最終更新日: 2015/7/19

雑記帳 (社会問題編-P)


 

◆ 2015/7/19(日) 安保法制に思うこと

 

折りしも今週は衆院の強行採決で安保関連法案が可決され,国会前には大勢のデモ隊が集まったという。

結構なことだ。中国や香港や北朝鮮の現状を見れば,デモができるだけでも日本人は幸せだ。

 

安保法制をめぐる安倍政権の姿勢についてはマスコミでも大きく取り上げられている。

多くの人がいろんな角度からいろんな意見を言っている。

自分もあれこれ思うことがあるので,ここで私見を述べてみたい。

斜め上(下?)から政治を揶揄するようなことを言うのは易しいが,そういうことは好まない。

自分なりに「これが正論だ」と思っている(しかし他人が賛同するかどうかはどうでもいい)ことを書きたい。

 


 

◆ 安保法制賛成派への批判

安保法制に賛成する人は,後述の3つに大別することができると思う。

このように思想的立場が全く異なる人々がたまたま1つのグループに属するのは,たとえば

「いじめ」問題にも見られる。前にも書いたが,たとえば10人のグループの中でいじめが発生する

場合,おおまかに言えば次のような比率であることが多いと思う。

@積極的にいじめる人(1人)+Aそのいじめの対象になる人(1人)+B傍観者(8人)

世間では「@とBの9人は同罪だ」というような主張が時に見られる。結果論で言えばそのとおり。

しかし,いじめを少しでも減らそうと努力する場合,@とBの人々への対処のしかたは当然異なる。

 

話がそれたが,安保法制賛成派を「国粋主義者」「協調主義者」「実務主義者」の3つに分けて,

それぞれを批判してみたい。ちなみに批判されるべき強さの度合いは(A)>(B)>(C)となる。

 

(A) 国粋主義者たちを批判する

彼ら(安倍総理を含む)の目的は,日本の国力を高めることにある。当然そこには軍事力も含まれる。

要するに彼らは,よく言えば「坂の上の雲」の時代の情熱を引き継いだ野心家であり,悪く言えば

現実に目をつぶってユートピアに逃げ込む弱虫だ。

自分はそういう立場ではないから想像で語るしかないが,いわゆる「右翼」の人々は,自分の家族と

国家の関係を,(明治憲法が想定しているように)こんなイメージでとらえているんじゃないだろうか。

「(戦って)国を守ることは,自分の家族を(敵から)守ることにつながる」

しかし残念ながら,その思想は正しくない。太平洋戦争の結果を冷静に評価すれば明らかだ。

戦場に行った兵士はほぼ全員そう信じていただろうし,その個人的な心情を批判するつもりはない。

しかし結果から見れば,彼らは速やかに降伏するか,(生死は問わず)すぐに負けるべきだった。

なまじ彼らが頑張ったので日本はなかなか負けず,その結果本土が空襲を受けて多くの民間人が死んだ。

冷たいことを言うようだが,税金から給料をもらっている以上,兵隊の仕事は国民の命を守ることだ。

しかし太平洋戦争で,彼らはその仕事を全うできなかった。

いやむしろ,兵士たちが戦えば戦うほど,結果的に兵士以外の一般国民の犠牲者は増えた

誰かの責任を追及したいわけではないし,「そんなつもりじゃなかった」という弁解には何の意味もない。

意味があるのはただ,多くの無関係な民間人が(被爆者も含めて)死んだという事実だけだ。

先の戦争が我々に何かの教訓を残したとすれば,上に赤い文字で示した事実だと思う。

そのことを,いったいどれだけの人が認識しているだろうか。

もう一度,当時の兵士たちに,あるいはこれから兵士になるかもしれない人々に言おう。

君は家族を守るために戦うつもりかもしれないが,現実には君が戦えば戦うほど家族の危険は増すのだ。

君が戦場で死ぬのは勝手だし,仕方がないことでもある。それが兵士である君の仕事なのだから。

しかし,君の戦闘行為によって結果的に自分の家族が死ぬのだとしたら(逆に言えば,君が戦わなければ

家族が死ぬ可能性は下がることを知っていながら)それでも君は戦うのか?

右翼の諸君は,その点をもう一度考え直した方がいい。

 

さて,ここまでの話には,たとえば次のような反論が起こるだろう。

「先の大戦でもし日本軍があっさり降伏していたら,今頃日本はアメリカの1つの州になっていただろう

(だから兵士たちが戦ったことには,日本という国を守ったという点で意味がある)」

 

しかしこれも,残念ながら現実を見ない妄想にすぎない。目を開いて現実を見ろ。

現に日本は無条件降伏したのだから,アメリカの属国や州になるか,あるいは戦勝国によって国を分割されて

植民地にされても文句は言えなかった。しかし実際にはそうはならなかった。その理由を語ることはこの記事の

本筋とは関係ないので省くが,日本という国が消滅しなかったのが「兵士たちが戦い抜いて敗戦までの期間を

引き伸ばしたから」ではないことは間違いない。だから彼らの死は犬死にだ,とまでは言わないが,ともかく

「先の大戦で兵隊が行った行為が日本(国民)に実益をもたらした」という証拠はどこにもない。そんな彼らを

「英霊」と祭り上げる人々は,自分の思想のために気の毒な戦死者たちを利用しているにすぎない。

また,国粋主義者の中には「自分は進んで戦場に行って国(や自分の家族)を守る覚悟がある」と思っている

人々もいるかもしれないが,そういう輩は麻原というオッサンに洗脳されて地下鉄にサリンを撒いたオウム

信者と本質的に変わらない(自分の信念に基づいた行動が無関係な他人を危険にさらすという意味で)。

 

(B) 協調主義者を批判する

次に,安保法案賛成派のもう一方の主流である「協調主義者」たちを批判しよう。

彼らはいわば「いじめ」における傍観者であり,「世界中で紛争解決の努力が行われている中で,日本だけが

一国平和主義に浸っていていいのか?」という思想を(おそらく)持っている。しかし現実をふまえて考えれば,

彼らのその思想にも問題がある。イスラム国に殺害された2人の日本人を忘れたわけじゃないだろう。

あなたたちの思想に沿って,たとえば自衛隊がペルシャ湾で後方支援活動を行えば,イスラム国やその他の

テロリストたちが日本人,あるいは日本という国を標的するするリスクは高まるだろう。つまりあなたたちは,いわば

「善意」から自衛隊が積極的に海外で活動することを肯定しているかもしれないが,その結果あなたたち自身や

自分の家族が日本国内での自爆テロの犠牲になるリスクが増す可能性が高いことをどう考えるのか?

これはある意味,原発に賛成するか反対するかの議論に似ている。多くの原発賛成派の本音は,たぶんこうだ。

「日本経済全体のことを考えれば,電力コストを抑えるために原発は必要だ。原発がもたらす利益は,

事故が起きる確率とその被害のマイナスよりも大きい。なにしろ,少なくとも(原発の遠くに住んでいる)

自分に事故の影響が及ぶ可能性は低いから(自分にはそのマイナスは関係ない)」

これを自衛隊の海外活動に賛成する立場に置き換えると,次のようになる。

「世界平和のことを考えれば,自衛隊の海外活動は必要だ。それがもたらす(日本が国際社会で一人前と

認められるという)利益は,自衛隊員の危険が増すというマイナスよりも大きい。なにしろ,自分は自衛隊員

ではないから(自分にはそのマイナスは関係ない)」

つまり,あなたちの目には「一国平和主義」が一種のエゴイズムであるかのように映っているかもしれないが,

「自分さえ安全ならかまわない」と思っているのはあなたたち自身も同じじゃないのか?ということだ。

 

(C) 実務主義者を批判する

少数ながら(1割くらいかな?),上の2つとは別の理由から安保法案に賛成する人もいるだろう。

彼らは法案を1つ1つ吟味し,現実のリスクを想定して「自衛隊の実際のオペレーションを想定しながら,

個別にこういう法律を作っておくことには現実的な価値がある」と判断する。

たとえば,こんなケースだ。朝鮮半島で南北の緊張が増し,日本海(日本の領海外)に機雷が浮かんだ。

アメリカの軍艦がそれを監視する(あるいは取り除く)ために出動し,日本の海上自衛隊に護衛の要請が来た。

しかし領海外へ出て行くのは従来の解釈による自衛権の範囲を逸脱する(のかな?よく知らない)。

たとえばそういう現実のケースに対応するために,実務的観点から法整備が必要だ,という立場だ。

こういう意見も新聞や雑誌に時々載っている。この立場に立つ人々を強くは批判しない。

世の中を正しく動かす原動力になるのは,あなたたちのような「有能な官吏」だ。

ただ,こういう意見を読んだり聞いたりすると,受験業界では有名なこんな逸話を思い浮かべてしまう。

センター試験の現代文で,ある小説だか随筆だかの問題が出た。その原文を書いた著者は健在だった。

試験には「文章のこの箇所での,筆者の考え(だか登場人物の気持ちだか)に最も近いものを,次の

選択肢の中から1つ選べ」という問いが出た。ある編集者が著者自身にその問題を見せたところ,著者は

「自分でも解けない。自分はこの選択肢に書いてあるようなことはどれも考えていなかった」と答えたという。

このエピソードが語っているのは,出題者が原文を「深読み」しすぎているということだ。

著者自身は難しいことは考えずさらっと書いたつもりが,受け取る側は著者の意図とは違う解釈をする。

これを安保法制に当てはめて言うなら,言いだしっぺの安倍総理は,実務主義者たちが言っている

ような「難しいこと」は考えていないと思う。何しろ安倍チャンは一種の宗教に洗脳されているのだから。

関心があるのは「集団的自衛権」の部分だけだろう。法案を作るのは官僚たちだから,彼らは一生懸命

法律全体のつじつまが合うように,あれだけの数の法案をまとめたのだろう。あとは安倍総理に国会で

ボロが出ないように役者を演じてもらうだけだ。この流れの中で官僚は一種の「機械」であり,

「こういう目的が実現するように,細部を適当に決めといて」と命じられれば,官僚は極めて有能な

働きをする。だから,法案を作った官僚の仕事ぶりを実務主義者たちが高く評価するのは当然だ。

しかし,今主要な問題になっているのは「官僚がいかに有能か」ということではない。「こういう目的が

実現するように」という最初の命令の適否だ。だから実務主義者たちの主張は,言うなれば

皿に盛られた料理に手をつけずに皿を愛でているようなものだ,と言ったら言い過ぎだろうか。

 


 

◆ 安保法制反対派への批判

この記事の本論は,ここから先だと言ってもいい。

個人的には,賛成派よりも反対派に対してより大きな嫌悪感を覚える。

彼らに対しては,賛成派に対してよりも大きな声で言おう。目を開いて現実を見ろ。

 

@ 歴史は繰り返すのか?

とにかくオジサンはね,真っ先にこれを問いたいわけですよ。

たとえば,「今の世の中は平和だと言うが,70年も平和が続いたことは歴史上ほとんどない。

だからこの平和はつかの間のものであって,いずれまた戦争は起こる。それは歴史が証明している

― こんなことを言う人が,知識人と言われる人々の中にも大勢いる。

私の考えを言いましょう。

 

歴史は繰り返しません。

 

もう少し正確に言うと,社会的な現象において「歴史が繰り返す」ことはほとんどありません。

しばしば歴史が繰り返したかのように見えるのは,人々が「繰り返した歴史」だけに目を向けたがるからです。

「この売り場で宝くじが当たったから,また当たるかもしれない」と考えるのと同じです。

たとえば女性差別や黒人差別。確かに今も残ってはいるが,かつてのように「女性には参政権を与えない」

とか「黒人は奴隷として扱ってよい」というような時代に戻る可能性はゼロだろう。つまり

社会は,徐々に一定方向に変わることはあっても,その流れが逆行することは基本的にない

もっと卑近な例を挙げれば,日本で経済バブルが起きたのはほんの30年ほど前のことに過ぎない。

しかし,それと同じことはもう二度と起きないだろう。歴史は繰り返さないのだ。

 

A 戦争は再び起きるのか?

 

起きませんね。日本では。

 

思考停止するなよ,君たち。ちょっと考えればわかるだろ。

ただし,言葉は正確に定義しておく必要がある。

おそらく多くの人が「戦争」という言葉に対して思い浮かべるイメージは,次の2つの要件を満たしているだろう。

@ 国と国(を含むグループ)とが戦う。

A 相手の軍隊が自国の領土(や領海・領空)に攻め込んでくる。(またはその逆)

そういう意味での戦争は,日本では起こらないということだ。

テロリストが成田から侵入して渋谷駅前で自爆テロをした,というようなものを戦争に含めるなら,そういう「戦争」が

起こる可能性は否定しない。でも,今「戦争反対」と叫んでいる人たちの言う「戦争」は,そんなもんじゃないよね。

心配しなくていいよ。君たちの言うような戦争が起こる可能性はゼロだから。

 

B なぜ日本で戦争が起きる可能性がないのか?

多くの人は,この点を真剣に考えていない。

中国や北朝鮮が脅威だって?じゃあ聞くが,中国や北朝鮮から日本へ向けてミサイルが飛んでくる

可能性が実際にある,とあなたは思うの?もしそうだったら,そのシナリオを聞かせてほしいな。

北の首領さまが,とち狂ってミサイルのボタンを押す?三流SF小説かよ。

北朝鮮や中国,あるいはどこかの国が,日本の領土領海を侵して攻撃をしてくるような事態が

仮に起きたとしたら,それはその国が「アメリカとの戦争」を選択したことを意味する。

そうでしょ?日本が攻撃されたら米軍が出動する。それが安保条約だから。

今の世界で,アメリカと本気の戦争を望むような国があるわけないじゃないか。

いい悪いの問題じゃなく,現にアメリカは世界一の軍事力を有している。

だから中国も北朝鮮も,「脅し」をかけることはあっても,アメリカとの本気の戦争を望んではいない。

さらに言えば,万が一どこかの国が日本を攻めてきたとき,アメリカが安保条約を無視して日本を

守らない,ということもあり得ない。アメリカの立場になって考えればわかることだ。その戦争で日本が

相手国に占領されたら困るのはアメリカだし,日本の自衛隊が独力でその戦いに勝ったらもっとヤバい。

日本の世論は「な〜んだ,アメリカの助けなんか必要ないじゃないか」さらに「裏切り者のアメリカと

戦おう」なんて方向に流れてしまいかねない,とアメリカは考えるだろう。

だからね,君たち。心配ないの。日米安保条約がある限り,日本は安全なの。それが現実なの。

 

C 彼らはなぜ「戦争」に反対するのか?

答えは簡単だ。安倍チャンが右翼思想に洗脳されているのと同じように,反戦論者は実際に戦争を

経験した人々のトラウマに染められているのだ。「あつものに懲りてなますを吹く」という故事があるだろう。

あれだよ。一応注釈すると,「あつもの」は戦争,「なます」は現実に起こりえない戦争のことだよ。

実際に経験した人が戦争を恐れたり憎んだりするのは当たり前だ。それは事故や犯罪でも同じだ。

しかし,そういう身体的恐怖や嫌悪を「反戦」という思想に直結させるのは,賢明な大人の発想ではない。

まあ賢明かどうかについては異論もあるだろうから,もう少し冷静に現実を見つめてみよう。

現在の日米安保条約が締結されたのが1960年。そのときも,また10年後(1970年)の自動延長の頃も

(その年にオジサンは中学生だったのだが),世論の反発ぶりは今の安保法制の比じゃなかった。

なぜなら,当時は冷戦を反映した自民党VS社会党というイデオロギー対立がまだ生きていたからだ。

当時の社会党(現在の社民党)の思想的バックボーンは,非武装中立論だった。

これは憲法を忠実に守ろうという立場で,自衛隊を含め一切の戦力保持は違憲だと彼らは主張した。

そういう思想が一定の勢力を得ていたのは,今から振り返れば「戦争はいやだ」という一種の「熱」が

まだ日本人の中に強く残っていたからだ。しかし時代の経過とともに,その熱は冷めていった。

それは正常なことだとオジサンは思う。人間は常に過去のつらい経験を忘れながら生きている。

やがて自衛隊の存在とその戦力を否定する人はほとんどいなくなり,社会党は凋落した。

その事実は,大きく左に振れていた振り子の針が,少しずつ真ん中に戻ったことを意味する。

今は少し右に振れているので,その反動として反政府運動が盛り上がっているのだろう。

そういう歴史的経緯をふまえて言えば,日本の社会は大筋では健全な方向へ進んでいると思う。

反戦思想を主張する人たちもその中で一定の役割を果たしていることは否定しない。

しかしその人たちは,自分たちの主張が「絶対的な正義」だと勘違いしないようにしてもらいたい。

 

もう少しシビアな見方をするなら,今の「反戦」ブームは,1つには一種のバンドワゴン効果,つまり

「ブームに乗ろう」という心理の表れにも思える。「戦争反対」というスローガンは,絶対的に正しい

ように見える。世間では安倍政権に批判が高まっている。だから自分も,勝ち馬に乗ろう。

− そういう一種の反知性主義に支えられている面も,あるんじゃなかろうか。

そういう意味では,ネトウヨと(あくまで一部だが)反戦運動の根っこには相通じるものもある。

 


 

◆ 日本の安全保障はどうあるべきか?

批判するばかりではアンフェアなので,ここからは私自身の考えを述べてみたいと思います。

以前雑記帳や日記帳に書いたことと一部重複しますが。

 

@ 日米安保条約をどう考えるか?

前述のとおり,現在の日本の安全は,日米安保条約によって守られている。

「安全保障条約」とはよく言ったものだ。

この条約を無視して日本の安全保障を考えるのは,穴のあいたバケツで水をすくうようなものだ。

では,安保法制賛成派と反対派は,この条約をどう考えているのだろうか?

以下は推測だが,大きく外れてはいないだろう。

まず賛成派は,「安保条約はお互いがお互いを守りあう条約なのだから,アメリカに一方的に

守ってもらうだけでなく,日本も(海外で)アメリカを守るのが筋だ」と基本的に考えているだろう。

こちらはわかりやすい。では,反対派はどうか?

実はここに,安保法制反対派および反核運動家たちの決定的な欺瞞がある(前にも書いた)。

日本の反戦思想家は,日米安保条約の議論に決して深入り

しない。自分の論理の限界に目を向けるのが怖いからだ。

簡単な理屈だ。たとえば彼らは,「米軍基地に反対する沖縄県民の声に耳を傾けろ」と言う。

しかし,そこから先のことは考えていない。「沖縄の基地を撤去して,そのあとはどうするのか」

という疑問に対する答えは,次の2つしかない。

@ 日本国内の別の場所に基地を移転する。

A 日本国内から米軍基地を一切なくす。

「どっちもいやだ」と言うのは,ただの子どものわがままだ。

まず,彼らには@を選ぶことはできない。「沖縄」が「岩国」に変わっても意味がないから。

じゃあAを選べばいい?ならば聞こう。仮に日本から米軍が撤退した場合,日本の安全保障は

大丈夫なのか?− この問いに対する答えは,およそ次の4つだろう。

(A) 大丈夫だ。たとえ危険が起きても,自衛隊の戦力だけで日本の安全は守れる。

(B) 自衛隊だけでたぶん大丈夫だろう。なぜなら,たぶん危険は起きないから。

(C) 自衛隊もいらない。現憲法を忠実に守って,軍事力は一切放棄すればいい。(非武装中立論)

(D) 自衛隊だけでは危険だから,徴兵制を敷いて防衛力を強化するべきだ。

この4つの中で,筋が通っていてわかりやすいのは(C)と(D)だ。

しかし,(C)を選ぶ人が少ないことは社会党の凋落が証明している。

(D)は反戦思想に逆行するから反戦思想家にとっては論外だが,安倍総理の最終目的は当然そこにある。

そういう意味では,右翼思想の方がロジックはすっきりしている。

(A)や(B)を選ぼうとする人は,「抑止力」の意味を真剣に考えねばならないだろう。

先に書いたとおり,現在の日本の安全は日米安保体制によって守られている,とオジサンは思っている。

上で(A)や(B)を選ぶことは,米国の抑止力を失うことを意味する。つまり,日米安保条約の破棄だ。

しかし彼らは,そんなことまで考えていない。途中で思考が停止してしまっているからだ。

戦争の被害にあった当事者が,「理屈抜きで戦争反対」と言うのは許される。

しかし,そうでない人々はもっと冷静に物を考えねばならないのだ。

 

話が横道にそれるが,こんなたとえはどうだろうか。

西アジアのある小国Aが,核兵器を保有する隣の大国にこう脅迫された。

「おまえの国の領土をよこせ。さもないと核兵器で攻撃するぞ」。

この場合,A国の国民や政府はどんなリアクションをするだろうか。

もちろん抵抗するし国際社会に協力を仰ぐだろうが,ここではそういうことを問題にしているのではない。

「核兵器の怖さ」を,彼らがどのように認識するかということだ。

反核思想家たちは,しばしば「核兵器の本当の恐ろしさをもっと世界に知らせよう」と言う。

仮に彼らの運動が成功して,世界中に核兵器の怖さが浸透したとしよう。

A国の国民や政府は,「核兵器は怖い。だからおとなしく領土を明け渡そう」と考えるだろう。

− あれ?なんかおかしくないか?

そう。ここでは「核抑止力」が完ぺきなまでに働いている。つまりここには,

反核思想家たちの活動が成功すればするほど,核抑止力は強化されるというパラドックスがある。

では逆にA国が「核兵器なんか怖くないぞ。領土は渡すもんか」と言ったらどうだろうか。

この場合,核抑止力は働いていないが,その代わりA国の国民は「核兵器の怖さ」を理解して

いないことなる。つまり,どっちに転んでも反核思想家たちにとっては具合が悪い。

そこから導き出される結論は,「核兵器の怖さを知らしめることによって核兵器をなくそう」

というもともとの発想が間違っているということだ。違うかい?

 

A 日米安保条約を前提として,どう考えるか?

話を本筋に戻そう。

上に書いたとおり,右寄りの人々は最終的に「日米安保条約を破棄したい」と思っている。

左寄りの人々(反戦主義者)は,日米安保条約を棚上げして理想(妄想?)を語っている。

どちらの人々も,もっと現実を見た方がいい。

まずもって,たとえ日本が安保条約を破棄しようとしても,(孫崎さんじゃないが)それは

米国が絶対に許さない。だから現実的対応としては,日米安保条約の枠内で,日本人の

危険がなるべく少なくなるようにする方策を考えねばならない。

この場合,「自衛隊員の危険」は無視していいと思う。

上の方で書いたとおり,自衛隊員はいざというとき「兵隊」になることを期待されている職業であり,

いわば戦争するのが彼らの仕事だ。だから戦死のリスクも当然含まれる。警官や消防隊員が

背負うリスクと同じだ。割りに合わないというのなら給料を上げてやればいい。死にたくなければ

転職すればいい。「お国を守るため」という自分なりの生きがいを持って,他の仕事に比べれば

高額であろう給料と引き換えに,死のリスクを覚悟して戦場に向かうのは君の自由だ。

ただし,君が戦えば戦うほど,君の家族の危険が増すということは覚えておいてくれよ。

 

では,自衛隊員以外の日本人が「敵からの物理的攻撃」によって危害を加えられるケースとは

どんな場合だろうか。前述のとおり,日米安保条約がある以上,日本にミサイルや戦闘機が

飛んでくる可能性はない。一方で,自爆テロなどテロリストが国内を攻撃する可能性は十分ある。

そのリスクは自衛隊の海外での活動が増えるほど高くなるだろうが,仮に自衛隊が一切そういう

ことをしなくてもリスクが消えるわけではない。なにしろ日本はアメリカの同盟国なのだから。

したがって,テロ対策はどのみち必要だ。とりあえず交通機関のボディチェックを強化したり,

旅行者に注意を促すなどは当然政府も考えているだろう。リスクをゼロにすることはできない以上,

そういう努力は避けられない。そのリスクを下げることだけを考えれば,一番手っ取り早い方法は

アメリカと同盟を解消することだ。しかしそれには別の,もっと大きなリスクが伴うだろう。

そのようにして出て来る結論は,ボディチェック強化というような,ごく当たり前のものでしかない。

右でも左でもない「中道」とはそういうことだと思う。

 

B 結論

要するに,賛成派も反対派も「机上の空論」を戦わせているのだよ。

たとえて言えば,「宝くじで1億円当たったら,何に使おう?」と考えているようなものだ。

右翼の最終目標は安保条約の破棄と軍隊(徴兵制)の復活だから,この条約に触れようとしない。

左翼は自分たちの論理の綻びが露呈するのを嫌がって,これまた安保条約に触れようとしない。

しかし,君たちがどう妄想を膨らませようと,日米安保体制は間違いなくこれからも続いていく。

ということは,日本はアメリカの軍事戦略の中にこれからも取り込まれ,それなりの貢献を

しなければ相手も納得しないんだから(協調主義者ならわかるよな)。

だから日本の安全保障問題は,「日本が軍事的に米国に従属する関係はこれからも続く」という

前提の下で,一人一人の日本人(日本という国ではない)の安全をどう守るかを議論すべきだ。

それが,現実を直視した対応というものだ。

アメリカの軍事力が低下したらどうするかって?

そんな恐ろしいことは(いろんな意味で),考えたってしょうがないだろう。

日本に核ミサイルが飛んできたらどうすか?と心配するのと同じだよ。

そんな妄想に頭を巡らせるヒマがあったら,もっと生産的なことを考えたらどうなの?

 

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