最終更新日: 2016/3/13

雑記帳 (社会問題編-21)


 

◆ 2016/3/13(日) 原発稼動の是非の判断に関する提案

 

今回は,5年前の3月11日に起きた震災に寄せて,その後に盛んになった

「原発の稼動の是非」についての世間の議論に関して思うことを書いてみたい。

本論に入る前に,基本的な考えとして次のことを言っておく。

原発賛成派と反対派の主張はどちらも傍観者的であり,本質を突いていない。

そして以下に語ることの目的は,賛成派と反対派の両方が納得するスキームの提案だ。


 

■原発論議の本質的な問題とは何か?

まず賛成派に対しては,次の質問をしてみたい。

(A) 自分の住む市町村に原発建設計画が持ち上がったら,あなたは賛成しますか?

この問いに対して「イエス」と答えるなら,あなたの主張には筋が通っている。

「原発は必要だ。しかし自分の家の近くにあるのは困る」というのは,「お金はほしい。

でも働きたくない」と言うのと同じくらい自分勝手だ。

次に反対派に対しては,次の質問をしてみたい。

(B) 自分の住む市町村での原発の稼動に賛成する人々を,あなたは非難しますか?

この問いに対して「イエス」と答えるなら,あなたの主張は(非民主的だが)筋が通っている。

「原発は不要だ。しかし原発の地元の人々が稼動に賛成するのはかまわない」と

いうのは,自分の主張が机上の空論だと自ら認めているに等しい。

そしておそらく,(A)に対して賛成派の大半はノーと答え,(B)に対しても反対派の大半が

ノーと答えるだろう。つまり賛成派も反対派も,当事者意識が薄い。そこが問題なのだ。

 

原発を稼動させること(あるいは新たに原発を作ること)の最大の問題点は何か?

それは,「事故が起きたときの責任の所在があいまいだ」ということだ。

原発事故は,現実に起こりうるリスクだ。実際に福島で事故が起こったからというわけじゃない。

事故の起こるリスクがゼロなら,消費地に近い都会に原発を建てればいいじゃないか。

それなのになぜ遠くの僻地に原発を作るのか?− 中学生でもわかる理屈だ。

しかし現状のシステムでは,原発事故で大災害が発生しても,原発を稼動させる判断を

した人々の責任は問われない。それが最大の問題だと思う。

言い換えれば,「事故が起きたときの責任の所在」を明確にしておけば,原発の稼動は

許されていいとオジサンは思う。その理由は以下のとおりだ。

原発を作ったり稼動させたりするには地元の合意が必要であり,実際に原発が動くのは

地元が合意しているからだ。

合意の本質は「経済効果というメリットと引き換えに原発のリスクを引き受ける」ということだ。

たとえば,政府は原発を動かしたい。地元(原発立地自治体)は補助金がほしい。

そこで両者の利益が一致するから原発は動くわけだ。政府が無理やり原発を動かしている

わけではないのだから,この意志決定プロセスには合理性がある。一方「原発のリスク」とは,

原発の事故によって地元が受ける被害だけではない。周辺の自治体などにも被害は及ぶ。

たとえば原発が立地しているA市は政府から多額の補助金をもらっているから,原発事故で

被害が出たとしても,その弁償は(補助金によって)既に済んでいると考えるのが筋だ。

しかしA市の隣のB市は,原発事故が起これば被害が出ると予想されるにもかかわらず,

立地自治体ではないからという理由で補助金が出ないとする。この場合,B市にとって

原発は何のメリットもなく,リスクだけがあることになる。これは明らかに不公平だ。

だから,B市のような自治体(に住む人々)は原発稼動の判断の当事者であるべきだ。

たとえば,B市にも補助金を出す。その上でB市の市民にも,A市の原発を稼動させるか

どうかの判断を求める。それでB市もゴーサインを出せば,B市の立場もA市と同じになる。

そのようにして考えていくと,「当事者全員で原発稼動の是非を判断し,多数決で決める

というスキームを作れば,その結果は合理的なものとして認められていいとオジサンは思う。


 

■「原発投票」の実施案

詳細は後述することにして,まず案の概要を示す。

(1)原発の稼動(または新設)の判断は,利害関係者全員の投票により多数決で決める。

(2)投票は3年ごとに行う。(3年ごとに稼動の是非を判断する)

(3)記名投票とし,「賛成派リスト」と「反対派リスト」を作る。

(4)原発事故が起きて金銭的補償の必要が発生した場合,直前の投票で賛成派リストに

     掲載されている者はその補償の責任を負う。

以上が案の概要だ。以下,詳しく説明する。

 

(1)原発の稼動(または新設)の判断は,利害関係者全員の投票により多数決で決める。

利害関係者とは,次の3つのうち少なくともどれか1つに該当する者とする。

・原発を稼動させる判断に関与する者。

・原発の稼動によって何らかの恩恵を受ける者。

・福島級の原発事故によって物理的・金銭的被害を受けると予想される者

具体的に言うと,ある原発の稼動の是非を決める投票に参加するのは,次の6者とする。

@福島級の原発事故が起きた場合,物理的被害(避難の必要性を含む)が及ぶと予想される地区に住む者

A原発が立地する都道府県内で,風評被害が及ぶと予想される者(農林漁業・観光業者など)

B原発稼動の判断に関与する科学的機関の担当者

C当該原発を管理する電力会社の全社員

D全国会議員および原発関連の政府機関の職員

E上記に該当せず,供託金(50万円)を支払うことによって利害関係者となる者

Eは「原発立地県には住んでいないが,原発の問題に当事者としてかかわりたい」と考える人のこと。

そういう人を無制限に参加させると無責任な投票が増えるので,50万円の供託金を徴収する。

※Aの人々の扱いには,次の2案がある。

(A)投票の権利を与えない(利害関係者から外す)。その代わり,原発事故が起こり損害が発生したときは

金銭的補償の対象とする。

(B)投票の権利を与える。その代わり,原発事故が起こり損害が発生しても金銭的補償の対象としない。

実際のオペレーションを考えると(A)は風評被害の被害金額の算定が難しいので,(B)の考えを採用した。

 

(2)投票は3年ごとに行う。

この案は「原発事故が起きたとき,稼動に賛成した者は責任を取るべきだ」という思想に基づいている。

しかし一度の判断の責任を無期限に負わせるのは酷なので,3年ごとに判断を変更する(あるいは

利害関係者から外れる)チャンスを与える。

 

(3)記名投票とし,「賛成派リスト」と「反対派リスト」を作る。

「自分は反対したのに,自分以外の多数が賛成したから原発は稼動してしまった。その

結果起きた事故の責任を自分が負わされるのはいやだ」いう主張には合理性がある。

だから反対派リストに掲載された者には,補償の責任は問わないことにする。

本人が立地自治体に住んでいれば補助金の恩恵を受けることになるが,その代償として

原発事故にあうリスクを負う。また原発から遠く離れた場所に住み,供託金を払って

反対票を投じる者も,金銭的負担が発生するリスクを負う。これによって,何のリスクも

負わずに反対票を投じる者はいなくなる。(賛成派はもちろん(4)のリスクを負う)

 

(4)原発事故が起きて金銭的補償の必要が発生した場合,直前の投票で

賛成派リストに掲載されている者はその補償の責任を負う。

これが,この案のキモだ。原発が稼動するということは,原発投票で賛成派が多数になった

ことを意味する。彼らは当然,原発の稼動によって恩恵を受ける。地元住民は政府や電力

会社からの補助金による経済効果を得る。電力会社は利益と雇用を確保する。国は自分らが

正しいと信じる国策を遂行できる。「だったら一般国民も,原発から得られる電力の恩恵を

受けるんじゃないのか?」という指摘に対しては,「そういう自覚がある人は供託金を払って

利害関係者として登録すればいい」と答えよう。供託金がなぜ必要かを改めて言っておく。

たとえば都会の住民は,遠く離れた原発で作られた電気の恩恵を受けていながら,「原発で

事故が起きても自分に害は及ばない」とおそらく考えている。つまり彼らは原発から一方的に

利益を得るだけで,リスクを負わない。だから原発の稼動に賛成する者も多いだろう。それでは

不公平だ。だから投票したければ,彼らにもリスクを負ってもらう。それは「もし事故が起きたら

あなたの払った50万円は(事故の補償に使われるから)戻ってきませんよ」というリスクだ。

そのリスクを負ってでも「原発で作られる電気は自分にとって大切だから,自分は利害関係者と

して原発の稼動に賛成の票を投じたい」というのなら,その権利は認めれるべきだ。

一方で原発反対派にも,傍観者的な投票が増えるのを防ぐために供託金は払ってもらう。

しかし「反対派リストへの掲載者は補償の責任を負わない」という原則との整合性から,

事故が起きたときは供託金から10万円だけ差し引いてそれを被災者への義捐金に充て

(これは補償の責任としての金ではない),残りの40万円は本人に返すことにする。


 

■原発事故が起きた場合の補償の流れ

原発投票で反対派が勝てば,原発は動かないのだから何も問題は起きない。

賛成派が勝っても,事故が起こらない限り問題は起きない。みんなハッピーだ。

ある回の投票で50万円の供託金を支払って利害関係者となった者は,次の投票に

参加しなければそのお金は返却される。参加する場合は前回の供託金をそのまま

継続することができる(新たに払う必要はない)。つまりその人が払った50万円は,

いざ事故が起きたときの補償金の一部としてプールされる。

では,賛成派が勝って原発が稼動し,事故が起きた場合はどうだろうか。

この場合,わかりやす言えば次の関係が発生する。

賛成派リストに掲載された全員が債務者となる。

・金銭に換算できる被害を受けた者(賛成派も含む)が債権者となる

数字で考えてみよう。賛成派リストに10万人が登録されていたとする。

個人に対する金銭的損害を伴う原発事故が起きて,補償金の総額が10億円

だった場合,その額を10万人に均等割りすると1人当たり1万円となる。

したがって賛成派リスト掲載者からは,1万円ずつ徴収する。税金と同じだ。

マイナンバーがあるのだから手続きは難しくないだろう。

では,補償額が1兆円ならどうか。10万人で割れば一人につき1,000万円だ。

金持ちだろうと貧乏人だろうと同じだ。払えなければ自己破産してもらう(それでも

足りない場合に限り,国会で特別予算を組んで税金を補償金に充てる)。

賛成派に厳しすぎるということはない。なぜなら,彼らの判断の根拠は

「原発事故が起きるリスクは限りなく低い」ということであり,それは「自分が多額の

賠償金を払うような事態が起こるリスクは限りなく低い」というのと同義だからだ。

逆に言うと,原発の稼動に賛成する票を入れようとする人は,「事故のリスクは低い

と思う。しかし万一事故が起きたら自分が困る」というジレンマに直面することになる。

この判断を1人1人の投票者に迫ることで,無責任な賛成投票は確実に排除できる。

なお,賛成派リストに掲載され事故の被害を受けた者は「債権」と「債務」が相殺される。

たとえば賛成派のA氏の被害額が1千万円,賛成派に対する1人当たりの補償負担額が

300万円なら,A氏は差し引き700万円を被害者補償金として受け取ることができる。

(企業に対する損害賠償額は,企業内の賛成派と反対派の比率に応じて決める)

原発投票では,参加者全員に「反対票を入れる権利」がある。

反対派リストに名を連ね,原発事故で転居を余儀なくされたりした場合は,

賛成派リスト掲載者に損害賠償を求めることができる。裁判を起こす必要はない。

税金を徴収するのと同じ要領で,税務署が賛成派から金を集めてくれる。

電力会社の社員が投票に参加したとしよう。自分にとって原発は飯の種だから,

賛成票を入れようか。しかし事故が起きたら補償金を取られる。本人は悩むだろう。

国会議員はどうか。うちの党は原発を推進しようとしているが,事故が起きたときに

自分の金を取られるのはいやだ。万一想定外の大事故が起これば,私有財産を

すべて没収されかねない。だから党の方針に反して反対票を入れようか…

なお,供託金を払って利害関係者になり,賛成派リストに載った人は,供託金の

50万円を超える額の補償責任は負わない。同様に供託金を払って反対派リストに

載った人々は,前述のとおりそこから10万円を義捐金として徴収され,残りは

手元に戻ってくる。

 

この原発投票案の特徴をまとめると,次のようになる。

@原発の稼動に関する利害関係者全員が判断に関与する。

A無責任な判断による投票を防ぐ。

この案の現実性がどの程度あるかはわからない。

しかし理念的には,このような仕組みを作って原発稼動の是非を判断すれば,

賛成派も反対派も,そして投票に参加する人々も参加しない人々も,全員が

納得するはずだ。 

もしあなたが賛成派なら,あなたは事故が起きたとき自らが負うことになる金銭的

負担に文句を言うことはできない。そうすることは「事故のリスクがある」と自分から

認めることを意味するからだ。

一方あなたが反対派なら(たとえ投票に参加しなくても),投票の結果に文句を言う

ことはできない。利害関係者全員の投票で決まったことを否定するのは,民主主義を

否定するのと同じだからだ。「原発事故が起きたときの被害はお金には換算できない」

というのはあなた個人の思想でしかない。原発の再稼動が現在始まろうとしているのは,

実質的に地元民が事故のリスクを金銭に換算した結果なのだから。

 

なお補足しておくと,「国や行政の判断ミスによって金銭的損害が発生した場合,その

補償の責任を個人に帰するような例は他にない。だから原発だけを特別扱いするのは

不合理だ」という主張には一理あるように思えるかもしれないが,オジサンの意見は違う。

役所が国民の税金を好き勝手に使って金銭的損失が生じたとき,誰も責任を問われない

というシステム自体が間違っていると思う。グリーンピアしかり。諫早湾の埋め立てしかり。

GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)が,国民に支払う年金の原資となる積立金の

株式運用に失敗して数兆円の赤字を出したというニュースも記憶に新しい。

こういう大失敗をしても誰も責任を問われないなら,モラルハザードが増大することは目に

見えている。原発賛成派は,事故が起きたら金銭的補償の責任を取るべきだ。

 

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