最終更新日: 2007/12/9

雑記帳 (社会問題編-E)


 

◆ 2007/12/9(日) 東国原・宮崎県知事の 「徴兵制」発言について

 

宮崎県知事が「徴兵制」に賛成するかのような発言をしたことについて,中国新聞の

読者投稿欄に,16歳の高校生がこの発言への反論を寄せていた。ありきたりの内容

ではあるが,16歳にしてはしっかりした文章が書けていた。ただ,やはり社会経験が

少ない分,頭の中で考えた理屈の域を出ていない。ここでオジサンが,君たち若者

(誰だ?)に,「大人の物の考え方」をレクチャーしてあげようかと思う。


整理してみよう。そのまんま知事の発言の趣旨は,「現代の軟弱な若者たちの心を

鍛える場を提供する」ことにある。徴兵制によって兵士を育てたいわけではない。

その趣旨に沿い,次のような提案の是非を考えてみよう。

@ 一定年齢のすべての若者を,一定期間「軍隊的施設」に強制的に収容する。
A その施設では,集団生活を通じて規律・規範意識を養うことを目的とする。
B その施設は,国が管轄する。(地方ごとに格差が出てはいけないから)

要するにこの施設は「教育機関」であり,「若者を戦場へ送る」ことは想定していない。

そういう施設を作ってはどうか?という問題提起は,もしかしたら一部の人々の共感を

得ることができるかもしれない。若者諸君は,この提案を聞いてどう考えるだろうか?


もしあなたが大人(社会人)なら,必ずぼくと同じことを言うはずである。言い換えれば,

これからぼくが述べる「結論」とは違うことを言う人を,ぼくは大人とは認めない。

さて,その結論とは?(ちょっと考えてみてくれ。答えは下の方に書いてある)









 

 

 

 

 

 

 


「大人の結論」とは,こうだ。

「その提案を実現することは,(よい悪いの議論以前に)現実的に不可能だ」


では,「現実的に不可能」である理由とは何か?もちろん1つではないが,最大の

理由が何であるかははっきりしている。これも,大人なら即答できるはずだ。

さあ,答えは?








 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

答えは,「金がかかりすぎるから」である。

社会人の大半は,金持ちだろうと貧乏人だろうと,「金勘定」に日々頭を悩ましている。

その点が,学生と社会人との最大の違いと言ってよい。だから大人なら,上の結論を

聞けばおよそ納得できるだろうが,若者諸君のために少し詳しく説明しておこう。


上記に定義したような施設を作るのにどの程度の予算が必要かを,おおざっぱに想像

してみるとよい。仮に収容期間を半年として,収容人数を年間50万人と想定してみよう

(毎年の高卒生はそれより多い)。そこが「強制的に収容する施設」である以上,生活費は

全額管理者である国が負担しなければならない(自己負担にしたら,「金が払えない」と

いう理由で施設に入らない者が続出してしまう)。1日の食費を1人当たり1,000円としても,

1,000円×50万人=5億円が,彼らの1日の食費で消える計算になる。もちろん光熱費など

施設の運営費は別に必要だ。そもそも,それだけの人間が収容できるような既存の

(空いている)公営施設などないから,新たな施設の建設が必要になる。

さらに問題なのが,人件費である。まず,その施設の管理者が国である以上,職員

(指導者)は国家公務員(あるいは独立行政法人の職員)となる。近所の引退した

おじいちゃんたちをボランティアで雇う,というわけにはいかない。なぜならそこは教育

施設であり,教育の質を均一化するためには一定の資格が必要になるからである。

だから新たな資格認定制度が必要であり,そのための教育機関も必要になる。

ここまでの話で分かるとおり,この施設は文部科学省の管轄になる。同省にとっては

権益拡大の絶好のチャンスだが,他の省庁がこんな「一人占め」を認めるわけがない。

あれこれ理由をつけて予算の分捕り合戦が始まり,必要経費の見積もりは際限なく

拡大するだろう。国民もそこまでバカではない。国保の保険料が払えず医者にかかる

こともできない人々が何百万人もいると言われる現状で,こんな政策が国民の支持を

集める可能性は皆無である。これが,「現実的に不可能」であることの最大の根拠だ。



さらに視点を変えて,この提案の実現が不可能である理由を,実施のための手続きの

観点から考えてみたい。ぼくは昔公務員だったので,そういう発想は得意な方だ。

役所の仕事を端的に言うなら,法律に定められたことを実現するための環境を整備

することである。法が「〜しなさい」と命じても,それを具体化するためにはさまざまな

「決め事」が必要になる。上記の「軍隊的施設」について,その決め事を考えてみよう。

まず決めねばならないのは,「一定年齢」とは何歳か?という点である。

これには次の4案が考えられる。

(A)15歳(高校入学前)
(B)18歳(高校卒業時)
(C)15〜25歳(この幅は仮のもの)のうち,当局が各人に指定する時期
(D)15〜25歳のうち,各人が希望する時期

このうち最も行政効率が悪いのは,(D)である。施設の収容力は一定だから,毎年

同じ数の人間が入ってくれなければ部屋に空きができたりあふれたりする。あえて

そういう非効率な方針を選択し意図的に業務量を増やして組織防衛しようと考える

たちの悪い公務員もいるかもしれないが,建前上そういうことは許されない。

だから,おそらく(D)案は真っ先に除外されるだろう(もっと言えば,若者の数が年々

減ると遊休施設が増えることになるから,出生率が下がるのはまずい)。

では,(C)案はどうか?これも,あまり効率がよろしくない。「入所時期を変更してくれ」

という希望が殺到しそうだからだ。たとえば当局によって「高校卒業直後に半年間

この施設に入りなさい」と指定された若者から「もう就職が決まっているから無理だ」

と言われたら,どう対処したらよいのか?そもそも,これから就職しようという若者を,

こんな施設に入れる意味があるのか?それでなくても労働力が絶対的に不足して

いる今日,就業可能年齢に達した若者を半年も1年も定職につけないような政策を,

(政治のスポンサーである)経済界が認めることはありえない。少なくとも質の高い

労働力になるうる人材については,こんな「研修期間」などスキップさせて一刻も早く

入社させたいと考えるだろう。だから(B)案も不可だし,さりとて(A)案を選んだ場合

どんな結果を生むかは容易に想像できる。15歳の若者たちに集団生活をさせる

ことの困難さは,中学や高校の教師なら誰でも知っている。生徒の教育うんぬん

以前に,多数の指導者がノイローゼにかかることは確実である。彼らが対処すべき

相手は若者だけではないのだ。彼らの親(当然モンスターペアレントが含まれる)

という手強い相手もいる。要するに,(A)〜(D)のどれも,現実にはうまくいかない。

もっと大きな問題は,この施設を「教育機関」と位置づけたことから生じる。これが

教育機関であるなら,中学→高校→大学,と続く単線的な日本の教育制度のどの

部分に,この施設は位置づけられるべきなのか?それは日本の教育制度の根幹に

かかわる問題であり,「青少年の心を鍛える」などという情緒的な(軽い)動機で話が

済む問題ではない,と,役人なら必ず言うだろう。

次に,「一定年齢の若者全員」という点が問題になってくる。想像するに,東国原

知事の発想の中にあるのは「若い男」だけであり,「若い女」は入っていないだろう。

では,若い女は放っておいてもよいのか?と言えば,その答えはノーである。

「若い女も心を鍛えるべきだ」と言いたいのではない。この施設が国民の税金に

よって運営される教育機関である以上,「男性だけに教育サービスが提供されて,

女性はそのサービスを受けられない」というのは,男女差別そのものだからだ。

同じことは,さまざまな障害を持つ若者についても言える。軍隊的規律を身につけ

させる施設であれば,そのカリキュラムの中で「身体を鍛える」ことが重視される

だろう。つまり,「体育の授業」である。しかし世の中には,身体に障害を持ち,

健常者と同じメニューの運動ができない若者はたくさんいる。彼らはこの施設の

中で,どのように扱われるのか?もっと深刻なのは,「心の病」を抱えた若者である。

たとえば,中学や高校を不登校で中退した人々だ。今日文部科学省は,不登校者

に対して「無理をして登校しなくてよい」というスタンスを取っている。彼らを強制的に

軍隊的施設に入れることは,この考え方と完全に対立してしまう。あるいは,たとえば

アレルギー体質で食べられる物が限られている者には,特別メニューの食事を用意

するのか?また,(裁判員制度と同様に)病気の親の介護など「自分がいなくなったら

絶対に困る」ような環境に身を置いている者までもこのような施設に入れるのか?

もし除外規定を設けるなら,その定義をめぐって大きな議論が起こるだろう。

この施設が「軍隊」なら,そんなことを気にする必要はない。使えない奴は切り捨てて

しまえばよいのだから。しかし「教育施設」と定義した以上,教育的配慮は当然必要に

なってくる。結局のところこの軍隊式施設の発想は,「心身ともにある程度健康で,

普通の社会的環境にいる若い男性」という狭い範囲の人々のみを念頭に置いて

おり,それ自体が差別意識の現われなのである。そして,仮にその範囲に対象者を

限定したとしても,本当に「すべての若い健康な男」に対してそのような軍隊的訓練が

必要なのか?という素朴な疑問が沸く。東国原知事をはじめ今の働き盛りの男性たちは,

現にそのような訓練を受けていないのに,立派な(?)社会人となっているではないか。

--- ただし,この意見に対しては,理屈の上では次の2つの反論が可能である。

(1)今の大人たちは軍隊に入ったことはないが,昔は学校がそれに近い機能を果たして

     いた。しかし今は学校教育のタガが緩んだので,別の教育機関が必要なのだ。
(2)今の大人たちは(知事本人を含めて)全く立派ではない。だから,そうならないように

    若者たちを鍛えるのだ。

言うまでもなくこれは言葉の遊びであって,知事は(2)のようなことは考えていないから,

(1)の反論しか成り立たない。しかし(1)が本末転倒の議論であることもまた明白である。

直感的にもわかることだが,若者の中にも立派な人々はたくさんいる(それこそ大人よりも)。

そういう人々には,軍隊的訓練など現実に必要がない。しかし,だからといって,「施設に

入れるべき人間」と「入らなくてもよい人間」を振り分けることは不可能であるし,

何らかの理屈をつけてそのような「選別」を行うことは絶対に世間が許さない。


この種の施設をどうしても作りたいと考える人々は,「まず試験的に1か所だけ作ってみて,

効果を検証してはどうか?」と言うかもしれない。そしてモニター施設が作られ,無作為に

選ばれた若者たちがそこに入れられて集団生活を送ることになったとしよう。

その試行を実施するために,どんな手続きが必要だろうか?

たとえば,「モニター参加者に対する金銭的補償」である。年齢がどうであれ,参加者は

この施設に入っている期間,「他の場所(たとえば高校や大学)で教育を受ける機会」と

「仕事をして金を稼ぐ機会」を奪われることになる。だから,おそらく誰もこの「実験」に

積極的に参加しようとは思わないだろう。よほど法外な対価をもらわない限り。

それでもどうにか対象者を選び出し,モニター実験が始まったとしよう。その先にも,

問題が山積している。

 

まず,当然のことだが,軍隊的訓練に対しては「不適応者」が続出するだろう。そこが

本物の軍隊なら,殴る蹴るの暴行を加えて無理やり服従させるのも「あり」かもしれない。

しかし教育施設であるなら,「言うことをきかない者」にどう対処するかが問題になる。

考えられる方法は,次の3つである。

 

(A)一定の基準を満たすまで「卒業」させないで,ずっと施設に収容しておく。

(B)さらに厳しい教育施設へ送る。

(C)「不合格」の烙印を押して,社会へ送り出す。

 

(C)はこの施設が「社会的不適応者認定機関」になることを意味し,教育的見地からは

論外の選択である。(A)の場合,この施設は「社会的不適応者の収容施設」となり,

貴重な税金をそんな目的のために使うことを世間が許すはずがない。(B)は,たとえば

本物の「軍隊」である自衛隊へ彼らを送れば,自衛隊員が安定供給できるようになるかも

しれないが,そんなブラックジョークが現実になることはないだろう。あるいはこの施設から

刑務所へ直行,というケースも出かねず,教育どころか犯罪者養成機関になりかねない。

さらに深刻なケースでは,施設内でのいじめや人間関係のストレスから自殺したり,うつ病

になったりする者も出るだろう。親は当然,国を相手に損害賠償の訴訟を起こすだろう。

 

また,仮に多くの若者がその施設を無事「卒業」できたとしても,そこでの「教育」の効果を

検証するのは簡単ではない。たとえば,その施設での教育を受けた若者たちのその後の

離職率や犯罪発生率を同年齢の人々の数値と比較すれば,「教育の効果があった」と

いう推論が成り立つ可能性はある。しかしそれは時間や手間がかかりすぎる,そういう

調査に税金を使うこと自体が無駄だ,という批判も起こるだろう。

 

これらは「大人的思考」のほんの一端であり,まだいくらでも書けるが,きりがないので

このへんにしておく。もしもこの記事を読んでいる高校生や大学生諸君がいたら,君の

意見とオジサンの意見との「質」の差を,多少でも感じ取ってもらえれば幸いである。

頭の中で想像するのは簡単だが,それを実行に移すとなるといろんな問題点が思い

浮かぶはずだし,それが思い浮かばないようでは社会人失格である。社会人のあなた

なら,わかるはずだ。たとえばある企画に対して「できる」とか「できない」とかの判断を

下すためには,現実の手続きをベースにした(官僚的)思考プロセスが必要だからだ。

 

若者たちよ。オジサンは,「徴兵制」という言葉に敏感に反応したりはしない。それが

現実社会の中では絵空事にすぎないことを,君たちより多くの社会経験を通じて理解

しているからである。オジサンたちのような社会人は,現実の仕事や生活を物差しに

して物事を考える癖がついているのだ。そしてオジサンは,大人とはそういうものだと

思っているのだよ。


※ 念のためつけ加えておこう。日本に徴兵制が敷かれる可能性は,君の町に宇宙人が

攻めてくる可能性と同じくらい低い。理由は簡単に説明できる。ほとんどの人は,自分の

利害に直接関係のない議論には鈍感だが,自分の「不利益」になりそうな問題には

必要以上に敏感だからである。安倍総理はいくつかの「改革」を試みようとしたが,

年金問題の前にすべて消し飛んでしまった。「年金は自分の生活に直結する問題だから

間違いは絶対に許されない。それに比べれば教育や安全保障などどうでもよい」と,

多くの国民は思ったのだ。あるいは,食中毒になった人など誰もいないのに,たかだか

賞味期限の改ざんくらいで(とオジサンは思う)大騒ぎする世間の人々を見るがいい。

自衛隊の海外派遣?まあいいんじゃないの。自分が行けと言われたらノーだけど

というのが,世間の多くの人々の本音なのである。もし「日本も徴兵制を採用するべきだ」

という議論が本当に起きたら,普段は政治に無関心な人も含めて,世間の大多数の

人々は猛烈に反対し,おそらく実力行使も辞さないだろう。「戦争反対」という理由から

ではない。「自分(や身内)が戦場に行くのは嫌だ」という,個人的な損得勘定からである。

この「人間の本質」が変わらない限り,日本に徴兵制が敷かれることは絶対にあり得ない。

 

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