える人も大勢いるはずだ。

要するに橋下氏は,「日本が戦時中にしたことは悪くない。他の国もやっていた

のだから」と言いたいわけであり,これは日本(の軍部)の戦争責任に関する

右翼の主張そのものだ。右翼的発想を好まない人は「過去を正当化する姿勢

からは社会の進歩は生まれない」と言う。もちろん,そう考えない人もいる。

 

E「現実に被害者がいる」という視点

 

この記事を読んでいる人にも考えてもらおうと思って,さっき書いたことの中には

(それは違うんじゃないの?という疑問を誘発する目的で)意図的に触れなかった

ことがある。それは,従軍慰安婦の問題と「多くのドライバーのスピード違反」の

問題との間にある根本的な違いだ。ドライバーがスピード違反でつかまっても,

その時点では実質的に誰かに迷惑をかけたわけではない。だから本人も,

「これくらい,いいじゃないか」と考えやすい。ところが,同じ人がスピード違反で

人身事故を起こしてしまったら,「しまった。制限速度を守っておけばよかった」

と思うだろう。これと同じで,たとえ「当時は慰安婦制度はどこにでもあった」と

いうのが事実だとしても,「その結果被害を受けた女性たちがいるという現実に

対して痛みを感じないのか?」と多くの人が思うはずであり,そこに橋下発言への

世間の反発の主要な動機があると思われる。これはいわば「弱者に対する

想像力」の問題であり,往々にして強者(たとえば政治家や会社の社長)は

弱者の気持ちに鈍感である。そこから,一般庶民の間には「エリートに対する

反発」の空気が生まれる。

 

橋下氏は今回の騒動を「誤報」であり「日本人の読解力不足が原因だ」と言った。

橋下氏本人の立場から言えば,それはもっともなことだ。その限りにおいて

彼は悪くない。ではマスコミや大衆が悪いのかと言えば,それも違う。

彼らは決して論理では動かない。それが人間というものだ。

 

今回の一件を自分なりに総括すると,次のようになる。

 

橋下氏の発言は,理屈が間違っているとは思わない。

一方で,彼の発言が多方面から非難されるのも当然だと思う。

(なぜなら,人間は理屈ではなく感情で動くからだ)

 

要するに「誰も悪くない」ということだ。

誰かを責めたり責任を追及したりするのが好きな人は多い。それは本人の勝手だ。

でもぼくは基本的に性善説の思想を持っていので,その人や人々の立場に身を

置き替えたとき,そこに「悪意」が感じられない限り,誰かを責めようとは思わない。

 

最初に「重要なのは思考のプロセスだ」と書いた。

今回の件で言えば,どの視点から物を見るかで結論は違ってくる。

ただ1つの視点に執着して「自分は絶対こう思う」という結論に飛びつく人は,厳しい

言い方をするなら,それ以上頭がよくならない。

この記事でいろんな視点を箇条書きにしたのは,こうやってあれこれ考える習慣が,

思考力や判断力を高めるのに役立つのじゃないかと自分では思っているからだ。

もちろん,その意見を人に押し付けたいと思っているわけではない。念のため。

 

 

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