最終更新日: 2005/09/05

雑記帳 (社会問題編-B)


 

◆ 2005/9/5(月) 選挙に寄せて

 

● 皆さんは,選挙の結果とか世論調査とかを見て,「世の中には,なんでこんなにバカが多いのか?」と思うことはありませんか?その嘆きや憤りの矛先は,端的に言えば「自分と違う政党や候補者を支持する有権者たち」に向けられています。私も昔は,そんな不届きなことを思ったりもしました。自戒をこめて,今回はそのへんに関係する「世の中の真実」みたいなことを語ってみたいと思います。

 

 またしても全然関係のない話から始まるわけですが。私はこのように思います。世の中の議論が分かれる問題の大半には,こういう言葉で要約できる背景があるのではなかろうか?と。

 

「感情」と「理屈」の比率の個人差

 

● 最近,小林よしのりの「靖国論」という本を買いました。まだ半分くらいしか読んでませんが。実はその前に,「沖縄論」という彼の本も買ったのです。はっきり言ってぼくは,かつて小林よしのりという人を「箸にも棒にもかからないバカ」だと思っていました。少なくとも初期の「ゴー宣」の頃はそうだったと思います。しかし久しぶりにこの人の本を読んでみて,認識を改めました。とにかく,読むのに時間がかかる。文字がいっぱい書いてあるからです。それはつまり,本人が語ろうとしている問題についてどれだけ深く「勉強」しているかを物語っています。前にも書いたけれど,知識がなくて思想だけあるのは,ただのバカです。思想が先にあって,知識が後から追いついていくのであれば,それはそれでいいと思います。言論人として生きていこうと腹をくくっている今の小林氏は,やはりあれだけ著作が売れているだけのことはある,要するにもはや「ただのバカ」ではない,と見直した次第です。彼の主張に賛同するわけではないけどね。

それはさておき,「靖国論」の中で著者・小林氏は,例のベストセラー「靖国問題」(ちくま新書)を,「時代遅れの左翼思想そのもの」という感じで一刀両断に切りつけています。確かに同書の著者・高橋哲哉氏は,靖国神社というものの存在に対して否定的です。しかしあの本に少しでも目を通した人なら誰でも,同書が思想的プロパガンダのために書かれたものでないことを,直感的に理解したはずです。あれは基本的に「学術研究の成果をまとめた本」であって,世の中に対して何かの主張をすることを主眼に置くものではありません。これに対して小林氏の「靖国論」は,明らかに思想的な主張を前面に出した本です。本の目的が違うわけだから,両者を同列に並べて比較することはできません。(そもそもぼくが小林氏のことをバカだと思った一番の理由は,彼が「自分以外はみんな無知だ」みたいなことを言うからです。いやしくも知性のある人なら,決してこういうことは言いません。今でも小林氏は同じ調子で学者や識者を批判していますが,それはまあ一種の商売上のテクニックとして大目に見るべきでしょう)

さて,小林氏が「靖国論」の中で言っていることの背景には,「英霊(国のために戦って死んだ人)への敬意」という心情が強く感じられます。一方「靖国問題」の著者・高橋氏には,その種の特別な感情(たとえば靖国神社に対する憎しみ)は一切感じられません。さて,そこで本日の本題である「感情」と「理屈」という話にに立ち返るわけですが・・・・・。人が何かを考えよう,あるいは判断を下そうとするとき,本人の頭の中では常にこの両者がせめぎ合っています。違うのは,両者の比重です。感情だけの人,あるいは理屈だけの人もいるでしょうが,たいていの人は両方を持っているはずです。なお,「感情は悪,理屈は善」というつもりはありません。両者は対等です。念のため。

 

● 例として, 「広島への原爆投下の是非」という問題について考えてみましょう。4人のモデルに登場してもらいます。

A: 被爆者である日本人 (感情=100%・理屈=0%)

B: 年配の中国人           (感情=100%・理屈=0%)

C: 若いアメリカ人           (感情=0%・理屈=100%)

D: 若い日本人               (感情=50%・理屈=50%)

 

感情と理屈の比率に着目してください。Aは戦争被害者であり,「戦争(原爆)が憎い」という感情しか持ち合わせていません(あくまで極端なモデルです)。Bは「家族を日本兵に惨殺された」という過去を持ち,こちらも「日本が憎い」という感情だけを持っています。Cは戦争というものに実感がなく,「原爆投下は戦争終結のために必要だった」という,学校で習った理屈しか持っていません。Dも戦争の実体験はありませんが,戦争の悲惨さはいろんな媒体によって知っており,感情と理屈を半分ずつ持っています。

 

さて,この4人の間に,「議論」というものが成立するでしょうか?議論が成り立つとしたら,それはCとDの間においてのみです。それ以外の組み合わせでは,議論は成立しません。1つだけシミュレーションしてみましょう。AとCが話し合いのテーブルについたとします。(Cには便宜上日本語で語らせます)

 

A: あんたは,原爆がどんなに悲惨なものかを知っとるんか?

C: 知りません。しかし原爆が果たした社会的意義は知っています。

A: わしの家族は全員原爆で死んでしもうた。原爆は絶対に許せん。

C: 原爆のおかげで日本の降伏が早まり,結果的に多くの兵士やアジア人や命を落とさずに済んだ,と私は理解しています。

※ ここでは「原爆投下の真の目的はそんなものではない」という意見は棚上げしておきます。

A: そのために犠牲になった者は,どうしてくれるんか?

C: お気の毒だとは思いますが,それとこれとは話が別です。

A: あんたの家族が原爆で死んでも,同じことを言うんか?

C: たぶんあなたと同じことを言うでしょう。しかし,それとこれとはまた話が別です。

 

おおざっぱに言えば,こんな感じになるでしょう。AとBとが話し合えば,これよりさらに修羅場の水掛け論が展開されるに違いありません。そんなものはもちろん「議論」などではあり得ず,話し合った末に何かの結論が出るようなものでもありません。では,AとDが話し合ったらどうなるか?DはAの言うことに半分は共感するでしょうが,残りの半分は「本当にそれだけしか考えなくていいのだろうか?」という漠然とした不安を抱くはずです。それが,人間(少なくとも大人)としての普通の反応だと言えます。

 

● AやBやCを悪く言うつもりはありません。 ただ,少なくともこうは言えます。

 

「感情」の比率が高い人ほど,議論には向かない。

 

先ほどの例でCとDとの間に議論が成り立つのは,両者が「理屈」の部分を共有しているからです。理屈がゼロの人には,当たり前ですが,議論はできません。

もう1つ例を挙げましょう。「この町に競馬場を作ろう」というテーマの討論会が,とある商工会議所で開かれました。Mはその計画の発起人,Nは地元の代表者です。

 

M: 競馬場は,地域の活性化につながります。

N: 建設には反対だ。治安が悪くなる。

M: たとえば,どんなことですか?

N: ギャンブル場に来るような連中は,ガラの悪いのが多い。建設予定地の近くには小学校もあるし,風紀が乱れる。

M: しかし地元の雇用が増えるし,税金も増えて町の財政も潤います。

N: 万一犯罪や事故が起きたら,誰が責任を取るのか?

M: そもそも「ギャンブル場を作ると犯罪が増える」ということ自体に根拠がありません。

N: とにかく,心情的に反対!

 

てな感じ。ここではMを「理屈100%」,Nを「感情100%」の人物として想定してあります。この例でも,話し合いは全く噛みあっていません。その最大の理由は,Nの側が初めから「聞く耳」を持っていないからです。かりにも「議論」に参加しようとする人は,(感情をゼロにする必要はありませんが)少なくとも「理屈」をベースにして物を考える姿勢を持たねばなりません。なお,の例でのNの発言には,ひとかけらの理屈も存在しません。私の言う「理屈」とは,Mの語っていること(最後の発言はその典型)のような,厳密な意味で「合理的」な思考プロセスを言います。

 

● しかし!ここからが私の言いたいことの本質ですが・・・

 

世の中を動かすのは,「理屈」よりもむしろ「感情」である。

 

別の言葉で言えば,世の中を動かすのは,「議論」よりむしろ「運動」です小林よしのりの「沖縄論」にも書いてある例ですが,沖縄では米軍基地は邪魔者だと誰もが思っているけれど,経済的に基地依存体質になっているため「基地反対」という運動がなかなか1つにまとまりにくかった。しかし,1995年に起きた米兵3人による小学生女子拉致暴行事件の際には,党派を超えた嵐のような日米地位協定見直し運動が起こった,という話。また,つい最近,アメリカでブッシュ大統領の居宅前で抗議の座り込みを行い,全米の共感を呼んだ女性がニュースで取り上げられていました。凡百の議論よりも,1つの事件や発言や行動が,大衆を動かす原動力になることはしばしばあります。ちなみに沖縄の運動では,結果的に日米地位協定の見直しは実現しませんでしたが,犯罪を犯した米軍兵士への取調べや,米兵による犯罪への抑止効果は,1995年の全県的運動によって改善を見た,と言ってよいと思います。つまり,「感情が世の中を動かした」わけです。

 

ここに例として出すのは不適当かもしれませんが,福山・鞆の浦の港の埋立計画についても,私は似たような図式を感じます。法的には「地権者全員の同意を必要とする」という条件があるので,反対者が一人でもいれば計画は実現しません。この件において現実に決定的な足枷(?)となっているのは,埋立計画に同意しない一部の住民です。その人たちの頭の中は,おそらく「(理屈抜きの)感情」が90%以上を占めていることでしょう。要するに「何が何でも反対!」ということです。私は当事者ではないので,計画自体の是非について云々したいわけではありません。言いたいのは,ここでもまさに「理屈」は現実の問題解決にとって無力であり,感情や運動によって物事が動いて(あるいは動かないで)いる,という事実の重みです。

 

● ここでようやく,選挙の話になります。今回の選挙の図式と世論調査の結果をまとめると,次のようになります。

 

・自民党は,選挙の争点を「郵政民営化」一本に絞る戦略を取っている。

・一方民主党は,年金問題を中心に据えている。

・自民党の支持率は上昇しており,単独で過半数の議席を獲得する勢いである。

・選挙の争点として何を重視するかを選挙民に尋ねると,年金問題が最も多く,郵政民営化への関心は低い。

・マスコミでは「郵政民営化に反対の自民党議員と『刺客』との争い」が,最も興味深く取り上げられている。

 

これらの事実から,1つの結論を導くことができます。それは,

 

多くの選挙民は,選挙を「理屈」で考えようとはしない。

 

だって,そうでしょう?「郵政民営化への関心は低いが,自民党を支持する」というのは,どう考えても理屈に合いません(郵政民営化は今回の選挙における自民党の唯一の主張なのだから)。マスコミでは各政党のマニフェストや候補者の主張が取り上げられてはいるけれど,多くの人はそんなものを判断基準にして投票するのではない,ということです。

※ ちなみに,今回の選挙に関する世論調査は何度も行われており,最近の調査では郵政民営化への関心が高まっているように見えます。しかしそれはおそらく,もともとは郵政民営化などどうでもよかった人たちが,「自民党に投票する」という自分の行動を正当化するために後付けで考えたのだろうと私は思っています。

※ そもそも理屈で言うなら,識者の一部が指摘しているように,今回の解散自体が間違いです。自分たちが選んだ代表者(国会議員)が多数決で決めたことに対して,「やっぱりそれはおかしいから,国民全員で投票し直そう」と言っているのと同じことですから。しかもそれを国会議員である小泉首相自らが先導しているというのは,議会制民主主義の否定以外の何者でもありません。しかし世間の多くの人々は,おそらく「大事な問題は国会で決めるより国民投票で決めた方がいい」と思っていることでしょう。社会の根幹にかかわる理念上の問題意識よりも,小泉さんの主張する「本音」,すなわち「国会なんか当てにせず,自分たちで決めましょう」という現実主義的な(理屈を無視した)主張の方に惹かれているのだと思います。議会制民主主義の危機という「正論」が大きくクローズアップされないのは,そのためです。要するに,今の国会や国会議員がそれだけ世間から信用されていない,ということです。これもまた,理屈では世の中が動かないことの一つの証左です。

 

● では,世の中の多くの選挙民は,何を基準に投票するのか?それはズバリ,「感情」です。「イメージ」あるいは「身体感覚」と言ってもいいでしょう。たとえば多くの人は,選挙の争点として「年金」を挙げています。では,彼らは「どの政党が年金のことを最もまじめに考えているのか(あるいは最もうまく対処してくれるのか)」という考えに基づいて投票するのでしょうか?否,です。彼らは単に,「自分にとって一番関心があるのは年金問題だ」と言っているだけであり,どこの政党が何をやるか,なんてコトにほとんど興味はないのです。はっきり言って,私もそうです。なぜ年金に関心が高いのか?それは,自分の生活に直結する問題だからです。なぜ郵政民営化に関心が低いのか?それは,郵便局があろうとなかろうと,自分の生活にさほど大きな影響がない人が多いからです。郵政民営化(法案)については,識者の間でも議論は分かれています。専門家でも結論を出すことのできない,難しい問題であると言えます。シロウトのおれらに,そんなことがわかるかい!となれば,あとはもうイメージしか残りません。「何となく小泉さんが好きだから」「小泉さんの志を遂げさせてあげたいから」「もう少し『小泉劇場』を見ていたいから」といった一種の生理感覚に基づいて,自民党を支持している人も多いことでしょう。問題は,それが「いけないこと」なのかどうか?という点です。それに対する私の答えは,「全然いけなくない」というものです。少なくとも,私にはそれを「いけないことだ」と言う資格はありません。それを,これから説明します。

 

● 以下,あるダンナと奥さんの会話です。あくまで寓話であって,わが家の話ではありませんからね。うちのヨメはこんな高尚なことは言いません(読むなよ,ここ)。

 

夫 「おまえ,今度の選挙では誰に入れるん?」

妻 「もちろん,ホリエモンよ」

夫 「なんで?あの人は地元と何の関係もないで」

妻 「でも,別の候補はなんか人相悪いし,ホリエモンは人気あるし」

夫 「おい,もうちょっとマジメに考えにゃいけんで。ちゃんと候補者の公約とか聞いて」

妻 「別に,イメージで投票してもええんじゃないん?」

夫 「そんなヤツは,投票に行く資格はない。政治はもっと大切なもんじゃ。真剣に考えにゃ」

妻 「私は,政治より健康の方が大事じゃと思うよ」

夫 「どういう意味じゃ?」

妻 「あんた,こないだの検査で『太りすぎ』って言われとるのに,食生活を改めとらんじゃない。

     私は毎日栄養のバランスを考えて食事を作っとるのに,偏食して酒ばっかり飲むし」

夫 「普通に生活しとったら,病気なんかになりゃせんわい」

妻 「あんた,それ,健康をイメージでしか考えとらんじゃろ?カロリーとか体脂肪とか,数字は

     正直なんよ。もっと真剣に考えにゃ。私が政治をイメージでしか考えてないと言うんなら,

     健康に対するあんたの意識も同レベルよ。要するに,あんたも同罪よ」

 

人は誰でも,自分の「得意分野」に関しては真剣に,また分析的に物を考え,結果的に合理的な判断をすることができます。「竿とハリと糸があったら魚は釣れるわい」というおおざっぱな感覚しか持たない人よりも,試行錯誤を重ねて地道に技術の向上を図る人の方が,より多くの魚を釣れるようになります。上の例では,政治についてはダンナの方が得意分野ですが,健康についてはヨメの方に分があります。世の中のありとあらゆる問題を自分の「得意分野」にすることができるのなら,誰もがすべての問題について「正しい判断」をすることができ,結果的に日本社会もよくなり,平均寿命も伸びるでしょう。しかし,人間とはそこまで完璧なものではあり得ません。「皆さん,もっと真剣に政治のことを考えましょう」と新聞は訴えますが,そのスローガンの中の「政治」という言葉は,別のあらゆる言葉(たとえば「環境」「教育」「死刑」「株価」「著作権」「石油の値上がり」)で置き換えることができるのです。人は,自分が大切に思っていることを強調したがり,「君もこの問題についてもっと真剣に考えようではないか」と周囲に働きかけます。言われた方が,そのすべての働きかけに応じることはあり得ませんし,実際できもしません。そんなとき,その人は「イメージ」で判断したり行動したりします。要するに,当たり前ですが,こういうことです。

 

人は誰でも,自分の関心が薄いことはイメージでしか考えない。

 

多くの場合,ある問題に関する関心の濃さは,それが自分の生活とどれくらい密接に結びついているかによって決まります。年金と郵政民営化との関心の格差は,そこに原因があります。さて,「郵政民営化に関心が低い」ことは,罪なのでしょうか?ここに,一人のメダカ研究家がいたとします。彼は,あなたに言います。「今や日本のメダカは絶滅しようとしています。日本の原風景が失われようとしているのです。あなたも,メダカ保護運動に協力してください!」--- これに対してあなたは,少なくとも心の中で,こう思います。「そりゃあ,あんたにとってメダカは大切かもしれんけど,ワシらにとっちゃ,そんなモンどうでもええんよ」。さて,あなたはプチ政治評論家であり,奥さんに言います。「もっと政治のことを考えろ!」。奥さんは答えます。「そりゃあ,あんたにとって政治は大切かもしれんけど,私にとっちゃ,そんなモンどうでもええんよ」。どうです?全く同じ図式ではありませんか?メダカはどうでもよくて,政治の方が大切だ,というのは,あなたにとっての優先順位でしかありません。もしもあなたが「たかがメダカなんて」と思う人間だとしたら,あなたには「たかが政治なんて」と言う人を批判する資格はありません。

 

政治に関心が低い人々が,投票に行かなかったり,口先だけのタレント候補に投票したりするのは,ある意味で当然の現象と言えます。過去の総選挙を振り返っても,選挙民の行動は多分にイメージに左右されています。政治家のスキャンダルとか,「消費税値上げにはとにかく反対」とか。理屈もへったくれもありません。大衆のこうした行動様式を熟知しているからこそ,アメリカの選挙戦では対立候補に対するネガティブ・キャンペーンが有力な戦術とされているのです。政治や選挙のあり方に対して不満や憤りを感じるあなただって,自分の関心が薄い他の分野では,その分野に詳しい人から見れば愚の骨頂のような行動を取っているかもしれません。何も考えずイメージだけでタレント候補に投票するヨメを叱ったり笑ったりしてはいけません。世の中は,そうやって動いていくのです。それが,本日の結論です。

 

 

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