最終更新日: 2009/7/18

雑記帳 (その他編-13)

 


 

 

● 2009/7/18(土) ある新聞記事のこと(国語のお勉強)

 

 

何気なく新聞を読んでいたら,おもしろい記事が目に留まった。7月14日付けの,

中国新聞の朝刊に載った次の記事だ。この記事は,前日に国会で成立した

改正臓器移植法に関する「識者のコメント」の1つで,この法律に疑問を呈する

立場に立っている。念のため確認しておくと,今回の改正によって,脳死は一般に

人の死とみなされ,子どもを含むすべての脳死患者からの臓器移植が可能になった。

 

O大・M教授(生命倫理学)の話    ※実際の記事では実名。

 

 臓器提供をしたくない場合は本人が拒否の意思を示せると言うが、その意思を本当に

発見できるのか。例えば書類を書いて自宅のどこかに置いたときに、どう発見するのか。

こういう点を詰める必要がある。提供意思があると確認するより、提供拒否の意思がない

ことを確認する方が、よほど難しい。

 そもそもわれわれは、臓器提供について迷う権利がある。迷っているから意思が示せず、

ドナーカードを持てないことを尊重すべきだ。今回の改正で迷う自由が否定される。

今までは(提供を)表明しない限り自分の身に何かが及ぶことはなかったが、今後は

何も表明しなければ、迷っていたかもしれないのに臓器が取られる恐れがある。

  (脳死状態で30日以上心臓が動く)長期脳死になる子どももいるが、医学的に未解明だ。

現在の判定基準では、脳死になった子どもがすぐに心臓が止まるのか、長期脳死になる

のか分からない。長期脳死の子どもは身長も伸び、100日以上心臓が動き続けるケースも

ある。解明されるまで、脳死の子どもからの摘出は控えるべきだ。

 

 

諸兄は,この記事を読んで何を感じただろうか?

何も感じない?それは,論理的感性(へんな言葉ですね)が鈍い。

 

一口で言って,この記事の内容は「支離滅裂」である。新聞には時々意味不明の記事が載るが,

上の記事は昔で言えばVOWに載せたいくらいの(冗談),あまりにもトンデモな内容だ。

それを,以下に検証してみたい。断っておくが,特定の価値観に照らして「賛成」とか「反対」とかを

論じようというのではない。それ以前の「問題点」が上の文面にはあるのだが,わかるかな?


 

 

本文は,3つの段落から成っている。まず,第1段落を見てみよう。

 

 臓器提供をしたくない場合は本人が拒否の意思を示せると言うが、その意思を本当に

発見できるのか。例えば書類を書いて自宅のどこかに置いたときに、どう発見するのか。

こういう点を詰める必要がある。提供意思があると確認するより、提供拒否の意思がない

ことを確認する方が、よほど難しい。

問題は,最後の文だ。前半には「臓器提供を拒否する意思を示した文書が見つからないケースが

ありうる」という趣旨のことが書いてある。それと論理的につながるためには,赤字のフレーズは,

提供拒否の意思があることを確認する」でなければならないはずだ。そうでしょ?

 

これには,次の2つの可能性がある。

 

@ 記事を書いた記者の誤記(「意思がある」と書こうとして間違えて「意思がない」と書いた)

A M教授は第2文と第3文との間でもっと別のことを説明したのだが,記者が紙面スペース

    の都合でその説明をカットしたために,意味がうまく伝わらなくなった。

 

しかし,どちらの場合も理屈が通らない。まず,@のケースを考えてみよう。

(A)「(脳死患者に)臓器提供の意思がある」と確認すること

(B)「(脳死患者に)臓器提供を拒否する意思がある」と確認すること

この2つのどちらが「難しい」かと言えば,その答えは「どちらも同じ程度に難しい」である。

Aは,現行の法律の元では,ドナーカードによって確認できる。しかしM教授の理屈で言えば,

本人がドナーカードを家のタンスの引き出しにしまい込んでいたら,臓器提供の意思は確認

できないことになる(ぼく自身ドナーカードを持っているが,手書きの署名をしてサイフに入れて

いる紙切れにすぎず,紛失する可能性も当然ある)。つまり「意思を記した書面が見つからない」

という事態が生じる可能性は,ドナーカードの場合もドナー拒否カード(メモ)の場合も同じである。

(むしろドナーカードには「常時携行してください」という注記がある分,紛失の可能性はより高い

かもしれない)

 

次に,Aの場合。つまり

(A)「(脳死患者に)臓器提供の意思がある」と確認すること

(B)「(脳死患者に)臓器提供を拒否する意思がない」と確認すること

の2つを比べたとき,「Bの方がAよりも難しい」とM教授が結論付けている場合を考えてみよう。

(B)は,次のように言い換えることができる。

(B')「(脳死患者が)臓器を提供してもかまわないと考えていることを確認すること」

こう言い換えると,AとBとは実質的にほとんど差がないことがわかる。現行のドナー

カードは,AまたはB'の意思を確認するためのものだからだ。だから,「AよりBの方が

難しい」などということはない。

 

だから,Aではなく@(誤記)である可能性が高いが,果たして上の記事を書いた新聞記者は,

こうしたロジックをどこまで理解していただろうか?(理解していないから書き間違えたのだろう)


 

 

次に,第2段落だ。

 

 そもそもわれわれは、臓器提供について迷う権利がある。迷っているから意思が示せず、

ドナーカードを持てないことを尊重すべきだ。今回の改正で迷う自由が否定される。

今までは(提供を)表明しない限り自分の身に何かが及ぶことはなかったが、今後は

何も表明しなければ、迷っていたかもしれないのに臓器が取られる恐れがある。

第1段落が意味不明なのは新聞記者の責任である可能性が高いが,第2段落は内容から考えて

おそらくM教授の発言内容と大きく食い違ってはいないだろう。であるなら,M教授の考えは

(理屈の上で)完全に間違っている。教授は「旧法よりも新法の方が不都合が大きい」と主張して

いるが,そうではない。旧法にも新法と全く同じ「不都合」があったのである。そのロジックを,

ちょっと考えてみてほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

正解は,こうだ。

 

旧法の下でM教授の言う「迷っていたから意思が示せなかった」人は,何を迷っていたのか?

それは,次の2つの間の葛藤である。

 

(A)「臓器を提供してもよい」という思い

(B)「臓器を提供したくない」という思い

 

新法の下では,(B)の思いが否定される」とM教授は主張しているが・・・・もう,お分かりだろう。

そう。旧法の下では(A)の思いが否定されていたのである。なぜなら,「迷いがあるからドナー

カードを持っていなかった人」は,旧法の下では臓器の提供を許されなかった(旧法下では脳死は

人の死ではないから,ドナーカードを持たない脳死患者から臓器を抜き取ったら殺人になる)からだ。

つまり,旧法から生じる不合理と新法から生じる不合理とは表裏一体のものであり,新法の方が

旧法よりも劣っているということにはならない。これが,論理的に正しい結論だ。

 

補足して言うなら,旧法の下で多くの人がドナーカードを持っていなかった主たる理由は,おそらく

M教授が言う「臓器提供を迷っていた」などというものではない。単に「持つのが面倒だった」から

だろう。生命倫理学という専攻内容を考慮したとしたも,普通の常識から言えばM教授の発言は

頭でっかちの空論にしか聞こえない。


 

 

最後に,第3段落。

 

  (脳死状態で30日以上心臓が動く)長期脳死になる子どももいるが、医学的に未解明だ。

現在の判定基準では、脳死になった子どもがすぐに心臓が止まるのか、長期脳死になる

のか分からない。長期脳死の子どもは身長も伸び、100日以上心臓が動き続けるケースも

ある。解明されるまで、脳死の子どもからの摘出は控えるべきだ。

 

これも記者の責任かもしれないが,何が言いたいのか全然わからない。

あえて教授の立場を汲んで解釈するなら,こう言いたいのだろう。

 

「(長期)脳死は人の死ではない。だから脳死の患者からの臓器摘出をしてはいけない」

 

しかし,そう言いたいのなら,わざわざ「脳死の子どもからの摘出は・・・」などと子どもに限定する

必要はないし,「医学的に未解明」などと言う必要もない。「どんな患者であれ,(ドナーカードが

ない限り)心臓が止まるまでは臓器を取り出してはいけない」と言えばよいのだ。しかしそれは

旧法の追認にすぎず,「新法のどこが不都合なのか」という説明にはなっていない。記者サイド

から言えば,ただ紙面を埋めただけにすぎない。厳しい言い方をするなら,この段落に書かれた

ことは一種のトートロジー(同語反復)であり,「ダメだからダメ」と言っているのと同じである。

 

 

以上のように,今回引用した記事には,至る所に「つじつまの合わない」文面が含まれている。

端的に言ってしまえば,コメントした教授もバカだが,記事を書いた新聞記者もバカだ。


 

 

【補記】 

 

新法の問題点として,よりリアリティのあるケースを1つ考えてみよう。

「自分は脳死になっても臓器を提供したくない」と考える人はおそらく少数派であり,そういう人は

書面に残すよりも前に,家族など親しい人にその旨を口頭で伝えている可能性が高い。M教授の

言うように仮に書面が紛失しても,家族が本人の意思を事前に知っていれば,当然その人の

臓器が摘出されることはない。

 

しかし,こういうケースは起こりえるかもしれない。ある人が交通事故で病院にかつぎ込まれ,

そのまま脳死状態となったが,その人の身内が誰もいないことが判明した,と想定してみよう。

従来の法律の元では,医者がこの患者を「安楽死」させたら殺人になってしまう。一方で

この患者の入院費を払ってくれる人はいないわけだから,病院側から言えばその人を

延命させればさせるほど赤字になってしまう。今回の法改正によって,このケースで医者が

その身寄りのない脳死患者を「殺して」臓器を摘出することは罪にならなくなった。
もっと言えば,「臓器提供」という名目がなければ安楽死させることはできないのだから,

医者は何が何でも身寄りのない脳死患者をドナーにしたがるかもしれない。それはつまり

(入院費の節約という)医者の都合で患者の(生物としての)命を奪うことになりかねない。

そこには,何かしらの倫理的問題がありそうな気もする。

 

記者は,新法に反対する意見を載せるのなら,もう少し現実に即した理由付けを探して

くるべきではなかったのか?まあ,これはどっちでもいいことだ。国語のお勉強,おしまい。

 

 

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